思い、そして感じた事をそのまま
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
橋下は何から何まで自分の思い通りにしたがるんだな。
大阪市の橋下徹市長は、20日に出演した民放のテレビ番組で、高校の卒業式で国歌斉唱時に手を前に組んだり、マスクをつけたりした教員がいたことを取り上げ、「国際社会においてそれは非礼。当たり前のルールを教育現場でやらないと、子供たちのためにならない」と批判した。
大阪府、大阪市では、学校行事の際、教職員に国歌の起立斉唱を義務付けた条例が成立している。大阪府教委は今春の府立学校209校の卒業式で、職務命令に反して国歌斉唱の際に起立しなかった教職員が29人(21校)だったと発表していた。
また、橋下市長は、教育委員を選挙で選ぶことについての意見を問われ、「財源の確保まで責任を負ってやってくれる教育委員が誕生するなら、直接の選挙もありだ」と述べた。
(産経新聞2012/03/21)
最高裁は起立の職務命令に関しては、第十九条「思想及び良心の自由は、これを犯してはならない」を制約するも必要としているが、「手を前に組むな」、「マスクを付けるな」。そんな事までも制約の必要があるとしているのだろうか。
何よりも何故「マスクを付けるな」などと強制されなければならないんだ。現在では、花粉症などが活発に発生している時期の筈だ。その症状を抑える為に、多くの者がマスクを使用している。
或いは風邪をひいている者もいるのかもしれない。マスクを付けるのは、誰もが健康維持の為、或いは他の者に迷惑を掛けない様にと利用するという事が常識なのではないのか。橋下には、この様な意識など全く無いのか。
更に「国際社会においてそれは非礼」と発言しているが、国際社会の卒業式などの式典では「手を前に組んではならない」、「マスクを付けてはならない」といった事が常識となっているというのか。
いい加減にしてもらいたいものだ。国際社会では、逆に卒業式で国歌斉唱が義務付けられているといった国はどれだけあるんだろう。それらを行うか否かなど、自由に判断すればいいとしている国家が多いのではないのか。
Wikipedeaでの「国旗及び国歌に関する法律」の中に「日本で展開されている国旗・国歌に関する論争は、民主主義・社会主義といった国家の枠組みや思想信条を超え、日本以外の国で確認されておらず、世界的に、事実上、日本固有の論争となっている」とある。
また、Afternoon Cafeの「中高生にもわかる日の丸君が代プチ問答集(12) (お詫びと訂正有り)」では秋原葉月氏は「明らかに反民主主義的なファシズムを浸透させるのに用いられた歌をそのまま引き継ぎ、しかもその歌を強要されるのは、民主主義国家を標榜する国の中では日本だけと言っていいです。
そして多くの日本人が、それは「世界の常識なのだ」と思い込まされていますが、実は強制しようとするのは中国、北朝鮮のような非民主国家だけ。民主主義国家でそのような国はありません」と書かれているし、「中高生にもわかる日の丸君が代プチ問答集(11)」には欧米、アジア諸国の国歌斉唱に関する常識が書かれている。
橋下が強制しようとしている卒業式などの式典で国歌斉唱などを強制しているのは中国、更には同じ独裁国家である北朝鮮だけなのかもしれない。卒業式などの式典を行っていない国もあるらしいではないか。
卒業式という式典を行う、その場での教職員の起立、更には個人の健康までも無視した「マスクを付ける事も許さない」などのどこが、世界社会の常識であり当たり前の事だとして、「マスクを付けていた」教職員までもが世界社会への比例と非難されなければならないんだ。
橋下の発言は、単に非常と思えてならない。日本国憲法第十九条を完全に否定し、独裁社会或いは独裁国家を目指しているとしか思えない。大阪市、或いは日本国までも自分の思い通りにしたいといった呆れ返った欲望を持つ者としか理解できない。
読売新聞の会長である渡辺恒雄が文芸春愁により橋下を「アドルフ・ヒトラー」と称したらしいが、まさにその通りだな。ヒトラーが支配していたドイツ、スターリンによる旧ソ連、現在の中国。日本をそういった国とする事を目的とし、ヒトラーやスターリンに憧れ目標としているのかもしれない。
PR