思い、そして感じた事をそのまま
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今年は、自分にとって馴染みの深いタレントや役者が次々と消えていく、そんな気がしてきたよ。
映画「竜馬暗殺」「ツィゴイネルワイゼン」などで知られる個性派俳優の原田芳雄さんが19日午前、東京都内の病院で死去した。71歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。
劇団俳優座に入り、1968年にテレビ時代劇「十一番目の志士」と映画「復讐の歌が聞える」に出演。映画「反逆のメロディー」などのエネルギッシュなアウトローの役で人気を集めた。
71年に退団後も映画「君よ憤怒の河を渉れ」「どついたるねん」など話題作に多数出演。中でも「父と暮せば」など黒木和雄監督作品への出演が多く、「竜馬暗殺」「祭りの準備」「浪人街」は代表作となった。
(共同通信2011/07/19)
数日前には、宮尾すすむの他界が報じられていたけど、今日になると原田芳雄。宮尾すすむは子供の頃から馴染み深いタレントだったし、原田芳雄は印象深く、個性的で格好良いとも思わされていた一人の役者。
彼らが亡くなる情報を知ると、それだけ自分も年を重ねているのかな、などと変な実感を感じさせられてしまう。と同時に、何だか淋しい感じがする。
そして、亡くなられた原田芳雄には、心よりご冥福申し上げます。
そして、亡くなられた原田芳雄には、心よりご冥福申し上げます。
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日本サッカー界にとって、女子チームである「なでしこジャパン」がもの凄い快挙を成し遂げてしまった。ワールドカップ優勝。
サッカーの女子ワールドカップ(W杯)ドイツ大会最終日は17日、フランクフルトで決勝を行い、国際サッカー連盟(FIFA)ランキング4位の日本は同1位で3度目の優勝を目指していた米国と対戦、2-2からのPK戦を3-1で制し、初優勝を飾った。最優秀選手には日本の沢穂希(INAC)が選ばれた。
女子はこれまで、五輪とW杯の主要国際大会を通じ2008年の北京五輪で4位になったのが最高成績だった。男子を含めても、サッカーで日本が五輪またはW杯で金メダルを獲得するのは初めてとなる。
日本は過去24戦で3分け21敗と白星を挙げたことのなかった米国に対し、持ち前のスピードとテクニックで対抗。後半24分、米国に先制ゴールを許したが、同36分、宮間(岡山湯郷)のゴールで追い付き、延長戦に突入。しかし、延長前半、米国のワンバックに勝ち越しゴールを決められたが、延長後半、沢(INAC)のゴールで再度、追い付いた。
PK戦では米国の選手が3人連続で失敗したが、日本は4人中3人が成功した。
得点王には5得点の沢が輝いた。
(産経新聞2011/07/18)
予選になるアジア大会では、オーストラリア・北朝鮮に次ぐ3位の成績で出場を決めていた。この時点では、どの国の者もワールドカップを制覇するなんて、誰も想像できていなかったろうな。
ワールドカップの組み合わせでは、イングランドなどと同じBグループ。ここを2位で通過し、決勝トーナメントへ。そして、その初戦が、3大会連続優勝を目指していたという強豪ドイツ。
それまでのドイツとの成績は1勝7敗1分。1勝しかしていなかったこのドイツに1-0で勝っちゃった。この時から、「なでしこジャパン」がもの凄く注目される様になったんじゃないのかな。
だが、準決勝の相手もかなりの強豪スウェーデン。第4回大会でドイツに1-2と負けながらも準優勝だし、この国にも3勝4敗2分と負け越している。今大会でも、チームの評価は高かったんじゃないの。
不利なんじゃないかとも言われていた、このスウェーデン戦を見事な逆転勝ちをして、サッカーの日本代表としてW杯決勝へ初進出。と同時に、メダル獲得が確定。この時点で、もう凄い成績を残してたんだよな。
決勝では、それまで21敗4分で全く勝った事の無いアメリカが相手。今度こそかなり不利なんじゃないか、と思ってた人が多いんじゃなかったろうか。だが、先制されても、勝ち越されても必ず追い付き、延長からPK戦へと持ち込んでしまった。
そのPK戦で3-1と見事に勝ち、初優勝を決めたんだよ。
そして、今大会で最高得点を獲得した澤 穂稀が最高殊勲選手に選ばれたし、フェアプレー賞を日本が獲得している。
本当に素晴らしいメンバーによる、素晴らしいチームだった。そう思えてならない。
国の多くの人々は、テレビや新聞、週刊誌などマス・メディアから提供される情報に大きな心理的影響を受けている事は間違い無いだろう。
政権交代前の激しい政権バッシングが、それを物語っているんじゃないのか。
自民党は、報道機関の論調を調べ、内容に問題があれば対抗措置を講じる「メディアチェック」の担当議員を新設した。
菅内閣の支持率が著しく低迷しているのにもかかわらず、自民党の支持率が思うように伸びない原因の一つに報道機関の自民批判の影響があると見ているためだが、“八つ当たり”気味の対応には党内から疑問の声も出ている。
担当するのは、中谷元情報調査局長、新藤義孝報道局長、菅原一秀副幹事長の3人。
主にテレビ報道を点検し、事実誤認や公平性を欠く内容があれば、局側に抗議したり、放送倫理・番組向上機構(BPO)などの第三者機関に申し立てたりする方針だ。
メディアチェックの導入は、石原幹事長が主導した。衆院の当選回数別の懇談会で、若手から「なぜ党の支持率が上がらないのか考えるべきだ」との意見が提起された際、石原氏は「自民党を批判するテレビのコメンテーターが悪い」と、テレビ報道に強い不満を示したという。
自民党は森内閣末期など、党の支持率が著しく低迷した際、報道に神経をとがらせて対策を取るケースがあった。今回、対策を主導した石原氏は日本テレビ記者の出身。党内では「メディアに責任をなすりつけるようでは支持回復はおぼつかない」(中堅議員)と冷ややかな声もある。
(読売新聞2011/07/17)
安倍政権の時に行なわれた参議院選挙で、民主党が大勝し、衆参ねじれ国会となっていた筈だ。民主は、政府とは異なる独自の政策を示し、政府の政策審議を拒否していた。
マスコミは、民主の行動はただ報じるだけで、逆に与党の行動に関しては活発に批判を繰り返していなかったろうか。そして、ねじれと為ってから「政権交代」、「解散総選挙」ばかりを求めていた民主の思い通りに、安倍政権、福田政権、麻生政権が1年程度で終わってしまった。
交代した後、民主は野党の頃に訴えていた事をやるんだと意気込んでいた。だが、時が経つに連れその勢いは落ちていき、ほぼ何もせずに終わってしまっているんじゃないのか。
これは、総選挙で民主に投票した人々への裏切りだろう。なのに、マスコミはこれらの事に関し、どれだけの批判をしてきていたんだろう。
これは、総選挙で民主に投票した人々への裏切りだろう。なのに、マスコミはこれらの事に関し、どれだけの批判をしてきていたんだろう。
まして、昨年のねじれでは無かった通常国会では、民主政権は野党との審議を無視し、法案を強引に成立させていった事が多くある筈。
これらに関しても、果たしてマスコミはどれだけの情報を流していたんだろう。これは、非常に批判すべき事だと思うが、どれだけ批判する報道を行なっていたんだろう。
これらに関しても、果たしてマスコミはどれだけの情報を流していたんだろう。これは、非常に批判すべき事だと思うが、どれだけ批判する報道を行なっていたんだろう。
昨年の通常国会での民主政権の活動を、批判する様に情報提供していれば、昨年の段階で民主政権への支持率は一気に下がっていたと思えるが。
菅内閣でも、尖閣諸島で海保と中国漁船の衝突に関する対応に対し、事実の映像が出るまでにどれだけ厳しく取材をし、事実を報じようとしていたんだろうか。適当に批判していたんじゃないかと思うのだが。
そして、大震災が起こってからの菅内閣。復旧・復興に非常に鈍感な対応を行っている。
この内閣に、野党は早く行なう様にと訴えている、色々な案を出して来たと国会で主張している。だが、内閣は鈍感にしか受け取らなかった、とも国会で主張している。
この内閣に、野党は早く行なう様にと訴えている、色々な案を出して来たと国会で主張している。だが、内閣は鈍感にしか受け取らなかった、とも国会で主張している。
野党の主張が事実で無ければ、マス・メディアは野党を厳しく批判できる筈。だが、そういった事は無い。
と同時に、被災地の取材は積極的に行なっても、それに対し政府がどの様な対応をしているのかは、消極的にしか報じていないと思えてならない。
と同時に、被災地の取材は積極的に行なっても、それに対し政府がどの様な対応をしているのかは、消極的にしか報じていないと思えてならない。
政権交代前のマス・メディアであれば、大震災に対し非常に鈍感な対応を行っている政府に対しのみ激しいバッシングを行なっているんじゃないかと思えるが。
現在のメディアは当初、批判をする報道をしていたとしても与野党を絡めたやり方ではなかったろうか。
だが、代議士会で菅が「首相辞任」発言を行なってから、菅に対し厳しく批判する様にはなってきているだろうけど。
だが、代議士会で菅が「首相辞任」発言を行なってから、菅に対し厳しく批判する様にはなってきているだろうけど。
内閣全体、そして与党に対してはどうなんだろうか。政権交代前と比べれば、バッシングの程度はどうなんだろうか。
菅は、2日前の首相会見を自分を保護する為に利用していたんだな。原発などから責められる事を、少しでも避けようとして。
だからあの時の発言は、全て自分の思い付きであり、単なる言い訳。しかも自分の責任は、現在だけにあり将来には無いとまでしている。
この会見には、閣僚達もさすがにじっとしては要られなかったのだろうか。一応批判する声が結構出ているみたい。
「脱原発」社会を目指すとした菅直人首相の発言を巡って15日午前、閣僚から批判や苦言が相次いだ。中野寛成国家公安委員長は同日の閣僚懇談会で「閣僚は話を聞いたことがない。首相の真意、発言内容について説明していただきたい」と批判。首相は「自分自身の決意を述べておく時期ではないかと考えた」と釈明した。閣僚懇では原子力政策について話し合う閣僚会合を求める声が上がり、枝野幸男官房長官が来週前半に閣僚懇を開く考えを示した。
これに対し、野田佳彦財務相は15日の記者会見で、首相発言について「個人の考えとして話したと受け止めている」と述べ、「脱原発」が政府方針ではないとの認識を表明した。
大畠章宏国土交通相も「首相の個人的な考え方をまとめた」と指摘。玄葉光一郎国家戦略担当相は「原発ゼロにするなら、核燃料サイクルも含めた大きな議論が必要になる。短兵急に出すものではない」と述べた。
一方、細野豪志原発事故担当相は「新規に原発を造るのは極めて難しい状況だ。原発依存度を下げるのは政策論ではなく現実論だ」と理解を示した。首相に近い北沢俊美防衛相は「首相が国民に訴えたことを真剣に議論するのは当たり前だ」と擁護。江田五月法相も「国民に問題提起した。方向性は正しい」と語った。
(毎日新聞2011/07/15)
中野国家公安委員長は、菅からは何も聞いていない。菅の真意、発言内容の説明を求めている。だが、あの首相会見での菅は「脱原発」に関し、何らかの発言をするだろうと閣僚達は予想は出来ていたんじゃないのか。
後から、いちゃもんを付けるのでは無く、会見が行われる前に菅からどの様な発言を政府の代表として行うつもりであるか、一応の確認は取っていれば良かっただろう。
菅と同じパターンで、この発言に自分は関係無い。菅首相が行った発言だとして、一人の人物に責任を押し付け様としているだけだろう。
野田は正直だ。菅は「個人として会見を行なった」と語っている。だが、その事に関する批判は何もしなかったのだろうか。
あそこは、菅が「個人として会見」をする場では無かった筈だ。個人では無い、政府のトップである首相として会見を行なう場であり、あの場での首相の発言には閣僚の意思も込められていなければならなかった筈だ。
あそこは、菅が「個人として会見」をする場では無かった筈だ。個人では無い、政府のトップである首相として会見を行なう場であり、あの場での首相の発言には閣僚の意思も込められていなければならなかった筈だ。
首相会見という場で、個人として利用した菅を、見せ掛けであろうと、内閣の一員として強く批判する事が当然の事だろう。
なのに、野田にはその様な意識など全く無いのか。しかも、「個人の会見」と認めるだけでは無く、簡単に「脱原発」は政府の方針では無い、と発言している。
なのに、野田にはその様な意識など全く無いのか。しかも、「個人の会見」と認めるだけでは無く、簡単に「脱原発」は政府の方針では無い、と発言している。
菅の将来の社会像とは異なり、政府には「原発依存度を下げて行き、原発の無い社会を実現する政策を行う意思など無い」としているのか。野田は、菅の発言は単なる理想に過ぎないと、言い切っている。
この様に適当に批判しながら、責任無視している閣僚もいれば、もろに擁護している閣僚も存在している様だ。江田や北沢。
「国民に訴えた」といっているが、菅は一体何を訴えたんだろう。自分がやるといったのでは無く、新しいエネルギー政策に関し語ったのでも無く、将来の社会に関して単に理想を語っただけだろう。
その理想も、単なる場当たり的なもので、全く真剣な事では無い。会見では、首相として語っておきながら、あっという間に「個人の発言」だと自ら言っているのだから。
そして、細野も北沢や江田と同じ様に批判では無く、擁護する発言を行なっている。
細野豪志原発事故担当相は15日の記者会見で、菅直人首相が「脱原発依存社会」を目指すとの考えを示したことについて「これだけ大きな事故が起きているので原発を新規につくることは極めて難しい。ある程度の期間で見るならば原発に対する依存度は下げざるを得ない。政策論というよりは現実論だ」と指摘した。
(産経新聞2011/07/15)
細野は菅が言った事を現実論というが、原発依存度を下げて行き、無い社会とするには原発に変わる電力エネルギーをどの様に確保していくのか、重要な事をしっかりと示さなければならない。
だが、菅は単純に自分の思いついた事を語っただけなんだろ。現実論でもなんでも無い。単に将来の理想を描いているだけだ。何より、現実論だというのであれば、将来がどうのこうのでは無く、現在発生している問題をどの様にして解決していくのか、この事に関し論じ合う事を言うんじゃないのか。
何よりも、現実に発生している事にも、将来にどの様な社会を求めるかに関しても、ちゃんとした政策を作って行かなくてならない筈だ。将来の社会も、それを求める為の政策が成されていなければ、実現するなんて事は不可能だ。
将来に求める事が、何故現実論となるんだろうか。
全く不一致ないい加減な内閣。菅の首相会見に関する、各閣僚の発言などがそれを示している。
菅は昨日の会見で、「原発依存の無い将来を目指す」といった発言をしていなかったか。あいつの思い付きなのか、政府の思考なのかは知らない。だが、首相が会見で語っているのだ、その言葉にズレがあっては為らないのではないか。
枝野官房長官は14日午前の記者会見で、菅首相が13日に表明した将来的な「脱原発」方針について、「遠い将来の希望という首相の思いを語った」と述べ、内閣としての政策目標ではないとの認識を示した。
首相は記者会見で「将来は原発がなくてもきちんとやっていける社会を実現していく」と明言した。これについて枝野氏は「政府の見解というより、そういったことを視野に入れた議論を進めるというのが政府の立場だ」と説明。「原発をなくすことは内閣としての政策目標か」との質問に、「首相の記者会見ではそこまで言っていない」と指摘した。首相の発言内容について、政府内で事前調整を行ったかについても明言を避けた。
政府が成長戦略の一環に位置づけてきた原発輸出については「我が国はどの国よりも厳しい安全性の下で(原発を)当面活用していく。輸入する側がどう受け止めるかを含めて、中期的に検討する」と述べ、継続に含みを残した。
(読売新聞2011/07/14)
首相会見というのは、首相が政府を代表して行なおうとする事を発表する場ではないのか。そこで、菅は原発依存度を段々と減少して行き、将来は「原発が無くてもやっていける社会を実現」と発言している。
あの場であの様に発言したからには、首相としてちゃんとした将来像。原発を減少する事に対し、どの様な電力エネルギーにより、安定的な電力の供給を行なえる様にするのか、また政府としても白紙に戻しているエネルギー政策に何か絵図を描いている筈。
でも無ければ、政府のトップである首相があの場で原発に対する、そして将来のエネルギー対策に対して何も発言など出来なかった筈。
でも無ければ、政府のトップである首相があの場で原発に対する、そして将来のエネルギー対策に対して何も発言など出来なかった筈。
確かに、具体的なエネルギー政策に関しては何も語ってはいない。原発問題の提起を行なう事、そして将来には原発に依存しない社会の実現の表明も自分の任期の責任であって、これらに関する議論は、これからやっていかなければならない。
提起や将来像の表明は行なっても、それを実現する事は新しい内閣で行なわなければならない。他の内閣の責任だとしている。
まるで自分が提起し、表明した事に自らが関わる事が無い様な発言を行なっている。
そして、今日の枝野だ。昨日の会見での菅の発言は、政府を代表しての事では無く、菅という人物の個人的な発言だと主張している。
菅が将来は原発に依存しない社会を実現したいと語っているのに、菅と同じくそれに対応した新しいエネルギー政策を全く表明しない。
菅は、原発問題により責められる事から逃げようと会見を開いたのだろうし、閣僚達はその菅をただ庇う事に必死になっているだけ。
菅は実際には脱原発依存に関し、何も考えてなどいないのだろうし、政府事態もエネルギー政策など全く考えてはいない。本当に白紙に戻して考えようとしているのかどうなのか、そういった事も分かったものでは無い。