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21日に参議院選挙が行われ、予想通り自民が圧勝し、ねじれ国会は解消された。この事に、早速いちゃもんつける様に報じてる報道番組もあるんじゃないかと思えるが、あれは客観的情報提供を軸として行うのでは無く、自分達の主観的考えをメディアを利用して強引に主張しようとしているだけで、正当な報道を行っているとは思えない。
これは、関口宏が司会をやっている番組に強く感じさせられたんだが。だから、このチャンネルは馬鹿馬鹿しいと一寸見ただけで、完全に見るのを止めた。主に、NHKと日テレ系を見ていたんだが。
 
その後に、よく耳にするのが野党に国会では対案を出せ。だが、対案を出す必要があったのは参議院選挙ではなかったのか。参議院選挙では、野党は安部内閣の経済政策を主に批判しまくっていた。
そういった行為を行うなら、安倍内閣の経済政策に対するしっかりとした対案を主張しなければならなかった筈であり、その具体的内容とどの様に実行するのかなどしっかり説明しなければならなかった。
だが、そういった政党はあったんだろうか。自分達の中身の無い主張をただ訴えるばかりで、実質的な政策の主張など一切無かった。
故に、野党は野次の集団と表した事があったが。
 
選挙により、国民の代表として選出された国会議員達は、国会で国の為、そして国民の生活の為に単に意味の無い勝手な主張などするのでは無く、政策に対する意味ある議論を行わなければならない。
マスコミなどは早速、今回の選挙で大敗を規した野党に対し、安倍内閣の政策への対案を出さなければならないと要求する。どこまで真剣なのか分らないが、野党もそんな意図を示している。
だが、内閣の政策に単に対案を出し張り合うのであれば、第一次安倍内閣で起こったねじれ国会と同じ事の繰り返しをするだけになるんじゃないのか。特に当時の民主は、第一次安倍、福田、麻生内閣の政策に執拗に批判すると同時に、内閣と張り合う姿勢ばかりを示していた。
その対案は、政権交代をしてから実行されていったのだろうが、何も中身の無いバラマキであった事は間違い無い。単純に自分達の思想による政策案を作り出し、これこそが国や国民の為の政策なんだと訴え続けていた。
これにマスコミも乗っかり、その当時の有権者達は何を意識していたのか分らないが、民主やマスコミの中身の無い内閣批判に踊らされ、政権交代が実現する。
それにより、経済や財政は改善されるのでは無く、逆に悪化をする事になる。特に財政は急激な悪化をしてしまい、大量の借金を負う事となってしまっている。
 
国の基本的な政策は内閣が作る物であり、これに対し各政党が批判の道具として、或いはねじれが解消しても政局の道具として対案を出したとしても意味など無いだろう。
内閣の政策の実行を遅らせてしまうだけで、政党の存在を示す為だけを意識した完全に国や国民生活を無視した行動に過ぎない。選挙により国民より国民の代表として選択された者達は、国会では与野党の壁などは一切崩し、互いに協力し合い内閣の示す政策に対し過失を見つけ出し、追求し改善を要求していかなければならない。
 
それにより、よりよい政策へと発展させていかなければならない。更に議員立法なども、与野党による議員の壁など一切排除し積極的に出さなければならない。政府の基本政策は内閣により作成されている事は間違い無いが、完璧な物であるなどとは言い切れないだろう。
故に、過失あれば改善を求めなければならないし、足りない部分がある事に気づけば議員立法により補強していかなければならない。
 
国会は国や国民生活の為の政策を成立させる為に、与野党の壁など一切排除し国と国民生活の為の政策という一つの目的とし、全ての議員が真摯に議論に加わり、意味ある政策を成立させていかなければならない。
そうでなく、政局にいい様に利用しようとするなら、国や国民生活などを全て無視し国会を自分達の為だけに利用しているに過ぎず、以ての外としかいいようが無い。
 
維新の会の橋下が野党再編を訴えている様だが、その意図は一体何なのだろうか。何よりも橋下は大阪市長という大きな職務を任されている者。
にも拘らず、選挙期間には姿勢よりも選挙を意識し各地遊説を行う事を強く意識し実行していたのではなかったろうか。政党の共同代表までも任務している者に、本職である筈の市政を重視しているなどとは到底思えない。
 
また、野党再編の理由として「次期衆院選に向け(野党が)話し合いをして一つの勢力にまとまらないと国のためにならない」とし、維新の会、民主党、みんなの党による再編を強く意識しているのだろうか、「維新、みんなの党、民主党という看板はなくさないとダメだ」とも発言しているのだから。
だが、果たして可能なのだろうか。民主の大きな特徴は色々な党からの寄せ集め政党だったと思われるが。故に、政権を獲得しても議員達はまとまる事は無く、いい加減な政権である事を我々にしっかりと示していたのではなかったのだろうか。
そして、世論が民主に厳しくなってきた時には、一気にバラバラになってしまった。寄せ集めの政党であった事を、あからさまにしたのではないかと思われる。
 
維新の会とみんなの党は、以前は共通の部分があるとして共同を取る姿勢を示してはいた。だが、橋下の一寸した発言を渡辺はどの様に意識したのか知らないが、突然に共同する事を拒否するようになる。
本当に共通の部分があるというよりも、その様に見せかけて政局での自分達の情勢を良い方向へ向けようとしていただけではなかったのだろうか。さらに、維新の会だけでは無い、みんなの党も選挙戦以前より民主党を批判していなかったろうか。
そして、民主も維新の会やみんなの党を批判していた。その目的は、議席数を一つでも獲得する事だったのではないのだろうか。選挙が始まる前までは、協力し合う姿勢も見せていた様だが、いざ選挙になってしまうと全く異なる姿勢を見せてしまう。
この様な政党などが一つの政党へ再編されても、民主と同じ類の政党となるのではないかと思えてしまうが。
 
また、渡辺は橋下の野党再編の主張に対し、「政界再編のためには理念と政策の一致が大前提だ。維新は改革勢力なのか、自民党よりももっと右の復古勢力なのか、分からない。他党に再編を持ちかける前に維新自体の再編が必要だ」と発言すると共に、「国会議員として責任ある立場から発言をしないと再編話は先に進まない」とも発言しているらしい。
渡辺の言っている様に、民主、維新の会、みんなの党に「理念と政策の一致」は果たしてあるのだろうか。
強引に一致させる事はできても、実質的な一致など有り得ないだろうと思えるが。
 
そして渡辺の「国会議員として責任ある立場から発言をしないと再編話は先に進まない」に対し、橋下は反論は決して行ってなどいない様だ。どころか、再編で維新の会が無くなろうと、日本の為の野党が出来るなら構わないなどと発言しているらしい。
 
橋下の政党の共同代表としての無責任さがよく現れていると思われる。
 
野党政党の議員達に、現在の日本の状況を改善しなければならないと、どこまで真摯に意識し活動しようとする者が存在しているのか。改めて意識させられてしまった。
 
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