思い、そして感じた事をそのまま
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ニコニコニュースにNEWSポストセブンの記事「君が代不起立教諭 『抵抗教員に上から圧力。精神的に参る』」が掲載され、多くのツイートがされている。
だが、書かれているツイートを見てみると、国歌斉唱は公務員ばかりが義務付けられている事であり、それ以外の者は拒否権を持っているかの様に書かれている物が多い。異常に思えてならない。
そして、教員なら起立斉唱は絶対的義務だと主張している者が多い。だが教員、或いは公務員でなければ、起立斉唱は義務では無い。拒否権も許されるといった主張を平然と書いている。
どうしてこんな事が当たり前なんだと主張する事が出来るのだろうか。考え方は個々人の自由の筈であり、その自由は公務員以外の者だけに許されるといった区切りは無い筈だ。
公務に勤める者であれ、その他の者であれ全て一人の国民として認められている筈であり、平等の視点を持って見なくてはならないのではないのか。なのに、差別するかの様に公務に勤める者は国歌斉唱の義務があるとし、以外の者には拒否する権利があるとする。
では、公務に勤める者には国歌斉唱が義務付けられていると何故言い切れるのだろう。その一つの理由として、「公務員は、税金を受け取っているから」としている。
確かに、公務に勤める者達の給与は税金により賄われているのかもしれない。だが、他の国民と同じ様に国民の義務として、税金を支払う事を命じられている筈だ。他の国民と同じ様に、国民としての義務を果たしている筈であり、給与も他の国民からの税金のみにより支払われているのでは無く、自分達の支払った税も含まれているのではないか。
教職員の起立斉唱に関する最高裁の複数の判決では、校長などの職務命令は合憲としている。だが、教職員が職務命令に従う事により卒業・入学などの式典が円滑に行われる事を優先とし、教員の起立は憲法第十九条の思想・良心の自由を制約するとしている。
教育上の行事を円滑に行う為には、教職員の思想、良心の自由が間接的に制約される事は合憲としている。
だが、これら判決の原告、被告は教職員と自治体が殆どであり、公務に勤める者全てが「思想、良心の自由」を間接的に制約される事を合意とはしていない。この複数の裁判の原告、被告の両者は共に公務に勤める者達。
公務に勤めるか否かは関わり無く、一つの重要な行事や式典において国歌斉唱などの職務命令が出されたのであれば、円滑に進める為には教員の思想・良心の自由を制約する事も合憲としているのではないだろうか。
更に、2004年の園遊会で東京都教育委員会委員でもあった将棋棋士の米長邦雄が今上天皇陛下へ国歌斉唱などに関し問うた時に陛下は「やはり、強制になるということでないことが望ましいですね」と答えられた。
この問答を翌年の会見で米長邦雄は陛下から受けた答えを「世界の国々が国旗、国歌を持っており、国旗、国歌を重んじることを学校で教えることは大切なことだと思います。国旗、国歌は国を象徴するものと考えられ、それらに対する国民の気持ちが大事にされなければなりません。オリンピックでは優勝選手が日章旗を持ってウィニングランをする姿が見られます。選手の喜びの表情の中には、強制された姿はありません。国旗、国歌については、国民一人一人の中で考えられていくことが望ましいと考えます」と語ったらしい。
陛下は国旗、国家をどの様に意識するかを強制されるのでは無く、国民一人一人が自らの心の中で考えることが望ましいと語られている。非常に重たい言葉ではないだろうか。
「君が代不起立教諭 『抵抗教員に上から圧力。精神的に参る』」にツイッターを書いている者達は、いい者にでもなったつもりで適当に書いているのだろうか。
これらのツイートの中には、「おいおい普通の日本人なら歌うよ、歌わないとなるとこりゃ在日ですかな 自分のことだけ考えて周りに迷惑かけるとかさすが」といった事を書いている者もいた。
思わず感情的となり、「歌わなければ日本人でない。無ければ在日だ。何時から、国家は絶対斉唱と定められているんだ。」とかいた。一部文字を間違えてしまっていたが。
普通の日本人というのは、当然の事だと思うが日本国籍を持つ全ての者を示しているのだろうと思える。だが、果たして全ての日本人は国家を歌える事が出来るのだろうか、絶対に歌わなければならないという意識を持っているのだろうか。
自分は流れている時には、しっかり聞かなくてはならないという意識は強く持っているが、歌う事は出来ない。なぜなら、「君が代」の歌詞を完全に把握していないから。メロディーが流れても、聞く事は出来ても歌う事は出来ない。
一人の一つのツイートによれば、自分は日本人では無く、在日と勝手に決め付けられる事となってしまう。書いた本人にはどの様な意識があったのか知らないが、自分と同じく歌う事が出来ない者を日本人ではないと言い切っている。
ちゃんと自分の言葉に責任を持って書いているんだろうか。その様には全く思えないが。公務か否かなど関係無く、君が代を歌わないとする日本人全体を愚弄しまくっているとしか思えない。「歌わなければ日本人でない。無ければ在日だ」。この言葉への激しい怒りが治まらない。
人によっては、何とも思わない、どころか賛同する者もいるんだろうがな。
ちなみにこのツイートは家紋マークで「人として当たり前の事が出来なくて政治にまで迷惑かけている時点で人間失格。」と書いてるとこから4つ上にある。
更に、教員で国歌斉唱を行わない者は全て日本から出て行け、或いは日本人ではないとする者も多くいる。
なた、公立の教員だから国歌斉唱をしなければならない。したくなければ私立へ行けばいい。そうすれば、拒否する事ができるといった事を書いている者も多くいる。要するに国歌斉唱の義務は、公立学校の教員だけに掛けられ、公務で在るか無いかの違いはあるが同じ教員という職を務めているのに、私立の教員には掛けられていないとしている。
確かに、都道府県の教育委員会が職務命令を出せるのは公立の学校だけであり、私立の学校に命ずる事は出来ない。
だが、橋下だけでは無い、東京の石原も学校の卒業式などでは教員などによる国歌斉唱もされなければならないとし、教員にもその義務があるだろうと主張していたのではなかったろうか。これらの主張に多くの者が賛同し、「不起立の教員は在日」、「日本を去れ」、「半島へ行け」などと激しく罵倒が繰り返されているのだろう。
全く合点のいかない事だ。公立の学校では不起立など行ってはならないが、私立では自由に出来る。と言う事は、公立の学校での式典は円滑に進めなければならないが、私立では決してそうではない。まとまりの無い卒業・入学式が行われてもいいというのだろうか。
教育委員会は国歌斉唱などの職務命令を行わなければならないが、学校理事会などは全く自由という事なのだろうな。自治体の長は学校理事会へ同じ様にする事を要求していないのだろうから。だが、公立・私立の違いはあれど同じ学校である事に間違いは無い。
ただ橋下は大阪府知事の時に「入学式や卒業式での国旗掲揚、国歌斉唱は学習指導要領で規定されており、私立においても適切に実施されるよう強く求めていく。子どもたちが歌えないのは私たちの責任。国歌を歌えるよう教えることが重要だ。公立学校は教育委員会、私立は私学課が指導していく」と府議会の問いに答えていたらしい。
だが、その指導は実際に行われているのだろうか。今年度の大阪府・市から大阪私立中等高等学校連合会などに公立と同じ様な事が命じられたといった情報などは一切流されていない。
何故、公立学校に求められる事が私立には求められなくても良いのだろうか。全く合点がいかない。
何らかの風情に煽られて、いい様に主張しているだけとしか思えてならない。ちゃんと考え、自分の思いを訴えようとしているのか、単に遊び気分で書いているだけなのか。3年前のマスコミと民主が政権を批判しまくり、国民の心理を扇ぎまくっていた当時が何だか思い出されてしまう。
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