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三宅宏美が3度目のオリンピックで、見事にメダルを獲得する。
三宅宏実、父と二人三脚でつかんだ「銀」
重量挙げは女子48キロ級で銀に輝いた三宅宏実は一つの思いを胸に秘めていた。
「父の首にメダルをかけたい」。競技を始めて12年。3度目の五輪だった。やっとつかんだ悲願のメダルだった。
父の義行さん(66)は、1968年メキシコ五輪銅メダリスト。でも自分はスポーツに関心がなかった。母は娘に自分と同じピアノの先生になってほしいと思っていた。重量挙げ女子が正式種目になったのはシドニー五輪。53キロ級で7位に入賞した平良(旧姓仲嘉 なかが)真理がバーベルを掲げる姿に憧れ、父に競技を始めたいと言った。最初は取り合ってくれなかったが、意志の固さに最後は折れた。こうして父と二人三脚の練習が始まった。
おそらく今回が最後の五輪。その舞台で日本の重量挙げの女子選手で初のメダルに輝いた。父と娘の物語には、最高の結末が待っていた。 (大野展誠) (読売新聞2012/07/29)
父親の三宅義男はメキシコで銅メダルを獲得し、伯父がローマ、東京、メキシコと3大会続け銀、金、金のメダル獲得を行っていたが、これらの血筋から重量挙げの才を継いでいたのだろうか、中学時代から重量挙げに興味を持つ様になり、順々に力を付けていく。
そしてアテネへ初出場を果たし、続いて北京への出場も果たすが、まだ世界の壁が厚かったのかな。表彰台には立てなかった。だが、その後もしっかりと実力を上昇し、そして11年には48では無く、53キロ級で日本新を出すまでに成長した三宅選手。
ロンドンオリンピックでは日本新を更新しながらメダル獲得を行っていたらしい。
体操の相原信行・豊親子、体操の月面宙返りで有名な塚原光男・重量挙げの直也親子に継いで、親子によるメダル獲得を達成している。
自分の記憶の中でこれまでに女子選手が重量上げてメダル獲得者はいなかったんじゃないかと思うが(これは自分の勝手な予想)、親子メダルを達成するだけでは無く、とても大きな記録を残す事となったのではないのだろうか。
と思っていたが、女子選手として重量挙げで初のメダル獲得を行っていたらしい。
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