思い、そして感じた事をそのまま
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安部昭恵氏を公人か私人かと民進党などが執拗に問い詰めているが、その要因が昭恵氏の行動に公務員が付いている。森友学園の名誉校長に任命された程度の事だろうか。
民進党議員がそれに関する質問主意書も出している。
辻本清美、逢坂誠二、大西健介、上西小百合(無所属)、初鹿明博、宮崎岳志から。
特に辻本清美は3回も。
現在答弁があったのは辻本清美の1回目と、逢坂誠二の主意書。辻本清美と逢坂誠二への答弁書に共通するのは、昭恵氏は公人ではなく、私人である。とされてある。
逢坂誠二への答弁書は今日出た様で、中身が分らないが時事通信によれば「政府は14日の閣議で、安倍晋三首相夫人の昭恵氏について「公人ではなく私人であると認識している」との答弁書を決定した。民進党の逢坂誠二氏への質問主意書に答えた。学校法人「森友学園」への国有地払い下げ問題をめぐる国会質疑では、4月開校予定だった小学校の名誉校長を務めていた昭恵氏が公人か、私人かが論点となっていた。
答弁書は「『内閣総理大臣夫人』とは内閣総理大臣の配偶者を指して一般的に用いられる呼称で、当該呼称を用いるに当たり、公務員としての発令を要するものではない」と説明した」(2017/03/14)らしいが、辻本への答弁書では昭恵氏の行動は安部首相の法務補助。公務捕縄の内容は、安部首相外国出張への同行、来訪する外国賓客の接遇、宮中晩餐会への出席や安部首相の公務の遂行に関連する国内外の会議等への単独での出席等とされている。
更に、昭恵氏の行動に公費が使用される事は無い。また辻本は、昭恵氏は「総理夫人」と言う肩書きを利用しているのかとも問うているが、「総理婦人」と言う官職、職名は存在しないと答弁している。
辻本清美が自身のブログに「内閣総理大臣夫人・安倍昭恵氏は「公人」なのか「私人」なのか(園田寿)- Y!ニュース」を紹介しているが、園田寿と言う人物は公人には明確な定義は無く公人は公職者と公的人物に分けて議論するが的確としている。
公的人物に関し、公的な場で政治的議論に積極的に参加したり、日頃の政治的言動を通じ高い社会的地位を得た人々は、国民批判にさらされるリスクを引き受けていると考える事が出来るし、その様な人々はメディアにアクセスする手段を持っており、批判に対し反論の機会が与えられている者達ともしている。
公的人物に関し、公的な場で政治的議論に積極的に参加したり、日頃の政治的言動を通じ高い社会的地位を得た人々は、国民批判にさらされるリスクを引き受けていると考える事が出来るし、その様な人々はメディアにアクセスする手段を持っており、批判に対し反論の機会が与えられている者達ともしている。
だが、公人を公職者と公的人物と2つに表しているのはアメリカ法であり、学者の中にはアメリカ法を用いて昭恵氏を公的人物とし、公人と言い切る者が多いのかもしれない。
日本において公人とは何なのか。Wikipediaによれば「公務員や議員などのように公務についている人を指す言葉である」とされている。そして、日本の法による公人は政治家、高級軍人、上級公務員、検察官、裁判官、警察幹部とされるが、アメリカ法の様に公職者と公的人物に分けられる事は無い。
園田寿氏の説明する公的人物と昭恵氏を重ね合わせた時、果たして一致するのだろうか。
昭恵氏の行動はあくまでも首相の行動の補助であって、公的な政治的議論に参加したり日頃から政治的言動を発しているという事は皆無と思われるが。
こうした面から見ても、アメリカ法による公的人物にも決して当てはまるとは思われない。
昭恵氏の行動はあくまでも首相の行動の補助であって、公的な政治的議論に参加したり日頃から政治的言動を発しているという事は皆無と思われるが。
こうした面から見ても、アメリカ法による公的人物にも決して当てはまるとは思われない。
主意書を馬鹿みたいにしつこく出している連中でも、一人の人物が公人か私人かなどといった事は把握は出来ているんじゃないかと思うんだが、それでも国会などでしつこくやり続ける。腐った連中だなとしか思えない。
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