思い、そして感じた事をそのまま
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第2次大戦後の日本の平和は、日本国憲法第9条により守られてきたと主張する者達がいる。日本国憲法は、他国には何も効力が無い日本国の最高法規であり、日本国の統治権の根本を定める基礎法とされている。
よって、日本国憲法を軸として、日本国では日本国で効力を発する法の制定が行われているのではないのだろうか。
よって、第9条は日本国に関する法であり、他国には全く関わりの無い法である事は間違い無い。
そして憲法9条によって定められている事は、
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本は軍隊を持ってはならない。更に、国際紛争の解決手段として軍事力を永久に放棄するとしている。
だが、日本は自衛隊という大きな軍事力を現在は保持している。一寸した法解釈によって、自衛隊の存在は認められたのかもしれないが、憲法9条に対する完全な違法行為だろう。
憲法9条により日本の平和は守られたとする者達は、自衛隊をどのような組織と判断しているのだろうか。強引に軍隊では無いと主張しているものもいるのかもしれないが。
だが、日本の平和を本当に守ろうとするならば、自衛隊という大きな軍事力は絶対必然の組織となっている。
現在の東アジアの状況では、米軍だけに日本を守ってもらうなんて事は不可能だろう。
国際紛争とは何か。国家間の戦争。現在では、ベトナムと中国でその危機感が非常に高まっているが、ベトナムと中国だけが戦争を行った場合にも国際紛争となる。
となれば、日本に対し、他国が侵略の為に軍事力を発揮した時には、日本はその国との国際紛争となると思えるが、決して軍事力を用いてはならない。何ら抵抗すること無く、侵略されなければならないとしている。
憲法9条とは、決して日本の平和を守る為の法では無い。逆に、日本への侵略を簡単にし、何も抵抗できない国際紛争へ日本を陥れる法ではないのだろうか。
第2次大戦後、日本は侵略された事もなければ、国際紛争に参加した事も無い。大戦後の日本への侵略を防護したのは、強大な社会主義国であったソビエトを意識して日本国内に多くの米軍基地を配置されていたからではないか。
アメリカの軍事力が日本に存在する事により、ソビエトだけでは無い、中国なども日本を攻める事など不可能だったろう。下手をすれば、核戦争にもなりかねなかったのだから。そうなる事など、ソビエトや中国なども強く避けていたろうからな。
よって、大戦後の日本の平和を守ってきたのは憲法9条などでは無い。日本国内に存在する、強大なアメリカの軍事力であり、後に作られた自衛隊という新たな日本独自の軍事力であった事は間違い無いだろう。
1960年に岸内閣が日米安保条約が締結されているが、この条約の存在も日本の平和に大きな影響力を持っているだろうな。
よって、日本国憲法を軸として、日本国では日本国で効力を発する法の制定が行われているのではないのだろうか。
よって、第9条は日本国に関する法であり、他国には全く関わりの無い法である事は間違い無い。
そして憲法9条によって定められている事は、
1.日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2.前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
日本は軍隊を持ってはならない。更に、国際紛争の解決手段として軍事力を永久に放棄するとしている。
だが、日本は自衛隊という大きな軍事力を現在は保持している。一寸した法解釈によって、自衛隊の存在は認められたのかもしれないが、憲法9条に対する完全な違法行為だろう。
憲法9条により日本の平和は守られたとする者達は、自衛隊をどのような組織と判断しているのだろうか。強引に軍隊では無いと主張しているものもいるのかもしれないが。
だが、日本の平和を本当に守ろうとするならば、自衛隊という大きな軍事力は絶対必然の組織となっている。
現在の東アジアの状況では、米軍だけに日本を守ってもらうなんて事は不可能だろう。
国際紛争とは何か。国家間の戦争。現在では、ベトナムと中国でその危機感が非常に高まっているが、ベトナムと中国だけが戦争を行った場合にも国際紛争となる。
となれば、日本に対し、他国が侵略の為に軍事力を発揮した時には、日本はその国との国際紛争となると思えるが、決して軍事力を用いてはならない。何ら抵抗すること無く、侵略されなければならないとしている。
憲法9条とは、決して日本の平和を守る為の法では無い。逆に、日本への侵略を簡単にし、何も抵抗できない国際紛争へ日本を陥れる法ではないのだろうか。
第2次大戦後、日本は侵略された事もなければ、国際紛争に参加した事も無い。大戦後の日本への侵略を防護したのは、強大な社会主義国であったソビエトを意識して日本国内に多くの米軍基地を配置されていたからではないか。
アメリカの軍事力が日本に存在する事により、ソビエトだけでは無い、中国なども日本を攻める事など不可能だったろう。下手をすれば、核戦争にもなりかねなかったのだから。そうなる事など、ソビエトや中国なども強く避けていたろうからな。
よって、大戦後の日本の平和を守ってきたのは憲法9条などでは無い。日本国内に存在する、強大なアメリカの軍事力であり、後に作られた自衛隊という新たな日本独自の軍事力であった事は間違い無いだろう。
1960年に岸内閣が日米安保条約が締結されているが、この条約の存在も日本の平和に大きな影響力を持っているだろうな。
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毎日新聞が書いているが、過去の起こっている癲癇患者による事故を懸念し、福岡の企業が福岡労働局へ「生徒の面接時にてんかんの有無を確認していいか」といった質問が多く寄せられていたらしい。
この企業の活動を労働局はどのように判断したのか、12年7月に来春卒業予定で就職希望の在校生に対し、「てんかんの生徒は主治医の意見書をハローワークに提出」に県を通じ、各校に文書で依頼していたらしい。
癲癇患者を雇用すれば、必ず大きなトラブルを発生させる可能性がある。だから、それを避けたいとして、面接時に癲癇の湯有無を確認してもいいかと労働局へ求めた。
癲癇の発作には、大きく分ければ単純部分と複雑部分の2種がある。更に悪化すれば大発作となるのだろうが。
癲癇患者は発作時に痙攣を起こすとイメージする者が多くいるのではないだろうか。だが、癲癇の発作は決して痙攣などだけでは無い。意識障害などもある。
意識障害も単純であれば、意識が完全に消えるという事はない。ただ、非常に苦しい状態に追い込まれてしまうかもしれないが、しっかりと意識を持ったまま耐え切る事は可能だ。それも短ければ1~2分程度。
長ければ、完全に回復するまでに1時間余りも掛かってしまう事もあるかもしれないが。職務に就いているとしても、作業を継続する事は難しくなるかもしれないが、軽ければすぐに回復する事はでき、職務に大きな影響をもたらす事はないのではないだろうか。
単純から悪化していくと、複雑発作となり発作状態となった時に、意識を失ってしまう状況にはなる。だが、最初の段階ではほんの一時的に意識を失うだけであり、その記憶もハッキリとしている。起こったのはどこであるか、その後どのような行動をしていたのか。後から思い出すことは可能なのだ。
複雑となれば、軽い段階では職務の範囲は狭められてしまうかもしれないが、決して何も務める事はできないなんて事は無いだろう。
だが、それが悪化していけば、意識を失うだけでは無く、無意識に行動をする自動症が発生するし、その時の記憶を全く失ってしまう状態にもなってしまう。
こうなれば、本人には発作が起こっていたか否かの判断は全く出来なくなっているし、見ていたものに言われても、その時の状態を思い出すことは出来ない。時には、言われても理解できない時もある。
この状態にまで悪化してしまった時には、職務に付く事は非常に難しいのかもしれない。
だが、癲癇の症状には大きな幅があり、癲癇患者であれば誰も職務に付けないというのは大きな勘違いだ。
単純部分発作の段階でも、苦しい状態に追い込まれる者もいるかもしれないが、たった1錠の薬を飲むだけで、殆ど発作が起きない状態となる者もいる。軽い動作だけでは無く、ハードな動きをしていても。
これらの者は、どのような職務に付く事も可能な筈だ。
また、毎日新聞の記事「てんかんと生きる:就労の壁/1 病名明かした途端「不採用」の一部に、「 最初に「変調」が生じたのは20歳のころ。通っていたデザイン専門学校の卒業制作で椅子をどう作ったか、よく覚えていない。卒業後、日曜大工関連商品の製造販売会社に入社したが、膨大な商品名を覚えられず約1カ月で退社。住宅図面などを作る会社に転職したもののパソコンの高度な機能を使いこなせず、そこも自ら辞めた。以後、雑貨店や料理店など職場を転々。その理由の多くは「不向き」や人間関係だと思っていた。」(毎日新聞2014.3.04)と書かれてあるが、複雑発作の時には発作が起こった時には、その時の記憶を全く失っている事はある。
だが、膨大な商品名を覚える事は出来ない、パソコンの高度な機能を使いこなせないといった事はないと思えるのだが。発作が起こった時には、脳の機能にまで大きな影響を及ぼしている事はないと思えるのだが。
故に、本人の努力次第によっては、膨大な商品名を覚える事は出来ない、高度なパソコン機能を使いこなせないといった事など無い筈だ。
まして、膨大な商品名を覚える事が出来ないやパソコンを使いこなせないといった事は癲癇患者でなくても、ありえる筈だ。
癲癇患者だから、出来ないと決め付けるような意識は、癲癇患者に対する差別だ。
癲癇間患者を扱う病院科目は、神経内科と脳神経外科に絞られるが、癲癇に詳しい医師もいれば、全く理解していない医師もいる。詳しい医師に出会った時には、症状は改善される可能性は高いだろう。
全く詳しくない、神経内科の医師などに出くわした時には、その症状は悪化される事は間違い無い。
癲癇は社会に理解されていない事も大きな問題だろうが、それを担当する医師にも理解していない者が多いという事が大きな問題だ。医師によって、癲癇患者の症状の変化には大きな違いが出てしまうのだから。
脳神経外科では、症状によって手術される事もあり、それにより改善される事もある。だが、神経内科では処方によって改善を図ろうとする。その為には、必ず患者の状態に適した処方を行わなければならない。
だが、その様な当然の事などせずに、単純に同じ処方を繰り返す藪医者もいる。患者によっては、その様な藪医者にはすぐに見切りをつけ、医師変更を検討する者が多いのではないかと思えるが。
これら藪医者の中には、抗癲癇剤の種類や、その効能を理解しきっていない者も存在しているのだから。
また、癲癇を専門としている医師にもいい加減な奴は存在していると思えるが。
患者の殆どは、必ず改善して生きたい、治したいと思っている筈だ。そうしなければ、活発な人間関係を作り、交流する事も出来ないし、活発な社会生活を送る事が出来ない。そういった事を、悔しがっている者が多いんじゃないだろうか。
静岡の国立てんかんセンターでは、患者にわざと発作を起こさせ、その症状を見、適した処方を行い、改善及び感知を目的とした診療を行っているらしい。
癲癇患者が真っ当な社会生活を送る事が出来るか否かなどは、医師がどれだけ正確な癲癇知識を持っているか、真っ当な診療が出来るか否かにかかっている。
世間は単純に癲癇患者ばかりに目を向けるが、そうで無く、診療する医師にも目を向けてもらいたい。医師にも、正確な癲癇知識を持った上で、診療を行う様にしてもらいたい。
癲癇患者は、健全な者とは異なり社会生活にある程度の障害を持っているかもしれないが、同じ一人の人間だ。障害を持っているというだけで、偏見視する事は適しているとは思えない。
この企業の活動を労働局はどのように判断したのか、12年7月に来春卒業予定で就職希望の在校生に対し、「てんかんの生徒は主治医の意見書をハローワークに提出」に県を通じ、各校に文書で依頼していたらしい。
癲癇患者を雇用すれば、必ず大きなトラブルを発生させる可能性がある。だから、それを避けたいとして、面接時に癲癇の湯有無を確認してもいいかと労働局へ求めた。
癲癇の発作には、大きく分ければ単純部分と複雑部分の2種がある。更に悪化すれば大発作となるのだろうが。
癲癇患者は発作時に痙攣を起こすとイメージする者が多くいるのではないだろうか。だが、癲癇の発作は決して痙攣などだけでは無い。意識障害などもある。
意識障害も単純であれば、意識が完全に消えるという事はない。ただ、非常に苦しい状態に追い込まれてしまうかもしれないが、しっかりと意識を持ったまま耐え切る事は可能だ。それも短ければ1~2分程度。
長ければ、完全に回復するまでに1時間余りも掛かってしまう事もあるかもしれないが。職務に就いているとしても、作業を継続する事は難しくなるかもしれないが、軽ければすぐに回復する事はでき、職務に大きな影響をもたらす事はないのではないだろうか。
単純から悪化していくと、複雑発作となり発作状態となった時に、意識を失ってしまう状況にはなる。だが、最初の段階ではほんの一時的に意識を失うだけであり、その記憶もハッキリとしている。起こったのはどこであるか、その後どのような行動をしていたのか。後から思い出すことは可能なのだ。
複雑となれば、軽い段階では職務の範囲は狭められてしまうかもしれないが、決して何も務める事はできないなんて事は無いだろう。
だが、それが悪化していけば、意識を失うだけでは無く、無意識に行動をする自動症が発生するし、その時の記憶を全く失ってしまう状態にもなってしまう。
こうなれば、本人には発作が起こっていたか否かの判断は全く出来なくなっているし、見ていたものに言われても、その時の状態を思い出すことは出来ない。時には、言われても理解できない時もある。
この状態にまで悪化してしまった時には、職務に付く事は非常に難しいのかもしれない。
だが、癲癇の症状には大きな幅があり、癲癇患者であれば誰も職務に付けないというのは大きな勘違いだ。
単純部分発作の段階でも、苦しい状態に追い込まれる者もいるかもしれないが、たった1錠の薬を飲むだけで、殆ど発作が起きない状態となる者もいる。軽い動作だけでは無く、ハードな動きをしていても。
これらの者は、どのような職務に付く事も可能な筈だ。
また、毎日新聞の記事「てんかんと生きる:就労の壁/1 病名明かした途端「不採用」の一部に、「 最初に「変調」が生じたのは20歳のころ。通っていたデザイン専門学校の卒業制作で椅子をどう作ったか、よく覚えていない。卒業後、日曜大工関連商品の製造販売会社に入社したが、膨大な商品名を覚えられず約1カ月で退社。住宅図面などを作る会社に転職したもののパソコンの高度な機能を使いこなせず、そこも自ら辞めた。以後、雑貨店や料理店など職場を転々。その理由の多くは「不向き」や人間関係だと思っていた。」(毎日新聞2014.3.04)と書かれてあるが、複雑発作の時には発作が起こった時には、その時の記憶を全く失っている事はある。
だが、膨大な商品名を覚える事は出来ない、パソコンの高度な機能を使いこなせないといった事はないと思えるのだが。発作が起こった時には、脳の機能にまで大きな影響を及ぼしている事はないと思えるのだが。
故に、本人の努力次第によっては、膨大な商品名を覚える事は出来ない、高度なパソコン機能を使いこなせないといった事など無い筈だ。
まして、膨大な商品名を覚える事が出来ないやパソコンを使いこなせないといった事は癲癇患者でなくても、ありえる筈だ。
癲癇患者だから、出来ないと決め付けるような意識は、癲癇患者に対する差別だ。
癲癇間患者を扱う病院科目は、神経内科と脳神経外科に絞られるが、癲癇に詳しい医師もいれば、全く理解していない医師もいる。詳しい医師に出会った時には、症状は改善される可能性は高いだろう。
全く詳しくない、神経内科の医師などに出くわした時には、その症状は悪化される事は間違い無い。
癲癇は社会に理解されていない事も大きな問題だろうが、それを担当する医師にも理解していない者が多いという事が大きな問題だ。医師によって、癲癇患者の症状の変化には大きな違いが出てしまうのだから。
脳神経外科では、症状によって手術される事もあり、それにより改善される事もある。だが、神経内科では処方によって改善を図ろうとする。その為には、必ず患者の状態に適した処方を行わなければならない。
だが、その様な当然の事などせずに、単純に同じ処方を繰り返す藪医者もいる。患者によっては、その様な藪医者にはすぐに見切りをつけ、医師変更を検討する者が多いのではないかと思えるが。
これら藪医者の中には、抗癲癇剤の種類や、その効能を理解しきっていない者も存在しているのだから。
また、癲癇を専門としている医師にもいい加減な奴は存在していると思えるが。
患者の殆どは、必ず改善して生きたい、治したいと思っている筈だ。そうしなければ、活発な人間関係を作り、交流する事も出来ないし、活発な社会生活を送る事が出来ない。そういった事を、悔しがっている者が多いんじゃないだろうか。
静岡の国立てんかんセンターでは、患者にわざと発作を起こさせ、その症状を見、適した処方を行い、改善及び感知を目的とした診療を行っているらしい。
癲癇患者が真っ当な社会生活を送る事が出来るか否かなどは、医師がどれだけ正確な癲癇知識を持っているか、真っ当な診療が出来るか否かにかかっている。
世間は単純に癲癇患者ばかりに目を向けるが、そうで無く、診療する医師にも目を向けてもらいたい。医師にも、正確な癲癇知識を持った上で、診療を行う様にしてもらいたい。
癲癇患者は、健全な者とは異なり社会生活にある程度の障害を持っているかもしれないが、同じ一人の人間だ。障害を持っているというだけで、偏見視する事は適しているとは思えない。
今日、何気なくYouTubeを開いたんだが、その時に河島英五の動画なんかが紹介されていて、思わず開いてしまった。ギターとピアノとあったけど、自分はギターを選んで開いてみると、10代の頃に夢中になってた英五の「酒と泪と男と女」の弾き語りが映されてる。
何とも言えない気持ちになったね。もう、長い間英五の歌ってる姿ってのは一寸だけ流れる事はあっても、最初から最後まで歌いきる姿が映るのってなかったからね。本当に、何とも言えない気持ちにされてしまった。
他にも「時代おくれ」やその他の曲も紹介される様になってたけど、「酒と泪と男と女」は英五だけが歌ってるんだと思ってたんだが、カバーしてる者が結構いたのかな。声がどうなのかなと思ったけど、ちあきなおみのカバーもあったし、何よりも近藤房之助と木村充揮がコレボで歌ってる動画もあるが、バックは近藤そのものなんだけど、ボーカルは英五になりきってる感じ。
思わず近藤にも夢中にさせられてしまった。
他にも正やんの「22才の別れ」があったり、若い頃の剛の「乾杯」があったり、上田正樹の「悲しい色やね」があったり、マツの「愛のメモリー」なんかも見つけて、思わず見てしまった。
何とも言えない気持ちになったね。もう、長い間英五の歌ってる姿ってのは一寸だけ流れる事はあっても、最初から最後まで歌いきる姿が映るのってなかったからね。本当に、何とも言えない気持ちにされてしまった。
他にも「時代おくれ」やその他の曲も紹介される様になってたけど、「酒と泪と男と女」は英五だけが歌ってるんだと思ってたんだが、カバーしてる者が結構いたのかな。声がどうなのかなと思ったけど、ちあきなおみのカバーもあったし、何よりも近藤房之助と木村充揮がコレボで歌ってる動画もあるが、バックは近藤そのものなんだけど、ボーカルは英五になりきってる感じ。
思わず近藤にも夢中にさせられてしまった。
他にも正やんの「22才の別れ」があったり、若い頃の剛の「乾杯」があったり、上田正樹の「悲しい色やね」があったり、マツの「愛のメモリー」なんかも見つけて、思わず見てしまった。
今月16日に発生していた、韓国フェリー「セウォル号」の沈没事故。当初は暗礁に衝突した事が原因ではないか、などと妥当な推測がされていたが、時間が経つに連れ、「セウォル号」の乗組員達が非人道的行動を行っていた事が明らかとなってきている。
最初、事故が発生した当時は乗客には逃れる様にするのでは無く、客室に留まる事を指示していた。だが、乗船などで船体に事故が発生した時には、必ず船体から逃れる為の行動をとらなければならない。
だが、船長や乗組員の殆どはそういった指示は行わず、客室に留まる事を強調し、恐らく自分達が脱出する事前に、船は沈没するとして客室から逃れる事を指示したのではなかったのだろうか。
本来ならば、そうでは無く傾きながら沈没しているのであれば、船長などは、沈没している反対側へ乗客を素早く移動する事を支持し、乗客を外部から救助しやすい位置に置くように指示しなければならなかった。
だが、その様な事など一切行ってなどいない。
読売新聞が「セウォル号」のブリッジに集まった船長など乗組員と、助けを求めたと珍島沿岸海上交通管制センターの交信内容が記されている。
幾つか抜粋すれば、「管制 セ号、現在、乗客が脱出できますか セ号 今、船がかなり傾いて脱出は不可能」、「管制 浸水の状態はどうか セ号 今、50度以上左舷に傾いて人が左右に動けない状態で、船員も救命胴衣を着て待つように言ったが……実は着たのかどうか確認もできない状態で船員たちもブリッジに集まって動けない状態です。早く来てください」、「セ号 海洋警察は来ていますか? 来るのにどれだけかかりますか 管制 セ号、今D号が接近中だが横付け出来ない状態で待機中」、「D号 貴船、我々の船D号がすぐ横にいる。脱出すれば人命救助します 管制 周辺に(別の船2隻が)移動中です。乗客たちが脱出したら即時救助お願いします D号 現況は、セ号の船首側に浮遊物があり接近できません。今、沈没直前のようです」、「管制 警備艇到着15分前です。放送して乗客たちに救命胴衣を着用させてください セ号 現在、放送もできない状態です」、「管制 放送できなくても最大限出て乗客に救命胴衣を着て厚着するよう措置してください セ号 本船が乗客を脱出させたらすぐに救助されますか 管制 ライフリング(救命浮輪)でも着用させて(海面に)浮かせて、早く!」、「管制 セ号。人命脱出は……船長が直接判断して人命脱出させてください。こちらはそちらの状況が不明なので船長が最終判断をして乗客の脱出をさせるか早く決定を下してください セ号 そうじゃなくて今脱出させればすぐに救助できるのか聞いている」
管制センターは乗客の救出の措置を求めるが、船長達は放送は出来ないと訴える。対し管制センターは、放送できなくても最大限ブリッジを出て、乗客に救命胴衣を来て厚着を求める措置を求める。
だが、船長達はこれらの要求を全く無視していた。まして、放送は出来ないとしているが、その様な事など無かった筈だ。
船体が傾いてから、沈没するまでにはかなりの時間が掛かっている。乗客に適切な指示を出す時間は十分にあったのではないのか。だがその様な事など一切していない。
乗組員の一部には、乗客の救助を選考し、自ら命を絶ってしまった者もいる様だが、ブリッジに集まっていた者達にその様な意思などなかった。
乗客を預り、乗り物を動かし移動させる者には、乗客の命も預かっている、守らなければならないといった重大な責任も負わされている事は間違いの無い筈だ。これは船舶だけでは無い。
他の乗客を扱う乗り物を操縦する責任者には同じ責務が負わされている事は間違い無いだろう。
「セウォル号」の船長や乗組員達も自分達が助かる事よりも、乗客を如何に素早く助ける為の手段を取らなければならなかった。だが、これらの者の殆どは事故発生から、乗客の安否など無視していたんだろうな。
だからこそ、自分達が助かる事ばかりを意識し、本来守らなければならない乗客を傾いた船舶へ置き去りにして、先に逃げ去った。
見殺しされる様になった乗客の家族達は、船舶乗組員達や政府に対し激しい怒りを顕にしている。どちらも乗客の安全を重視した対応を行う意思、徹底した指示など一切無かったのだろう。
朴大統領はこの沈没事件を、自分の責任では無いと主張したがっているのだろうか、「船長と乗組員は、普段訓練をやっていたのか。基本的な規定さえ守っていなかったのに、会社や監督機関は何をやっていたのか。徹底して明らかにしなければならない」、「「国民が公務員を信じず非難するとすれば、(公務員は)責務を果たしていないのと同じで、存在理由がない」と強く咎め、「献身的に働く公務員にまで不信を抱かせる、自らの地位を守るために、上司や他人の顔色ばかりうかがう公務員は、政府から必ず出て行ってもらう」などと語っているらしい。
今回の沈没事件の最も大きな責任は朴にあると思えるが、自分の責任は一切言葉にせず、その他の者ばかりに責任転嫁をしている。
完全な責任逃れだ。乗組員達に求められるのは、自分達では無く乗客の安全を第一とする意識をしっかりと持ち得ていたか否かであり、この責任意識は国が船舶会社などに徹底した指示をしなければならない。
韓国政府はこの責任をしっかりと実施していたのだろうか。まして、監督機関は何をやっていたのかとしているが、それは国にあったのではないのか。監督機関が何をやっていたのか明らかとしなければならないと言うのであれば、朴が何を指示し、どの様に動かしていたのかを明らかにしなければならない。
韓国の公務員には、非常識な行為を行い更迭された者もいる様だが、被害者の家族が批判しているのは単なる公務員だけでは無い。朴もその一人に加えられている。朴は、他人の顔色ばかりを伺う公務員は、必ず政府から出て行ってもらうと発言しているが、朴もその一人では無いのか。
故に、自らの責任を認める言動を一切行わず、他の者に責任転嫁を行い、自らは責任逃れをしようとしている。
事故対策本部は事故当初から設立されていただろうと思うが、そこで指揮・行動を行っているのは政府官僚だろう。
朴は勿論、閣僚などが直接対策本部に加わり、指揮を取るといった事など無いのではないか。
国民の安全を常に重視し、今回の沈没事故による被害者を無駄の無い救出活動により少しでも早く、一人でも多く救出しなければならない、被害者家族の辛い思いを早く和らげなければならないといった、強い責任感を持っていたなら、自ら先頭に立つ対策本部を設立し、自ら積極的に活動しなければならなかった。
だが、あいつにはその様な意識など一切無い。
適当な責任逃れの発言だけを行っている朴こそが、最も早く政府から消えなければならないのではないのか。
最初、事故が発生した当時は乗客には逃れる様にするのでは無く、客室に留まる事を指示していた。だが、乗船などで船体に事故が発生した時には、必ず船体から逃れる為の行動をとらなければならない。
だが、船長や乗組員の殆どはそういった指示は行わず、客室に留まる事を強調し、恐らく自分達が脱出する事前に、船は沈没するとして客室から逃れる事を指示したのではなかったのだろうか。
本来ならば、そうでは無く傾きながら沈没しているのであれば、船長などは、沈没している反対側へ乗客を素早く移動する事を支持し、乗客を外部から救助しやすい位置に置くように指示しなければならなかった。
だが、その様な事など一切行ってなどいない。
読売新聞が「セウォル号」のブリッジに集まった船長など乗組員と、助けを求めたと珍島沿岸海上交通管制センターの交信内容が記されている。
幾つか抜粋すれば、「管制 セ号、現在、乗客が脱出できますか セ号 今、船がかなり傾いて脱出は不可能」、「管制 浸水の状態はどうか セ号 今、50度以上左舷に傾いて人が左右に動けない状態で、船員も救命胴衣を着て待つように言ったが……実は着たのかどうか確認もできない状態で船員たちもブリッジに集まって動けない状態です。早く来てください」、「セ号 海洋警察は来ていますか? 来るのにどれだけかかりますか 管制 セ号、今D号が接近中だが横付け出来ない状態で待機中」、「D号 貴船、我々の船D号がすぐ横にいる。脱出すれば人命救助します 管制 周辺に(別の船2隻が)移動中です。乗客たちが脱出したら即時救助お願いします D号 現況は、セ号の船首側に浮遊物があり接近できません。今、沈没直前のようです」、「管制 警備艇到着15分前です。放送して乗客たちに救命胴衣を着用させてください セ号 現在、放送もできない状態です」、「管制 放送できなくても最大限出て乗客に救命胴衣を着て厚着するよう措置してください セ号 本船が乗客を脱出させたらすぐに救助されますか 管制 ライフリング(救命浮輪)でも着用させて(海面に)浮かせて、早く!」、「管制 セ号。人命脱出は……船長が直接判断して人命脱出させてください。こちらはそちらの状況が不明なので船長が最終判断をして乗客の脱出をさせるか早く決定を下してください セ号 そうじゃなくて今脱出させればすぐに救助できるのか聞いている」
管制センターは乗客の救出の措置を求めるが、船長達は放送は出来ないと訴える。対し管制センターは、放送できなくても最大限ブリッジを出て、乗客に救命胴衣を来て厚着を求める措置を求める。
だが、船長達はこれらの要求を全く無視していた。まして、放送は出来ないとしているが、その様な事など無かった筈だ。
船体が傾いてから、沈没するまでにはかなりの時間が掛かっている。乗客に適切な指示を出す時間は十分にあったのではないのか。だがその様な事など一切していない。
乗組員の一部には、乗客の救助を選考し、自ら命を絶ってしまった者もいる様だが、ブリッジに集まっていた者達にその様な意思などなかった。
乗客を預り、乗り物を動かし移動させる者には、乗客の命も預かっている、守らなければならないといった重大な責任も負わされている事は間違いの無い筈だ。これは船舶だけでは無い。
他の乗客を扱う乗り物を操縦する責任者には同じ責務が負わされている事は間違い無いだろう。
「セウォル号」の船長や乗組員達も自分達が助かる事よりも、乗客を如何に素早く助ける為の手段を取らなければならなかった。だが、これらの者の殆どは事故発生から、乗客の安否など無視していたんだろうな。
だからこそ、自分達が助かる事ばかりを意識し、本来守らなければならない乗客を傾いた船舶へ置き去りにして、先に逃げ去った。
見殺しされる様になった乗客の家族達は、船舶乗組員達や政府に対し激しい怒りを顕にしている。どちらも乗客の安全を重視した対応を行う意思、徹底した指示など一切無かったのだろう。
朴大統領はこの沈没事件を、自分の責任では無いと主張したがっているのだろうか、「船長と乗組員は、普段訓練をやっていたのか。基本的な規定さえ守っていなかったのに、会社や監督機関は何をやっていたのか。徹底して明らかにしなければならない」、「「国民が公務員を信じず非難するとすれば、(公務員は)責務を果たしていないのと同じで、存在理由がない」と強く咎め、「献身的に働く公務員にまで不信を抱かせる、自らの地位を守るために、上司や他人の顔色ばかりうかがう公務員は、政府から必ず出て行ってもらう」などと語っているらしい。
今回の沈没事件の最も大きな責任は朴にあると思えるが、自分の責任は一切言葉にせず、その他の者ばかりに責任転嫁をしている。
完全な責任逃れだ。乗組員達に求められるのは、自分達では無く乗客の安全を第一とする意識をしっかりと持ち得ていたか否かであり、この責任意識は国が船舶会社などに徹底した指示をしなければならない。
韓国政府はこの責任をしっかりと実施していたのだろうか。まして、監督機関は何をやっていたのかとしているが、それは国にあったのではないのか。監督機関が何をやっていたのか明らかとしなければならないと言うのであれば、朴が何を指示し、どの様に動かしていたのかを明らかにしなければならない。
韓国の公務員には、非常識な行為を行い更迭された者もいる様だが、被害者の家族が批判しているのは単なる公務員だけでは無い。朴もその一人に加えられている。朴は、他人の顔色ばかりを伺う公務員は、必ず政府から出て行ってもらうと発言しているが、朴もその一人では無いのか。
故に、自らの責任を認める言動を一切行わず、他の者に責任転嫁を行い、自らは責任逃れをしようとしている。
事故対策本部は事故当初から設立されていただろうと思うが、そこで指揮・行動を行っているのは政府官僚だろう。
朴は勿論、閣僚などが直接対策本部に加わり、指揮を取るといった事など無いのではないか。
国民の安全を常に重視し、今回の沈没事故による被害者を無駄の無い救出活動により少しでも早く、一人でも多く救出しなければならない、被害者家族の辛い思いを早く和らげなければならないといった、強い責任感を持っていたなら、自ら先頭に立つ対策本部を設立し、自ら積極的に活動しなければならなかった。
だが、あいつにはその様な意識など一切無い。
適当な責任逃れの発言だけを行っている朴こそが、最も早く政府から消えなければならないのではないのか。
今年度から消費税が8%にアップされて、批判の声もある様だが、自分のとこでは介護を必要とする者もおり、社会保障に回してもらえるなら仕方ないなと思ってるんだが。
また、自分は大きな買い物をする事が無いので、税率アップを余り気にする事はない。一寸値段が上がったかなと思える程度で、大した差は無いと思えるから。
だけど、買い物した時に一寸気になる事があるんだよ。キャッシュではスーパーとかドラッグストア、或いはホームセンターなんかで買い物してるんだが、店によって値段の表示の仕方が異なってるんだよね。
税抜きと税込みの値を表示している店が多いんだけど、中には税抜きの値だけを表示している店もある。
そこには税抜きなんて文字が無い。だから、これは税込みの値段なんだろうなと思い、選択しレジへ持って行くんだが、そこで表示されてた値段に税が掛けられた値を請求される様になる。
これには、一寸参っててね。いい加減にしてくれと、そんな事するんだったら、ちゃんと税抜きの値と表示しておいてもらいたいし、何なら店の前に値段表示は税抜きだと、最初から紹介していてもらいたい。
何だか、こっちは騙された気分になっちまうよ。
どのような商売でも同じだろうけど、客に対しては、ちゃんとした値を示す事が当然の事じゃないのかな。
その値を確認してもらって、買うか買わないかを判断してもらう。
そんな事せずに商売してるなんて、可笑しい。店のほうは消費税アップをどのように意識してんのか知らんが、客の事をしっかり考えて商売してもらいたい。
こんな事せずに、いい加減な事して、まるで客を騙してるような店では、買い物したいとは思えない。
また、自分は大きな買い物をする事が無いので、税率アップを余り気にする事はない。一寸値段が上がったかなと思える程度で、大した差は無いと思えるから。
だけど、買い物した時に一寸気になる事があるんだよ。キャッシュではスーパーとかドラッグストア、或いはホームセンターなんかで買い物してるんだが、店によって値段の表示の仕方が異なってるんだよね。
税抜きと税込みの値を表示している店が多いんだけど、中には税抜きの値だけを表示している店もある。
そこには税抜きなんて文字が無い。だから、これは税込みの値段なんだろうなと思い、選択しレジへ持って行くんだが、そこで表示されてた値段に税が掛けられた値を請求される様になる。
これには、一寸参っててね。いい加減にしてくれと、そんな事するんだったら、ちゃんと税抜きの値と表示しておいてもらいたいし、何なら店の前に値段表示は税抜きだと、最初から紹介していてもらいたい。
何だか、こっちは騙された気分になっちまうよ。
どのような商売でも同じだろうけど、客に対しては、ちゃんとした値を示す事が当然の事じゃないのかな。
その値を確認してもらって、買うか買わないかを判断してもらう。
そんな事せずに商売してるなんて、可笑しい。店のほうは消費税アップをどのように意識してんのか知らんが、客の事をしっかり考えて商売してもらいたい。
こんな事せずに、いい加減な事して、まるで客を騙してるような店では、買い物したいとは思えない。