思い、そして感じた事をそのまま
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橋下は自分に関する事に多くの税を利用し、逆に市民の生活に関する事は削っていく。理解できない首長だ。
大阪市内の朝鮮学校への補助金不支給を決めた橋下徹市長は22日、私立幼稚園・小中高校計179校園への補助金も新年度から廃止する方針を明らかにした。
市役所で報道陣の質問に答えた。
府内の私立校園への助成は大阪府が中心になって担っているが、市も1961年度から、私立校園の設備費や教具購入費などの一部支援のため、府とは別に補助金を交付。2011年度は179校園に計約2700万円を支給した。
しかし、橋下市長は「私学助成は府が手当てしている。市はこれまで行政的な慣行で何も考えずに払ってきただけだ」と従来の対応を批判し、12年度予算では計上しない方針を示した。
私学関係者は「学校によっては画用紙などの教具が買えなくなり、影響がでてくる。市が市民のために補助していた制度で、府が払えばいいというのは発想が違う」と反発している。
(読売新聞2012/03/22)
平松前市長は市政の相談役だろう3人のブレーンを用意していたらしいが、橋下は大増員し現在では50人ものブレーンを用意しているらしい。これらの者に月に何回行動してもらっているのか知らないが、ブレーンに対する日額が2万2000から5万5000も支払い、更に交通費(実費)、宿泊費(一泊1万9000円)も支給されているらしい。
大阪市の橋下徹市長が昨年12月の就任以降、ブレーンとして民間人から任用している特別顧問・特別参与が計50人に上り、報酬も市長就任前の2倍以上に引き上げられたことが分かった。職員給与は来年度から平均7%カットするが、「(ブレーンは)しかるべき待遇をしないといけない」との理由から、拘束時間の長さによって日額2万~5万円台を支給。顧問・参与は政策決定過程に深く関与しており、重用ぶりが際立っている。
市政策企画室によると、09年に作成した要綱では特別顧問の謝礼は日額2万4500円だった。昨年12月に大阪府の当時の水準に合わせて改定し、拘束時間によって日額2万2000~3万3000円にした。更に今年2月、大阪府とともに同2万2000~5万5000円に引き上げた。交通費(実費)、宿泊費(1泊1万900円)も支給される。
会議などの準備にかかった時間も状況に応じて報酬が支払われている。府市統合本部関係で昨年12月~今年2月に支払われた報酬総額(交通費、宿泊費含む)は約644万円で、府市で折半している。これ以外に、市関係だけで12~1月の報酬総額(同)は約99万円(特別顧問のみ)だった。
市長に政策的、専門的立場から助言を行う特別顧問は、平松邦夫前市長時代の3人から大幅に増員し、現在16人。堺屋太一・元経済企画庁長官をはじめ、元官僚の古賀茂明氏や原英史氏、建築家の安藤忠雄氏ら多彩な顔触れがそろう。局長が委嘱する特別参与は34人で、弁護士や公認会計士、医師らがより実務的な立場からアドバイスしている。
特別顧問・特別参与は、区政改革やエネルギー問題、職員の政治・組合活動の調査など、それぞれの担当分野で活動。府市統合本部では特別顧問が実質的に議論を主導している。
(毎日新聞2012/03/20)
ブレーンに対する支給額は平松前市長の時には、2万4千500に確定されていたのだろう。それを、なぜ府の水準に合わせる必要があったのか分からないが、最大3万3千まで増加していった。更に3月から、更に最大額を増加すると共に交通費や宿泊費まで支給される様にしている。
市政に関して税を活発に活用しなければならないだろうに、本当に市政の為に活動しているか否か分からない自分の相談役であるると同時に支持する集団だろうブレーンへの支給増加を行っている。
府市統合本部関係で、昨年12月から今年2月までに支払われたのが約644万。大阪市だと12月から1月の僅か2ヶ月に特別顧問に99万の支給が行われている。特別顧問は16人。参与は34人。
市政に関して税を活発に活用しなければならないだろうに、本当に市政の為に活動しているか否か分からない自分の相談役であるると同時に支持する集団だろうブレーンへの支給増加を行っている。
府市統合本部関係で、昨年12月から今年2月までに支払われたのが約644万。大阪市だと12月から1月の僅か2ヶ月に特別顧問に99万の支給が行われている。特別顧問は16人。参与は34人。
単純な計算だが2月までのブレーン集団への月平均の支給額は、府市統合が216万7千円となるのだろうか。市でも14人だけの特別顧問への支給が45万5千円となる。
3月からは支給額が大幅に増加されていく可能性がある。その支給は府市の税金によって行われているだろう。
橋下にとっては、この特別顧問や特別参与が重要な存在なのかもしれない。だから、多くの税を支給していこうとしているんだろうな。
だが、府民や市民など住民にとってこれらブレーンなどが一体どの様な存在となっているのだろうか。ただ橋下の要望に応えるように、活動しているだけで、住民などにとっては余計な存在なのかもしれない。
こういった者達への支給は増加する様だが、首長として本当に重視しなければならない筈の住民生活に関わる事への支給は削除しようとしている。
昨年には179校への私立校園への補助金2千700万円を廃止するとした。そうする事により、教育への影響も出てくると私立からの訴えが出始めている。この補助金の廃止は住民の生活に悪影響をもたらす事は間違い無いだろう。
橋下は私学助成は府が担当しており、「市はこれまで行政的な慣行で何も考えずに払ってきただけだ」としているが、そんな事は無いだろう。府だけの補助金では足りないと判断したからこそ、昔からの慣わし云々など関係無く、市からも支給する必要があると判断したからこそ行ってきていたのではないのか。
因みに、勝手な計算で2月までのブレーン集団への支給の一月の平均額を出してみれば、府市統合に対する支給額は216万7000円、市では特別顧問だけで45万5千となる。また、更に単純な計算を繰り返してみると、2月までの平均額を12ヶ月続けた場合、府市統合及び市からの支給額は、2千600万4千円+546万となる。合計が3千146万4千円となるだろうか。だが新年度からの12ヶ月では、この単純な計算結果よりも大幅に増加される事は間違いないだろう。
私立への補助金廃止は、自分のブレーンへの支給を賄う為に行おうとしているのではないか。その様に思えてならない。完全に住民生活を無視した行政だ。橋下という者は、首長としてこの様な行政を行う事を全く恥ずかしいとは思わないのだろうか。
首長というのは、住民生活の安定した環境整備を求める事が本来の業務ではないのか。だが、そういった事など一切無視し、自分に都合のいい事ばかりに目を向けようとしている。まさに、民意を無視した行為を平気で行おうとしている。
自分は民意で当選させられたんだと吐きまくっていたのに、橋下は自分を当選させた住民の生活への意識を無視し、自分の思想を求めようとしているだけではないのか。これは住民に対する完全な詐欺行為であり、昨年の選挙で投票した人々からも全く信用する事のできない者と意識される様になっているのではないだろうか。
だが、橋下は住民達がどの様な意識を持つ様になろうと、全く気にする事はないのかもしれない。
だが、橋下は住民達がどの様な意識を持つ様になろうと、全く気にする事はないのかもしれない。
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橋下は何から何まで自分の思い通りにしたがるんだな。
大阪市の橋下徹市長は、20日に出演した民放のテレビ番組で、高校の卒業式で国歌斉唱時に手を前に組んだり、マスクをつけたりした教員がいたことを取り上げ、「国際社会においてそれは非礼。当たり前のルールを教育現場でやらないと、子供たちのためにならない」と批判した。
大阪府、大阪市では、学校行事の際、教職員に国歌の起立斉唱を義務付けた条例が成立している。大阪府教委は今春の府立学校209校の卒業式で、職務命令に反して国歌斉唱の際に起立しなかった教職員が29人(21校)だったと発表していた。
また、橋下市長は、教育委員を選挙で選ぶことについての意見を問われ、「財源の確保まで責任を負ってやってくれる教育委員が誕生するなら、直接の選挙もありだ」と述べた。
(産経新聞2012/03/21)
最高裁は起立の職務命令に関しては、第十九条「思想及び良心の自由は、これを犯してはならない」を制約するも必要としているが、「手を前に組むな」、「マスクを付けるな」。そんな事までも制約の必要があるとしているのだろうか。
何よりも何故「マスクを付けるな」などと強制されなければならないんだ。現在では、花粉症などが活発に発生している時期の筈だ。その症状を抑える為に、多くの者がマスクを使用している。
或いは風邪をひいている者もいるのかもしれない。マスクを付けるのは、誰もが健康維持の為、或いは他の者に迷惑を掛けない様にと利用するという事が常識なのではないのか。橋下には、この様な意識など全く無いのか。
更に「国際社会においてそれは非礼」と発言しているが、国際社会の卒業式などの式典では「手を前に組んではならない」、「マスクを付けてはならない」といった事が常識となっているというのか。
いい加減にしてもらいたいものだ。国際社会では、逆に卒業式で国歌斉唱が義務付けられているといった国はどれだけあるんだろう。それらを行うか否かなど、自由に判断すればいいとしている国家が多いのではないのか。
Wikipedeaでの「国旗及び国歌に関する法律」の中に「日本で展開されている国旗・国歌に関する論争は、民主主義・社会主義といった国家の枠組みや思想信条を超え、日本以外の国で確認されておらず、世界的に、事実上、日本固有の論争となっている」とある。
また、Afternoon Cafeの「中高生にもわかる日の丸君が代プチ問答集(12) (お詫びと訂正有り)」では秋原葉月氏は「明らかに反民主主義的なファシズムを浸透させるのに用いられた歌をそのまま引き継ぎ、しかもその歌を強要されるのは、民主主義国家を標榜する国の中では日本だけと言っていいです。
そして多くの日本人が、それは「世界の常識なのだ」と思い込まされていますが、実は強制しようとするのは中国、北朝鮮のような非民主国家だけ。民主主義国家でそのような国はありません」と書かれているし、「中高生にもわかる日の丸君が代プチ問答集(11)」には欧米、アジア諸国の国歌斉唱に関する常識が書かれている。
橋下が強制しようとしている卒業式などの式典で国歌斉唱などを強制しているのは中国、更には同じ独裁国家である北朝鮮だけなのかもしれない。卒業式などの式典を行っていない国もあるらしいではないか。
卒業式という式典を行う、その場での教職員の起立、更には個人の健康までも無視した「マスクを付ける事も許さない」などのどこが、世界社会の常識であり当たり前の事だとして、「マスクを付けていた」教職員までもが世界社会への比例と非難されなければならないんだ。
橋下の発言は、単に非常と思えてならない。日本国憲法第十九条を完全に否定し、独裁社会或いは独裁国家を目指しているとしか思えない。大阪市、或いは日本国までも自分の思い通りにしたいといった呆れ返った欲望を持つ者としか理解できない。
読売新聞の会長である渡辺恒雄が文芸春愁により橋下を「アドルフ・ヒトラー」と称したらしいが、まさにその通りだな。ヒトラーが支配していたドイツ、スターリンによる旧ソ連、現在の中国。日本をそういった国とする事を目的とし、ヒトラーやスターリンに憧れ目標としているのかもしれない。
ニコニコニュースにNEWSポストセブンの記事「君が代不起立教諭 『抵抗教員に上から圧力。精神的に参る』」が掲載され、多くのツイートがされている。
だが、書かれているツイートを見てみると、国歌斉唱は公務員ばかりが義務付けられている事であり、それ以外の者は拒否権を持っているかの様に書かれている物が多い。異常に思えてならない。
そして、教員なら起立斉唱は絶対的義務だと主張している者が多い。だが教員、或いは公務員でなければ、起立斉唱は義務では無い。拒否権も許されるといった主張を平然と書いている。
どうしてこんな事が当たり前なんだと主張する事が出来るのだろうか。考え方は個々人の自由の筈であり、その自由は公務員以外の者だけに許されるといった区切りは無い筈だ。
公務に勤める者であれ、その他の者であれ全て一人の国民として認められている筈であり、平等の視点を持って見なくてはならないのではないのか。なのに、差別するかの様に公務に勤める者は国歌斉唱の義務があるとし、以外の者には拒否する権利があるとする。
では、公務に勤める者には国歌斉唱が義務付けられていると何故言い切れるのだろう。その一つの理由として、「公務員は、税金を受け取っているから」としている。
確かに、公務に勤める者達の給与は税金により賄われているのかもしれない。だが、他の国民と同じ様に国民の義務として、税金を支払う事を命じられている筈だ。他の国民と同じ様に、国民としての義務を果たしている筈であり、給与も他の国民からの税金のみにより支払われているのでは無く、自分達の支払った税も含まれているのではないか。
教職員の起立斉唱に関する最高裁の複数の判決では、校長などの職務命令は合憲としている。だが、教職員が職務命令に従う事により卒業・入学などの式典が円滑に行われる事を優先とし、教員の起立は憲法第十九条の思想・良心の自由を制約するとしている。
教育上の行事を円滑に行う為には、教職員の思想、良心の自由が間接的に制約される事は合憲としている。
だが、これら判決の原告、被告は教職員と自治体が殆どであり、公務に勤める者全てが「思想、良心の自由」を間接的に制約される事を合意とはしていない。この複数の裁判の原告、被告の両者は共に公務に勤める者達。
公務に勤めるか否かは関わり無く、一つの重要な行事や式典において国歌斉唱などの職務命令が出されたのであれば、円滑に進める為には教員の思想・良心の自由を制約する事も合憲としているのではないだろうか。
更に、2004年の園遊会で東京都教育委員会委員でもあった将棋棋士の米長邦雄が今上天皇陛下へ国歌斉唱などに関し問うた時に陛下は「やはり、強制になるということでないことが望ましいですね」と答えられた。
この問答を翌年の会見で米長邦雄は陛下から受けた答えを「世界の国々が国旗、国歌を持っており、国旗、国歌を重んじることを学校で教えることは大切なことだと思います。国旗、国歌は国を象徴するものと考えられ、それらに対する国民の気持ちが大事にされなければなりません。オリンピックでは優勝選手が日章旗を持ってウィニングランをする姿が見られます。選手の喜びの表情の中には、強制された姿はありません。国旗、国歌については、国民一人一人の中で考えられていくことが望ましいと考えます」と語ったらしい。
陛下は国旗、国家をどの様に意識するかを強制されるのでは無く、国民一人一人が自らの心の中で考えることが望ましいと語られている。非常に重たい言葉ではないだろうか。
「君が代不起立教諭 『抵抗教員に上から圧力。精神的に参る』」にツイッターを書いている者達は、いい者にでもなったつもりで適当に書いているのだろうか。
これらのツイートの中には、「おいおい普通の日本人なら歌うよ、歌わないとなるとこりゃ在日ですかな 自分のことだけ考えて周りに迷惑かけるとかさすが」といった事を書いている者もいた。
思わず感情的となり、「歌わなければ日本人でない。無ければ在日だ。何時から、国家は絶対斉唱と定められているんだ。」とかいた。一部文字を間違えてしまっていたが。
普通の日本人というのは、当然の事だと思うが日本国籍を持つ全ての者を示しているのだろうと思える。だが、果たして全ての日本人は国家を歌える事が出来るのだろうか、絶対に歌わなければならないという意識を持っているのだろうか。
自分は流れている時には、しっかり聞かなくてはならないという意識は強く持っているが、歌う事は出来ない。なぜなら、「君が代」の歌詞を完全に把握していないから。メロディーが流れても、聞く事は出来ても歌う事は出来ない。
一人の一つのツイートによれば、自分は日本人では無く、在日と勝手に決め付けられる事となってしまう。書いた本人にはどの様な意識があったのか知らないが、自分と同じく歌う事が出来ない者を日本人ではないと言い切っている。
ちゃんと自分の言葉に責任を持って書いているんだろうか。その様には全く思えないが。公務か否かなど関係無く、君が代を歌わないとする日本人全体を愚弄しまくっているとしか思えない。「歌わなければ日本人でない。無ければ在日だ」。この言葉への激しい怒りが治まらない。
人によっては、何とも思わない、どころか賛同する者もいるんだろうがな。
ちなみにこのツイートは家紋マークで「人として当たり前の事が出来なくて政治にまで迷惑かけている時点で人間失格。」と書いてるとこから4つ上にある。
更に、教員で国歌斉唱を行わない者は全て日本から出て行け、或いは日本人ではないとする者も多くいる。
なた、公立の教員だから国歌斉唱をしなければならない。したくなければ私立へ行けばいい。そうすれば、拒否する事ができるといった事を書いている者も多くいる。要するに国歌斉唱の義務は、公立学校の教員だけに掛けられ、公務で在るか無いかの違いはあるが同じ教員という職を務めているのに、私立の教員には掛けられていないとしている。
確かに、都道府県の教育委員会が職務命令を出せるのは公立の学校だけであり、私立の学校に命ずる事は出来ない。
だが、橋下だけでは無い、東京の石原も学校の卒業式などでは教員などによる国歌斉唱もされなければならないとし、教員にもその義務があるだろうと主張していたのではなかったろうか。これらの主張に多くの者が賛同し、「不起立の教員は在日」、「日本を去れ」、「半島へ行け」などと激しく罵倒が繰り返されているのだろう。
全く合点のいかない事だ。公立の学校では不起立など行ってはならないが、私立では自由に出来る。と言う事は、公立の学校での式典は円滑に進めなければならないが、私立では決してそうではない。まとまりの無い卒業・入学式が行われてもいいというのだろうか。
教育委員会は国歌斉唱などの職務命令を行わなければならないが、学校理事会などは全く自由という事なのだろうな。自治体の長は学校理事会へ同じ様にする事を要求していないのだろうから。だが、公立・私立の違いはあれど同じ学校である事に間違いは無い。
ただ橋下は大阪府知事の時に「入学式や卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱は学習指導要領で規定されており、私立においても適切に実施されるよう強く求めていく。子どもたちが歌えないのは私たちの責任。国歌を歌えるよう教えることが重要だ。公立学校は教育委員会、私立は私学課が指導していく」と府議会の問いに答えていたらしい。
だが、その指導は実際に行われているのだろうか。今年度の大阪府・市から大阪私立中等高等学校連合会などに公立と同じ様な事が命じられたといった情報などは一切流されていない。
何故、公立学校に求められる事が私立には求められなくても良いのだろうか。全く合点がいかない。
何らかの風情に煽られて、いい様に主張しているだけとしか思えてならない。ちゃんと考え、自分の思いを訴えようとしているのか、単に遊び気分で書いているだけなのか。3年前のマスコミと民主が政権を批判しまくり、国民の心理を扇ぎまくっていた当時が何だか思い出されてしまう。
よく覗かせてもらっているブログAfternoon Cafeから知ったんだが、橋下は不起立だった教職員を「民主主義の冒涜だ」と怒鳴り散らしていたらしい。
だが、本当に民主主義を無視し、冒涜を行っているのは誰なんだろうな。
橋下徹大阪市長は14日、市立中の卒業式で2教員が国歌を起立斉唱しなかったことに関し「ルールを守らないのは民主主義への冒涜だ。(教員を)辞めたらいい」と怒りをぶちまけた。約15分間にわたり、市役所で記者団に批判を繰り広げた。
君が代起立条例について、大阪維新の会だけでなく公明、自民も賛同したことを踏まえ「圧倒的多数で可決した」と強調。「自分が嫌だからルールを無視しても良いというのでは、子どもはどうなるのか。本当に腹立たしい」とまくしたてた。
(スポーツニッポン2012/03/14)
まず民主主義とは何なんだろうな。橋下も「民主主義とは何か」といった感じの事を自らのツイッターに書いている、
しかし朝日もぐらついていますね。君が代条例になれば今度は少数を尊重せよとなる。政治行政は多数を尊重する場。そして司法で少数を救う。これが統治機構のバランス。もちろん政治行政の場でも議論は尽くす。しかし議論をし尽くした場合になお決まらなければ、最後は多数決しかない。
そして多数で決めたことには、反対論者も従う。これが民主主義そのものだ。起立斉唱条例は府議会でも市議会でも成立した。特に市議会では維新の会だけでなく自民、公明も賛成に回り、市議会の3分の2を超える圧倒的多数で賛成となった。51%のギリギリの賛成ではない。
この多数決に従わなくて良いと言うなら、それは消費税論議でも同じだ。民主党の49%は従わなくてもよいはずだ。もちろん、教員と政治家は異なるが、消費税に反対する国民は多数に従わなくても良いことになる。議論を尽くした上で多数決で決める。そして反対論者もそれに従う。
これが民主主義の原理原則だ。もちろん個人は司法で救われる機会がある。日本の司法は付随的審査制。不起立教員が司法で争える機会を与えるためにも、きっちりと処分をしなければならない。
と、橋下は書いている。対して、About the USAというサイトにも「民主主義の原則」が書かれていて、15の項目が書かれているが「多数決の原理と少数派の擁護」の7つから5つを引用させてもらうと、
多数決の原理は、政府を組織し、公共の課題に関する決断を下すための手段であり、抑圧への道ではない。ひとりよがりで作った集団が他を抑圧する権利がないのと同様に、民主主義国においてさえも、多数派が、少数派や個人の基本的な権利と自由を取り上げることがあってはならない。
民族的背景、宗教上の信念、地理的要因、所得水準といった要因で少数派である人でも、単に選挙や政治論争に敗れて少数派である人でも、基本的人権は保障され享受できる。いかなる政府も、また公選・非公選を問わずいかなる多数派も、それを取り上げてはならない。
少数派は、政府が自分たちの権利と独自性を擁護してくれることを確信する必要がある。それが達成された時、その少数派集団は、自国の民主主義制度に参加し、貢献することができる
民主主義政府が必ず保護しなければならない基本的人権には、言論と表現の自由、宗教と信仰の自由、法の下での正当な手続きと平等な保護、そして組織を結成し、発言し、異議を唱え、社会の公共生活に全面的に参加する自由などがある。
民主主義国は、少数派には文化的独自性、社会的慣習、個人の良心、および宗教活動を維持する権利があり、それを保護することが、国の主要な責務のひとつであることを理解している。
民主主義国は、少数派には文化的独自性、社会的慣習、個人の良心、および宗教活動を維持する権利があり、それを保護することが、国の主要な責務のひとつであることを理解している。
といった事が書かれているが、4つ目の部分に全てがまとめられているのではないだろうか。日本国憲法にも示されている事ではないかと思われるが、「民主主義政府が必ず保護しなければならない基本的人権には、言論と表現の自由、宗教と信仰の自由、法の下での正当な手続きと平等な保護、そして組織を結成し、発言し、異議を唱え、社会の公共生活に全面的に参加する自由などがある。」としている。
日本国憲法第三章「国民の権利及び義務」と共通している部分が多いのではないかと思われる。
橋下は、府議会だったのではないかと思うが、多数決によって「君が代起立斉唱条例」が可決された。だから、この条例に従い全ての教職員は国歌斉唱など絶対に行わなければならないとしている。
だが、民主主義においては全ての者が多数決により決定された事に従わなければならないとはされてはいない。
人権には自由権、社会権、参政権などがあるとされているが、自由権には内面的・外面的自由権があり、信教・思想と良心・表現の自由などが定められている。
市民などによる市民の代表として選択された者達の多数決により一つの条例が決定された。それを行政の長が多数決により決定された事として、市民などに多数決による決定に従う様に強制する事は、人権の自由権を否定する事になるのではないか。
民主主義では、全ての国民に基本的人権が存在しており、国、或いは地方行政が決定した事に絶対に従わなければならないとされていないのではないか。逆に、個人の意思に反する事が決定されているなら、個人はそれを否定する権利が認められている筈。
教職員が条例に従わなかった事を「民主主義の冒涜」としているが、教職員も一人の国民であり、基本的人権は絶対に存在し、認められなければならない。故に、地方行政がどの様な条例を可決していようと、それに反する意思を持つ国民である教職員がその姿勢を示し、或いは表現する事も個人の自由の筈。民主主義を汚す事とはならない筈だ。
個人の自由を無視し、公務員という職に就いている者であるから、行政が可決した条例には絶対に従わなくてはならない。これは、公務に付く者達の人権を否定し、強制的に従わせようとする行為であり、橋下の言う「民主主義の冒涜」を行っている事になるのではないか。
「民主主義の冒涜」は教職員が行っているのでは無く、行政の長にある橋下が行っている事になるんじゃないか。
小渕内閣で「国旗及び国歌に関する法律」が可決される以前には、学校の入学・卒業式での国歌の斉唱などは行われていなかったらしい。だが、「国旗及び国歌に関する法律」が可決された以後に、突然に国歌の斉唱が活発に行われる様になったらしいが。
だが「国旗及び国歌に関する法律」を可決した小渕内閣は、決して国歌の斉唱を行わなくてはならないとはしていなかった筈だ。何より「国旗及び国歌に関する法律」は日本の国旗・国歌は何であるかを示す法であり、国民全体に対し国旗掲揚や国歌斉唱を命じる法ではなかった筈だ。
更に、世界では国旗掲揚や斉唱などを強制的に行わせている国々は殆ど存在していないらしい。掲揚・斉唱するか否かは個人や集団の判断に委ねられているのだろう。一部の国家を除き、決して強制はされていないと思われる。
何故、日本は共産主義国の様に国旗掲揚や国歌斉唱を行わなければならないと主張されるのだろう。国民そのものが、日本の民主主義を否定し、共産主義国家、或いは全体主義の国となる事を望んでいるのではないか、その様にも思えてしまう。
因みに、自分が学生時代の頃には国歌斉唱を行わなければならない、そんな意識など全く無かった。卒業式なんかで校歌を歌う事は、当然の様に思っていたが。自分が校歌じゃなく国歌斉唱を義務付けられたりしてたら、その当時の自分はなにを思ってたんだろうな。
橋下も学生の頃には国歌斉唱など、果たして行っていたんだろうか。橋下の生まれは69年。「国旗及び国歌に関する法律」が可決されたのは99年。恐らく、最後まで無かったんじゃないのかなと思うけど。どうなんだろう。
歌ってなかったとしても、国歌斉唱は行わなくてはならないと強く意識してたんだろうな。条例化してまで、教職員などに強制させようとしているんだろうから。まして、教職員だけが歌わされるなんて事は有り得ないだろう。昔と違って、現在では学生達も歌わされているんだろうね。
教職員と同じ様に義務化されているだろう学生達は、どの様な意識を持っているのか分からないが。
教職員と同じ様に義務化されているだろう学生達は、どの様な意識を持っているのか分からないが。
府立の校長を勤める中原という人物が、卒業式で教員の口元をチェックし、国歌斉唱を行っているか否かを確認していた事が明らかとなり、批判を浴びる事となっているらしいこの人物を擁護しようと、橋下がツイッターでこの人物の行動の意味を書き、教育違反を批判している。
橋下がツイッターに書かれている事を幾らか引用させてもらう。
君が代起立斉唱条例について、大阪府立和泉高校の中原校長が行った教員の口元チェックについて賛否両論が起きています。まずこの事案を公にしたのは、僕と中原校長の合意に基づくものです。中原校長は僕の大学時代からの友人で、公募校長に合格した民間人校長です。
中原校長は僕と松井知事宛てに、卒業式での状況と教員とのやり取りをメールで報告してきました。僕は、このメールを情報公開対象のシステムに乗せて敢えて公にしました。普通の校長なら公になることを嫌がるでしょうが、中原校長は世に問題提起し、批判を受ける覚悟で公にすることを了承してくれました
まず中原校長の行動が批判を受けているようですが、これは全くの誤りです。もし口元チェックがおかしいと言うなら、それを命じた教育委員会とその委員を任命した元知事である僕に責任があるのです。教育委員会は、府立高校の全教員に、卒業式において君が代を起立斉唱することを命じました。
そして教育委員会は府立高校の全校長に、卒業式において起立「斉唱」が行われたかどうかの状況報告を求めたのです。中原校長は教育委員会からの職務命令が実行されたかどうか、まさに求められる報告を行うために教員の口元チェックをしました。
もし中原校長の行動がおかしいと言うのであれば、それは、それを教員に起立斉唱を命じ、校長に状況確認を求めた教育委員会がおかしいのです。ところが、この府教育委員会の委員長と一部委員が、中原校長の行動がおかしいと批判した。もう教育委員会の末期症状、僕が指摘し続けたことが露呈しました。
残念ながら教育委員会は自分たちが行政の責任者であることの認識が全くありません。コメンテーターの気分なのでしょう。行政が出す命令は重い。他人に嫌なことでも強いる権力行使そのものです。だからその命令を出すには法的な権限が必要であり、その全責任も負わなければならない。
起立斉唱の職務命令を出し、そして校長にその状況確認を求めた教育員会の最高責任者である教育委員長と委員が、校長の口元チェックを批判した。では、府教育委員会に問いたい。どうやって斉唱の確認をするのだと?府教委の事務局は、中原校長の行動は間違っていないと言っています。
橋下はツイッターでは、教育委員会と任命した自分に責任があるとしているが、この時点で可笑しくはないか。大阪府が行例とした君が代起立斉唱条例を細かくは知らないが、教職員達は入学・卒業式などでは必ず起立を行い、国歌斉唱を行わなければならないとしている事だと思われる。
この条例による行動を教職員に従わせる様にしたのは橋下元知事だった筈だ。橋下現市長が、教育委員会に対し義務付けていた筈であり、教育委員会はそれに従った行動を行っているに過ぎない。この問題の一番の責任者は橋下現市長である事は、間違い無いだろう。
橋下も自分の責任は一応認めている。そして、教育委員会は府の条例に従い、教職員に対し卒業式で国歌斉唱する事を命令している。橋下の命に従い、行動したに過ぎない。教育委員会を通じ、教職員への命を行っていたのは橋下だろう。
教育委員会が校長に対し命じた事は、教職員が国会斉唱を行っているか否かを確認しろという事ではなかったのか。その方法までは命じてはいなかった筈だ。だから、全ての校長が口元チェックを行っていたかの様な報道は行われてはいない。
そして、橋下は教職員が国歌斉唱を行わなくてはならないと条例化していた筈であり、その一員には校長も含まれていた筈だ。にも拘らず、教職員の一員でもある校長に対しては、他の教職員の姿勢をチェックする様に条例化していたのだろうな。
国歌斉唱を命じられている教職員の一員であるのに、他の教職員の姿勢をチェックしなければならないとする事は、非常に矛盾している事ではないかと思えてならない。国歌斉唱を命じるのであれば、その事に集中しなければならないとしている筈。だが、一部の教職員には、その様な事は集中しなくてもいい。斉唱しなくてもいい、ただ他の教職員の姿勢をチェックしろと命じている。これは、大きく矛盾している事ではないのか。
口元チェックをした人物の行動を教育委員会の中にも批判している者がいると、一部の者を責めるが、逆に府教委の事務局は人物の行動は間違っていないとしているじゃないかと一部の者達を正しいとしている。
非常に合点がいかないと思えてならない。橋下は知事の時に教育委員会に対し、教職員に国歌斉唱を行う事を義務付ける事を命じていた筈であり、かつ橋下が好調に他の教職員がその姿勢を行っているか否かを確認する様にも命じていたらしいが、それらに従い教育委員会は実行したに過ぎない。
そして橋下が命じていた事は、教職員に対する国歌斉唱の筈だ。にも拘らず、一部の教職員には他の教職員がその行為を行っているか否かの確認を行う事も命じていた。だが、その方法までは命じていいない。命じられていた一部の教職員が土の様に確認するかは、その仕方は個人に任せていたんだろうな。
国歌斉唱を行いながら、他の教職員が命じられた事を行っているか否かの確認の方法はそれぞれの教職員が行いやすい方法により行ってもらいたいと。
人物以外の校長達は、命じられていた事をどの様に実行していたかは分からない。だが、人物は口元チェックにより確認したとしている。その様な行為をしながら、果たして本人は国歌斉唱に集中する事が出来ていたのだろうか。行っていたのだろうか。
国歌斉唱を無視し、チェックする事だけに集中していたとなれば、人物は大阪府の条例に反する行為を行っていた事になるのではないか。となれば違反行為を行った事となる。そのような行為を行った者への批判は当然の事ではないか。
まして、教育委員会に条例を命じていた者が、条例に反した者を何故擁護する様な行為を行うのだろうか。全く合点がいかない。理解出来ない。教育委員会には行政としての責任感が無いと責めているが、本当に責任感を持ちえていないのは委員会に命じていた橋下なのではないか、その様に思えてならないが。