思い、そして感じた事をそのまま
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府立の校長を勤める中原という人物が、卒業式で教員の口元をチェックし、国歌斉唱を行っているか否かを確認していた事が明らかとなり、批判を浴びる事となっているらしいこの人物を擁護しようと、橋下がツイッターでこの人物の行動の意味を書き、教育違反を批判している。
橋下がツイッターに書かれている事を幾らか引用させてもらう。
君が代起立斉唱条例について、大阪府立和泉高校の中原校長が行った教員の口元チェックについて賛否両論が起きています。まずこの事案を公にしたのは、僕と中原校長の合意に基づくものです。中原校長は僕の大学時代からの友人で、公募校長に合格した民間人校長です。
中原校長は僕と松井知事宛てに、卒業式での状況と教員とのやり取りをメールで報告してきました。僕は、このメールを情報公開対象のシステムに乗せて敢えて公にしました。普通の校長なら公になることを嫌がるでしょうが、中原校長は世に問題提起し、批判を受ける覚悟で公にすることを了承してくれました
まず中原校長の行動が批判を受けているようですが、これは全くの誤りです。もし口元チェックがおかしいと言うなら、それを命じた教育委員会とその委員を任命した元知事である僕に責任があるのです。教育委員会は、府立高校の全教員に、卒業式において君が代を起立斉唱することを命じました。
そして教育委員会は府立高校の全校長に、卒業式において起立「斉唱」が行われたかどうかの状況報告を求めたのです。中原校長は教育委員会からの職務命令が実行されたかどうか、まさに求められる報告を行うために教員の口元チェックをしました。
もし中原校長の行動がおかしいと言うのであれば、それは、それを教員に起立斉唱を命じ、校長に状況確認を求めた教育委員会がおかしいのです。ところが、この府教育委員会の委員長と一部委員が、中原校長の行動がおかしいと批判した。もう教育委員会の末期症状、僕が指摘し続けたことが露呈しました。
残念ながら教育委員会は自分たちが行政の責任者であることの認識が全くありません。コメンテーターの気分なのでしょう。行政が出す命令は重い。他人に嫌なことでも強いる権力行使そのものです。だからその命令を出すには法的な権限が必要であり、その全責任も負わなければならない。
起立斉唱の職務命令を出し、そして校長にその状況確認を求めた教育員会の最高責任者である教育委員長と委員が、校長の口元チェックを批判した。では、府教育委員会に問いたい。どうやって斉唱の確認をするのだと?府教委の事務局は、中原校長の行動は間違っていないと言っています。
橋下はツイッターでは、教育委員会と任命した自分に責任があるとしているが、この時点で可笑しくはないか。大阪府が行例とした君が代起立斉唱条例を細かくは知らないが、教職員達は入学・卒業式などでは必ず起立を行い、国歌斉唱を行わなければならないとしている事だと思われる。
この条例による行動を教職員に従わせる様にしたのは橋下元知事だった筈だ。橋下現市長が、教育委員会に対し義務付けていた筈であり、教育委員会はそれに従った行動を行っているに過ぎない。この問題の一番の責任者は橋下現市長である事は、間違い無いだろう。
橋下も自分の責任は一応認めている。そして、教育委員会は府の条例に従い、教職員に対し卒業式で国歌斉唱する事を命令している。橋下の命に従い、行動したに過ぎない。教育委員会を通じ、教職員への命を行っていたのは橋下だろう。
教育委員会が校長に対し命じた事は、教職員が国会斉唱を行っているか否かを確認しろという事ではなかったのか。その方法までは命じてはいなかった筈だ。だから、全ての校長が口元チェックを行っていたかの様な報道は行われてはいない。
そして、橋下は教職員が国歌斉唱を行わなくてはならないと条例化していた筈であり、その一員には校長も含まれていた筈だ。にも拘らず、教職員の一員でもある校長に対しては、他の教職員の姿勢をチェックする様に条例化していたのだろうな。
国歌斉唱を命じられている教職員の一員であるのに、他の教職員の姿勢をチェックしなければならないとする事は、非常に矛盾している事ではないかと思えてならない。国歌斉唱を命じるのであれば、その事に集中しなければならないとしている筈。だが、一部の教職員には、その様な事は集中しなくてもいい。斉唱しなくてもいい、ただ他の教職員の姿勢をチェックしろと命じている。これは、大きく矛盾している事ではないのか。
口元チェックをした人物の行動を教育委員会の中にも批判している者がいると、一部の者を責めるが、逆に府教委の事務局は人物の行動は間違っていないとしているじゃないかと一部の者達を正しいとしている。
非常に合点がいかないと思えてならない。橋下は知事の時に教育委員会に対し、教職員に国歌斉唱を行う事を義務付ける事を命じていた筈であり、かつ橋下が好調に他の教職員がその姿勢を行っているか否かを確認する様にも命じていたらしいが、それらに従い教育委員会は実行したに過ぎない。
そして橋下が命じていた事は、教職員に対する国歌斉唱の筈だ。にも拘らず、一部の教職員には他の教職員がその行為を行っているか否かの確認を行う事も命じていた。だが、その方法までは命じていいない。命じられていた一部の教職員が土の様に確認するかは、その仕方は個人に任せていたんだろうな。
国歌斉唱を行いながら、他の教職員が命じられた事を行っているか否かの確認の方法はそれぞれの教職員が行いやすい方法により行ってもらいたいと。
人物以外の校長達は、命じられていた事をどの様に実行していたかは分からない。だが、人物は口元チェックにより確認したとしている。その様な行為をしながら、果たして本人は国歌斉唱に集中する事が出来ていたのだろうか。行っていたのだろうか。
国歌斉唱を無視し、チェックする事だけに集中していたとなれば、人物は大阪府の条例に反する行為を行っていた事になるのではないか。となれば違反行為を行った事となる。そのような行為を行った者への批判は当然の事ではないか。
まして、教育委員会に条例を命じていた者が、条例に反した者を何故擁護する様な行為を行うのだろうか。全く合点がいかない。理解出来ない。教育委員会には行政としての責任感が無いと責めているが、本当に責任感を持ちえていないのは委員会に命じていた橋下なのではないか、その様に思えてならないが。
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