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韓国は1910年に日韓併合された事を日本が韓国を植民地化したんだと強く非難すると共に、日韓併合は不法だと主張する。竹島に上陸した、李明博は「歴史問題を理解してくれ」などと抜かしていた。19世紀代の大韓民国がどの様な状況にあったのか、どうして日韓併合が成立されたのか、この事をちゃんと理解しているのだろうか。
欧州列挙区の植民地化は1885年より行われるようになってた様だが、朝鮮も清国の属国とされており、全く逆らえない状態となっていただろうし、清国に植民地化されていたとしていいのではないのだろうか。
 
だが1894~95年に行われた日清戦争による下関条約により、清国は朝鮮が完全無欠な独立自主の国である事を確認するとして、清国から開放される事となり、独立国となる。1904~05年に行われた日露戦争では、日本は朝鮮半島を利用しようとしたのだろうか、大韓帝国との間に第1次、2次、3次協約を締結する事となる。そして第2次日韓協約の締結では韓国は日本の保護国となっている。
植民地化は本国が植民地の主権を完全に握る場合と、保護国とに分けられるのではないかと思われるが、主権を完全に握る場合には完全な植民地化だろうし、保護国の場合には領土に加えられたた被保護国は保護国との条約に基づき一部の主権を代行させる事により保護国からの保護を受ける国とされている。主権の代行は外交面が主流の様だが。国際法では半主権国とされているらしいが。
 
韓国は決して主権を全て日本に奪われた状態では無く、半主権国とされていた事となるのではないのだろうか。完全な植民地化をされていたとは思われない。更に、日韓併合を求めたのは大韓帝国の政府であり、逆に日本はそれを好んではいなかったとされている。大韓帝国で日韓併合を強く要望していたのは、帝国内で当時大きな政治力を持っていたらしい政治結社である一進会は日本との合邦を求め、韓日合邦建議書「日本は日清戦争で莫大な費用と多数の人命を費やし韓国を独立させてくれた。また日露戦争では日本の損害は甲午の二十倍を出しながらも、韓国がロシアの口に飲み込まれる肉になるのを助け、東洋全体の平和を維持した。韓国はこれに感謝もせず、あちこちの国にすがり、外交権が奪われ、保護条約に至ったのは、我々が招いたのである。第三次日韓協約(丁未条約)、ハーグ密使事件も我々が招いたのである。今後どのような危険が訪れるかも分からないが、これも我々が招いたことである。我が国の皇帝陛下と日本天皇陛下に懇願し、朝鮮人も日本人と同じ一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させようではないか」を大韓帝国の両班などにも訴えていたのではなかったか。また、日本にも。
だが、第2次日韓協約が締結された後に韓国に置かれた韓国統監府の初代監督統監に就任した伊藤博文は日韓併合される事を強く拒否していたらしい。伊藤博文は1909年に大韓帝国で暗殺される。この事がきっかけとなり日韓併合へ一気に進む様になったのだろうか。1910年8月22日に「韓国併合に関する条約」に締結され韓国は日本に併合された。
 
この朝鮮併合には、強い批判を持つ者もいる様だ。
 
Afternoon Cafeブログには「前略-加害者側が、被害者側の傷についてあまり深く考えないままそんなに悪意なしに何気なく軽い気持ちで(一部の人々はレイシズムという悪意をもって)口にした言葉は、時として深く被害者側を傷つけることがあります(余談ですが性犯罪なんかそういう事が多いですね)
この「支配する側の支配される側に対する鈍感さ」は、いかなる時代、いかなる場所でも見かけることができます。
 
もし、いくら良い教育や行き届いたインフラを与えて貰ったのだとしても、自分の名前を奪われ祖国の言葉を奪われ意に反してアイデンティティを奪われることがどれほどの民族的屈辱か、支配する側にはそれがなかなか想像できないものかもしれません。
韓国が併合条約は無効だったと主張するのは、民族の誇りとしての問題なのです。」
 
と書かれている。
 
朝鮮民族の現在の主語はハングルなのではないだろうか。だが、併合前の大韓帝国では白丁とされていた庶民には殆ど教育はなされていなかったらしいし、両班とされる貴族に行われていた言葉の教育は清国の影響からか漢字が主流だったらしく、ハングルは軽視されていた。よって、両班の位置にいる者達もハングルの教育はされていなかった様だ。日韓併合される以前の朝鮮民族は、両班(貴族)と白丁(一般民族)に分離されていて、全てを両班が判断し決断し実行する。奴隷化されていたのではないかと思われる白丁と称される一般民族の人々は、両班には一切逆らう事など出来ず、ただ言い成りになるだけだった。
だが、朝鮮総督府は身分の階級を廃止し民族を平等とし、教育を受けることの出来なかった者達にも平等に受けれる体制を作っている。1911年の第1次教育令により、朝鮮語の必修科目としてハングル語が教育される様になる。1936年には日中戦争の影響から朝鮮総督府ではハングルの授業を廃止し、日本語に統一すべきとしたらしいが、言語を一つに統一するという事は行っていなかったらしい。Wikipedia
 
よって現在の韓国、或いは北朝鮮の守護となっているハングルを朝鮮民族に普及していっているのは、大韓帝国では無く朝鮮総督府という事になるのではないか。朝鮮総督府は朝鮮民族の言葉を奪っているとは思えない。逆に一部の者にも教育されていなかったハングルを朝鮮民族の主語としたのは、日本であり朝鮮総督府である事は間違いないだろう。
また、大韓帝国までの朝鮮民族の文化などの守護も朝鮮総督府はおこなっている。
 
両班とされる者達が日韓併合をどの様に意識していたのかは知らない。だが、両班に大きな差別を受け非常に貧しい生活を強いられていた人々はどの様な意識を持っていたのだろう。
日韓併合が行われずに、何ら武力も資材も無くなってしまっていただろう大韓帝国が独立国として進んでいれば、両班の者達は自分達の生活を守る為だけに色々な外交など行っていたのかもしれない。だが、奴隷化されていたとされる民衆達はどの様な生活を強いられる事となっていたのだろうか。
両班とされる者達にとっては、日韓併合は好ましくないと意識されていたのかもしれない。だが、自分達の生活を大きく変化させていった一般の民衆達はどの様な意識を持っていたのだろう。
 
日韓併合により自分達の生活を大きく向上させ、豊とさせて行った日本統合時代よりも主権は一部の者達に握られてしまい、自分達はその者達の言いなりにしかなれなかった併合前に戻る事を求める者達は果たしてどれだけいるのだろうか。
彼等と同じ立場に立った意識で考えてみれば、併合前の生活に満足など出来ている訳など無い。教育を受ける事も出来ていない、まともな生活をする事も出来なかった、ただ苦しい思いばかりを強いられていたのではないか、その様に考えれば併合前の状況から早く開放されたいと思うのではないか。
そして、併合されてみると両班との不平等な立場が解消され、教育を受ける事が出来る様になり、生活も大きく変化し向上して行ったのではないか。
 
併合される以前が良かったと判断すべきか、併合後が良いと判断すべきなのか。併合された事により民族性や文化などでは無く、生活環境を大きく改善させられた事を良いと判断するのではないのだろうか。
言葉は奪われていたのではない。現在の朝鮮の主語となっているハングルの教育されているし、大きな不平等により国民としての主権を認められていなかったのではないかと思われる併合前とは異なり、国民としての主権が認められる様になり、朝鮮民族としての教育や近代国家の教育などが受けられる様になって行ったのではないだろうか。
この様に自分達の貧しい生活を大きく変えて行ってくれたことを、果たして強く不満に感じていたのだろうか。
 
3人目の韓国大統領である朴正煕は、日本統治時代について次ぎの様に語っていたらしい「日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している。」とされている。Wikipedia
 
そして、日韓併合による朝鮮の日本統治時代を象徴する建物ではなかったかと思われる朝鮮総督府。韓国の人々が日韓併合に強い不満を怒りの感情を持っていたのであれば、大韓民国とした独立した直後にでも崩壊させていたのではないかと思われるが。
なぜか、決してその様な事などは行っていない。所か、李奨晩は国会として利用している。信じられない事だ。

李奨晩は日韓併合を強く批判しており、反日派ではなかったのか。であるなら、国会などに利用する事などせず、併合による日本統治時代の象徴の建物である朝鮮総督府などは自国に残そうとはせずに、即座に破壊しなければならないと考える事はなかったのだろうか。
国会がソウルに移転した後にも国立中央博物館として利用されていたらしい。
だが、1996年に金泳三の指示により取り壊されたらしいが、何故か全てを取り壊したのでは無く、先頭の部分は残し、独立記念館に保存されているらしい。
 
朝鮮民族として日韓併合は非常に侮辱に当たる事であり、併合条約は無効であるという強い概念を持っているのであれば、日本統治時代の象徴の建物であろう朝鮮総督府を新たな独立国として利用する、いつまでも残そうとする事には強い不満を怒りを感じる者は誰も無かったのだろうか。
更に、朝鮮総監府の一部を独立記念館に保存する事に疑問と怒りを主張する者はいなかったのだろうか。
 
併合条約を無効だったと強く主張する民族意識を持っているのであれば、主張する事に民族の誇りを持っているのであれば、何も残す事は無く、即座に建物は破壊し何も残そうと意識する事など無かったのではないのだろうか。
そして大韓民国はいつから不法だと主張していたのだろうか。65年の日韓基本条約が成立した時には併合は不法であったと激しく主張していた筈だ。その為に日韓基本条約では日韓併合は無効だとされている。
にも拘らず、朝鮮総督府は96年まで残されていた。強い疑念を感じさせられてしまう。
 
この日韓併合に関しては日韓の学者に会議によっても討論が行われていたらしいが、決着はつかず、2001年の11月16日に、アメリカのハーバード大学のアジアセンター主催で国際学術会議が開かれることになった。
「2001年の11月16日に、アメリカのハーバード大学のアジアセンター主催で国際学術会議が開かれることになった。
 
これは韓国政府傘下の
国際交流財団の財政支援のもとに、
韓国の学者たちの主導で準備されたものだった。
韓国側はもちろん、国際舞台で不法論を確定しようと初めから企図し、
そのために国際学術会議を持ったのであり、それを謝罪と補償の要求の根拠にしたかったことは明白であった。
 
そしてそこにはアメリカ、イギリス、韓国、それから日本の学者が集まり、
日韓併合の歴史をどう考えるかということで論争が行なわれたのである。
 
この様子は、当時、『産経新聞』の2001年11月27日の
記事ぐらいでしか公表されず、一般の目にはほとんど触れなかった。
が、これはとても大きな、重要な会議だったのである。
 
 
韓国側はまず、いかに日本が不法に朝鮮を併合したかということを主張した。
ところが、国際法の専門家でケンブリッジ大学のJ.クロフォード教授が強い合法の主張を行なったのである。
 
それは当時の『産経新聞』の記事によると、
「自分で生きていけない国について周辺の国が
国際秩序の観点からその国を当時取り込むということは当時よくあったことであって、
日韓併合条約は国際法上は不法なものではなかった」という主張であった。
 
当然、韓国側はこれに猛反発し、日本に強制されたということを主張したわけだが、
同教授は、「強制されたから不法という議論は第一次大戦(1914~18年)以降のもので、
当時としては問題になるものではない」と、一喝した。」★★★ ニュース保存用 ★★★
 
韓国の主張する日韓併合は不法だとする主張は、世界の学者などからは一切認められる事は無かった。
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韓国が実効支配している日本の領土である島根県の竹島へ韓国の李明博大統領が突如訪問した。その理由を李明博大統領は、竹島は韓国の固有領土である事を行動で示す必要を感じ訪問したとしている。
更に、竹島に関する歴史問題なのだろうか「日本が理解しない事に不満を感じる」とし、これまでの日本に竹島に関する領土問題に誠意が感じられない、自分が訪問したことを批判する事が理解できないとも語っているらしい。

そして、国際司法裁判所への提訴が理解できないと、全く理解できない事を語っているらしい。

李明博大統領は竹島に関する歴史問題を日本が理解していないとするが、韓国は竹島は完全に韓国固有の領土ではなかったと示している筈であり、逆に日本が固有領土であった事を確実に実証しているのではないかと思うのだが。

韓国は竹島は6世紀から固有領土と訴えるものがある。韓国の古文献を活用した物の様だが、古文献に示されている事を正確に、正常に表現しているとは思われない。何故なら、鬱稜島の東側にある干山島を竹島(独島)と主張してるからだ。
更に鬱稜島と干山島を結合して干山国とも称している。リンクしています。

また日本やその他の国が韓国が独島と主張する干山島を韓国の固有領土と認めているとしているのであり、竹島(独島)は世界から韓国の固有領土と認められていたんだとしている。だが、その地図で示しているのは鬱稜島と干山島であって、竹島は含まれてなどいない。
更に、韓国領土は黄色により示されているとするが、その色で示されているのは鬱稜島と干山島であり、その他の小島などは一切含まれてはいない。実際に鬱稜島と干山島は韓国領土と認められていたのかもしれないが、竹島が韓国領土と認められていたとは一切思われない。

また、日本と韓国には古地図が多く存在している様だが、日本の古地図には昔には松島と称されていた竹島、竹島と称されていた鬱稜島はしっかりと描かれているが、韓国の古地図には鬱稜島と干山島を描く地図は存在する様だが、独島と名称された島などは一切存在しないし、竹島も描かれてはいない。

何よりも韓国が独島と主張している干山島は鬱稜島の近くにあり現在では竹嶼(チョクソ)と称されているらしい。竹島との現在位置とは掛け離れた位置にある。まして、韓国は古文献にある鬱稜島の近くにある現在では竹嶼が独島と訴えていた筈だ。韓国の竹島に関する主張と古文献に書き残されている事には大きな矛盾がある。

対する日本は外務省も示しているが、17世紀初めに鬱稜島を発見した鳥取藩の町人である大谷家と村川家が藩主を通じ幕府から鬱稜島への渡航免許を受けている。そして鬱稜当へ漁へ出る様になるが、その途中にある当時松島と称されていた竹島でも17世紀中頃から自然とアシカやアワビの漁を行う様になり、現在の国際法で言うなら先占していた事となる。
故に、日本の古地図には松島と称される2つに分割された島がしっかりと描かれている。

また、大谷家と村川家が活発に鬱稜島で漁をする事を当時の朝鮮王国は強く批判し、江戸幕府と朝鮮による鬱稜島の領有権の交渉が行われ、結果的に17世紀末に大谷家と村川家に鬱稜島への渡海を禁じる事を命じている。だが、竹島での漁などは一切禁じてなどはいない。この事には当時の朝鮮王国もなんら批判を行う事など無かったのではないのだろうか。
要するに、竹島の領有権は日本にあると認めていたのではないのだろうか。

故に、日本の古地図では鬱稜島は朝鮮王国の固有領土と示していたのではないのだろうかと思われるが。

明治時代になり、1905年の明治37年に日本は自国に領有権がある事を再確認し、島根県へ編入している。この事に関しても、朝鮮などからは何も批判は無かったのではないだろうか。となれば、当時の朝鮮は竹島の日本の領有権を認めていた事になるのではないか。
その様に思えてならない。

太平洋大戦後に日本はボツダム宣言を受諾した。そのボツダム宣言第8項に「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」とされ、日本の主権は日本列島及び連合国が決定する諸諸島に局限するとしている。
そして、サンフランシスコ講和条約の草案でで竹島は日本の領土となる事が決定された。

この決定に韓国は納得が出来なかったらしい。故に、当時の米国国務次官補ディーン・ラスクへ訴えた。この訴えに対し、ラスクは韓国へ書簡を送った。いわゆる「ラスク書簡」とされるものらしいが、ラスクは韓国の訴えを完全に退けた。韓国に1905年以前にも領有権は無かったんだと。

自国の勝手な主張による訴えを完全に退けられた韓国は、単に日本の領土を侵略したいと思っていたのだろうか、サンフランシスコ講和条約調印の3ヶ月前に韓国初代大統領李承晩は突然に「李承晩ライン」とされる軍事境界線をしき、竹島を不法占拠した。また「李承晩ライン」は、他国の漁業などを軍事的に強制し、禁止したものであって、突然に「李承晩ライン」がしかれる前までに漁を行っていた日本の漁民が韓国軍の銃撃などにより殺害され、多くの漁師と共に漁船などが拿捕されてしまった。

この韓国の身勝手な行為に日米両国は「国際法上の慣例を無視した措置」として強く抗議をしている。65年に日韓漁業協定が成立されるまでの間に、死傷者44人、抑留者3929人、拿捕された船舶数は328隻とされている。
そしてこの間に、竹島は韓国により実効支配される様になっていたのだろう。

李明博は竹島訪問後に竹島の歴史問題に日本が理解しない事に不満を感じると発言し、領土問題に誠意が感じられないなどとも発言している。その様な事を強く感じさせら得ているのは日本側の方だ。歴史を自分達の都合のいいように歪曲し、国際条約に背きん本の領土である竹島を不法占拠した。
竹島に関する歴史に全く理解しようとしないのは韓国であり、領土問題を完全に無視している。

また、玄葉外相が国際司法裁判所への提訴を発言するが、それに対し韓国の馬鹿な連中は「盗人猛々しい」などと日本を批判した。本当の盗人は韓国だろう。過去から日本が領有権を持ち固有の領土としていた竹島を、国際条約なども無視する行為を平然と行い、日本の一部の領土を不法占拠すると同時に実効支配したのだから。

更に呆れまくった、いやそんな事など通り越し強い怒りを感じさせる事を李明博は発言している。陛下の訪韓の条件として亡くなった独立運動家を訪ね心から謝罪すること。まさに天皇陛下に命令するかの様に発言をしている。陛下は日本の君主だ。日本の君主に命令するかの様な発言をするということは、日本は韓国などという腐った国に屈したとでも言いたいのか。
韓国は日本を支配しているとでも言いたいのか。ふざけるのもいい加減にしろ。

陛下が訪韓する必要など一切無い。逆に韓国の勝手な行動により多くの者の命が失われている。と同時に、間違いなく日本の領土を不法占拠している。謝罪すべきは韓国なのではないのか。日本の一般人に対する勝手な主張による虐殺。不法占拠などを平然と行っているのだ。
このような腐り切った国に何故日本が謝罪などしなければならないんだ。

まして日本の内閣が靖国参拝する事にまで控える様に命じる発言を行っている。完全な内政干渉だ。靖国に閣僚が参拝するか否かなど閣僚自身が判断する事だ。他国の者などに文句を付けられる筋合いなど一切無い。ふざけた内政干渉などいい加減に止めてもらいたい。あの腐り切った民族は恥という言葉を全く理解していないのか。

この様などこまでも腐り切った国などとの国交などは断絶してもいいのではないのか。韓国との関係悪化は日本経済に悪影響をもたらすとするものもいるかもしれない。韓国との関係は重視しなければならないとする者もいるのかもしれない。だが、どこまでも腐り切った国などと国交を保ちたいなどと一切思えない。





											

7月27日(日本時間では28日)に開幕されたロンドンオリンピックが、日本時間では今日13日に経3今腐れた

ロンドン五輪が閉幕=閉会式旗手はレスリング吉田〔五輪〕

ロンドン五輪は12日、五輪スタジアムで閉会式を行い、閉幕した。各国・地域の選手たちは、他国の選手と思い思いに交流の輪を広げ、目の前で演奏される英国の音楽を楽しみながら、17日間にわたって繰り広げられた祭典の余韻に浸った。日本はレスリング女子の吉田沙保里(ALSOK)が開会式に続いて旗手を務め、各競技から200人を超える選手が参加した。
 日本は今大会で金メダル7個。日本オリンピック委員会(JOC)は金15個以上を目標としたが、お家芸の柔道で金1個に終わったのが響いた。一方、銀、銅を加えたメダル総数は38個となり、アテネ五輪の37個を上回り史上最多となった。
 メダル争いでは、米国が金メダル46個、総数104個でいずれもトップとなり、スポーツ大国の底力を示した。開催国の英国は金メダル29個で世界3位となり、前回の19個から躍進した。
 閉会式前に行われた近代五種女子で、山中詩乃(自衛隊)が30位、黒須成美(東海東京証券)は34位だった。
  (時事通信2012/08/13)

日本選手達が獲得したメダル数がはアテネを抜いて38個。過去から注目されていた競技で最も多く獲得したのは競泳。過去のオリンピックから活躍していた選手や初出場の選手達が頑張り、11個のメダルを獲得した。
最後に行われた男子400mで銀を獲得した選手で松田、入江、藤井の3選手が「北島を手ぶらのまま帰してはならない」と決断していたらしい。選手達の北島への好意の深さ、チーム力を表していたのだろうか。

また、注目されていなかった競技の選手達が頑張り、何十年ぶりのメダル獲得、或いは初のメダル獲得の情報が多く流れていた。そんな選手達の活躍に感動させられた人々は多かったのではないのだろうか。
アーチェリーの女子団体と男子個人、ボクシングや重量挙げなど。またオリンピックでは弱くなってたんじゃないかと思われてたかもしれない女子バレーボールが28年ぶりのメダル獲得。
そして昨年のワールドカップを制したなでしこジャパンはロンドンでも金を獲得するのではないかと期待されていたが、決勝ではワールドカップで勝ったアメリカに1点差で敗れてしまい、目標は達せられなかったが銀を獲得している。

また卓球やバトミントン、フェンシング、女子重量上げなどでは初のメダル獲得が成されていたのではないだろうか。

女子レスリングでは長い苦労に耐えながら最初で最後としている初出場したロンドンオリンピックで、見事に金メダルを獲得している。更に伊調馨、吉田沙保里は日本人初の3連覇を達成していると同時に、吉田は国際大会の12連覇という大きな偉業も達成している。

曖昧な審判に不快感を感じさせられる事もあり、悔しい結果に終わってしまった選手も多くいたかもしれないが、どの競技の選手達も本当に懸命に頑張ってくれた。

このロンドンを最後のオリンピック出場とする選手もいるかもしれないが、次のリオを目指そうとする若い選手達も多くいるだろう。次回のリオでは、今回のロンドンよりもより大きな活躍をしてくれると思いたい。											

日本選手団にとっては最終競技となったのだろうか、新体操だったのかもしれないけど、最終日に最高の結果を残してくれたのは新体操の前に行われていたのかもしれない、ボクシングと男子レスリングフリー66級。
ボクシングではブラジルの選手を打ち破り48年ぶりの金メダルを獲得してくれたし、男子レスリングでは出場していた米満達弘(自衛隊員みたい、女子の小原もそうじゃなかったんだろうか)が見事に決勝に進出し、北京では銅だったらしいインドの選手を打ち破り、ソウル以来の金メダルを獲得してくれた。
 
24年前に金を獲得していたのは小林孝志と佐藤満。小林選手は小柄で丸坊主の選手だったと思うが、何だか覚えてる。佐藤選手の姿はハッキリ思い出せないけど。また、男子レスリングのコーチ陣には若いメダリストがついてたんじゃなかったのかな。
名前などハッキリ分らなかったけど、何だか気になってた。
 
新体操の結果は分らないけど、ボクシングの村田、そして男子レスリングの米満はロンドンオリンピックに日本選手団として素晴らしい終止符を打ってくれたんじゃないだろうか。
 
最高の試合を見せてくれた両者に感謝したい。


日本時間で午後7時過ぎから始まった女子バレーボールの3位決定戦。楽な相手ではないかもしれないが、絶対に勝ってもらいたい。韓国では無く、日本の選手達にメダルを賭けてもらいたいと思いつつテレビ観戦してたんだが、見事なストレート勝ち。

何とも言えない気持ちにさせられた。

日韓戦速報(4完)日本が「銅」獲得 韓国下して28年ぶりのメダル

 バレーボール女子3位決定戦で、日本は韓国と対戦し、3-0(25-22、26-24、25-21)でストレート勝ちし、銅メダルを獲得した。日本女子バレーのメダルは、1984年のロサンゼルス大会以来28年ぶり。

 2セット連取でメダルに王手をかけた第3セットは序盤から韓国にリードされ、追いかける展開となったものの、迫田さおり(東レ)、新鍋理沙(久光製薬)らのスパイクで逆転。韓国も粘りをみせて接戦となるが、突き放した。

 決勝の米国-ブラジル戦は11日午後6時半(日本時間12日午前2時半)から行う。

■真鍋政義の話「3年半やってきたことをやろうと(試合に臨んだ)。それだけです。よくやってくれました。選手には厳しい練習だったかもしれないが、本当にこのメダルをとることができてよかった。選手とスタッフに感謝しています」
(産経新聞2012/08/11)

試合のペースは第1セットから日本がしっかりと掴んでいる感じだった。だが、序盤にリードしていても徐々に追い上げられてくる。思わず日本の選手達に声を荒げてしまったりしたけど、第1セットをしっかりと勝ち取ってくれた事がとても嬉しかった。

セットを先制するか否かの違いは絶対に大きい。特に接戦を繰り返しているチーム同士の試合では、セットを先制する事により少しでも試合に余裕を持つ事が出来る。逆に先制されれば重圧が掛かる事になるんじゃないだろうか。次のセットは絶対に取らなきゃならない。連取されてはならない

そして第2セットは序盤から完全な日本のペースで、一時は8-1と大きくリードしてたんじゃないだろうか。だが、日本チームとは違い韓国は連続ブレイクを時々行い、その差は詰められ追い付かれ、セットポイントを取ったと思ったらジュースへと持ち込まれてしまう。
この時には、もう絶対にセットを取られるな、サーブをすぐに取り返せと吼えまくってしまっていた。

日本は本当にセットポイントを先取し、相手のミスにより第2セットを連取した。こうなると絶対にストレート勝ちしたいと思う様にもなってしまう。

だが第3セットは、序盤から接戦で一時は韓国にリードされていた時もあったんじゃなかったか。だから、ブレイクなんかされるな、すぐにサーブを取り返せ、逆にブレイクしろと吼えまくる。
終盤には日本がしっかりとブレイクしリードを広げ、マッチポイントを迎える。試合が決まった時は、もう最高の気持ちになってたな。

これまでの試合だと、セッターは攻撃を木村ばかりに任せるような感じになり、同じ方向ばかりにアタックパスを送る事が多かった。だが、今日の試合は木村だけじゃ無く他の選手もしっかりと利用する様に、左右などに振り分けながらパスを送り、迫田や荒木、新鍋などにも活発に打たせていたんじゃなかったかな。
そして迫田が良く決めてくれた。

またサーブ、アタックレシーブを日本の選手達はしっかりと行っていたが、韓国の選手達もしつこく喰らい付いてくる。これには何だかイラつかせてしまったね。どうしてそんなにしつこく喰らいついてくるんだと。いい加減にしてくれと。
このしつこいレシーブなんかが韓国のブレイクに大きく繋がっていたんだから。

だけど、日本の女子バレーボールは見事に韓国をストレートで下してくれた。ロス以来28年ぶりのメダル獲得。

フジの三宅アナが興奮気味に真鍋監督や選手達にインタビューしてたけど、ずっと見てると何だか強く感動させられる様になってたけど、と同時にフジの三宅がもの凄く羨ましく感じる様になってた。

自分も学生時代にはバレー部にいてやってた事があるもんだから、日本のバレーボールの世界での活動には注目する様になってたんだけど、昔は強かったのにいつの間にか勝てないイメージが強くなってた。
そんな暗いイメージを真鍋ジャパンとも称される、ロンドンオリンピックの女子バレーチームは一新してくれたのかなと思わされたが。

リオではメンバーが大きく変わっているかもしれないけど、銅以上のメダルを確実に取れるような強い実力を養っていってもらいたい。そして、男子バレーの復活も強く望みたい。リオには男女共に出場してもらいたい。決勝トーナメントにも同時に進出してもらいたい。男女共に、素晴らしい成績を残してもらいたい。
そう思えてならない。

宿敵ともされる韓国をストレートで破り獲得した銅メダル。本当におめでとうと言わせて頂きたいと強く思う。											

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