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原発事故が起こってから、「脱原発」という言葉が、流行語となっている。すぐにでも原発は止め、廃止へと持っていかなければならない。
原発に変わるエネルギーとして、自然再生エネルギーが大きく注目される様になっている。
自民党の谷垣禎一総裁は26日、党福島県連が今後原発は推進しないとの活動方針を決定したことに対し「今、直ちに全部原発を止めたら日本を再生させ、東北を再興するエネルギーもなくなる。国が安全性に責任を持ちながら当面は動かさなければならない」と述べ、経済再生に向け原発による電力供給は必要との認識を強調した。
その上で「自然エネルギーや再生可能エネルギーをもっと活用できないか模索してく必要は当然ある」と指摘した。福島県郡山市内で記者団に語った。
(産経新聞2011/06/26)
国内には、「原発推進派」とか「脱原発」などといった表現が使われ、ただ原子力発電に関してぶつかり合う状態となっているが、こんな子供喧嘩みたいな事をする事に何の意味があるんだろうか。
原子力発電は、現在の日本の基幹エネルギーの1つであり、点検中の物は、ほぼ再稼動が行なわれないだろう。更に、来年中にでも、全ての原発が停止される事となってしまえば、日本の経済産業に大きな悪影響をもたらす事は間違いない。
エネルギーの供給量が大幅に減少し、日本の中では生産量は減少されていく。中小企業などにどの様な打撃をもたらす事となってしまうのだろうか。民主党政権となってから、デフレ状況は悪化していた。この事にも、大きく影響を与える事になるだろうな。
推進したいと思っているのであれば、原発の安全基準を高めて行きそれに沿った整備を行なう様にしなければならないだろうし、脱原発を強く求めるのであれば、それに変わる安定的な基幹エネルギーを求め、それを築いていかなければならない。
また、「脱原発」を訴える人々は、自然再生エネルギーであれば安全だと主張しているが、その保障は絶対にあるのか。今回の福島第1原発と同じ様に、巨大な自然災害を被る事となった時に、全く損害を受ける事は無い。その様な、絶対的な保障はあるのだろうか。
何よりも、安全基準を高めた整備をするにしろ、自然再生エネルギーの需要供給率を高めるにしろ、かなりの年数が掛かってしまう。
どちらの言い分も、現在の状況には全く適した事では無い。それぞれの言葉は、未来の事ばかりを訴え、反する事に使われている。どちらも、現況など一切見ようとはしていない。ただ、「原発」だけを捉えての言い争いに過ぎない。
現在は、原発事故により大きく不足する事となったエネルギー供給を、如何にして安定状態に戻すかが大事な事なんじゃないのか。
推進か脱かは、エネルギー供給が安定となってから行なえばいい。現況から目を逸らし、理論ばかりを訴え合うなんて事は、非常に馬鹿馬鹿しい事としか思えない。
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