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岩手県議会議員の小泉光男の遺体が、一戸町の大志田ダムの付近で見つかったらしい。近くには乗用車があり、鞄を枕にして横たわるようにして亡くなっていたらしい。
警察は、本人のブログに書いた発言が切っ掛けとなり激しい批判が殺到し、炎上と表現される様になった事から自殺を行ったのではないかと捜査を行っている様だが。
 
自分は小泉光男のブログは見た事は無いのだが、6月5日のブログに「俺は刑務所に来たんじゃないぞ。中央病院の責任者!」というタイトルで、岩手県立中央病院で診療を受けた時の思いを色々と綴っていた様だが、自分を名前で呼ばずに番号で呼んだ事などに腹を立て「ここは刑務所か」とか、怒り心頭に達したのか会計をすっぽかして帰ったとか病院に対し激しい批判が書かれていた様で、ブログに激しい病院批判が綴られていたらしい。
 
この事がが切っ掛けとなり、小泉光男への集中的な批判が発生した。ブログにどの様な批判のコメントが書かれていたのかなどは分らないけれど、どの様な者でも連日激しく批判され続ければ気が滅入ってしまう事は間違いない。
 
故に、集中的な責めから逃れようと何らかの行動を取るようになるのだろうな。
J-cast「 炎上を受け、6月7日には「日々自己犠牲も厭わず献身的に、県民医療サービスに従事され、汗を流している医療関係者の皆様が、多くいらっしゃいます。そうした方に対しても、配慮のない表現でした」として、「不適切な表現がありましたので、削除の上お詫びします」との謝罪ブログが更新された。」と書かれ、更に「小泉県議は6月9日に公式サイトとブログを閉鎖。6月17日には記者会見を開き、「公人としての立場を忘れ、思慮に欠けた不適切な表現をした。世間をお騒がせし、申し訳ない」「医療費は後日、全て支払った。初心にかえって仕事で恩返しをしたい」と話し、県議を辞職する考えはないとしていた。」とも書かれてある。
 
病院というよりも、自分を責める者達に対し謝罪を行っていたのではないか。自分への激しい責めを抑えようとして。だが、小泉光男への個人攻撃は収まらなかった。
毎日新聞の記事に書かれてあるが「17日に記者会見し「公人の立場を忘れ、思慮に欠けた不適切な表現を公開した」と謝罪した。県議会と県には21日までに苦情や議員辞職を求めるメールと電話が計762件寄せられた。」とある。
 
そして7日に謝罪した翌日8日にブログ「小泉光男岩手県議会議員の辞職を求める市民の会」が立ち上げられており、更新は無かった様だが、その翌日に小泉光男はブログを閉鎖している様だ。
 
これに関する記事は電子版で読んだ事はあるんだが、会計をすっぽかして帰った事に関しては公人であろうが無かろうが、良い行為では無いと意識させられたが、病院などに対し怒りを感じるか否かなどは全く個人の自由であって、その感情をそのままさらけ出すか否かも個人の自由。
 
よって、会計をすっぽかすのは絶対によい行為では無いと思ったのだが、病院への表現に関しては、好きな様にやってろなどと、余り意識する事は無かった。
実際、一人の人物がどの様な感情を持ち、行動では無く表現を行うのであれば、損害を被る事は無いのではないかと思えたのだから。
実際に、岩手県立中央病院にどの様な損害があったのだろうか。これといった事は無かったのではないかと思えるのだが。
 
だが、世間の人々は単に個人が病院に対して思うままの事を発したとは意識せず、公人、或いは政治家として非常に誤った表現を行ったのではないかと捉え、激しい批判を浴びせる様になる。
ブログにも多数のコメントが書かれていたのではないかと思うのだが、その激しい責めに耐え切れなかったのだろうか、問題とされたブログを書いた2日後には謝罪を行い、更に2日後の9日にはブログを閉鎖している。
だが、その後も小泉光男県会議員、或いは小泉光男という個人への責めは治まる事はなかったのだろうな。
 
そして疑問に思えてくるのが、ネットなど通じ責める者達はどの様な認識を持っていたのだろうか。
本当に県会議員としての行為、行動を責めようとするのであれば、県会議員として、或いは地方の政治家として自治体にどの様な影響を及ぼす活動を行っていたのかしっかりと検索及び認識をしなければならないのではないか。

 
何も検索及び認識などする事無く、単純に一寸した行動を責める事はネットを利用した完全な暴力となるのではないだろうか。
故に、小泉光男の一寸した行動を責めまくり、批判を炎上化させた者達は小泉光男という県会議員をどの様に認識し、どの様な行動を行ってきたのか、或いは行っているのかを把握しいたのだろうか。
その様な事などせず、ただ一点だけに集中し、ただ単純に批判し責めまくる。こういった行為に、どの様な意味があったのだろうか。
もしかすれば、何も考えずにただ責める事だけを面白がり、遊び気分で行っていた者もいたのかもしれない。
 
ネットからの責めと批判は、誰かも分らないか無い者からの一方的な責め。極端に言えば虐め。それから、上っ面だけでは無い真面目な謝罪を行ったとしても、責める者達は認めようとはせず、より威勢を高めていく。
そして、より激しく・強く責める様になる。責めている者達には、単に面白がり遊び気分で行っていた者が多いたのかもしれないが、これらの一方的な責めにより精神的に大きく追い詰められていく事となる。それにより生きようとする、活動する気力は失われていくだろう。
 
そして生きる事までも苦しい状態へと追い込まれてしまう。周りの者がカバーしようとしても、もう本人には通用しない。
極端に追い詰められてしまえば、生きようという気力を完全に失い、自分が存在する価値も完全に失われてしまう。そして、自ら命を絶つ事になってしまうのだろうか。
 
小泉光男が県会議員としてどの様な活動を行っていたかなど、一切知らない。というよりも、自分とは全く関わりの無い県会議員の活動など全く興味が持てないし、知ろうとも思わない。
まして、病院に関する感情の表現は県会議員、或いは地方政治化としてでは無く、あくまで個人として行っていたのではないかと思われるが。

ただ、書いた本人が県会議員であった事から、批判の的にされたんだろうな。記事のツイッター見ていると、マスコミに殺されたと書いている物が幾つか見つかる。
だが、彼のブログを通じて彼の病院での行動を責めまくったのはネットを利用する一般の者達ではなかったのか。謝罪を行い、ブログ閉鎖も行った後も一般庶民からの激しい責めは治まらなかったのだろう。
 
それにより、一人の個人が自ら命を絶ってしまったのかもしれない。ネットは殺人用具にもなり、それを活用し一人の個人を単純に責めまくる者達は殺人者となるのかもしれない。
現在の刑法では扱われる事は無いだろうが。
 
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