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橋下市長は桜宮高の体育系2科への入試を中止すると突然に.言い出した。その目的は何だんったのか。体罰が行われている桜宮高を変えたいと主張していただけではなかったか。
突然に入試中止を訴えだし、その理由が桜宮を変えたいと主張するだけの橋下に反論する者は多く出ていた筈だ。中学生の受験生を持つ親や中学校校長、更には桜宮高の在校生までも。橋下の主張に強く反論していた。
 
だが、橋下は執拗にバスケ部で体罰=暴力が行われていた事を強く批判し入試中止を主張し続けた。そして橋下と反対する多くの者の間に挟まれた大阪市教育委員会は、昨日体育系2科への入試を中止する事を決定した。
この事を橋下は素晴らしい決定だと評価しているし、橋下の主張と入試中止を評価する者もいる事は確かだ。
 
だが、自分はこの結果に非常な不可を感じさせられている。
 
数日前に出会える事が出来たブログだが、京都市の渡辺輝人弁護士のブログ「ナベテル業務日誌」に教員と顧問に関して非常に気になる事が書かれている。クラブ活動の顧問は多くの場合教員では無いとされているのだ。
その理由として「誤解されがちだが、公立学校ではクラブ活動の顧問は多くの場合、教員の職務ではない。残業代が支払われない代わりに、ごく一部の例外的な理由を除いて残業を命じてはいけないことになっているからだ。これは法律に書いてある。教員に残業を命じられないのは、その業務の性質上、自主的な研鑽が不可欠だし、業務じゃなくても実際は「自主的に」自分の生徒たちに様々な形でふれあったり、生徒たちのために何かをせざるを得ないからだ。それらの時間に加えて(命令として)残業を命じれば教員の生活も、命も破綻するから駄目なのだ。」としている。
それを示す法として公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法・(教育職員の正規の勤務時間を超える勤務等)第6条が紹介されているが、この法により正規の勤務時間が定められているらしいが、それを超える場合には政令で定める基準に従い自治体の条例で定める場合に限るとされている。
 
公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法が定める教員の正規の勤務時間を超える場合には、国の定める基準に従い成立される自治体の条例に従わなければならないとされ、勤務時間の基準は教員の健康と福祉を害してはならないとされている。
大阪市の条例「学校の市費負担教員の勤務時間、休日、休暇等に関する規則で定められている教員の勤務時間は朝8時30分から午後5時までの7時間45分(休憩時間は除く)とされているらしい。大阪市の条例では教員の勤務時間は午後5時までと定められている事となり、それを超える事は認められていない筈だ。それを超えて勤務する事を認めれば、更に教員としての給与を支給しなければならなくなる。より多くの税の歳出が行われる事となるだろう。
だから、公務員の一員である教員の勤務時間は一定の時間までと定められているのではないだろうか。
 
よって、教員として教室での指導と部活での指導をこなす事が可能なのだろうか。全国的で授業時間だけで教員は5時前後まで勤務しなければならない筈であり、定められた時間までに教員として顧問をこなす事などは不可能な事だろう。
 
だが教員には勤務時間外にも実行しなければならない事が多くあり、誰もが認識しているだろうが部活の顧問として活動したり、テストの採点などを夜遅くまで行う。更には教員では無く個人として自主的に残業を家まで持ち帰り行う事もあるらしい。
こういった教員の勤務時間外の行動は校長に命じる権限は持たされていない様であり、教員では無く指導している者として残業に当たる行動を自主的に行っているらしい。
 
故に、法の2により教育職員の健康と福祉を害することとならないよう勤務の実情について十分な配慮がされなければならない。
と定められているが、勤務時間外は教員の活動として認められてはいない様であり自主的に活動する事を求められている様だが、最高裁でも勤務時間外での活動は教員としては認められないと判決が下されているらしい。

 
よって、「ナベテル業務日誌」に書かれてあるが、「いずれにせよ賃金が支払われず残業を命じることも出来ない以上、多くの場合、部活動の顧問としての活動は職務ではないのだ。」と書かれている。
 
顧問の体罰は教員の体罰と称されているが、決してそうでは無いと思えてならない。勤務時間外の活動は教員として顧問を行っているのでは無く、教員として認められていない個人として自主的に部活の指導などを行っているのだろうから、教員として体罰が行われていた訳では無いとされている。
 
この事を知って、まず思わされた事は自分はこういった事をどこまで知っていたのだろうか。正直、全く知らなかったし理解もしていなかった。
顧問は教員として活動していたと認識した上で、検索を繰り返し書いていたのだが、果たしてそうだったのか疑問に思えてきている。
顧問は教員として体罰を行っていたのか否か、法に反する行為を行っていたのか否か、非情に誤った理解をしていたのかもしれないと。
 
自分も活用したが、多くの者が学校教育法第11条を用いて顧問は教員として体罰を行っていたとしていたが、そうでは無く教員としての勤務時間外に個人として自主的に部活動の顧問を務めていた事は間違いは無いだろう。
よって教員として部活動の指導を行っていたとは思われないのだから。
 
更に、「橋下市長は入試を中止したり教員を配転したり出来ない」の内容も書かれているし、「給与について予算の執行停止はできないし不法にやると大阪市に損害が生じる」に間しても書かれている。
 
今回の桜宮高のバスケ部の体罰と自殺とされる記事に関し、色々な言葉がツイッターに書かれていた。
主に単に個人を責める様に、様々な言葉が書かれていた筈だ。印象に残っているのが、自ら「死ね」を求める言葉、「逮捕」を求める言葉、そして体罰により「主将を殺した」と強く責める言葉などが思い出される。

橋下及びこれらのツイッターに共通している事は、顧問は体罰による暴力を行ったと責め切っている事だ。
では、暴力とは一体何なのだろうか。橋下やツイッターに書く者達は単に肉体的に痛みや傷を負わせる、それにより心にも傷を負わせる事になるだろうとしている事だけが暴力としていないだろうか。
だが、暴力は肉体的だけでは無い。精神的暴力も存在している。

精神的暴力とはなんだろうか。異なる表現をすれば「言葉の暴力」となる。Wekipediaには「肉体的・物理的な暴力に対しては、防いだり反撃したりすることは社会的・法律的に広く認められている。しかし、言葉の暴力については、「その存在と程度(あるのかないのか、あるとすれば頬を平手で打たれた程度なのか、拳で殴られた程度なのか、ナイフで刺された程度なのか、日本刀で斬られた程度なのか、など)」「与える影響とその程度(傷があるのかないのか、あるとすればどのくらい傷が開いているのか、掠り傷程度なのか、骨折してしまって積極的に治療しなければ元に戻らない状態になっているのか、内臓破裂で瀕死の重症なのか、など)」について、加害者・外部(周囲)・被害者自身にとってさえ明確には分かりづらいため、被暴力者がどう防御・対処すればいいのか、21世紀の初頭時点では、難しさが付き纏うことになっている。」とされている。

 
また、OKWaveで言葉の暴力の問いが出されてあるが、その問いに言葉の暴力を起こす要因として「1.自己中心性: 自分が一番大切でかわいい。周囲の人は自分を満足させる為の道具に過ぎない。思い通りに行かないことがあったら、周囲に当たってもよい、家族や恋人は、自分を世話したり、自分に満足を与えたり、慰めたりする為に存在している、と思っている。周りの動向に配慮せず、自分の居心地の良さだけを追及する。2.ジェンダーバイアス(男女の性の誤った捉え方、偏見)がある。:男女の役割を固定的に考え、妻を見下し、妻を一個の人間として認めようとしない。結果、1の自己中心性を増幅させ、妻に辛く当たる。3.怒りっぽい性格:いつも不安や不満・コンプレックスを抱えている。世の中腹の立つことばかり。人の意見を容易に認めず、話を聞かず、何でも否定したがる。」とされ、その影響を「言葉の暴力も体への暴力や精神的、経済的、性的暴力と同様、DV(ドメスティック・バイオレンス)となります。パートナーに対する責め、脅しなど「力と支配」の行使を行う時、それは全てDVとなります。DVを治すのは容易でありませんが、下記のような専門家団体の力を借り、自分がパートナーに与えてしまったストレスにつきよく認識し、パートナーに謝罪し、行動を改めるという道筋で改善に至ることはできます。しかし、こうした自己中心性やDV的言動というのは一筋縄では治らず、一生課題として背負っていくことになると思います。」と書かれてある。
現在では体罰から肉体的暴力ばかりが注目されているが、「言葉の暴力」は非情な大きな暴力行為である事は確かだ。
 
言葉の暴力を行う者は主観的意識を強く持つ者であり、他者より強い立場にあるもの、或いは他者よりも強い権限を持つ者など。
更に、しっかりとした情報など得る事無く適当なイメージだけで個人を集団的に責めようとする者達ではないか。

 
肉体的暴力を受ける者は体に傷を負わされる事が殆どかもしもれず、心理面に強い傷を負わされる者は決して多くはないのではないだろうか。
だが精神的暴力である「言葉の暴力」を受ける被害者は肉体では無く、心理面に大きな傷を負わされる事は間違いない。それが深まっていけば肉体にも影響を及ぼす様になり、結局はどの様な状態へと追い込まれていく事となるのだろうか。
 
橋下は8日に教育委員会が発表した3日後に、個人への激しい非難と同時に100人体制での一斉調査を実行するとハッキリと表明した。
そして、この調査で最も重視されなければならなかったのは桜宮高のバスケ部の主将の自殺だった筈だ。この事を的確に追求し早急に明らかとしなければならない。
 
100人体制で一斉に調査をすると発言していたが、これらに関し実際どこまで調査を行っているのだろうか。これに関する情報など一切報じられていないと思えてならない。
一斉調査にはバスケ部の自殺の要因を最も早くに突き止めなければならないとされているのではないかと思うのだが、本日で11日も経っているが、実際にどこまで調査を行っているのだろうか。
 
橋下がバスケ部の主将自殺で発言している事はマスコミに報じられた事ばかりで、調査結果による発言がされているとは全く思われない。
となれば100人体制で行うと発言していた調査も実際に行われているのだろうか、疑問を強く感じさせられる様になる。100人体制で一斉に調査するとした発言は単なる思い付きではなかったのかと。
 
発言通りに素早く実行していれば、既にある程度の結果は出ているのではないかと思えるが、それに関する発表など一切ない。
故に、マスコミが当初に活発に非難報道していた時の記事などを利用し自分が行おうとしている事を強引に正当化しようとしているのではないかと思えてしまう。
 
橋下自身は12日に主将の遺族を訪れた時に、遺族から体罰と自殺に因果関係が有るかと問われた時に「ある」と答えたらしいが、どの様な関係があったのかを公開しているとは思われない。
果たして、どの様な事実を本として「ある」と発言していたのだろうか。

「ある」と断言できる事実が明らかとなっているのであれば、早々に会見などで公開していなければならないのではないかと思われるが、行われているとは思われない。
 
結局、橋下は記事に対しツイッターを書いている者達と同じ行為を行っているのではないだろうか。「言葉の暴力」を。
現在でも顧問と主将の自殺の因果関係など全く明らかとされていない状態だ。
主将がどの様な要因から自殺を意思し決断して実行したのか、未だに何も的確に明らかとはされていない。ただ体罰による自殺と決め付けられているだけだ。自殺の真実は何も明らかとされていない。

 
にも拘らず、体罰による自殺と決め付け個人だけでは無い、バスケ部のOBや現在の部員や受験生までも非難の的とし罵るように責め付け、激しい非難を繰り返す。
異常な状態に思えてならない。何故、OBや現在の部員、そして受験生までも責められなければならないのか。
何よりも決め付けている事が事実で無かったとすれば、これら「言葉の暴力」も脅迫罪など犯罪行為となるのではないか。
自分達の行っている精神的暴力に対しどの様な意識を持っているのだろう。
 
そして橋下は15日から突然に桜宮高の体育科、スポーツ健康科学課への入試を中止すると主張する様になり。結局、昨日21日に教育委員会により決定された。
だが、在校生や受験生だけでは無く保護者やその他の者達が激しく反論していた。

橋下はこれらの意見を全く無視し、市長の立場を利用し強引に入試中止へと持ち込んだ。
在校生や受験生など橋下に対し非常に弱い立場にある者達を完全に無視し、自分の主張を強引に決定させた。
更に反対する教育委員会や在校生や受験生などの意見など一切受け入れようとはせずに、逆に教育委員会に対し桜宮の運動部の顧問を行っている教職員への給与の人件費の執行停止を示し圧力を掛ける発言を行った。

これは在校生や入学を求める受験生だけでは無く委員会及び教師に対する完全な精神的暴力であり、橋下は暴力を激しく非難していたのに、自ら在校生や受験生など非情に立場の弱い者達へ実行した。
桜宮高から体罰=暴力を無くさなければならないと主張していたのに、自治体の首長であり教職員よりも暴力をより強く責められる立場にあるだろう橋下は、自分よりも遥かに弱い立場にある者達の心理を大きく傷付ける激しい暴力を行った。

 
主張と行動は全く一致していない。自分の行ったこの行動を橋下はどの様に意識しているのだろうか。
 
更に、昨夜に決定された体育科・スポーツ健康化学科の入試を中止し、新普通科へ変更するとされてあるがその中身は体育科・スポーツ健康化学科の入試内容と何ら変わりは無い。
教育委員長が主張していたようだが、完全な看板の掛け替えに過ぎない。

この教育委員会の決定を橋下は、「素晴らしい決定だ」と発言している。看板を掛け替えただけで、中身の変わらないこの決定のどこが素晴らしいのだろうか。
橋下は「体育科として募集はしないのだから、単なる看板の掛け替えじゃない。ベストの案だ」と発言している様だが、看板を掛け替えただけで中身は変わらない。単なる見せ掛けの行動に過ぎない。その為に多くの在学生や受験生が犠牲となっている。

 
要するにこれまでと同じ授業内容が実行される事になるんじゃないか。体育科として募集しないから、ベストとしているのだろうか。
結局は桜宮の体育系2科をどうしたいと思っているんだ。理解できない。
 
また、桜宮の運動部の顧問達を他校へ人事異動させる可能性もあるとされている。
となれば、悪評を付けられた桜宮の顧問を務めた教員達は他校へ異動し、他校より桜宮へ教員の異動が行われる事になるが、他校で教員として、或いは顧問していた者達に体罰は無かったという実証などは行うのだろうか。
もしも、他校に顧問として務めていた時に体罰を行っていた者が桜宮へ異動したならば、生徒の心理に大きな影響を及ぼす可能性があると思われるが、桜宮には結局は何ら変化など無いのではないか。
突然の入試中止といい、人事異動といい橋下の実行にどの様な意味があるのだろう。

何もあるとは思えない。単に在校生や受験生達に深い傷を負わせているだけじゃないかと思えてならない。
 
そして最も不快を感じさせる事は、橋下は市長であると同時に弁護士でもある事にある。弁護士であるならば、橋下も渡辺氏の書いている「公立の義務教育諸学校等の教育職員の給与等に関する特別措置法」などはしっかり把握していたのではないのか。
しかも大阪市長でもあるのだから、大阪市の条例より教職員の勤務時間がどの様に定められているかといった事もしっかりと理解していた筈だ。

よって条例により定められている勤務時間を越えた時点で教員としてでは無く、個人として自主的な活動を求めている事も把握していたのではないか。
だが、橋下は部活動の顧問を教諭と表現しているのかもしれない。教師が顧問活動を行っているとしているのかもしれない。

 
国法、更に大阪市の条例により教職員の勤務時間は定められており、それを超えれば教職員としての給与は支給されないとされているのだろう。
部活動の顧問を行う時には学校には関係はあるのかもしれないが、教師として扱われているのでは無く、個人として活動しているに過ぎない。
教師が顧問として活動していると発言しているのであれば、多くの者に大きな誤解を持たせる事となっているだろう。顧問として活動する時には、行政に保護される様な事など無く、あくまでも自主的に独立した行動を行っている事となる。
弁護士でもある橋下もこの様な事などしっかりと把握している筈だ。
 
単に桜宮高のバスケ部で起こった事態だけを取り上げ、桜宮高の体罰ばかりを非難する行動を起こしているとするなら、本当に大阪市全体の学校での体罰の根絶を図ろうとしているとは思われない。
何より1校だけの改革を図ったとしても、果たし手全体の改革という事が出来るのだろうか。そして、もしも全ての学校から教師に罰を与える権限が全く無くしてしまえば、学校は生徒にとって完全な無法地帯となってしまうのではないか。

橋下が行っている事が、果たして教育にどの様なメリットがあるのだろうか。
 
大きなデメリットは発生しようと、メリットが見られるようになるとは思えない。
橋下は真摯に学校、或いは教育の改革と言う事を行おうとしているのでは無く、単なる思い付きで行動していると思えてならない。
 
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昔から政治家には世襲が多いとされ、世襲したとされる議員を非難する事が当然の様になっている。
その影響を受けてだろうか、09年からの民主政権では有権者へ改革のイメージを持たせる為に世襲禁止を政権公約に加えられていたのだろうと思われる。

 
だが、民主政権となり民主党への信頼は大きく破壊された。故に、昨年の衆院選では民主のイメージをどこまでもぶっ壊さない事を意識してだと思うが、立候補者の世襲を強く禁じてたと思うが。
それにより、羽田元首相の息子であり野田内閣では国交相を任されていた羽田雄一郎の出馬が断念される事となっていた。
 
政治家の世襲を批判する要因としては、先代が作り上げた選挙地での支援基盤を利用して選挙に立候補する事により、他の世襲で無い新人議員よりも有利な立場で選挙に挑む事ができるイメージが強く持たれている。
 
この事に、政治家世襲が強く批判されているのではないか。だが、その支援基盤はあくまでも先代が作り上げた物であって、息子などが後を継ぐ様に立候補する時にも先代と同じ様に支援活動を行うのかもしれない。
選挙期間での活発な情報提供や選挙活動への支援など。対して、元から支援基盤を持ち得ていないだろう新人候補は確かに選挙活動においては不利な状態となるのかもしれない。
 
だが、国会議員を選択するのはあくまでも有権者であって、有権者の立候補者の選択に支援基盤が有るか否かなど関係無いと思われる。
先代が非常に優れた活動をしていた世襲とされる立候補者であっても、先代とは全く異なる個人である事に間違いは無い。先代が政治家であろうと無かろうと、その様な事など有権者には選択の要素などにはならない筈だ。
 
先代のイメージから選択するとすれば、立候補者達がどの様な個人でありどの様な政治活動を訴えているのか情報を客観的に的確に考慮し、どの立候補者に投票をするのかを判断しなければならない。
有権者は先代からのイメージなどでは無く立候補者その者を的確な判断により、誰を議員として選択し投票するかの選択を大きな責務として任されているのではないかと思うのだが。
 
政治家世襲であろうと無かろうと、政治家としての高い能力を持つ者も存在すれば、全く無能な者も存在するだろう。先代が実績を残し非常に優れた政治家と称されていようとも、後を継ぐ者も同じ様に優れた者とは限らない。
同じ様に優れた者もいるかもしれないし、全く無能な者もいるだろう。
と同時に、世襲でない者にも同じ事が言える。要するに政治家が世襲であるか否かなど、国会議員として選択する要素とは全く関わりの無い事は明らかだ。
 
なのに、一般の有権者は何故政治家で世襲が行われてはならないと決め付ける様になったのだろうか。不可思議に思えてならない。
国会議員などを選択する権利を持っているのは、国の主権者である国民の有権者である筈だ。
政治家の世襲はあってはならないと主張しながら、世襲する立候補者を国会議員として選択しているのは主権者である国民の有権者ではないのか。

 
世襲の立候補者を国会議員などに選択しておきながら、政治家の世襲を激しく非難する。
自分達の投票により当選した政治家世襲とされる議員達を批判する事は、自分達の責任を無視し議員達に転嫁している事ではないだろうか。
 
何よりも世襲とは何だろう。コトバンクなどで検索してみると「その家の地位・財産・職業などを子孫が代々受け継ぐこと。」と書かれてある。
 
歌舞伎などの芸能では当然の如く行われている事だと思うが、小さなサービス業などでも殆ど行われていることではないか。政界だけでは無く、民間でも活発に行われている事は間違いない。
ただ、政界とは異なり子供の頃より役者として修行されたり、親の商売に直接触れたりする事より強い関心を持つ様になり店の跡継ぎとなる事を目指そうとする者が出るのかもしれない。
 
政界の子供達は親より政治家として修行されたり、親の仕事に直接触れるような事はないんじゃないのかな。ただ、人としての成長と共に親の仕事に関心を持つ者も現れるのではないか。
だが政界に関心を持とうとはせずに別の世界を目指す者が多く出ているのかもしれない。逆にそうでなく親と同じ政治に直接関わる職務を行いたいと意識する者も現れるだろう。
 
そう思う者は単に親のすねかじりをするのでは無く、政治に関する学習をしっかり行う者も多くいるだろうし、親の秘書などとなり実体験を行おうとする者もいるのかもしれない。
そうして真剣に政治家を目指す者が多く存在している可能性は高いと思われる。
だが、単に親の真似して政治家になりたいと思い、先代のイメージなど利用して議員となっている者もいるのかもしれない。

 
その代表は、間違いなく鳩山由紀夫だろうな。
 
親と同じ仕事を目指すか否かは個人の自由である筈であり、他の者が束縛する権限など無い。
親と同じ政治家を目指し立候補した者達、或いは親とは関わり無く政治家を目指し立候補した者達の選択は有権者に託されているのだ。
 
多くの有権者は政治家の世襲を強く批判するが、批判する世襲の者を議員としているのは有権者の筈だ。
自ら政治家世襲の議員を誕生させて置きながら、自分達に託された責任などは一切無視し、自分達により誕生させた世襲の国会議員を批判する事は非常に可笑しい事ではないだろうか。
主権者である国民の有権者には立法を任せられる職務の者達の選択を託されており、立法・国政を任せるべき者を的確に選択すべき選挙には大きな責任があるのだから。
 
自分達が選択し国会議員とした者を、選挙で議員の選択を任されている有権者が世襲議員などと批判する事は大きな間違いが有るのではないか。

その様に思えてならない。
 


大阪市長である橋下がこれまでの主張を覆す発言をしていたな。橋下は、過去から体罰を容認する姿勢を取っていたと思うんだが、桜宮高で体罰が絡んだ生徒の自殺が発生した時に体罰を批判する様になる。
 
そのせいだろうか、桜宮高の体育系2科の入試を突然に中止すると言い出した。これは、これまで桜宮高の体育系への入学を希望していた中学生達の無視した行為を行おうとしているのではないだろうか。
桜宮高での騒動が発生しようと中学生達の希望に大きな変化など有り得ないだろう。体育系への入試を求めていた中学生達はそれを目指し入試学習を行っていた筈だ。
 
橋下にどの様な意図があるのか知らないが、子供達の希望をむしりと取ろうとしている事に間違いは無い。
これは体罰とされる懲戒では無く、橋下が行おうとしている事は懲戒では無く、突然に発奮した体罰問題に自分がマジで取り組んでいる様に見せたいと思っているだけなんじゃないか。入試を求める中学生の意思など一切無視して。
 
体罰という行為は、学習教育法11条において「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」と定められている。
 
だが文科省は「学校教育法第11条に規定する児童生徒の懲戒・体罰に関する考え方」において、体罰に関し「 児童生徒に対する有形力(目に見える物理的な力)の行使により行われた懲戒は、その一切が体罰として許されないというものではなく、裁判例においても、「いやしくも有形力の行使と見られる外形をもった行為は学校教育法上の懲戒行為としては一切許容されないとすることは、本来学校教育法の予想するところではない」としたもの(昭和56年4月1日東京高裁判決)、「生徒の心身の発達に応じて慎重な教育上の配慮のもとに行うべきであり、このような配慮のもとに行われる限りにおいては、状況に応じ一定の限度内で懲戒のための有形力の行使が許容される」としたもの(昭和60年2月22日浦和地裁判決)などがある。」とされている部分がある。
最高裁、地方裁の判例などに関し決して有形力(殴る・蹴る)による肉体的苦痛も一定の許容に関し認められるとしている。
 
また、「訴訟事例 2 教師の体罰・犯罪・その他の裁判」によれば、1963年に福岡県立・立田川東高校で担任教師の体罰の翌朝に倉庫で首吊り自殺を行った生徒がいるらしい。その時に級友に「先生の仕打ちをうらむ。死んでも忘れない」と書いた6通の手紙を書いていたらしい。
保護者が自殺は担任教師による体罰が原因として、慰謝料と謝罪広告を求め、好調と担任教師に民事訴訟を起こしている。福岡地裁は「担任教師の懲戒行為は限界を超えて違法」とするが、その事と自殺に因果関係は無いとしている。
 
控訴があったのだろう。福岡高裁は地裁が下した慰謝料の支払い命令だけを認めている。更に上告があったのだろう。最高裁は棄却をし、2審を支持している。最高裁は体罰或いは懲戒と自殺に因果関係はないと認めた事になる。
その判例が「違法な懲戒がされるに至ったいきさつや、男子生徒の態度からみて、担任教師は自分の懲戒によって男子生徒が自殺を決意することを予見することは困難だった」といった事らしいが。
 
1985年に岐阜県の中津商業で女子陸上部員が顧問の暴力的しごきや体罰を苦にし自殺したとして遺族が学校と陸上部顧問に対し損害賠償請求訴訟をする。「顧問教諭の侮蔑的発言は身体に対する侵害と併せて、生徒の名誉感情ないし自尊心を著しく害するものであって違法行為に該当する。
自殺という行為は最終的にはその人の意思決定によるものであるから、自殺を決意する可能性があると予見することはおよそ不可能。従って、教諭の違法な言動と生徒の自殺との間には相当因果関係は存在しない」としたらしい。
 
1994年には兵庫県龍野市・揖西西小で児童に体罰があったとして、遺族が龍野市に対し損害賠償訴訟を提訴する。神戸地裁は「殴打行為を懲戒権の行使とはせず、単なる暴力とした。
自殺と体罰の因果関係を認容。教師による体罰が自殺の原因として行政責任を認められたのは初めて。自殺したことに対しては過失相殺。」として、教員の体罰により自殺が行われたと判決された。
 
橋下は市長である前に弁護士でもある筈だ。故に、体罰・懲戒に関する多数の判例などは多く把握しているだろうし、当然最高裁の出した体罰に対する判例も把握している筈だ。
更に文科省の示す体罰の許容範囲も認識していたのではないのか。だからこそ、知事の頃より体罰の存在を強く主張していたのだろう。
 
だが、桜宮高での体罰と自殺が大きな話題となり問題視される様になったからだろうか、それまでの主張をあっさりと覆し体罰を批判する側に立った。
この時点で非常に無責任な姿勢ではないかと思えていたのだが、批判の側に立った事をより主張する為なのだろうか、突然に桜宮高野体育系への入試を禁じるとした。
 
その趣旨を「桜宮高を目指して頑張ってきた受験生、保護者の気持ちはよく分かるが、伝統をすべて断ち切るというところまでやらないと新しく生徒をお迎えするわけにはいかない」と発言している。
桜宮高とやらの伝統とは、一部の運動部の顧問による体罰だったのか。それ以外には学校としての伝統という事は何も無いのか。

 
何よりも自ら暴力と主張もしている体罰を伝統とするは桜宮高への非常な侮辱じゃないのか。その様な発言がよくも平気で出来る者だな。
 
更に非常に呆れまくったのだが、16日の産経新聞関西版にあるがバスケ部の主将が自殺した事を問題として、
 
-引用-
 
大阪市立桜宮高の男子バスケットボール部主将だった2年の男子生徒=当時(17)=が体罰を受けた翌日に自殺した問題で、体罰が確認された同校のバスケットボール部とバレーボール部の無期限活動停止が15日に決まった。バスケ、バレー部以外の全運動部も体罰の有無の調査が終わるまで停止となり、生徒らの間に動揺が広がっている。だが橋下徹市長は「仲間が死んだのだから、今何をすべきか考えてもらいたい。この状況で部活をやったら、人間としてはダメだ」などと理解を求めた。
 
-引用-
 
これに対し、
 
-引用-
 
 野球部の男子部員は自宅周辺での筋力トレーニング、走り込みをして活動再開を待つ。「仕方ないとは思うが、本当は早く部活をやりたい」と漏らした。
 
 また運動系の部に所属する女子部員の保護者によると、女子部員は「これだけの事態になってるのは分かっているけど、問題が起きたわけではないのに…」と落ち込んだ様子で話していたという。
 
 こうした状況にバスケ部の男子部員は「この問題はバスケ部の問題で、他のクラブには関係ない。自分たちが練習したくてもできない状況はしかたないが、どうして、他のクラブにまで影響するようなやり方をするのか。僕たちの思いや言い分も聞いてほしい」と訴えていた。
 
-引用-
 
そして橋下は改めて強調する様に「仲間が死んだのだから、今何をすべきか考えてもらいたい。この状況で部活をやったら上手くなるかもしれないが、人間としてはダメだ。それを言うのが教育だ」と15日の会見で語っていたらしい。
 
運動部の生徒達は大きな動揺を受けているのだろう。バスケ部の一人の生徒が自殺したからといって、どうしてバスケ部以外の自分達の部活動までが禁止されなければならないのだろうか。
バスケ部やバレー部だけで無く、その他の部活で活動する生徒達の意思を全く無視した行為だと思えてならない。自分が全うな主導を行っていると見せかける為に、桜宮高の生徒を利用しているんじゃないか。
 
橋下は「この状況で部活をやったら上手くなるかもしれないが、人間としてはダメだ。それを言うのが教育だ」と語るが、これは桜宮高の運動部で活動する生徒達の意思と自由の剥奪じゃないか。この様な行為が教育などとは到底思えない。
 
まして、バスケ部の主将の自殺に関しては一人の人間ばかりが非難される様になってしまっているが、実際に顧問とされる者が行った体罰と主将の自殺にどの様な因果関係が存在しているのだろうか。
 
まず、バスケ部の生徒達から「顧問は辞めろ」「辞職しろ」或いは「自首しろ」などといった非難の声は発生しているのだろうか。
そして主将の自殺の前日には30発から40発も殴られていたとの発言もあるが、これもバスケ部の者達から発言されているのだろうか。

 
何よりも殴り合いの経験のある者なら、30発・40発殴る事をどの様に意識したのだろう。バスケ部の生徒からびんた(平手打ち)されただけで、直立できず体が飛ばされてしまうと発言されていた筈だ。
それだけ顧問の者の腕には強い力があったという事だろう。
 
となればびんたでは無く殴られた場合、一体どうなるのだろう。喧嘩の場合でも10発程度殴りあっただけでもかなり痛い思いをさせられる事は間違いない。
主将は殴られるだけで抵抗などしなかったとされているんじゃないか。抵抗したといった発言は全く報じられていないのだから。
なんら抵抗する事無く、殴られるばかりでいれば顔がはれる程度ではすまないだろう。口の中は切られ、歯の一本や2本が折られ、その場で気絶していても可笑しくはない。

 
更には救急車が呼ばれる事態となっていても可笑しくはない。実際に仲間が殺されるかもしれないその様な場を見ていたとすれば、どの様な気持ちとなるのだろう。じっとしていられたのだろうか。
ただ恐怖心ばかりが高まり、動く事など一切出来なかったのだろうか。その様な事などあり得ないと思うのだが。
 
12日の毎日新聞に書かれているが、「学校が実施したバスケ部の生徒と保護者へのアンケートの回答に「試合を早くしたい」「顧問の指導を受けたい」などの言葉が並んでいた」とされている。対し橋下は「ちょっと異常。冷静になってほしい」と発言したらしいが、生徒達というよりも部員達は正直な気持ちを語っているだけでは無いかと思うのだが。
 
それを、非常に問題視される様になった「体罰と自殺」を否定する事から部員達の意思を無視し、自分の主張を正当化する為に発言していたと思えてならない。
橋下は今回の「体罰と自殺」をどの様に意識しているのだろうか。
 
教育の問題として取り上げているとは思えない。本当にそうだと思っているなら、入試を目指していた中学生や部活での活動を望む生徒達の意思を剥奪する必要などは無い。
 
片方ばかりに目を向けた行動を取ろうとしているが、体罰を行っていたとする顧問ばかりに目を向けるのでは無く、受けていたとされる生徒達にも目を向けなければならない。
だが、マスコミも顧問ばかりに目を向け生徒の意思の確認と報道を行っているとは思えない。
橋下も同じだろう。顧問ばかりに目を向け、激しい非難をする。だが、顧問と共に部活動を行なっていた生徒達の意思をどこまで把握しているのだろうか。
単に体罰を受けていたから被害者だとする者が多いが、橋下も同じ類ではないのか。
 
真摯にこの問題に取り組もうとするなら、顧問の行っていたとする体罰ばかりに目を向けるのでは無く、その顧問と共に部活動を行っていた生徒達の顧問の行動、指導、顧問自身への意識もしっかりと調査し把握しなければならない筈だ。
だが、だが体罰を大きな問題としている橋下に果たしてその様な意識はあるのか。
 
決して教育問題として真意に扱おうとしているとは思えない。
ただ、全国の世間より大きな話題とされている桜宮高を自分をアピールする為に利用しているとしか思えない。
 


体罰に対してあいも変わらず非難の声が溢れまくっているが、今日の昼に一寸見た「ひるおび」でちょうど体罰の討論がされていた。
その中にはスポーツジャーナリストの玉木宏之やバレーの河合、野球の金村などが参加していた。
ここでも反論の声が出まくるんだろうなと思っていたが、思った通り。ただ、非常に不快感を感じる発言や疑問を思わせる発言もあった。
 
特に不快感と言うよりも怒りを感じさせられたのが、玉木の発言。アメリカには高校でのクラブ活動は無く、スポーツクラブで活動を行っている。
だから全国大会も無い。そして、日本の高校野球はレベルが低いと発言していた筈だ。最後の高校野球のレベルが低いと言う発言に、不快感と強い怒りを感じさせられた。
 
高校野球のレベルが低いというのは何を根拠として発言しているのだろうか。毎年の甲子園では、必ず優れた選手が登場しているのではないかと思えるが。
まして各地域の予選大会を勝ち抜いて出場権を得た高校野球部による選手権。甲子園を目指し頑張って激しい練習に挑み、技術を磨き出場の権利を得た高校球児達を非常に侮辱する発言ではないのだろうか。
 
玉木は自身のブログで今月9日に「「罰」の存在によってスポーツが強くなるのはレベルが極めて低いスポーツの世界だけの話。」と書いている。
そして2005年のブログにはスポーツを基本的に楽しいものであり、遊びだとし、これにより個人が自発的に行おうとするものとしているみたいだ。
だが高校野球などは基本を無視し強制的に指導している事から個人の行おうとする意識は薄れ、言われるがままに行う様になってしまう。
故に、レベルは低いとしているのだろうか。
 
だが、これは大きな勘違いじゃないのか。どの部活に参加している生徒達もそうだろうが、その競技が好きだから参加しているんだろうし、個人として或いはチームの一員としてチームの強化に関わりたいだろうし自分の技術も高めて行きたいと意識しているのではないだろうか。
 
だから、監督などの指導が正しいと意識されればどの様に厳しくとも従おうとするんじゃないか。それにより優れた選手が毎年必ず誕生しているのだろうし、現在の指導により高校野球のレベルが下げられているとは到底思えない。
甲子園での初戦からの試合によってはチーム力に差を感じさせられる試合もあるかもしれないが、ベスト8からベスト4そして決勝に残るチームは必ずレベルの高いチームが残っている筈だ。
 
故にプロ野球のドラフト会議でも甲子園に出場した選手だけでは無い、地方大会で敗れたチームからも上位に指名される選手は多い。その中には大きな逸材も存在している筈であり、何故、高校野球の球児達はレベルが低いと言われなければならないんだ。
高校野球だけでは無く、高校球児に対する侮辱ではないかと思えてしまう。
 
また討論の中で、試合中にも殴ったり蹴ったりの体罰が行われているといった事が、金村などより言われていたんじゃなかったかと思われるが。そんな馬鹿げた事が本当にあるんだろうか。
 
どのスポーツの部活でも大会以前の練習で選手が技術の習得など行わない時に、監督が厳しい指導をしたり罰を与える事により向上心を高めると言った事は活発に行われているのかもしれない。それによりチームの強化は行われているのではないか。
 
単に決まりきった練習を適当に繰り返すだけの練習を行っていてチームの強化を行う事は可能なのだろうか。選手達にその様な意欲が無ければそれでもいいのかもしれない。だが、選手達に強くなりたい。勝てるチームを作りたいと言う強い意思があれば、どの様な厳しい指導にも耐える、従って行こうとする意思はある筈だ。
 
そして大会出場をし、勝ちたいと思いプレーする選手達はこれまでの練習によって得てきた技術を懸命に出し戦おうとしている。
その場で選手達にどの様な戦い方をすべきか指導する事が、練習で厳しい指導を行っていた監督などの責任なのではないかか。
 
選手達がそれまでの練習の成果を出し、試合に勝てる様に、例え目的と結果が異なっても力を出し切る様に指導しなければ成らない。
勝てば選手達と共に喜び、敗れれば選手達に感情をぶつけるのでは無く、共に悔しがり選手達の悔しい思いを宥めているのではないだろうか。これも監督として指導者としての責任の一環だろう。
 
だが、討論ではその様な事など語られず、試合中にも体罰が行われていたと強調していた。だが、試合中にその様な事などして一体どの様なメリットがあるのだろうか。
 
試合を行っている選手達の大事な体力を減少させる事にもなってしまうではないか。試合に勝つ事を重視しその場で選手達を指導しているのであれば、全く意味の無い事だ。その様な馬鹿げた事を試合の場でやっている者は本当に存在しているのだろうか。
 
その様な者が存在しているとは全く思えないのだが。だが討論に参加していた中から金村が発言していたのではないかと思えるのだが。
自分の記憶に間違いは無いと思うが、この事にも強い疑問を感じられてならない。テレビメディアの発言には大きな責任がある。
本当に事実を把握した上で発言しているのか。現在の現場を見て発言しているのか。
 
その様な事など無く、思い付きで発言していたとすれば、非常に無責任な討論が行われていた事は間違いない。ジャーナリストやコメンテーターとしてどの様な責任感を持って体罰の討論に参加していたのだろうかと思えてならない。
 
またPL学園OBの桑田が体罰に関して、自分は高校時代に受けていないと発言した事が高く評価されているが、「ひるおび」でも紹介されていた。だが、実際はどうなんだろう。
 
現在はどうなのか知らないが、過去のPL学園では下級生が上級生の付き人となっていた事実があるらしい。その為なのだろうか、過去のPL学園では上級生から下級生への暴行が日常的に行われていたらしいが。
更に「都築夕のブログ」では著書「PL学園OBはなぜプロ野球で成功する」の一部を綴っているみたいだが、複数の選手の発言が紹介されているが野球部は非常に厳しい状況であったことが語られている。
 
清原は「あの一年生に戻るのはもう無理」とも発言しているみたいだが。桑田が高校時代に現在では暴力や暴行と称されている体罰を受けた事はないのだろうか。体罰と言うのは決して指導者だけが行う行為では無い筈だ。
クラブ活動では上級生から下級生に対しても指導は行われる。その時に指導者と同じ様な体罰と言う行為が行われる可能性は高い。
 
8日に教育委員会がバスケ部で体罰があった事が発表されてから、主に体罰への非難の声が沸きあがっているが擁護の声も上がっている事は間違いない。
体罰に関しどの様な考え方を持とうが人々の勝手だが、発言するからには感情的では無く冷静に客観的に発言する事が必要なのではないのだろうか。
でなければ、体罰に対する煽りに乗じて無責任にも感情だけで発言しているだけではないのか。特に、「ひるおび」に出ていたコメンテーター達にその事を強く感じさせられた。
 
そして何日なのか分らないが、毎日新聞によると学校はバスケ部の生徒と保護者にアンケートを行っていたらしい。
その結果を橋下が12日に明らかとしていたらしいが、「「試合を早くしたい」「顧問の指導を受けたい」などの言葉が並んでいたことを明らかにし、「ちょっと異常。冷静になってほしい」と呼び掛けた。」らしい様だ。
 
この記事は幾つかの2chに掲載されているが、「試合を早くしたい」「顧問の指導を受けたい」と答えた生徒達を異常とする者が多いみたいだ。
 


自・公政権による安倍内閣は政策の一つとして消費税増税を取り上げている。
景気状況が良い段階になろうと消費税を大きく上げられる事は、富裕層ではどの様な影響があるのか分らないが、日々の生活にも節約を徹している低所得世帯にとっては増税させられる事は決して楽な事でない。
景気状況が良くなって行こうとも、増税により生活状況が苦しくなっていく可能性は高い。

 
その事を考慮してだろうか、自・公政権は消費税増税による低所得対策として「軽減税率」を導入しようとしているみたいだ。
 
「軽減税率」とは何か。はてなキーワードによれば、「本来の標準税率より低い税率を指す」とあるが、欧州などでは既に活用されている筈であり、主に食料品を対象として活用していないだろうか。
低所得世帯にとって最も身近な買い物である食料品の増税は間違いなく生活に大きな影響を及ぼすもので、これまで購入できていたものが出来なくなる可能性もある。
 
よって、より苦しい生活を強いられる事になる。故に欧州に習い、低所得世帯を対象として「軽減税率」の導入を考慮しているのではないだろうか。
 
景気状況は良くなろうと、全体に効果をもたらす事でなければ、その経済政策は決して成功したとはいえないだろう。
一部の世帯を見捨て行うのでは無く、全国民を対象として行わなければならない筈だ。
富裕層から低所得世帯を公平性を期す為に水平公平に課税を行う消費税の増税を行えば、全ての世帯に消費増税の公平な課税を強いる事となってしまう。
 
富裕層と低所得世帯には大きな所得差がある事は明らかであり、この所得差を考慮する事無くただ消費増税を行えば低所得世帯に新たな負荷が掛かる事は間違いないだろう。
よって、富裕層と低所得者の所得差を考慮すれば「軽減税率」の導入を積極的に進めようとする事に間違いはないだろう。
それも、決して食料品に限らず低所得者の生活費に関わる公共なども対象とすべきではないか。
 
だが、この「軽減税率」の導入に反する政党が存在している様だ。消費税に関し2分に別れ、政権政党でありながら党内で馬鹿みたいに争っていた民主党。
現在の代表である海江田が「軽減税率にすると、税収が抜け落ちる。
不足分をどうするのか。また消費税を上げるのか」と批判し、「低所得の方々には1回お店で消費税を払ってもらうが、消費税が上がった分に相当するくらいの金額はあとから戻す。一番これが合理的だ」と主張する。
 
確かに公平税収が求められる所得増税を行いながら「軽減税率」の導入を行えば低所得者からの税収不足となるのかもしれないが、低所得者への対策をしっかりと行わなければ生活を圧迫する事となり同じ様な状況となるのではないだろうか。
そして海江田は「低所得の方々には1回お店で消費税を払ってもらうが、消費税が上がった分に相当するくらいの金額はあとから戻す。一番これが合理的だ」と発言しているが、意味が分らない。
 
低所得者にも富裕層と同じ税率の消費税を買い物の時などには支払ってもらうが、税率が上がった分に相当する金額は後から戻すとしているが、それぞれの世帯は異なる買い物をする事により異なる消費税の支払いを行っているのではないだろうか。
この世帯の消費税の支払額の違いをどの様に調べ結果を出し、それぞれの世帯にどの様に戻すと言うのだろうか。
 
何よりも最初の段階では全ての世帯に公平に消費税の支払いを求めながら、後から低所得者に対し税率が上がった分に相当する金額を戻すと言う事は、海江田が批判する「軽減税率」と同じ結果となるのではないのだろうか。
 
「軽減税理」では最初の段階より普通の税率とは低い税率を設置し低所得者の生活への影響を軽減しようとする事だろうし、海江田も自・公政権を批判しながら結局は同じ事を主張しているのではないのか。
何よりも後から相当する金額を戻すにはどの様な手段を取らなければならないのだろう。

非常に手間と費用を及ぼす作業を行わなければならなくなるのではないかと思えてならないし、その様な事をすれば民主党が政権交代の前より訴えていた税の無駄遣いを正すに反する行為を行う事になるんじゃないのか。
民主政権となってからも同じ様な事を訴えていたと思うのだが、本気で訴えていたのか。
その様な訳など無いよな。
本当にその様にしなければならない意識があり、その為の政策を実行していたなら財政状況が政権交代前より急激に悪化する様な事などあり得ない。

 
逆に状況は改善されていなければならなかったろうし、経済状況などにも変化が見られなければならなかった筈だ。
 
だがその様な傾向など一切見られる事など無かった。税の無駄遣いを無くすのでは無く、逆に活発に無駄使いを行っていたのではないのか。
 
大きな事を訴えておきながら、実際には何もやろうとはしなかった、と言うよりも何も出来なかった政党の者達に税制や経済政策に関し何も反論する資格など無いだろう。
全く馬鹿げた反論など行ってもらいたくなど無い。


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