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橋下が昨日文楽を鑑賞したらしいが、単なるパフォーマンスで実際には補助金に関して何も考えようという意思など無かったんだろうな。
詰まらない事をやる奴だなと思えてしまうけど。
 
 
 
 橋下徹大阪市長は26日、4年ぶりに同市中央区の国立文楽劇場に足を運んだ。
 
 集客に努める文楽協会の姿勢を評価し、初鑑賞後に「二度と見ない」としていた態度を一転、人間国宝の竹本源大夫さんらが出演する「曽根崎心中」を鑑賞した。しかし、「守るべき古典芸能だとはよく分かったが、ラストシーンでグッと来るものがなかった」と相変わらずの辛口批評。鑑賞後は技芸員(演者)とあいさつを交わしたものの、協会への補助金支給につながる進展は見られなかった。
 
 鑑賞後は竹本さんら人間国宝の3人の楽屋を訪ね、あいさつ。市からの補助金支給の条件とする公開での意見交換を再度求めたが、いずれの演者からも明解な回答は得られず、逆に「文楽は大阪でしかできない、大阪でやっていく芸能だ」と文楽保護の必要性を強調されたという。
(読売新聞2012/07/27)
 
橋下は文楽という伝統芸術を全く学習していないから知らない、或いは全く興味が無いどちらかなんじゃないの。
 
橋下は、文楽鑑賞後に「大阪発祥の古典芸能が守るべきものであることはよく分かった」と発言している。だが、橋下のツイッター見てみると、26日のツイートの中に「演出を批判と訂正されていた。そしたら日系新聞で自称文楽玄人の人が文楽はそもそも演出の無いもの!それが文楽だ!だって。そういう一部の者に支えられるのは大衆芸能ではない。大衆芸能は大衆に支えられるもの」としている。
 
日経に書いたとされる自称文楽玄人の言い分も可笑しいんじゃないかと思うんだけどね。舞台を演じるのに演出が無いなんてあり得ないんじゃないか。
 
演出があってこそ、ストーリーはどの様に進み、どの様に演じられていくかが描かれていく。演出なくして舞台なんて有り得ないでしょう。
文楽浄瑠璃も一つの舞台なんだから。
 
また、「守るべき古典芸能とはよく分ったが、ラストシーンにぐっと来るものが無かった」と発言している。文楽の演出を批判してたんだろうな。
 
だが古典芸能、と言うよりも伝統芸能というのは成立された頃よりの技術や作品を後世に伝承していく事なのではないのだろうか。橋下は「大衆芸能が大衆に支えられる」ものだと発言している。
ハッキリ言い切ってるんじゃないか。伝統芸能は大衆に支えられるものではないと。
 
文楽は人形を用いて演じられる演劇なので、人が演じる歌舞伎や能楽、狂言などに比べると関心を持とうとしない人が多くいるのかもしれない。
 
しかし複数の者が細かく人形を操り、太夫の語り三味線の音の響きが絡みあい一つの演劇が作成される。文楽が成立された時よりの技術と作品が伝承されてきた事により、演じられる事の出来る操り人形の舞台となっているのではないのか。
 
また、こんな事も言ってるよね。「市長は『重鎮の言うことに若手が何も言えない(文楽)の構造を変えないといけない。
顔が見えると(作品の世界に)どうも入っていけない』と述べた」と。
 
どの世界でも重鎮とは大きな存在であり、その重鎮に対して微塵の知識しか持ち得ていないだろう者達は、物申す若手は滅多にいないんじゃないかな。
逆に、その重鎮より如何に多くの知識を吸収するかを重視するかと思えるのだが。
 
或いは、文楽を伝統芸能から大衆芸能へ変えろ、とでも主張しているのだろうか。
 
そして橋下がどうも文楽の世界に入っていけないと批判していた「顔が見えるとする部分」。
文楽の人形使いは主遣い、左遣い、足遣いの3人により行われるらしいが軸となる主遣いが紋付袴をまとっている時があるが、舞台で最も重要な部分で行われているらしい。
 
この部分に馴染めない、批判する。という事は、今回の舞台で演じられた「曽根崎心中」を全く真剣に見ていなかっただけなんじゃないの。
当然、文楽に関し何も学習などせず、全くの無関心であり何も知識が無い状態で適当に鑑賞していたんだろうな。
 
極端に言えば大衆芸能には大きな関心と興味を持っているし好みなのかもしれないが、伝統芸能に関しては何も全く興味が無いのかもしれない。
 
何を思って鑑賞する事となったか知らないが、最初から全く興味など無く、適当に見ていた事は間違い無いだろう。
 
橋下の一部のツイート。文楽に関し、思う様に書かれている。
 
 


昨日、「自称文楽玄人の言い分も可笑しんじゃないか」と書いたが、「玄人の言い分は正しかった」様で、自分が無知識だった事をさらけ出してしまっていた。

28日のイザの記事にあるが「橋下市長は、文楽の演出についても批判したが、そもそも文楽をはじめ古典芸能には「演出」は存在しない。長い年月の中でさまざまな人たちの手で磨かれた「型」があるからだ。」とある。

多くの人々により磨かれてきた「型」があるのであって、文楽に演出は存在していないらしい。

自分も文楽に関したいした知識を持っていない事は間違いないが、書くからにはしっかりと調べなければならない。そして正しく書く様にしなければならない。その様な事をせずに、勝手に決め付けて何も確認をしていない部分があった。

自称文楽玄人と称する方には謝罪しなければならないと思えてしまうし、間違った部分は訂正しなければならない。故に、文楽の舞台も演出されていたと書いていた事を訂正し、そういった事は無く、そういった事は無く「演出は存在していない」と訂正させて頂きたいと思います。
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