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今月の中旬から下旬に掛けて、島根県松江市で小中学校の図書館から「はだしのゲン」が閲覧制限されていた事が突然に大きな話題となり、一つの作品が閲覧制限されていた事が問題視される様になっていた。
この作品の閲覧制限に関し、広島県知事は規制すべきでは無いと発言していたし、下村文科相は「下村氏は、過激な描写と指摘される部分を確認したとし、「小中学生が必ずしも正しく理解できない描写と考える人もいるかもしれない」「誤った解釈をしないよう、教員と一緒に学習しようとの考えと聞いている」と指摘。作品全体のメッセージを読み解くことが重要との批判があることには「だからといって露骨な描写があっていいわけではない」」(2013年日刊スポーツ)と、松江市教育委員会の行っていた閲覧制限を理解すると発言していた。
 
はだしのゲンとはどの様な作品なのだろうか。自分は読んだ事が無いので、ハッキリとは分らないが、イザブログを良く書いている産経新聞の記者とイメージが強いんだが政治部編集委員らしい阿比留瑠比氏が「40年近く前、小学校の学級文庫に並ぶこの作品を読んだ筆者は、そこから「平和の尊さを学ぶ」(毎日)というより、人間社会の「悪意」と「憎しみ」ばかりを印象に刻んだ。グロテスクな表現と登場人物の自己中心的な言い分にうんざりした記憶はあっても、「中沢さんの思いに子どもたちが共感した」(朝日)とはにわかに信じがたい」(2013年産経新聞)と批判的に書いてある。その後にも、作品の一部を紹介しながら批判的に書いてあるが、一部だけを示されても全体的に、原作者である中沢啓治氏は何を訴え書こうとしていたのか何も分らない。
何よりも書かれていたのは、戦中戦後の時代かと思われる。現在の子供達が、戦争末期に大量虐殺によりどれだけ苦しい状況に追いやれ、どの様な心理情況にあったのかなど、どの様にして知る事が出来るのだろう。
 
1973年から少年ジャンプで連載された様だが、その後は出版社など変更しながらも1985年まで書き続けていたらしい。あらすじはWekipediaに紹介されてある。広島への原爆投下前後から、1953年までのあらすじが書かれてある。そして、単行本・文庫本の累計発行部数が1000万部を超えているらしい。これまでに多くの者に読まれていた事は間違い無いだろう。
また、安倍第一内閣での麻生外相は「ウィーンで30日から始まる核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会で、日本政府代表団が広島の被爆体験を描いた漫画「はだしのゲン」の英語版を会場内で展示、配布することになった。  大の漫画ファンで知られる麻生太郎外相の肝いりで実現、原爆の悲惨さを生々しく描写した漫画で核軍縮を訴える」(2007年年共同通信)、また「「はだしのゲン」は広島に投下された原爆で父、姉、弟を失い、自らも被爆した少年ゲンが母親、妹とともに懸命に生きていく姿を描いた物語で、米国はじめ各国で出版されている」らしいのだ。そして、「作品の内容、表現などについて様々な意見があるが、作者の実体験に基づく原爆の惨禍や当時の時代背景・世相風俗を表現していながら、エンターテインメントとしても魅せる作品として国内外での評価は高く、映画・ドラマ・アニメ・ミュージカル・絵本・講談化もされている」(Wekipedia)されているらしい。
 
終戦前から53年までの8年間があらすじの期間の様だが、現在の子供達の親たちも戦後生まれが殆どではないのか。
故に、戦中・戦後の日本の状況や当時の人々の心理状況などを知る為には、祖父母などから伝え聞くしかない。戦争末期には米軍より一般市民が、大量虐殺されているが、その事により当時の一般市民がどの様な心理状況へと追いやられてしまったのかなども、しっかりと言い伝える必要があるのではないのだろうか。「はだしのゲン」にどの様な描写や表現があろうと、戦中・戦後の人々がどのような心理状況に追いやられ、苦しい生活を強いられる事になっていたのか、戦争が行われる事が必要なのか否か、そういった事にも強い関心を持たせる為にも、重要な作品ではないかと思われるが。
 
松江市の小中学校の図書館での「はだしのゲン」の閲覧制限は決められていたが、昨年12月に決められていたが、松江市教育委員会の会議では無く、委員会の事務局によって判断されてしまっていたらしい。
 
まして、一部の者の印象から子供には理解されない描写や表現があるだろうとして、閲覧制限を行った事は作者も持ち得る表現の自由の束縛であり、日本漫画化協会が意見書を発表したらしいが、「戦争という『事実』が生々しすぎるからこそ、より身近で親しみやすい表現手段である『漫画』で伝える意味がある」と評価。閲覧制限を「決定した大人たちの無自覚な傲慢(ごうまん)さと、本来尊重すべき、子供の感性への過小評価を強く疑わせるものだ」(2013年朝日新聞)と書かれてあるらしい。
 
26日に、松江市教育委員会は小中学校の図書館での閲覧制限を撤回する事を決定した。この事に関し、下村文科相は文科省が支持した事では無く、反論する事はないとしているようだが。
 
だが、一人だけ松江市教育委員会の撤回に関し批判を浴びせている者がいるが。大阪市長の橋下だ。
 
朝日や毎日の撤回を求める社説を書いたとし、それにより松江市教育委員会は昨年12月の決定を覆されてしまったと馬鹿馬鹿しい事を言っている。
更に、「メディアが騒いで教委の決定を覆した。教委の独立性を完全に脅かした。独立性はいらないと言ったに等しい」(2013年産経新聞)などとも言いまくっている様だ。だが、昨年の12月の決定は教育委員会が行った事では無い。委員会に諮るのでは無く、事務局が勝手に判断し決定されてしまっていた事だ。これが、教委の独立性により判断された事だと言えるのか。そうでは無く、教委の委員存在は無視され独立性など完全に無視されていた事になるのではないのか。
 
また、橋下は「だらしない。独立性を自ら放棄したようなもの。判断に自信があるなら、朝日新聞や毎日新聞に言われようが、『教育的判断だ』といえばいい」と苦言を呈した。教委の独立性に関する自らの見解については「完全独立性はよくない。民意をある程度反映させなければならない」(2013年産経新聞)とするが、今回の撤回は委員会会議が行われずに決定されてしまった事を改めて議論したのだろうし、閲覧制限の撤回に関し民意が全く反映されていないとは思われないが。
 
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