思い、そして感じた事をそのまま
×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
読売や毎日など複数の新聞がが面白い記事を書いている。大阪の橋下が朝日新聞や朝日放送の取材は拒否すると。
その理由が、自分は読む気も無いけど今週に発売された「週刊朝日」でノンフィヒクションライター佐野眞一らの書いた「ハシシタ 奴の本性」という記事のの中身が気に入らない様で、朝日からの取材は拒否すると。
拒否する理由として取り上げた記事の内容はハッキリ分らないけれど、橋下の血統や系列などを取材している事らしいが。
この記事に関し、橋下は「僕はこれは血脈主義、ないしは身分制につながる極めて恐ろしい考え方だと思っている」と批判しているらしい。
また、「僕も生身の人間ですから、許せない」などと自分の主張を正当化せんとするかの様な発言も行っているみたいだが。
で、橋下の朝日への批判と主張にある「血脈主義」とは一体どういう意味なのだろうか。血脈だと、単純に言えば先祖からの血の繋がり。これにどんな主義があるんだろう。
自分などには分らない。そして身分制にもつながる極めてて恐ろしい考え方としているが、身分制とも何なんだろう。これもしつこく検索してみるが「身分制度」の事を言っているのかなと思えてくる。
身分制度とは何かといえば、社会的階級であって橋下の現在の社会的階級は公人となっているんじゃないのかな。
橋下は「週刊朝日」が自分の事を書いている事を批判し朝日系の取材拒否を主張している筈。要は自分のプライバシーを記事とした事を批判し、許される事では無いと主張している。
プライバシーなどを明らかとされる事を「自分も生身の人間だから許せない」と発言しているらしい。だが、橋下が過去に発言している事とは矛盾する事が発生していないだろうか。
7月2日に市内24区長の公募合格者を集めた会議で、橋下は公人には「今までの生活と違うことを意識して態度、振る舞いを律してほしい。今日からはプライバシーも基本的人権もないと考えてほしい」として、公人として自覚ある行動を取る様に釘を刺している筈だ。
公人にはプライバシーや基本的人権など無いと、橋下は執拗に言い切っている。
まず公人とはなんだろう。公職にある者で、公務員や議員など。橋下も市長だが公務員の筈。要するに公人の一人。
では、プライバシーと基本的人権とは何か。プライバシーは個人の秘密なんだろうし、基本的人権は個人に与えられる国家権力により制限される事の無い自由権であり、参政権、生存権、社会権が保障される人権だろうか。
公人は、これらプライバシーや基本的人権を持ち得ないと橋下は主張していた筈だし、公務に勤める者達にもこの主張を基として行動を行ってきていたんじゃなかったろうか。
自分にはプライバシーも基本的人権も無いんだと言い切っていた筈の橋下。「週刊朝日」の記事では橋下の血筋や親の事などが書かれているらしいが、公務に勤める者達は私的な事をどの様に言われ様とそれらに関し拒否する権限は無いと主張しきっていたんじゃないのか。
なのに何故批判をし、朝日の取材を拒否すると言い切るのだろう。過去の発言と、現在の行動が全く異なっていると思えてならないが。
これまで公務員にも同じ様な事を主張し、公務員その者を強烈に批判し続けていたのではなかったのだろうか。
だからこそ、公務に務める者達の人権など無視してやりたい様にやりまくっていたし、批判もしまくっていた。橋下は朝日の取材を拒否すると言い切る時に、これまでに自分が行ってきていた事の意識は無かったのだろうか。
公務に勤める者に対するしっかりとした意識を持った行動をしてきていたのであれば、「週刊朝日」には橋下のプライバシーに関する事が記事にされていただろうと思えるが、何も文句など言う権利など無かったのではないかと思われるが。
公人にはプライバシーや基本的人権は無いと言い切っているのだから。
自分以外の公務に勤める者達に対しては強烈に厳しい姿勢を取ろうとしていたのに、同じく公務に勤める自分に関しては逆に甘い姿勢をとろうとしている。
他の公務に勤める者達の人権など認めないとしていながら、自分に関する事にはプライバシーと人権を強く主張しようとする。非常に不平等な行動を行っているのではないのだろうか。
過去の主張とは異なる主張を平気で行う橋下。完璧な二重人格なんだなと、改めて意識させられた。
その理由が、自分は読む気も無いけど今週に発売された「週刊朝日」でノンフィヒクションライター佐野眞一らの書いた「ハシシタ 奴の本性」という記事のの中身が気に入らない様で、朝日からの取材は拒否すると。
拒否する理由として取り上げた記事の内容はハッキリ分らないけれど、橋下の血統や系列などを取材している事らしいが。
この記事に関し、橋下は「僕はこれは血脈主義、ないしは身分制につながる極めて恐ろしい考え方だと思っている」と批判しているらしい。
また、「僕も生身の人間ですから、許せない」などと自分の主張を正当化せんとするかの様な発言も行っているみたいだが。
で、橋下の朝日への批判と主張にある「血脈主義」とは一体どういう意味なのだろうか。血脈だと、単純に言えば先祖からの血の繋がり。これにどんな主義があるんだろう。
自分などには分らない。そして身分制にもつながる極めてて恐ろしい考え方としているが、身分制とも何なんだろう。これもしつこく検索してみるが「身分制度」の事を言っているのかなと思えてくる。
身分制度とは何かといえば、社会的階級であって橋下の現在の社会的階級は公人となっているんじゃないのかな。
橋下は「週刊朝日」が自分の事を書いている事を批判し朝日系の取材拒否を主張している筈。要は自分のプライバシーを記事とした事を批判し、許される事では無いと主張している。
プライバシーなどを明らかとされる事を「自分も生身の人間だから許せない」と発言しているらしい。だが、橋下が過去に発言している事とは矛盾する事が発生していないだろうか。
7月2日に市内24区長の公募合格者を集めた会議で、橋下は公人には「今までの生活と違うことを意識して態度、振る舞いを律してほしい。今日からはプライバシーも基本的人権もないと考えてほしい」として、公人として自覚ある行動を取る様に釘を刺している筈だ。
公人にはプライバシーや基本的人権など無いと、橋下は執拗に言い切っている。
まず公人とはなんだろう。公職にある者で、公務員や議員など。橋下も市長だが公務員の筈。要するに公人の一人。
では、プライバシーと基本的人権とは何か。プライバシーは個人の秘密なんだろうし、基本的人権は個人に与えられる国家権力により制限される事の無い自由権であり、参政権、生存権、社会権が保障される人権だろうか。
公人は、これらプライバシーや基本的人権を持ち得ないと橋下は主張していた筈だし、公務に勤める者達にもこの主張を基として行動を行ってきていたんじゃなかったろうか。
自分にはプライバシーも基本的人権も無いんだと言い切っていた筈の橋下。「週刊朝日」の記事では橋下の血筋や親の事などが書かれているらしいが、公務に勤める者達は私的な事をどの様に言われ様とそれらに関し拒否する権限は無いと主張しきっていたんじゃないのか。
なのに何故批判をし、朝日の取材を拒否すると言い切るのだろう。過去の発言と、現在の行動が全く異なっていると思えてならないが。
これまで公務員にも同じ様な事を主張し、公務員その者を強烈に批判し続けていたのではなかったのだろうか。
だからこそ、公務に務める者達の人権など無視してやりたい様にやりまくっていたし、批判もしまくっていた。橋下は朝日の取材を拒否すると言い切る時に、これまでに自分が行ってきていた事の意識は無かったのだろうか。
公務に勤める者に対するしっかりとした意識を持った行動をしてきていたのであれば、「週刊朝日」には橋下のプライバシーに関する事が記事にされていただろうと思えるが、何も文句など言う権利など無かったのではないかと思われるが。
公人にはプライバシーや基本的人権は無いと言い切っているのだから。
自分以外の公務に勤める者達に対しては強烈に厳しい姿勢を取ろうとしていたのに、同じく公務に勤める自分に関しては逆に甘い姿勢をとろうとしている。
他の公務に勤める者達の人権など認めないとしていながら、自分に関する事にはプライバシーと人権を強く主張しようとする。非常に不平等な行動を行っているのではないのだろうか。
過去の主張とは異なる主張を平気で行う橋下。完璧な二重人格なんだなと、改めて意識させられた。
PR