思い、そして感じた事をそのまま
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週刊朝日に書かれていた「ハシシタ 奴の本性」とやらは大きな話題になって、各大手新聞紙の電子版に書かれていた記事には橋下を擁護し週刊朝日、或いは朝日新聞を批判するツイッターが殆ど。
ブログに関しても多く書かれていたみたいで、BLOGSに紹介されている物もあるが、橋下を擁護し朝日などを批判する記事や橋下自身が書く物があったが、一寸時間が経ってくると異なる物もポツポツ出てくるようになってくる。
最初は風潮に駆られて書いていた人もいたのだろうし、それに同意する人も多かったんじゃないだろうかと思える。だが、時間が経ってくると週刊朝日を冷静に見て書く人物も現れる。
橘玲氏の「週刊朝日は謝罪すべきではなかったし、連載を続けるべきだった」や宮武嶺(徳岡宏一朗弁護士)の「佐野眞一氏と週刊朝日の「ハシシタ 奴の本性」は橋下徹大阪市長の人権を侵害していない」など。
自分は週刊朝日の「ハシシタ 奴の本性」などという記事など全く読む気が無いと書いたが、すでに完売などと情報が流れているが現在でも全く興味を持てない。ただ橋下にいい様に利用されていると思えてならないので。
被差別部落というのは江戸時代に置かれていた士農工商やその他の身分の世襲を行わせていた身分制度によって生まれたものとされている。
士は武士であり最も高い身分にあったのだろうが、農工商は平人とされ現代で言えば一般人として扱われていたのだろうか。その下に、「穢多・非人」とされる賤民とされる身分が存在していたらしい。
これらの集落、或いは部落が被差別部落と称されていたのでは無いのだろうか。だが、この身分制度は明治時代に廃止されている。
現代の行政では被差別部落を同和と称されている。そして現代の民衆は過去の被差別部落である同和地区に暮らす人々を差別する意識を持っている持っているとされる。これを同和問題とされていると思われるのだが。
橋下はこの事を捉えて「血脈主義」、「身分制度」という言葉を連発していたのだろうか。
この同和問題に関してはメディアは取り上げてはならない、扱ってはならないとされていたらしいとして、自主規制を行っていたらしいが。週刊朝日は同和問題に関わる記事を書いているみたいだ。
同和地区と特定されている地域を特定し、絡めて橋下にの人格を追求する記事を書いた。この事に関し激しい批判が行われていたのではないだろうか。
橋下や記事を批判する者達は、この記事に書かれていたらしい同和地区を特命していた面や橋下がそこに暮らし、父親がどの様な人物であったかなど出自を明らかとしようとしていた事など。特に同和地区に橋下を絡める事に批判は集中されていたのではないだろうか。
特にメディアに関わる者達は、同和地区に関して書かれた部分を強く批判しているのではないかと思えるが。
そして橋下は、この記事は表現の自由の一線を越えた物であり人権侵害とも強調している。自分に対してなのかそれとも明らかとされた一つの同和地区、或いは被差別部落と称される地域に暮らす人々への人権侵害と訴えていたのだろうか。
橋下は、この週刊朝日の「ハシシタ 奴の本性」を一線を越えた報道であり人権侵害だと強調し批判する。では、同和地区に暮らす人々に対する人権侵害、或いは自分に対する人権侵害としているのか。果たしてどっちなのだろう。
橋下のツイッターを見れば、「これは公人チェックでもなんでもなく、単に僕や家族を社会的に抹殺するための記事。」といった事を活発に書いている。
間違いなく地域の人々では無く、橋下個人に対する人権侵害だと主張しながら朝日新聞などを激しく批判しているのだろう。
だが橋下は、7月2日に市内24区長の公募合格者を集めた会議で、橋下は公人には「今までの生活と違うことを意識して態度、振る舞いを律してほしい。今日からはプライバシーも基本的人権もないと考えてほしい」と発言している。
公人でもある自分にもプライバシー、基本的人権は無いと言い切っている筈だ。だから、公務に勤める者達に対しては個人の意思など一切無視し、強制的に自分の要求する事の実行を命じていた。
それに応じない者には罰を与えるとしていなかったか。故に、橋下の行っている事は人権違反だと弁護士会やその他多くの者から強く批判されていたの筈だ。
他の公務に勤める者達には人権やプライバシーを認めようとはせずに、同じ公人でありながら自分に関しては人権を主張する。
橋下を擁護する者達の意識は知らないが、自分は納得できない。
人権侵害を強調する橋下に対し徳岡宏一朗弁護士のブログ「Everyone says I love you !」には反論する記事が書かれてある。
-引用-
橋下氏がそういうものですから、君が代起立斉唱条例や、彼の職員組合に対する対応を『人権違反だ!!(と言う言葉は初めて聞いたけど)』と批判している私でも、今回は、「部落差別や人権侵害は許さない」ときっぱりけじめをつけて言い切りますよ、というところを見せようと、あえて普段は買わない雑誌を注文したのです。
私自身、何度も、橋下氏自身の責任ではない出自を問題にすべきではないと書いてきましたし。
ところが、今回の記事を読んでみると、これは橋下氏の人権を侵害していないばかりか、もちろん部落差別の意図が感じられるような記事ではなかったんですね。
問題なのは、佐野氏や編集長も認めている通り、橋下家が一時住んでいたある地域に被差別部落があると書いた部分だけでしょう。それは橋下氏自身の人権を侵害する部分ではなくて、他の方に迷惑をかける部分です。それ以外にも編集長は複数問題があるといっていますが、私にはほかには見当たりませんでした。
しかし、今はネット上でもリアルでも、橋下氏自身の人権侵害されたという論調で塗りつぶされているのでしょう?しかも、当事者たちが早々と白旗を掲げて「ごめんなさい」しているのに、記事に人権侵害がないといまさら私がいうのも、リスクだけあって益がない間抜けな話です。
-引用-
この記事に対し、橋下はツイッターで反論をというよりも個人への中傷を書いていたと思われるが。また、弁護士や日本弁護士会などは自分の行う事には「人権違反」と批判を重ねていたが、自分に関する「人権侵害」に関しては何も言わない。
これまでの自分への人権に関する批判は自分達の存在意義を示そうとしていただけだろう、だから自分に関する「人権侵害」には何も言わないと批判する。
週刊朝日の「ハシシタ 奴の本性」に書かれていただろう同和地区の指定地域の人々の事などは一切無視していた事になるのではないだろうか。本当に同和問題、同和地区に暮らす人々に対する差別意識が現在でも存在しているのなら同和地区の地域が示されている事を大きな問題と捉えなければならなかったのではないのだろうか。
だが、橋下にはその様な意識が感じられない。あくまでも自分の出自に関する取材に対して怒りを強調し、朝日ばかりを強烈に批判している。
何よりも、橋下は府知事の時代から自分は同和地区で育ったんだと自ら発言をしている。ユーチューブにもあるが、産経新聞にも記載されている。
-引用-
むろん、橋下の同和施策が少年期の体験だけで進められているわけではない。ただ、このデリケートな問題を人一倍、目の当たりにし、視野を広げ、自らの頭で考え続けてきたことは確かである。
「私はいわゆる同和地区で育ったが、同和問題は全く解決されていない。ただ、差別意識があるからといって、特別な優遇措置を与えていいのかは別問題。一から総点検していただく」。今年3月の府議会で、そう言い切った橋下。
補助金の見直しを求めた4月の府の公開議論では、一向に具体案を提示しない担当職員を険しい表情で切り捨てる一幕もあった。「中身がまったく出てこない。府民に分かりにくい」。激怒した橋下はさらにこう続けた。
「 むろん、橋下の同和施策が少年期の体験だけで進められているわけではない。ただ、このデリケートな問題を人一倍、目の当たりにし、視野を広げ、自らの頭で考え続けてきたことは確かである。
「私はいわゆる同和地区で育ったが、同和問題は全く解決されていない。ただ、差別意識があるからといって、特別な優遇措置を与えていいのかは別問題。一から総点検していただく」。今年3月の府議会で、そう言い切った橋下。
補助金の見直しを求めた4月の府の公開議論では、一向に具体案を提示しない担当職員を険しい表情で切り捨てる一幕もあった。「中身がまったく出てこない。府民に分かりにくい」。激怒した橋下はさらにこう続けた。
「この問題に真っ正面から取り組まないと人権問題、同和問題は解決しない。逃げてはいけない」
(産経新聞2008年/07/30)
-引用-
週刊朝日の記事を自分の人格や家族を抹消する為に書かれたものと批判しているが、府知事時代に自ら同和地区より育ったんだと明らかにしている。
出自により自分が同和地区で育った事が明らかにされた事を自分に対する人権侵害としているが、同和問題に対しどれだけの対処を行っていたのだろうか。
また、橋下徹に関してはWekipediaでも取り上げられており、出自に関してもかなり詳しく書かれている。それらを書く資料の中には、週刊朝日の記事は含まれていない。
橋下は府知事の時から自分は同和地区で育っていると明らかとしているしている事は完全な事実。
また政治家でもある公人の人格を求めるにはその個人の姿勢だけを追及するのではなく、どの様な家庭・環境で育っていたのか出自を強く追求される事も当然の事ではないのだろうか。
昨年に発売された週刊新潮や週刊文春などは橋下の出自を追求する記事を書いていたのだろうし、今月に発売された週刊朝日の記事の趣旨も同じ事ではなかったか。
橋下自身の出身は東京かもしれないが、小学生の頃から大阪市の同和地区で育っている事を明らかとしている。にも拘らず、マスコミによって明かされる事を「人権侵害」、「暴力」などと表現するのだろう。
更に、自分の出自が明らかとされる事は自分の人格や家庭の抹消だと表現する。
週刊新潮などでは同和地区で育ったとは書かれていても、どの地域で暮らしていたのはまでは書いていなかったと思われる。だが、産経新聞が下記の事を記事としている。
-引用-
《私の中学では同和教育をしている。前の学校では、ひとかけらもこんな教育を受けたことがなかった》
これは、橋下徹(はしもと・とおる)が中学時代に書いた卒業文集の一節だ。ほかの生徒の多くが、「3年間の思い出」のような子供らしい内容に終始する中、橋下がつけたタイトルは「視野を広げる」。
東京から大阪に移り、2度目の引っ越し先となった大阪市東淀川区での生活は、橋下自身が「僕の人格を作ってくれたところ」と振り返っているように、濃密な時間だった。中でも中学校で学んだ人権教育は、思春期の橋下にとって「カルチャーショック」とも言える出来事だったようだ。
(産経新聞2008/07/30)
-引用-
「この問題に真っ正面から取り組まないと人権問題、同和問題は解決しない。逃げてはいけない」と主張していた橋下府知事は、真正面から取り組まなければ人権問題とする同和問題をどの様に解決していたのだろうか。
というよりも、本当に真正面から取り組んでいたのだろうか。自分は大阪府の者では無いが、強い疑念が感じられてならない。
産経の記事は東淀川区で暮らしていた事を特定している。更に月間「同和と在日」というブログに「G2」の10年12月号に森功「同和と橋下徹」を軸として書かれているが、橋下の同和地区での暮らしがより詳しく書かれている。
過去から橋下の同和での暮らしが何件も書かれ、その地域も特定される様に書かれてある。過去から自ら明かし、更には複数のメディアを通じ橋下と同和の情報が流通されていたのに、今回の週刊朝日に関し飲み激しく批判する様な行動に出たのだろう。
何故、週刊朝日に書かれた記事を強く取り上げ、権力により朝日新聞の取材拒否を行ったのだろうか。
ただ朝日が嫌いだっただけ、朝日の記事は殆ど見ていないので分らないけれど橋下にとっては都合の悪い事ばかりが書かれていたのだろうか。また、橋下は朝日は取材場所に来ることは構わないし、取材を取材する事も構わない。
だが朝日の取材だけは拒否するとしていた。
週刊朝日の記事を暴力としているが、橋下の行動こそ権力による暴力ではないかと思えてならないが。
そして週刊朝日の記事は報道の一線を越えた記事であり、暴力であり、自分への人権侵害だと激しく批判というよりも強調している。
まず、父親が暴力団員だった、過去に育った場所が同和地区だった。こういった事が一線を越えた報道の暴力、人権侵害となるのだろうか。
同和地区に暮らしていた事など出自が明らかとされれば、自分の子供達にも影響を及ぼす事となる。自分の人格と家庭を抹消する為に書かれた記事だと可笑しな表現までしている。
「ハシシタ 奴の本性」は同和問題を助長するとされているとも思われるが、この記事を読んだ人々や批判する人々は同和問題をどの様に意識しているのだろうか。
同和を探っている間に非常に関心を持つ様になってしまった。
だが、本来の橋下の本名は「ハシシタ トオル」らしく、橋下が幼児の頃に母親がハシシタから橋下へ改名したとWekipediaの「橋下徹」には記されている。
また、本名は「ハシシタ トオル」とするユーチューブも存在するが。
同和地区とされる地域はユーチューブなどによっても紹介されている。自分には同和地区とはどの様な地域なのかなど全く理解できていなかったので、何件か見させてもらった。
古い建物が多く貧乏の様な地域に見えるから、地域のインフレなどが完全に整備されていないから同和地区とされているのかと思わされたが。
ただ単純に蔑視しているとしか思われない。
見た中から2件だけ紹介させてもらいます。「大和高田」と「不気味で気持ち悪い。西成あいりんの裏路地。」。
大和高田には自分には不快に思えるコメントもありましたので。
日本国憲法第14条に「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」とされている。
どの様な地域、或いはどの様な暮らしをしていようと「すべて国民は、法の下に平等」とされている。
同和地区とされる地域に暮らしているから部落差別という意識を持つこと事態が異常と思えてならない。
どの様な場所で暮らし、どの様な生活を送っていようとも偏見したり、差別する必要など無い筈だ。その様な意識を持つこと事態が「人権侵害」となるのではないのか。
マスコミは同和問題を報じる事を自主規制しているらしいが、何故そうしなければならない。逆ではないか。
報じないでは無く、活発に報じる事により同和問題とはどういったことなのかを多くの人々にしっかりと認識してもらう必要がある。蔑視している者、差別意識を持っている人など全ての人々に。
情報を封じ、何も伝えようとしない知らせようとしない、その様な姿勢を行っていれば過去から根付いているだろう差別意識がいつまで経っても消える訳が無い。
一部の地域が差別されるとされる同和問題の解決を求めるなら、ただ地域の改善を行えば言いという事では無く、人々の意識の改善事が最も重要なのではないのか。
なのに、何故マスコミは活発に報じようとはしない。どころか、一人の人間に絡めて同和地区を記事にした事を激しく批判が行われた。
単に橋下を擁護する為に批判した者も多くいたのかもしれないが、同和地区を蔑視する意識を持っている者も多くいたのではないのだろうか。
そして橋下も、同和地区で育っていながら蔑視している一人ではないかと思えてならない。
記事は自分や過程を抹消する為に書かれたものと強調しているが、橋下は記事を「血脈主義」「身分主義」などと称していなかっただろうか。
自分が部落民の血脈とされれば自分も部落民とされ、自分の子供や家庭に大きな悪影響を与える事となると強調しているのだろう。
となれば、橋下自身が血脈主義であり部落民の血を引く者は部落民であると言い切っていると思えてならない。
同和地区とされる地域で暮らそうがそれ以外の地域で暮らそうが、一人の個人として成長していく。決して差別される為に成長するという事など有り得ない。ただ、育ち方による個人のイメージや体の機能に障害を持つ者達は、イメージや障害を基として蔑視されている可能性が高いのではないかと思われるが。
差別される者が現れようと地域などは一切関係ない。それぞれの家庭でどの様な成長をしていくのか、障害者となるか否かにより蔑視されるか否かに大きな違いが出るのではないかと思われる。
同和地区とされる地域と差別は実質的には関係の無い事なのではないか。
同和地区への差別はあくまでも人間の差別意識であって、同和問題を解決するという事は同和地区への差別意識による蔑視を抹消する事ではなかったかと思えるが、蔑視を抹消しなければならないといった意識など無かったのだろう。
橋下自身も部落民と称される同和地区の人々を蔑視している。
故に、自分の出自で同和地区で育っていた事が報じられれば、同和地区で家系が暮らしていた事が報じられれば自分達も部落民とされてしまうと意識しただろうし、利用しようともした。だから、記事は自分の人格や家庭を抹消する為に書かれたものだと強調しているのだろう。
自分で明かしてきていた事、或いは晒されてきていた事が多くあったのにこれまでには取材拒否という行動などは行ってはいなかった。だが、今回の週刊朝日に関してのみ何故だか行っている。
最近の橋下は竹島問題などで非常に呆れた発言などを行い、支持率を大きく減少させていた筈だ。その事も意識していたのだろうな。
この時期に、自分の出自に絡み同和問題に関わる記事を書いた週刊朝日がいい獲物となったのだろう。故に朝日などの取材拒否という権力の横暴を行い、マス・メディアにとって大きな鍵となる取材を強く拒否し、朝日などを屈服させ自分の発言を正道化させ大きく減少した支持率の上昇を図っていたのだろう。
自分の益の為になら週刊誌の記事も都合よく利用し、マスコミに激しい反論を繰り広げる事により自分の高感度を挙げる、と同時に支持率も回復させようとしていた。
更には、記事に書かれていた同和問題に関わる面ももしっかりと利用している事は間違いないだろう。やはり橋下という者は、異常であり卑怯な者と思えてならない。
ブログに関しても多く書かれていたみたいで、BLOGSに紹介されている物もあるが、橋下を擁護し朝日などを批判する記事や橋下自身が書く物があったが、一寸時間が経ってくると異なる物もポツポツ出てくるようになってくる。
最初は風潮に駆られて書いていた人もいたのだろうし、それに同意する人も多かったんじゃないだろうかと思える。だが、時間が経ってくると週刊朝日を冷静に見て書く人物も現れる。
橘玲氏の「週刊朝日は謝罪すべきではなかったし、連載を続けるべきだった」や宮武嶺(徳岡宏一朗弁護士)の「佐野眞一氏と週刊朝日の「ハシシタ 奴の本性」は橋下徹大阪市長の人権を侵害していない」など。
自分は週刊朝日の「ハシシタ 奴の本性」などという記事など全く読む気が無いと書いたが、すでに完売などと情報が流れているが現在でも全く興味を持てない。ただ橋下にいい様に利用されていると思えてならないので。
被差別部落というのは江戸時代に置かれていた士農工商やその他の身分の世襲を行わせていた身分制度によって生まれたものとされている。
士は武士であり最も高い身分にあったのだろうが、農工商は平人とされ現代で言えば一般人として扱われていたのだろうか。その下に、「穢多・非人」とされる賤民とされる身分が存在していたらしい。
これらの集落、或いは部落が被差別部落と称されていたのでは無いのだろうか。だが、この身分制度は明治時代に廃止されている。
現代の行政では被差別部落を同和と称されている。そして現代の民衆は過去の被差別部落である同和地区に暮らす人々を差別する意識を持っている持っているとされる。これを同和問題とされていると思われるのだが。
橋下はこの事を捉えて「血脈主義」、「身分制度」という言葉を連発していたのだろうか。
この同和問題に関してはメディアは取り上げてはならない、扱ってはならないとされていたらしいとして、自主規制を行っていたらしいが。週刊朝日は同和問題に関わる記事を書いているみたいだ。
同和地区と特定されている地域を特定し、絡めて橋下にの人格を追求する記事を書いた。この事に関し激しい批判が行われていたのではないだろうか。
橋下や記事を批判する者達は、この記事に書かれていたらしい同和地区を特命していた面や橋下がそこに暮らし、父親がどの様な人物であったかなど出自を明らかとしようとしていた事など。特に同和地区に橋下を絡める事に批判は集中されていたのではないだろうか。
特にメディアに関わる者達は、同和地区に関して書かれた部分を強く批判しているのではないかと思えるが。
そして橋下は、この記事は表現の自由の一線を越えた物であり人権侵害とも強調している。自分に対してなのかそれとも明らかとされた一つの同和地区、或いは被差別部落と称される地域に暮らす人々への人権侵害と訴えていたのだろうか。
橋下は、この週刊朝日の「ハシシタ 奴の本性」を一線を越えた報道であり人権侵害だと強調し批判する。では、同和地区に暮らす人々に対する人権侵害、或いは自分に対する人権侵害としているのか。果たしてどっちなのだろう。
橋下のツイッターを見れば、「これは公人チェックでもなんでもなく、単に僕や家族を社会的に抹殺するための記事。」といった事を活発に書いている。
間違いなく地域の人々では無く、橋下個人に対する人権侵害だと主張しながら朝日新聞などを激しく批判しているのだろう。
だが橋下は、7月2日に市内24区長の公募合格者を集めた会議で、橋下は公人には「今までの生活と違うことを意識して態度、振る舞いを律してほしい。今日からはプライバシーも基本的人権もないと考えてほしい」と発言している。
公人でもある自分にもプライバシー、基本的人権は無いと言い切っている筈だ。だから、公務に勤める者達に対しては個人の意思など一切無視し、強制的に自分の要求する事の実行を命じていた。
それに応じない者には罰を与えるとしていなかったか。故に、橋下の行っている事は人権違反だと弁護士会やその他多くの者から強く批判されていたの筈だ。
他の公務に勤める者達には人権やプライバシーを認めようとはせずに、同じ公人でありながら自分に関しては人権を主張する。
橋下を擁護する者達の意識は知らないが、自分は納得できない。
人権侵害を強調する橋下に対し徳岡宏一朗弁護士のブログ「Everyone says I love you !」には反論する記事が書かれてある。
-引用-
橋下氏がそういうものですから、君が代起立斉唱条例や、彼の職員組合に対する対応を『人権違反だ!!(と言う言葉は初めて聞いたけど)』と批判している私でも、今回は、「部落差別や人権侵害は許さない」ときっぱりけじめをつけて言い切りますよ、というところを見せようと、あえて普段は買わない雑誌を注文したのです。
私自身、何度も、橋下氏自身の責任ではない出自を問題にすべきではないと書いてきましたし。
ところが、今回の記事を読んでみると、これは橋下氏の人権を侵害していないばかりか、もちろん部落差別の意図が感じられるような記事ではなかったんですね。
問題なのは、佐野氏や編集長も認めている通り、橋下家が一時住んでいたある地域に被差別部落があると書いた部分だけでしょう。それは橋下氏自身の人権を侵害する部分ではなくて、他の方に迷惑をかける部分です。それ以外にも編集長は複数問題があるといっていますが、私にはほかには見当たりませんでした。
しかし、今はネット上でもリアルでも、橋下氏自身の人権侵害されたという論調で塗りつぶされているのでしょう?しかも、当事者たちが早々と白旗を掲げて「ごめんなさい」しているのに、記事に人権侵害がないといまさら私がいうのも、リスクだけあって益がない間抜けな話です。
-引用-
この記事に対し、橋下はツイッターで反論をというよりも個人への中傷を書いていたと思われるが。また、弁護士や日本弁護士会などは自分の行う事には「人権違反」と批判を重ねていたが、自分に関する「人権侵害」に関しては何も言わない。
これまでの自分への人権に関する批判は自分達の存在意義を示そうとしていただけだろう、だから自分に関する「人権侵害」には何も言わないと批判する。
週刊朝日の「ハシシタ 奴の本性」に書かれていただろう同和地区の指定地域の人々の事などは一切無視していた事になるのではないだろうか。本当に同和問題、同和地区に暮らす人々に対する差別意識が現在でも存在しているのなら同和地区の地域が示されている事を大きな問題と捉えなければならなかったのではないのだろうか。
だが、橋下にはその様な意識が感じられない。あくまでも自分の出自に関する取材に対して怒りを強調し、朝日ばかりを強烈に批判している。
何よりも、橋下は府知事の時代から自分は同和地区で育ったんだと自ら発言をしている。ユーチューブにもあるが、産経新聞にも記載されている。
-引用-
むろん、橋下の同和施策が少年期の体験だけで進められているわけではない。ただ、このデリケートな問題を人一倍、目の当たりにし、視野を広げ、自らの頭で考え続けてきたことは確かである。
「私はいわゆる同和地区で育ったが、同和問題は全く解決されていない。ただ、差別意識があるからといって、特別な優遇措置を与えていいのかは別問題。一から総点検していただく」。今年3月の府議会で、そう言い切った橋下。
補助金の見直しを求めた4月の府の公開議論では、一向に具体案を提示しない担当職員を険しい表情で切り捨てる一幕もあった。「中身がまったく出てこない。府民に分かりにくい」。激怒した橋下はさらにこう続けた。
「 むろん、橋下の同和施策が少年期の体験だけで進められているわけではない。ただ、このデリケートな問題を人一倍、目の当たりにし、視野を広げ、自らの頭で考え続けてきたことは確かである。
「私はいわゆる同和地区で育ったが、同和問題は全く解決されていない。ただ、差別意識があるからといって、特別な優遇措置を与えていいのかは別問題。一から総点検していただく」。今年3月の府議会で、そう言い切った橋下。
補助金の見直しを求めた4月の府の公開議論では、一向に具体案を提示しない担当職員を険しい表情で切り捨てる一幕もあった。「中身がまったく出てこない。府民に分かりにくい」。激怒した橋下はさらにこう続けた。
「この問題に真っ正面から取り組まないと人権問題、同和問題は解決しない。逃げてはいけない」
(産経新聞2008年/07/30)
-引用-
週刊朝日の記事を自分の人格や家族を抹消する為に書かれたものと批判しているが、府知事時代に自ら同和地区より育ったんだと明らかにしている。
出自により自分が同和地区で育った事が明らかにされた事を自分に対する人権侵害としているが、同和問題に対しどれだけの対処を行っていたのだろうか。
また、橋下徹に関してはWekipediaでも取り上げられており、出自に関してもかなり詳しく書かれている。それらを書く資料の中には、週刊朝日の記事は含まれていない。
橋下は府知事の時から自分は同和地区で育っていると明らかとしているしている事は完全な事実。
また政治家でもある公人の人格を求めるにはその個人の姿勢だけを追及するのではなく、どの様な家庭・環境で育っていたのか出自を強く追求される事も当然の事ではないのだろうか。
昨年に発売された週刊新潮や週刊文春などは橋下の出自を追求する記事を書いていたのだろうし、今月に発売された週刊朝日の記事の趣旨も同じ事ではなかったか。
橋下自身の出身は東京かもしれないが、小学生の頃から大阪市の同和地区で育っている事を明らかとしている。にも拘らず、マスコミによって明かされる事を「人権侵害」、「暴力」などと表現するのだろう。
更に、自分の出自が明らかとされる事は自分の人格や家庭の抹消だと表現する。
週刊新潮などでは同和地区で育ったとは書かれていても、どの地域で暮らしていたのはまでは書いていなかったと思われる。だが、産経新聞が下記の事を記事としている。
-引用-
《私の中学では同和教育をしている。前の学校では、ひとかけらもこんな教育を受けたことがなかった》
これは、橋下徹(はしもと・とおる)が中学時代に書いた卒業文集の一節だ。ほかの生徒の多くが、「3年間の思い出」のような子供らしい内容に終始する中、橋下がつけたタイトルは「視野を広げる」。
東京から大阪に移り、2度目の引っ越し先となった大阪市東淀川区での生活は、橋下自身が「僕の人格を作ってくれたところ」と振り返っているように、濃密な時間だった。中でも中学校で学んだ人権教育は、思春期の橋下にとって「カルチャーショック」とも言える出来事だったようだ。
(産経新聞2008/07/30)
-引用-
「この問題に真っ正面から取り組まないと人権問題、同和問題は解決しない。逃げてはいけない」と主張していた橋下府知事は、真正面から取り組まなければ人権問題とする同和問題をどの様に解決していたのだろうか。
というよりも、本当に真正面から取り組んでいたのだろうか。自分は大阪府の者では無いが、強い疑念が感じられてならない。
産経の記事は東淀川区で暮らしていた事を特定している。更に月間「同和と在日」というブログに「G2」の10年12月号に森功「同和と橋下徹」を軸として書かれているが、橋下の同和地区での暮らしがより詳しく書かれている。
過去から橋下の同和での暮らしが何件も書かれ、その地域も特定される様に書かれてある。過去から自ら明かし、更には複数のメディアを通じ橋下と同和の情報が流通されていたのに、今回の週刊朝日に関し飲み激しく批判する様な行動に出たのだろう。
何故、週刊朝日に書かれた記事を強く取り上げ、権力により朝日新聞の取材拒否を行ったのだろうか。
ただ朝日が嫌いだっただけ、朝日の記事は殆ど見ていないので分らないけれど橋下にとっては都合の悪い事ばかりが書かれていたのだろうか。また、橋下は朝日は取材場所に来ることは構わないし、取材を取材する事も構わない。
だが朝日の取材だけは拒否するとしていた。
週刊朝日の記事を暴力としているが、橋下の行動こそ権力による暴力ではないかと思えてならないが。
そして週刊朝日の記事は報道の一線を越えた記事であり、暴力であり、自分への人権侵害だと激しく批判というよりも強調している。
まず、父親が暴力団員だった、過去に育った場所が同和地区だった。こういった事が一線を越えた報道の暴力、人権侵害となるのだろうか。
同和地区に暮らしていた事など出自が明らかとされれば、自分の子供達にも影響を及ぼす事となる。自分の人格と家庭を抹消する為に書かれた記事だと可笑しな表現までしている。
「ハシシタ 奴の本性」は同和問題を助長するとされているとも思われるが、この記事を読んだ人々や批判する人々は同和問題をどの様に意識しているのだろうか。
同和を探っている間に非常に関心を持つ様になってしまった。
だが、本来の橋下の本名は「ハシシタ トオル」らしく、橋下が幼児の頃に母親がハシシタから橋下へ改名したとWekipediaの「橋下徹」には記されている。
また、本名は「ハシシタ トオル」とするユーチューブも存在するが。
同和地区とされる地域はユーチューブなどによっても紹介されている。自分には同和地区とはどの様な地域なのかなど全く理解できていなかったので、何件か見させてもらった。
古い建物が多く貧乏の様な地域に見えるから、地域のインフレなどが完全に整備されていないから同和地区とされているのかと思わされたが。
ただ単純に蔑視しているとしか思われない。
見た中から2件だけ紹介させてもらいます。「大和高田」と「不気味で気持ち悪い。西成あいりんの裏路地。」。
大和高田には自分には不快に思えるコメントもありましたので。
日本国憲法第14条に「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」とされている。
どの様な地域、或いはどの様な暮らしをしていようと「すべて国民は、法の下に平等」とされている。
同和地区とされる地域に暮らしているから部落差別という意識を持つこと事態が異常と思えてならない。
どの様な場所で暮らし、どの様な生活を送っていようとも偏見したり、差別する必要など無い筈だ。その様な意識を持つこと事態が「人権侵害」となるのではないのか。
マスコミは同和問題を報じる事を自主規制しているらしいが、何故そうしなければならない。逆ではないか。
報じないでは無く、活発に報じる事により同和問題とはどういったことなのかを多くの人々にしっかりと認識してもらう必要がある。蔑視している者、差別意識を持っている人など全ての人々に。
情報を封じ、何も伝えようとしない知らせようとしない、その様な姿勢を行っていれば過去から根付いているだろう差別意識がいつまで経っても消える訳が無い。
一部の地域が差別されるとされる同和問題の解決を求めるなら、ただ地域の改善を行えば言いという事では無く、人々の意識の改善事が最も重要なのではないのか。
なのに、何故マスコミは活発に報じようとはしない。どころか、一人の人間に絡めて同和地区を記事にした事を激しく批判が行われた。
単に橋下を擁護する為に批判した者も多くいたのかもしれないが、同和地区を蔑視する意識を持っている者も多くいたのではないのだろうか。
そして橋下も、同和地区で育っていながら蔑視している一人ではないかと思えてならない。
記事は自分や過程を抹消する為に書かれたものと強調しているが、橋下は記事を「血脈主義」「身分主義」などと称していなかっただろうか。
自分が部落民の血脈とされれば自分も部落民とされ、自分の子供や家庭に大きな悪影響を与える事となると強調しているのだろう。
となれば、橋下自身が血脈主義であり部落民の血を引く者は部落民であると言い切っていると思えてならない。
同和地区とされる地域で暮らそうがそれ以外の地域で暮らそうが、一人の個人として成長していく。決して差別される為に成長するという事など有り得ない。ただ、育ち方による個人のイメージや体の機能に障害を持つ者達は、イメージや障害を基として蔑視されている可能性が高いのではないかと思われるが。
差別される者が現れようと地域などは一切関係ない。それぞれの家庭でどの様な成長をしていくのか、障害者となるか否かにより蔑視されるか否かに大きな違いが出るのではないかと思われる。
同和地区とされる地域と差別は実質的には関係の無い事なのではないか。
同和地区への差別はあくまでも人間の差別意識であって、同和問題を解決するという事は同和地区への差別意識による蔑視を抹消する事ではなかったかと思えるが、蔑視を抹消しなければならないといった意識など無かったのだろう。
橋下自身も部落民と称される同和地区の人々を蔑視している。
故に、自分の出自で同和地区で育っていた事が報じられれば、同和地区で家系が暮らしていた事が報じられれば自分達も部落民とされてしまうと意識しただろうし、利用しようともした。だから、記事は自分の人格や家庭を抹消する為に書かれたものだと強調しているのだろう。
自分で明かしてきていた事、或いは晒されてきていた事が多くあったのにこれまでには取材拒否という行動などは行ってはいなかった。だが、今回の週刊朝日に関してのみ何故だか行っている。
最近の橋下は竹島問題などで非常に呆れた発言などを行い、支持率を大きく減少させていた筈だ。その事も意識していたのだろうな。
この時期に、自分の出自に絡み同和問題に関わる記事を書いた週刊朝日がいい獲物となったのだろう。故に朝日などの取材拒否という権力の横暴を行い、マス・メディアにとって大きな鍵となる取材を強く拒否し、朝日などを屈服させ自分の発言を正道化させ大きく減少した支持率の上昇を図っていたのだろう。
自分の益の為になら週刊誌の記事も都合よく利用し、マスコミに激しい反論を繰り広げる事により自分の高感度を挙げる、と同時に支持率も回復させようとしていた。
更には、記事に書かれていた同和問題に関わる面ももしっかりと利用している事は間違いないだろう。やはり橋下という者は、異常であり卑怯な者と思えてならない。
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