思い、そして感じた事をそのまま
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1月21日、麻生副首相兼財務相が社会保障制度改革国民会議で終末期高額医療費をめぐって一つの発言を行った。「さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろと考えないと解決しない」と。
この発言が麻生副首相兼財務相を責める一つの道具として使われるのだろうかと思われたが、2月20日の参議院予算委員会で民主の梅村委員が発言の趣旨を問い麻生副首相は「尊厳を持って静かに死なせてもらいたいというのが率直な私の気持ちだ」と発言している。
この発言に対し、麻生副首相の「問題発言とはしない。むしろ国民的議論が広がってほしい」は、自分の心にも強く響いた。現在、自分の家族で昨年の秋から寝たきり状態になっている者がいる。
一時期、もう長くは無いと医師に言われた時もあった。
リハビリもせず食事もとらずに治療だけに専念されていた家族へ面会をする為に毎日病院へ通っていたが、そんな家族を思う他の家族や自分の気持ちが何かに通じたのだろうか。
一応の危機は乗り越えリハビリを行える状態となっていたのだが、リハビリの為に病院を変えた時にはもう自ら動く事も出来ない状態となっていた。
リハビリもせず食事もとらずに治療だけに専念されていた家族へ面会をする為に毎日病院へ通っていたが、そんな家族を思う他の家族や自分の気持ちが何かに通じたのだろうか。
一応の危機は乗り越えリハビリを行える状態となっていたのだが、リハビリの為に病院を変えた時にはもう自ら動く事も出来ない状態となっていた。
そして、その病院の医師からも言われた。回復の見込みはないと。家族の連れ合いが最も強く思ってたんじゃないかと思うのだが、早く退院をさせ自宅療養をさせたいと。
今月の初めに、介護保険を利用する事を条件に退院をする事となった。その時に、お世話になっていた病院の看護師やリハビリの人達に見送ってもらった時には、何だか熱くさせられてしまってた。
かなり面倒の掛かる患者で余り好まれてなかったんじゃないか、そして自分達が面会に行くのは毎回夜で基本的な面会時間を越えても続けている事もあった。
だから、自分達も余り好まれてはいなかったんだろうなと勝手に思い込んでたものだから、あの人たちの予想外な姿を見せられた時には本当に熱く感じさせられるものがあった。
だから、自分達も余り好まれてはいなかったんだろうなと勝手に思い込んでたものだから、あの人たちの予想外な姿を見せられた時には本当に熱く感じさせられるものがあった。
自宅療養を始めてからは、週に4回ほどデイケアやサービス、時にはショートステイへ通う事になっていて、自分も家族をベッドから車椅子に移し玄関口まで運び、デイの人達の車椅子に移してもらってるけど。
現在はショートへ通い明日まで世話になる事になっている。昨日も面会に行ったけど、自宅療養の時と同じで余り喋る事は無くなっているしうつろな表情でただ何かを見ている感じだ。
後どれだけ持つのかなと思わされる時もある。
麻生副首相は「尊厳を持って静かに死なせてもらいたいというのが率直な私の気持ちだ」と同じ事を強く思っているのは、寝た切りになっている本人よりも連れ合いだろう。
自分達が最後まで見守っていたい、病院なんかじゃ無い、自宅で静かに息を引き取ってもらいたい。
その時まで、自分達でしっかりと看病をしてあげたいと語っていたが、退院し自宅療養が始まると自分達も常態を意識させられてしまっているけど、最も面倒を見ながら看病に励んでいるのは連れ合い。
その時まで、自分達でしっかりと看病をしてあげたいと語っていたが、退院し自宅療養が始まると自分達も常態を意識させられてしまっているけど、最も面倒を見ながら看病に励んでいるのは連れ合い。
だが、退院が決まったと本人に伝えた時には笑みを浮かべてはいたが。本人も何時までも病院にいるのでは無く、家族の所へ戻りたいと思っていたのかもしれない。特に連れ合いの所へ。
人生の最後をどの様に迎えるか、人々により色々な考え方があるだろう。
自分も病院の中で最後を迎えるのでは無く、住処で自分の人生に悔いの無い様に、或いは他の場所でも何かを遣り通し悔いの無い様にこの様を去る様にしたいと思っている。
自分も病院の中で最後を迎えるのでは無く、住処で自分の人生に悔いの無い様に、或いは他の場所でも何かを遣り通し悔いの無い様にこの様を去る様にしたいと思っている。
麻生副首相は多くの人の気持ちを代弁していたのかもしれない。何だか、そんな気持ちにさせられる。
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