思い、そして感じた事をそのまま
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野党は菅内閣の震災対応への感覚の無さに、多くの国民と同じく強い憤りを感じていたのだろう、内閣不信任案を提出し、菅内閣の崩壊を図ろうとした。悔しい事に、失敗してしまったが。
菅内閣による震災対応の鈍感さ、原発事故に対する地域住民も無視した初動対応やその後の東電という一会社及び関連会社に任せ切っただけの処置。
震災対策、原発事故に対して全く積極的に行おうとしていない。その為に、被災地の大きな被害を受けた被災者達は、大震災発生から現在になっても避難所に置かれたままの生活を強いられてしまっている多くの人々がいるだろうし、大きな被曝量が計測されている飯館村から、いまだ避難できない人々もいる。
瓦礫処置も自治体や、地域の者達任せで国は直接関わろうとはせずに、早急は対処を行ってはいないだろうし、その為に仮設住宅を建てる為の土地の確保もままならず、その設置に大きな遅れが出るようになっているんじゃないか。
また、インフラの復旧が遅れている地域も多くある筈だ。菅内閣は被災地の復旧にも全く積極的では無く、被災者を救う事にも無関心じゃなかったのか。
こういった情報は、国会よりも、マスコミなどが積極的に、そして正確に流し、菅内閣により早急に対処する様に促す責務があるんじゃないか。
そして野党は全く無責任な菅内閣の崩壊を図り、震災復旧・復興に積極的となる政権体制を求め、内閣不信任案を提出した筈だ。
だが、マスコミは提出された不信任案を無責任と強く批判し、震災対応などに無責任な姿勢をばかりを見せていた菅内閣を庇おうとしている。
ついに自民、公明、たちあがれ日本の3党が、菅内閣の不信任決議案を衆院に提出した。
いま、国会の使命は東日本大震災の復旧・復興に向けた予算や法律づくりだ。それなのに露骨な権力ゲームにふける国会議員たちに強い憤りを覚える。
内閣不信任案は、野党の政権攻撃の切り札だ。それを切るなら、もっとわかりやすい理由と明確な展望が要る。そのどちらもないではないか。
自民党の谷垣禎一総裁は、きのうの党首討論で、震災と原発事故への対応の不手際などを理由に挙げた。
確かに、原発事故の情報公開は遅れ、迷走を重ねている。だが、自民党がこれみよがしに攻め立てることへの違和感をぬぐえない。情報公開への消極姿勢も危機管理の甘さも、自民党政権でも指摘されてきたことだ。国策として原子力発電を進めたのも自民党だった。
だからこそ、各党が力を合わせて危機を乗り越えてほしい。それが国民の願いだろう。
谷垣氏は菅直人首相が辞めれば、「党派を超えて団結する道はいくらでもできる」という。
だが「菅おろし」に同調するのは、小沢一郎元代表ら民主党の「反菅」勢力だ。両者は、民主党マニフェストの撤回か、固守かで百八十度違う。首相を代える一点でのみの協調であり、その先の政権構想も描けまい。
「急流でも馬を乗り換えよ」と唱えるのなら、せめて乗り換える馬とともに、その行く先を明示しなければ無責任だ。
野党よりもっと、あぜんとさせられるのは、民主党内の動きだ。首相指名で菅氏に投じ、政権を誕生させた連帯責任を都合よく忘れたようだ。
首相に知恵と力を貸し、叱咤(しった)し、政治を前に進める。それが与党議員の責任だ。なぜ、被災地を回り、支援策を考え、首相に実現を迫る努力を、もっとしないのか。
野党が提出する不信任案への賛成は筋が通らない。内閣を倒そうとするのなら、まず離党してから行動すべきだ。賛成しても除名されないと考えているなら、非常識にもほどがある。
不信任にひた走る議員は、可決されても、この震災下では衆院解散・総選挙はできないと踏んでいるように見える。だとしたら、本来の解散権を縛られたような状況のもとで不信任を行使する政治手法に、姑息(こそく)とのそしりも免れない。
こんな不信任騒動をしなければ、政治は進化できないのか。政治全体が不信任を突きつけられる事態を憂う。
(朝日新聞2011/06/02)
野党の提出した内閣不信任案は、菅内閣のこれまでのいい加減な姿勢に対して訴えているんだよ。
党首討論で野党側が内閣の原発事故への対応の酷さ、情報の隠蔽を強く批判していた事を
何故だか批判する。自民党政権でも指摘されてきた事だというが、それは過去の話だ。菅内閣の行っている事とは、全く事とは関わりの無い事ではないのか。
国策として原子力発電を進めたのも自民党だったとしている。その国策である原子力発電を推進してきていたのも野党の民主党だろうし、政権交代した後には更に拡大し、推進して行こうとしていたではないか。
また、各党が力を合わせて危機を乗り越えて欲しいとあるが、野党は大震災が発生した時には、政治争いを中止するとしていたんじゃないのか。野党の方から、力を合わせて危機を乗り切ろうと望んでいたんじゃないのか。
その野党の意思に対し、果たして菅内閣は応じていたのだろうか。野党の言う様に力を合わせて危機を乗り切ろうとしていれば、展開は幾らか異なっていたのかもしれない。官達は、その様な事は好んではいなかったのだろう。
「菅おろし」を勝手にやっているのは民主党だ。決して、それに同調して不信任案を出したとは思えない。菅内閣を退陣させる可能性が高いだろうと判断したからこそ、今回の行動に出たのだろう。
ましてや、その先の政権構想というのは、新たな政権体制が発足してから決められていく事であり、不信任案が提出される以前から明らかとされなければ為らない事では無いだろうし、決定していなければならないという事でもないだろう。
不信任案を提出しているのでは無く、総選挙でも行っているのであれば、確かに政権与党となった時の政権構想を明らかとし、訴えていかなければならないだろうが。
民主党員が菅政権を誕生させているにも拘らず、その連帯責任を一切認識はせず、ただ自分達が守られればいいと判断したのだろう。被災地に苦しむ人々の事など全く無視し、殆どが造反するのでは無く、不信任案に反対をしたのだから。民主党という政党そのものが、全く無責任な政党であるとしか思えてならない。
また、内閣を倒そうとするならまず離党してからやれ、とあるが、これまでの内閣不信任案が提出された時に、その様な決まりなどあったのか。不信任案では、吉田内閣、大平内閣、宮沢内閣などが可決されているが、与党であった自民党員からも賛成の票は提出されていた筈だ。
この時に、自民党議員たちは皆必ず離党を行っていたのか。また、絶対に離党を行ってからではならないという法でもあるのか。詰まらない屁理屈など止めて貰いたい。
不信任案に対し、無責任な非難を繰り返しているのはマスコミだろう。
マスコミは、野党じゃない、政府が何をやっているかを正確に報じ、それが国民に対しどの様な影響を与えているのかを伝えなければならない筈だ。なのに、政府のやっていた事などほっといて、野党の提出した不信任案ばかりの非難を繰り返す。
菅内閣と同じで、国民を無視したマスコミの無責任な行動なんじゃないのか。不信任案に関し、決して正常な情報を伝えられているとは思えない。提出されたなら、これまでの政府は何をやっていたのか、これまでの政府の震災対応などによって、被災地などはどれ程までに復旧しているのか、そういった情報などが積極的に流されなければならなかった筈だ。
なのに、マスコミのやっている事は、こんな時期に「政局争い」と矛先を変えて馬鹿馬鹿しく非難を繰り返す。不信任案を出している時期か、与野党が共同して復旧・復興を早急に進めるようにしなければならないと避難する。
だが、野党と共同する事も非常に消極的で、復旧・復興が遅くなっていた一番の原因は菅内閣の震災対応だ。更に、通常国会を簡単に打ち切ろうとしていたのに、自分達が危ないと意識した事から、通年国会を発言し始めた。
震災対応をしっかり行おうでは無く、単に自分達の政権延命の為に行っている事は明らかな事じゃないか。どうしてこんな、下らない事をやっている菅内閣を非難しようとはせず、こんな下らない事しか考えない菅内閣を一刻でも早くに退陣させ、新たな政権体制を望んだ野党の内閣不信任案ばかりを非難しなければならない。
情報を提供する媒体としての責務をしっかりと行っているとは思えない。マスコミは、国民の側に立って政府を見ているのでは無く、民主党政権の側に立って、国民を見ている。その様に思えてならない。
だからこそ、あの下らない菅内閣を必死に庇う事が出来るのだろうし、内閣不信任案を徹底的に非難する事が出来るのだろう。
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