思い、そして感じた事をそのまま
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
昨日から、四万十市へ一寸した旅へ出てたんだけど、思い通りには行かないものだ。行く事を決めたのは今月の初めで、特急で行く事を簡単に決めすぐに指定席も買っちゃった。
天気は絶対に良いだろうと勝手な想像をしてて、四万十川の風景を見ながら、沈下橋の写真なんかも撮ってこよう等と計画を練っていた。
中村駅の近くに自転車をレンタルしてるとこがあって、自転車借り「遅咲きのひまわり」なんてドラマに移ってた沈下と、もう一つの沈下橋を撮ろうと思ってたんだが、本当に思い通りにはならないものだな。
2週間ぐらい前には、持病の関わりから左足を痛めてしまって、中々治りきってくれない。自転車も思う様に乗れない。
どうなるんだろうと思っていたが、毎日しつこく複数の場にシップを張ってると、痛みは一点に絞られてきて、歩きやすくなってきてた。だから先週の木曜日辺りからレンタルで自転車借りても何とかなるだろうと思ってた。
だが、先週辺りから天気が凄く気になる様になってきてて、もう毎日、気象庁のサイトを見てた。
だが、気象庁の天気予報ってのは余り宛にならないものだな。外れる事が多い。
だけど、先週の木曜日には昨日と今日には晴れのマークが付いてて、何だか嬉しい気分にされてカメラも持っていこうと思ってたんだけど、たった1日経った金曜日。
晴れのマークは消え、日曜日には傘のマークが付いてたかな。そして、昨日の朝に見た時には土日とも傘のマーク。
ただ外れてくれという思いだけで高知駅へ向かったんだけど。
昨日は雨は降らなかったし、少し晴れ間も見えたりして、今日はもしかしたら何とかなるんじゃないのかなと思ってたんだけど、ホテルのテレビで夕方にニュースの後の天気予報なんか見てみると、県の西部は非常に雨の確立が高くなっていた。
もう傘は買っといた方が良いなと思い、市内のスーパーで買ったんだけど、今日になると、もう朝から降ってるよ。
その時から、もう四万十川見に行くのも無理かなと思ってしまった。今の足の状態だと、ママちゃりでも傘をさして走る事は一寸きつい。
だけど、一寸だけでも見たいと思い、思わず歩いていってみたんだが、道が全く分んない。なぜだか、行ってる最中に雨脚が凄く強くなってきて、途中で諦めちゃった。
予定では午後3時代の特急で帰ろうと計画してたんだけど、もうバテきった気分で入ても仕方が無いと思い、午前中の特急で帰ってしまった。正直、最悪の旅だった。
今年は空梅雨とも言われていたのに、どうして今月下旬辺りから梅雨らしく降る様になってきたんだろうか。本当に、梅雨前線が憎たらしくも思えてしまう。
PR
岩手県議会議員の小泉光男の遺体が、一戸町の大志田ダムの付近で見つかったらしい。近くには乗用車があり、鞄を枕にして横たわるようにして亡くなっていたらしい。
警察は、本人のブログに書いた発言が切っ掛けとなり激しい批判が殺到し、炎上と表現される様になった事から自殺を行ったのではないかと捜査を行っている様だが。
自分は小泉光男のブログは見た事は無いのだが、6月5日のブログに「俺は刑務所に来たんじゃないぞ。中央病院の責任者!」というタイトルで、岩手県立中央病院で診療を受けた時の思いを色々と綴っていた様だが、自分を名前で呼ばずに番号で呼んだ事などに腹を立て「ここは刑務所か」とか、怒り心頭に達したのか会計をすっぽかして帰ったとか病院に対し激しい批判が書かれていた様で、ブログに激しい病院批判が綴られていたらしい。
この事がが切っ掛けとなり、小泉光男への集中的な批判が発生した。ブログにどの様な批判のコメントが書かれていたのかなどは分らないけれど、どの様な者でも連日激しく批判され続ければ気が滅入ってしまう事は間違いない。
故に、集中的な責めから逃れようと何らかの行動を取るようになるのだろうな。
J-castに「 炎上を受け、6月7日には「日々自己犠牲も厭わず献身的に、県民医療サービスに従事され、汗を流している医療関係者の皆様が、多くいらっしゃいます。そうした方に対しても、配慮のない表現でした」として、「不適切な表現がありましたので、削除の上お詫びします」との謝罪ブログが更新された。」と書かれ、更に「小泉県議は6月9日に公式サイトとブログを閉鎖。6月17日には記者会見を開き、「公人としての立場を忘れ、思慮に欠けた不適切な表現をした。世間をお騒がせし、申し訳ない」「医療費は後日、全て支払った。初心にかえって仕事で恩返しをしたい」と話し、県議を辞職する考えはないとしていた。」とも書かれてある。
病院というよりも、自分を責める者達に対し謝罪を行っていたのではないか。自分への激しい責めを抑えようとして。だが、小泉光男への個人攻撃は収まらなかった。
毎日新聞の記事に書かれてあるが「17日に記者会見し「公人の立場を忘れ、思慮に欠けた不適切な表現を公開した」と謝罪した。県議会と県には21日までに苦情や議員辞職を求めるメールと電話が計762件寄せられた。」とある。
そして7日に謝罪した翌日8日にブログ「小泉光男岩手県議会議員の辞職を求める市民の会」が立ち上げられており、更新は無かった様だが、その翌日に小泉光男はブログを閉鎖している様だ。
これに関する記事は電子版で読んだ事はあるんだが、会計をすっぽかして帰った事に関しては公人であろうが無かろうが、良い行為では無いと意識させられたが、病院などに対し怒りを感じるか否かなどは全く個人の自由であって、その感情をそのままさらけ出すか否かも個人の自由。
よって、会計をすっぽかすのは絶対によい行為では無いと思ったのだが、病院への表現に関しては、好きな様にやってろなどと、余り意識する事は無かった。
実際、一人の人物がどの様な感情を持ち、行動では無く表現を行うのであれば、損害を被る事は無いのではないかと思えたのだから。
実際に、岩手県立中央病院にどの様な損害があったのだろうか。これといった事は無かったのではないかと思えるのだが。
だが、世間の人々は単に個人が病院に対して思うままの事を発したとは意識せず、公人、或いは政治家として非常に誤った表現を行ったのではないかと捉え、激しい批判を浴びせる様になる。
ブログにも多数のコメントが書かれていたのではないかと思うのだが、その激しい責めに耐え切れなかったのだろうか、問題とされたブログを書いた2日後には謝罪を行い、更に2日後の9日にはブログを閉鎖している。
だが、その後も小泉光男県会議員、或いは小泉光男という個人への責めは治まる事はなかったのだろうな。
そして疑問に思えてくるのが、ネットなど通じ責める者達はどの様な認識を持っていたのだろうか。
本当に県会議員としての行為、行動を責めようとするのであれば、県会議員として、或いは地方の政治家として自治体にどの様な影響を及ぼす活動を行っていたのかしっかりと検索及び認識をしなければならないのではないか。
本当に県会議員としての行為、行動を責めようとするのであれば、県会議員として、或いは地方の政治家として自治体にどの様な影響を及ぼす活動を行っていたのかしっかりと検索及び認識をしなければならないのではないか。
何も検索及び認識などする事無く、単純に一寸した行動を責める事はネットを利用した完全な暴力となるのではないだろうか。
故に、小泉光男の一寸した行動を責めまくり、批判を炎上化させた者達は小泉光男という県会議員をどの様に認識し、どの様な行動を行ってきたのか、或いは行っているのかを把握しいたのだろうか。
故に、小泉光男の一寸した行動を責めまくり、批判を炎上化させた者達は小泉光男という県会議員をどの様に認識し、どの様な行動を行ってきたのか、或いは行っているのかを把握しいたのだろうか。
その様な事などせず、ただ一点だけに集中し、ただ単純に批判し責めまくる。こういった行為に、どの様な意味があったのだろうか。
もしかすれば、何も考えずにただ責める事だけを面白がり、遊び気分で行っていた者もいたのかもしれない。
ネットからの責めと批判は、誰かも分らないか無い者からの一方的な責め。極端に言えば虐め。それから、上っ面だけでは無い真面目な謝罪を行ったとしても、責める者達は認めようとはせず、より威勢を高めていく。
そして、より激しく・強く責める様になる。責めている者達には、単に面白がり遊び気分で行っていた者が多いたのかもしれないが、これらの一方的な責めにより精神的に大きく追い詰められていく事となる。それにより生きようとする、活動する気力は失われていくだろう。
そして生きる事までも苦しい状態へと追い込まれてしまう。周りの者がカバーしようとしても、もう本人には通用しない。
極端に追い詰められてしまえば、生きようという気力を完全に失い、自分が存在する価値も完全に失われてしまう。そして、自ら命を絶つ事になってしまうのだろうか。
極端に追い詰められてしまえば、生きようという気力を完全に失い、自分が存在する価値も完全に失われてしまう。そして、自ら命を絶つ事になってしまうのだろうか。
小泉光男が県会議員としてどの様な活動を行っていたかなど、一切知らない。というよりも、自分とは全く関わりの無い県会議員の活動など全く興味が持てないし、知ろうとも思わない。
まして、病院に関する感情の表現は県会議員、或いは地方政治化としてでは無く、あくまで個人として行っていたのではないかと思われるが。
ただ、書いた本人が県会議員であった事から、批判の的にされたんだろうな。記事のツイッター見ていると、マスコミに殺されたと書いている物が幾つか見つかる。
まして、病院に関する感情の表現は県会議員、或いは地方政治化としてでは無く、あくまで個人として行っていたのではないかと思われるが。
ただ、書いた本人が県会議員であった事から、批判の的にされたんだろうな。記事のツイッター見ていると、マスコミに殺されたと書いている物が幾つか見つかる。
だが、彼のブログを通じて彼の病院での行動を責めまくったのはネットを利用する一般の者達ではなかったのか。謝罪を行い、ブログ閉鎖も行った後も一般庶民からの激しい責めは治まらなかったのだろう。
それにより、一人の個人が自ら命を絶ってしまったのかもしれない。ネットは殺人用具にもなり、それを活用し一人の個人を単純に責めまくる者達は殺人者となるのかもしれない。
現在の刑法では扱われる事は無いだろうが。
現在の刑法では扱われる事は無いだろうが。
昨年12月に、大阪市の公立校のバスケ部部員が体罰を理由に自殺したとする事が発覚し、体罰が悪だと世論される様になっている。単なる暴力だと。
それを主張するかの様に過去、現在の運動部顧問が新聞の取材に答えていたようだが。
また一般の庶民も体罰は絶対にあってはならないとする主張をする者が大半を占める様になっていなかったろうか。これが切っ掛けとなり、女子柔道日本代表選手などから体罰を受けていたとして代表監督の退任もあったりしたが。
日本高野連は98年から5年毎に「高校実態調査」を行っているらしいが、今年の4月に硬式野球部に行い、初めて体罰も加えたアンケートを行ったらしい。回答率は100%の様で、監督や部長などはアンケートに答えていたのだろう。
その中で、体罰を必要とする意見が1割近くあった様で、高野連にとっては予想外だったのだろうか、何やら混乱している様だが。
昨年12月に大阪公立校のバスケ部で顧問の体罰が原因で自殺した者がいると報じられた時には、体罰は暴力だ、学校教育法第11条では禁じられている。顧問の行った事は違法行為だと、非難の嵐が巻き上がった。
対して、バスケ部OBや現役部員などは顧問を擁護する様に行動を行っていたようだが。これらの者に対しても、激しい非難が行われていたのではなかっただろうか。
大阪府警は暴行容疑があったとして大阪地検への書類送検を行っているが、大阪地検は刑事訴訟を行ってはいない筈だ。
大阪府警は暴行容疑の可能性はあると判断したのだろうが、大阪地検はそれを認める事はなかったのだろうな。
そして、バスケ部顧問への批判の元となったのは学校教育法第11条「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」だ。
この中に記されてある体罰を加える事はできないを取り上げ、違法行為を行ったと激しく非難していたのではなかっただろうか。
だが、11条には確かに「体罰は加えることはできない」とあるが、と同時に「児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる」とある。
懲戒とは何か、いつも通りコトバンクなどで検索すれば「不正または不当な行為に対して制裁を加えるなどして、こらしめること。」と書かれてある。
また、文科省も体罰と懲戒の違いを示しているが、体罰は肉体的苦痛を与える行為であり、懲戒は肉体的苦痛を与えるものでない限り、通常、懲戒権の範囲内と定められている。
また、部活動指導に関しても定められており、「他方、運動部活動においては、生徒の技術力・身体的能力、又は精神力の向上を図ることを目的として、肉体的、精神的負荷を伴う指導が行われるが、これらは心身の健全な発達を促すとともに、活動を通じて達成感や、仲間との連帯感を育むものである。
ただし、その指導は学校、部活動顧問、生徒、保護者の相互理解の下、年齢、技能の習熟度や健康状態、場所的・時間的環境等を総合的に考えて、適切に実施しなければならない。」とされている。
体罰は肉体的苦痛であり、懲戒はそれ以外というのは、余りにも単純な表現では無いのかと思えてしまうのだが。
更に、肉体的苦痛を体罰としていながら、部活動指導においては肉体的負荷を伴う指導が認められている。部員に限度を超える負荷を加える事となれば、肉体的苦痛となるのではないだろうか。
文科省は体罰を肉体的苦痛を与える事としているが、部活動指導においては肉体的苦痛も認めているのではないのだろうか。
文科省は部活動指導では、学校教育法第11条で禁じられている体罰とされる肉体的苦痛を認めているのではないのか。文科省の定める事に、何やら矛盾を感じさせられてしまう。
指導の目的を、まず「成績や結果を残すことのみに固執せず、教育活動として逸脱することなく適切に実施されなければならない。」とし、「心身の健全な発達を促すとともに、活動を通じて達成感や、仲間との連帯感を育むものである」としているが、「生徒の技術力・身体的能力、又は精神力の向上を図ることを目的として、肉体的、精神的負荷を伴う指導が行われる」とされている。
だが、運動部であれ文化部であろうと自分の好む部を選択した生徒達の共通した意識は、活躍したい、ではないだろうか。部の主力に選択され、大会に出場し少しでも良い成績を残したい、トップになりたい。
肉体的・精神的負荷とは部活動の技術の向上と知識の把握となるかと思うのだが、それを部員がしっかり行うには肉体的にも精神的にも、厳しい指導が必要となるだろう。
だがそういったトレーニングに応じようとしなければ、更に厳しい指導が必要となるのではないのだろうか。
罵声や、平手打ちなど行う事により他の者と同じトレーニングに応じる事を注意しなければならないだろう。そして、そういった指導に部員は応じられないと判断すれば、その部を去ればいい。
もしも一人の部員のみが指導者や他部員の意思とは異なるトレーニングを要求し、それに応じるならば、他の部員達の心身の健全な発達に悪影響を及ぼす可能性は高い。
何よりも、運動部であれ文化部であろうと自分の好む部を選択した生徒達の共通した意識は、その部活動で活躍したい事に間違いは無い。
何よりも、運動部であれ文化部であろうと自分の好む部を選択した生徒達の共通した意識は、その部活動で活躍したい事に間違いは無い。
部の主力に選択され、大会に出場し少しでも良い成績を残したい、トップになりたい思いを強く持っている筈だ。それを成し遂げる事が、文科省が定めている達成感を得る為の行動ではないのか。
故に、文科省の定める達成感を得る為には、どれだけ厳しい肉体的・精神的指導を行われようと、更には体罰と称される行為をされようとも指導されるトレーニングをしっかりと行っていない事への罰と認識すれば、不快では無く反省の意を強く持つのではないだろうか。
全国の高校野球部には甲子園の常連校もあれば、地方大会で敗れる事が常連となっている野球部もあるだろう。
だが、地方大会で敗れる事が常連となっている高校野球部に参加しても、部員達が目的としているのは甲子園出場である事は間違い無いと思えるが。
その為には、どれだけ厳しいトレーニングを強いられようとも、しっかりとこなし、より高い技術を獲得し他の部員と共に、より強いチームを作り上げたい。
これは、部員だけでは無い、監督やマネージャなど部活に関わる全ての者が同じ意識を持っているのでは無いだろうか。
だが、目的に向かおうとしている連帯感を崩す者が現れれば、監督からより厳しい指導が必然とされるだろうし、他の部員からも怒りの声が出るのかもしれない。
文科省が体罰と定めるのは肉体的苦痛と定められるが、精神的苦痛となされてはいない。また、学校教育法第11条では体罰は禁じられているが、教員による懲戒は認められている。運動部活で強いられる肉体的トレーニングは肉体的苦痛となっている可能性は高い。
だが、これら肉体的トレーニングなどを体罰を判断する者などいないだろう。
逆に精神的指導に当たるだろう、指導に沿った罵声やトレーニングとは異なる肉体的苦痛は果たして体罰と言い切れるのだろうか。
単に独自の感情、或いは単なる鬱憤ばらしの為に苦痛を与えているのであれば暴行行為と判断される事は当然の事だろうが。
高野連のアンケートに対し、1割余りの監督達が体罰は必要と答えた。自分の立場ばかりを意識した事では無く、部員達の思いも意識した正直な答えではないだろうか。
橋下が慰安婦問題に関し発言を行った事により、当然の如く韓国より非常に過激な反論があったろうし、自分には意外だったがアメリカも過剰に反論していた。自国の過去の犯罪をさらけ出してもらいたくないと、強く意識しての事だったんだろうが。
また日本の政界からも批判的発言が活発に出ていた。米・韓との国交を意識しての事だったんだろうな。
何時からなのか知らないが、大阪府知事・松井が訪米しているらしい。日本時間で12日午後、サンフランシスコ市内で日米だけなのか、韓国も加わった記者団なのか分らないが、橋下が先月に行った慰安婦問題発言に対し、日米には発言への批判に温度差があり、日本に過剰反応があると認識を示したらしい。
産経新聞の記事に書かれてあるが、「松井氏は「感覚として大阪にいるときの空気と、こちらの空気は違う」と強調。「米国は自由と民主主義と人権を尊重する価値観で、同盟を結べる国だ。一つの出来事で大騒ぎして、全てがだめにはならない」と語った」らしい。
韓国が執拗に問題化したがる「慰安婦問題」を真摯に捉え、正当な主張をしようとする日本の者達を批判し、アメリカの者達の行動を肯定する事により橋下への批判、或いは自分達への批判を和らげようとしている。
先月の橋下は何を意識して慰安婦問題への発言を行っていたんだ。あの発言により、維新の会は政界から追い詰められる状態となり、大阪市議会からも厳しい批判が集中される様になり、首長としても苦しい状態へと追い込まれているのではないだろうか。
故に、松井は維新の会や橋下への批判を少しでも和らげようと馬鹿げた発言をアメリカで平然と行っているのだろうか。橋下は、過去に世論に乗っかり協調する様に厳しい発言を行った事が過去に何度もあるだろう。
だが、その発言により自分が好くない立場となると判断すれば、コロッと発言を変えて自分に都合の良いように発言する様になる。その様な行為が、非常に信用の出来ない、非常識な者とイメージさせてくれていた。
だが、先月の慰安婦問題に関する発言では、大きな批判を浴びながらも一応の主張は貫き、先月27日に行われた日本外国特派員協会での日本維新の会の共同代表としての会見でも、韓国の主張する「従軍慰安婦」を否定する発言を行っていたのではなかっただろうか。
そして、日韓における個人賠償は昭和40年に締結された日韓基本条約により解決されていると主張していた筈だ。実際に基本条約の締結により個人への賠償なども解決したとされている。
何よりも、「慰安婦問題」が条約の交渉の時点から問題視されていたなら、この時点で韓国は強く主張し慰安婦への賠償請求なども強く求めていたのではないかと思える。
だが、その様な事など行っていないし、日本が損害を被ったとされる個人への補償を行う事を提案するが、韓国は拒否し韓国政府が行うとして個人に行うのでは無く、政府だけに一括して支払ってもらいたいと主張する。
強制されていたとする慰安婦と称る者達へも自ら補償を行うと主張していた筈だろうが、実際には行ってはいなかった筈だ。
強制されていたとする慰安婦と称る者達へも自ら補償を行うと主張していた筈だろうが、実際には行ってはいなかった筈だ。
Wekipediaの「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」には「日本国と大韓民国との間の基本関係に関する条約」に書かれてあるが、「韓国側の議事録が公開されると、日本と韓国間の個人賠償請求について当該諸条約の本文に「完全かつ最終的に解決した」と「1945年8月15日以前に生じたいかなる請求権も主張もすることができないものとする。」の文言が明記されている事が韓国国内に広く知られるようになり大きな衝撃が広がった。この事は日本でも報道され、在日コリアン達にも大きな衝撃を与えた(この議事録公開により、在日韓国人の地位については、当初は普通の外国人と同等の扱いを考えていた日本が、永住権付与を求めた韓国側に譲歩して決着したこともわかっている)」とあり、韓国政府が自国の議事録の公開により日韓における個人補償の請求権は既に解決している事が明らかとなっている。
この事に関しては、橋下は27日の会見では何度も主張していたのではなかったろうか。
だが、今月15日にテレビ大阪のテレビ番組に出演していた時に、「元従軍慰安婦が日本政府に賠償を求めている問題に関し、「日韓で共同研究をやって(日本の)国家的な意思として拉致、人身売買が認められれば、日韓基本条約の対象外として国家補償を考えないといけない」との見解を示した」(時事ドットコム)らしい。
日韓で共同研究を求めること自体とても異常だろう。韓国は認めているんじゃ無く、強引に正当化する為の主張や異常な行動までも行っている。
外交を重視しているだろう日本政府は、慰安婦問題は一応認めている様にしているが、日韓基本条約で個人への賠償は解決しており応じる必要は無いと強く主張する。
だが橋下は、27日の会見では、この問題は国際司法裁判所へ提訴しなければならないと強く主張していなかったろうか。
なのに、日韓で共同研究を行い、その結果によっては日韓基本条約対象外として国家補償を行なわなければならないと発言している。
なのに、日韓で共同研究を行い、その結果によっては日韓基本条約対象外として国家補償を行なわなければならないと発言している。
これは、韓国の強引な主張にも正当な面があるだろうとしているのではないか。
何より、韓国が馬鹿みたいに主張する「慰安婦問題」は吉田清治と朝日が出鱈目な情報を流した事から発生した事ではなかったのか。
何より、韓国が馬鹿みたいに主張する「慰安婦問題」は吉田清治と朝日が出鱈目な情報を流した事から発生した事ではなかったのか。
韓国は日本を責める、いい道具と判断し、くらいついたのだろう。突然に「従軍慰安婦」という名称が発生し、元慰安婦と称する者達が大量に発生する事となる。
何よりも、個人への補償、或いは賠償は韓国政府が行うとして日韓基本条約は締結されている筈だ。実際には、韓国政府による個人補償など殆ど行われず、インフラ整備や経済政策などに利用されたようだが。
こんないい加減な国と、しかも韓国が勝手に作った「慰安婦問題」を共同研究する事に一体どの様な意味があるのだろうか。
自分が主張していた事をひっくり返し、国家間の問題は国が対応してくれと責任転嫁しているのではないかと思えてならない。
そして、自分の慰安婦問題に関する発言が、日本、韓国、更にはアメリカでも大きな批判が発生したが、それから逃れる為の、政治家としての発言の責務を完全に放棄した、非常に無責任な者の証となるのではないだろうか。
自分が主張していた事をひっくり返し、国家間の問題は国が対応してくれと責任転嫁しているのではないかと思えてならない。
そして、自分の慰安婦問題に関する発言が、日本、韓国、更にはアメリカでも大きな批判が発生したが、それから逃れる為の、政治家としての発言の責務を完全に放棄した、非常に無責任な者の証となるのではないだろうか。
橋下が15日の放送で、慰安婦問題は日韓研究が必要と発言したテレビ大阪の番組では、1日に視聴者に橋下の慰安婦発言への電話投票を求めていたらしい。そして、8割が問題なしの結果が出ていたらしい。
その時のコメンテーター達は全員が問題ありしていたみたいだが。
15日の放送に出演した橋下に対し、番組は冒頭で問いを行っているが、その中で1日の電話投票の結果に関する問いも行った。
対し、橋下は「有権者は冷静だなと。小金稼ぎためのコメンテーターとは違う」などと発言している様だ。その発言により、一人が突然に退出したらしいが。
対し、橋下は「有権者は冷静だなと。小金稼ぎためのコメンテーターとは違う」などと発言している様だ。その発言により、一人が突然に退出したらしいが。
その夜のツイッターで、小金稼ぎは撤回すると書くが、「橋下氏は「小金稼ぎ」と発言したことについて、番組に出演していたジャーナリストの大谷昭宏さんや須田慎一郎さんの名前も挙げながら「皆さん僕のいないところで人格攻撃をしてきたり、事実誤認に基づく批判をしてきます」「そのことが積み重なり小金稼ぎと言ってしまいました」と説明した」(産経新聞)らしいが、自分もコメンテーターをやっていた事をすっかり忘れてしまってるんじゃないのかな。
自分は「たかじんのそこまで言って委員会」での橋下をよく見ていたが、ツイッターで批判している事と同じ様にコメンテーター達は本人のいない所で、「人格攻撃をしてきたり、事実誤認に基づく批判」を当たり前の様にやってたんじゃないの。
これらの行為が、有権者でもある視聴者に大きな影響を及ぼしていた事は間違い無いだろう。
これらの行為が、有権者でもある視聴者に大きな影響を及ぼしていた事は間違い無いだろう。
自分が過去に行っていた事など一切顧みず、現在の自分とコメンテーターの関係だけを取り上げ、電話調査の結果など利用し自分に都合のいい様にコメンテーターを批判する。
だが、15日以降に改めて電話調査を行った場合にはどの様な結果が出るのだろうか。同じ様な結果が出るとは思えないが。
一時的にいい面を持った者でもあるのかなと思わされたりもしたが、やはり発言や行動に責任感を持たないいい加減な奴なんだなと、改めて思い知らされた。
ただ、テレビ大阪の番組をユーチューブで一寸見たが、また勢いよく喋ってるな。
最初の番組の問いにオスプレイ訓練の八尾市への移転は受け入れでは無く、本州全土で検討しようという提案だと発言している。本当に呆れたよ。
ただ、テレビ大阪の番組をユーチューブで一寸見たが、また勢いよく喋ってるな。
最初の番組の問いにオスプレイ訓練の八尾市への移転は受け入れでは無く、本州全土で検討しようという提案だと発言している。本当に呆れたよ。
4日、橋下の慰安婦に関する発言に対し中央大の吉見義明教授が「軍の施設として組織的に慰安所を作った国はほかにない。日本の慰安婦制度は特異だった」と反論し、「慰安婦は居住、外出の自由、拒否する自由がない性奴隷」だったとし、国が直接関わっていたんだと主張する。
そして、発言の撤回と謝罪を要求する公開質問状を出し、十分な回答が無ければ提訴も検討すると表明している。
吉見は慰安婦精度に関し積極的に研究する者と知られている様だが、従軍慰安婦、或いは慰安婦制度という言葉は一体何時頃から使われる様になったのだろうか。
従軍慰安婦といえば、吉田清治が斉州島で一週間に辺り「慰安婦強制連行」したとする「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」の著書を出す。
済州新聞の記者は、これに関する取材を行っていた様だが、取材を受けた女性達は「でたらめ」だと激しく主張していた様だが。だが朝日新聞は吉田清治の著書を活用し平成3年から4年に掛けて慰安婦に関し報道したとされている。
この報道の中に、朝日は「朝鮮人従軍慰安婦」という言葉を記してある様だ。そして平成4年には吉田清治では無く、吉見義明が、防衛庁防衛研究所図書館に所蔵されていたらしい「陸軍省大日記類 陸支密大日記 昭和13年第10号 陸支密第745号」など慰安婦に関する資料を閲覧し、前年の吉田清治と同じく旧日本軍は強制的に慰安婦制度を行っていたとして朝日へ資料のコピーを渡していたらしい。
宮澤喜一元総理が平成4年1月16日に訪韓を決定していた様だが、朝日新聞はその5日前に吉見義明から提出された情報を元とする記事を書いている様だ。
吉見も主張している様だが、朝日も提出された情報は「慰安婦に日本軍が関与」した証拠として報じていたらしい。韓国にとっては日本及び宮澤内閣を攻める絶好の情報提供となっていたのではないだろうか。
よって、宮澤元総理が訪韓した時には慰安婦問題で徹底的に責められる状態となり、慰安婦問題の調査を行う事となり、河野談話が作られる事となってしまった。
従軍慰安婦の造語の元となったのは一部の日本人であり、作ったのは韓国政府である事は間違いない。朝鮮併合、或いは対戦中に従軍慰安婦という言葉も存在していなかった事も間違いは無い事だ。
東京裁判には中国やアメリカ領であったフュリピンやオランダも加えられていたのだが、日本による慰安婦制度があったなどとは認められていないし、終戦当時朝鮮総督府の総督であった阿部信行はA級戦犯容疑として逮捕されるが、裁かれてはいない。
朝鮮併合時代には公娼制度は存在していたかもしれないが、慰安婦制度と称されるものは存在していなかった事は間違い無い筈だ。
慰安婦とは、貧しい生活に追い詰められていた女性や、家族の女性が公娼となる事を望み、設置されている慰安所に入る事により、称されていたのではないか。
また、慰安所の設置は日本兵による強姦犯罪も多数合った事から、それを抑える事が目的だったともされている。民間に任された慰安所は、多くの慰安婦を募集した。
慰安婦とは公娼であった事は明らかだろうし、自ら公娼としての労働を求め、認められる事により給与が与えられていた事も事実の筈だ。
吉田清治だけで無く、吉見義明も従軍慰安婦は存在していたと主張するが、その証は何なのだろうか。吉田清治は、自分勝手にイメージしアピールしていただけではないかと思えてしまうのだが、吉見義明は「陸軍省大日記類 陸支密大日記 昭和13年第10号 陸支密第745号」を証として、慰安婦を強制連行 したとしている。だが、これ以外に具体的な証拠は明かしているのだろうか。
軍が、或いは国が直接指示を行い強制連行させたとする証が。
とあるテレビ番組では、併合されていた朝鮮半島で強制連行されていた物理的証拠は、何も見つかっていない事を認めているらしい。決して具体的な証が出されているとは思われないが。
とあるテレビ番組では、併合されていた朝鮮半島で強制連行されていた物理的証拠は、何も見つかっていない事を認めているらしい。決して具体的な証が出されているとは思われないが。
また、日本以外では慰安婦制度は行われていないと主張しているのではないか。
非常に可笑しな主張と思えてならない。ブログ「知らされなかった日本」で
-引用-
慰安所制度は日本だけのものではありません。
イギリス軍は北アフリカで慰安所を設置していましたし、ドイツは日本以上の規模で組織的に慰安所を運用していました。
ベトナム戦争時のフランス軍は北アフリカの女性を「移動式慰安所」で売春させていました。
同じくベトナム戦争時の米軍キャンプの中には「レクレーション・センター」と言う名の売春施設がありました。
韓国軍はベトナム戦争時に現地女性を多数強姦し、現在五千人から三万人もの混血児がいると言われています。
慰安所制度を設けなかったソビエト軍は、ベルリン侵攻を目前にした時「ゲルマン女性は諸君の戦利品だ!」と宣伝し、軍がレイプを奨励する始末でした。
-引用-
と書かれている。また、池田信夫のブログにも
-引用-
秦氏によれば、この他にもソ連や英連邦軍に同様の軍用売春施設があった。ナチスのやった国営売春は、日本の慰安婦とは違って強制連行をともなう国家犯罪で、ドイツでも問題になっているという。まさか吉見氏が秦氏の著書を読んでいないとは考えられないので、彼は歴史を偽造している。
この他にも、戦後の日本でRAAと呼ばれる米軍用の売春施設が設置されたことは、メア氏も認めている。そもそも公式の施設があったかどうかなんて大した問題ではなく、戦争に強姦や売春はつきもので、どこの国もやっていた。この点で橋下氏の話は、歴史的事実として正しい。
-引用-
と書かれている。
また、「報道するラジオ「史実から問う、従軍慰安婦問題」」で吉見は最後の部分で世界に慰安婦制度があったか否かと問われ、吉見は世界に日本と同じ様な慰安婦制度は無かっただろうとし、ドイツ軍のシステムと同じ制度はあったかもしれないとしている。
また、「報道するラジオ「史実から問う、従軍慰安婦問題」」で吉見は最後の部分で世界に慰安婦制度があったか否かと問われ、吉見は世界に日本と同じ様な慰安婦制度は無かっただろうとし、ドイツ軍のシステムと同じ制度はあったかもしれないとしている。
吉見の意識するドイツのシステムはどの様なものなのか分らないが、日本とは異なり、強制的に行われていた事は間違いないだろう。となれば、日本はドイツ軍とは異なる非強制的な行動を行っていたとなるのだろうな。
また、慰安所も設置されていなかった戦場では人権無視の犯罪行為である強姦などが活発に行われ、こういった行為を阻止しようとする軍隊は無かった。
戦場で女性への犯罪行為を阻止では無く、認めていた軍隊や国こそが女性を「性奴隷」化していた事は確かだろう。
吉田、吉見の両者は何故日本が慰安婦制度により、女性を強制連行し慰安婦とする公娼では無く、奴隷として扱ったかの様な主張をしたがるのか。理解する事など完全に不可能だ。