思い、そして感じた事をそのまま
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昨夜のテレビニュースで報じられていたけども、昨年10月に山形市で消防車出動を要請する学生がいたが、山形市の消防本部は結局はそれを拒否した。
この事に学生の母親が消防本部は妥当な措置を行っていたのか、救急車が出動されていれば学生は助かっていたのではなかったかと山形市に損害賠償を求める裁判を起こしている。
このニュース記事はTBSのサイトにも記されているんだが、と同時に学生と消防本部の電話でのやりとりが紹介されている。
-引用-
通報をしたのは、当時、山形大学2年生だった大久保祐映さん(当時19)。大久保さんは山形市内で一人暮らしをしていました。電話はその自宅からでした。
「あなたが苦しいのね、なんてところですか?あなたのお名前は?お名前は?」(消防)
「ジュウキュウ・・・」(大久保さん)
「あなたの名前を教えてもらっていいですか?」(消防)
「19です」(大久保さん)
「19歳なのね?あなたのお名前は?」(消防)
「大久保です」(大久保さん)
「はい?」(消防)
「大久保です」(大久保さん)
「オオクワ?」(消防)
「クボです」(大久保さん)
「大久保さんね」(消防)
電話の音声からは苦しそうな大久保さんの様子がうかがえます。
「歩けるの?」(消防)
「あ、動けると思います」(大久保さん)
「自分で動けるの?」(消防)
「はぁい・・・」(大久保さん)
「あの、救急車じゃなくてタクシーとかで行けますか?」(消防)
「あ・・・はぁ・・・タクシーの番号が分かれば自分で行けると思います」(大久保さん)
「あの、病院は、あの、お教えするので、タクシーの番号はお教えすることができないので、104で聞いてください」(消防)
「はい・・・」(大久保さん)
「お大事に」(消防)
(TBS Newsi2010/10/08)
-引用-
昨夜にこのニュースで学生と消防本部との電話でのやり取りを聞いてみれば、学生は間違い無く大きく体力を失いどの様な病気に掛かっていたのかは分らないけれど、かなり酷い状態となっていたのではないかと思われる。
この事に関し山形市は「消防本部の対応は適切だった」と主張している。
だが、あの学生の声に力が無くなっている事は完全に明らかで、消防本部の問いには一応答えてはいたが、即座に的確な答え方をしていたのでは無く、問われるがままにただ単純に答えていただけではなかったのか。
消防本部の者は学生の声の状態、問いに対する答え方などを的確に判断すれば決して安全な状態では無いと判断できていたのではないのか。
学生からの救急車出動の要請に応じるべきではなかったかと思えてならない。
何よりも、消防本部の者は「あの、病院は、あの、お教えするので」と語っているが、結局は病院に関しなんら情報を提供する事無く「お大事に」を最後に電話を切っている。
山形市はこの消防本部の者の対応を「適切だった」としているが。決してその様な対応を行っていたとは思われない。逆に見殺したんじゃないかとも思えてしまう。
救急車が出動し即座に救急病院に運ばれれば、学生のその時の状態によるのかもしれないが助かっていた可能性は極めて高いんじゃないだろうか。
その様に思うと、山形市の消防本部の者は救急車出動の要請を行った者の状態を電話でのやり取りで要請側の状態を全く把握しようとはせずに、自分の問いに対する答えだけを意識し、要請を拒否したんじゃないのか。
非常に納得の出来ない対応だ。
自分の家族の体調が可笑しいと判断した時に、何度か消防本部に救急車の出動を要請した事がある。当然だろうが、家族の状態を問われる。
自分なりに状態を訴え、救急車に来てもらいたいと強く訴えるが、必ず要請に応じてくれる。
自分もあるが、救急病院へ運ばれた後にはそのまま入院させられる事もある。そして、何が原因で体調が悪くなっていたのかを知らされ、驚かされる事もあった。
現在では救急車はタクシー扱いされているともされている。軽い症状で急いで病院へ行かなくてもよい状態でもやたらと救急車の出動を要請される事が多くなっているとされる。
実際に救急隊員が行ってみれば、救急病院へ運ばれる事を望む者の状態は軽く、決して救急患者の状態では無い。
こういった者達の要請が多くなっている事から消防本部では患者の状態をしっかりと把握する為に的確な問いを行っているのだろうし、現場に赴いた救急隊員達も実際に救急病院へ運ばれる事を臨む者の常態を確認した上で、最終的に判断する事が基本となっているのだろうか。
実際、家族の為に救急車を呼んでも救急隊員は運ばれる事を望む者の常態を確認した上で確定する事が多いし、時にはその様な事などせずに即座に運んでくれる事もあるが。
軽い気持ちで救急車出動を要請する者もいるかもしれないが、自分や家族が危険な状態と感じ要請する者の訴える声には大きな違いが出るのではないのだろうか。
死にたく無い、或いは絶対に助けてもらいたいと強く思う者の訴える声は落ち着いた状態では無い筈だ。
自分達もその様な思いから激しい口調となり訴えていた事が何度かある。
そしてこの学生が消防本部へ要請した時の声は、大きく体力を失った弱々しい状態となっていたし、問いを的確に判断できない時もあれば、単純に答えてしまっている時もある。
対して消防本部の者は要請した者の体の状態をどの様に伺っているのだろう。全くその様なやり取りが見られないのだが。
救急車に関わる消防本部の者は、本人や家族の体調の状況をしっかりと伺い把握する事が最も重要な事ではないのか。
だが、この救急隊員はその様な対応などは一切行わず適当に、いい加減に対応していたんじゃないのか。
山形市はこの電話のやり取りを「消防本部の対応は適切だった」と主張しているらしいが、何も非を認めようとはせず、ただ裁判から逃げようとしているとしか思われない。
山形市の消防本部の者は誤った対応を行っていた事は間違いないだろうし、山形市は率直に消防本部の非を認めるべきではないかと思われるが。
この事に学生の母親が消防本部は妥当な措置を行っていたのか、救急車が出動されていれば学生は助かっていたのではなかったかと山形市に損害賠償を求める裁判を起こしている。
このニュース記事はTBSのサイトにも記されているんだが、と同時に学生と消防本部の電話でのやりとりが紹介されている。
-引用-
通報をしたのは、当時、山形大学2年生だった大久保祐映さん(当時19)。大久保さんは山形市内で一人暮らしをしていました。電話はその自宅からでした。
「あなたが苦しいのね、なんてところですか?あなたのお名前は?お名前は?」(消防)
「ジュウキュウ・・・」(大久保さん)
「あなたの名前を教えてもらっていいですか?」(消防)
「19です」(大久保さん)
「19歳なのね?あなたのお名前は?」(消防)
「大久保です」(大久保さん)
「はい?」(消防)
「大久保です」(大久保さん)
「オオクワ?」(消防)
「クボです」(大久保さん)
「大久保さんね」(消防)
電話の音声からは苦しそうな大久保さんの様子がうかがえます。
「歩けるの?」(消防)
「あ、動けると思います」(大久保さん)
「自分で動けるの?」(消防)
「はぁい・・・」(大久保さん)
「あの、救急車じゃなくてタクシーとかで行けますか?」(消防)
「あ・・・はぁ・・・タクシーの番号が分かれば自分で行けると思います」(大久保さん)
「あの、病院は、あの、お教えするので、タクシーの番号はお教えすることができないので、104で聞いてください」(消防)
「はい・・・」(大久保さん)
「お大事に」(消防)
(TBS Newsi2010/10/08)
-引用-
昨夜にこのニュースで学生と消防本部との電話でのやり取りを聞いてみれば、学生は間違い無く大きく体力を失いどの様な病気に掛かっていたのかは分らないけれど、かなり酷い状態となっていたのではないかと思われる。
この事に関し山形市は「消防本部の対応は適切だった」と主張している。
だが、あの学生の声に力が無くなっている事は完全に明らかで、消防本部の問いには一応答えてはいたが、即座に的確な答え方をしていたのでは無く、問われるがままにただ単純に答えていただけではなかったのか。
消防本部の者は学生の声の状態、問いに対する答え方などを的確に判断すれば決して安全な状態では無いと判断できていたのではないのか。
学生からの救急車出動の要請に応じるべきではなかったかと思えてならない。
何よりも、消防本部の者は「あの、病院は、あの、お教えするので」と語っているが、結局は病院に関しなんら情報を提供する事無く「お大事に」を最後に電話を切っている。
山形市はこの消防本部の者の対応を「適切だった」としているが。決してその様な対応を行っていたとは思われない。逆に見殺したんじゃないかとも思えてしまう。
救急車が出動し即座に救急病院に運ばれれば、学生のその時の状態によるのかもしれないが助かっていた可能性は極めて高いんじゃないだろうか。
その様に思うと、山形市の消防本部の者は救急車出動の要請を行った者の状態を電話でのやり取りで要請側の状態を全く把握しようとはせずに、自分の問いに対する答えだけを意識し、要請を拒否したんじゃないのか。
非常に納得の出来ない対応だ。
自分の家族の体調が可笑しいと判断した時に、何度か消防本部に救急車の出動を要請した事がある。当然だろうが、家族の状態を問われる。
自分なりに状態を訴え、救急車に来てもらいたいと強く訴えるが、必ず要請に応じてくれる。
自分もあるが、救急病院へ運ばれた後にはそのまま入院させられる事もある。そして、何が原因で体調が悪くなっていたのかを知らされ、驚かされる事もあった。
現在では救急車はタクシー扱いされているともされている。軽い症状で急いで病院へ行かなくてもよい状態でもやたらと救急車の出動を要請される事が多くなっているとされる。
実際に救急隊員が行ってみれば、救急病院へ運ばれる事を望む者の状態は軽く、決して救急患者の状態では無い。
こういった者達の要請が多くなっている事から消防本部では患者の状態をしっかりと把握する為に的確な問いを行っているのだろうし、現場に赴いた救急隊員達も実際に救急病院へ運ばれる事を臨む者の常態を確認した上で、最終的に判断する事が基本となっているのだろうか。
実際、家族の為に救急車を呼んでも救急隊員は運ばれる事を望む者の常態を確認した上で確定する事が多いし、時にはその様な事などせずに即座に運んでくれる事もあるが。
軽い気持ちで救急車出動を要請する者もいるかもしれないが、自分や家族が危険な状態と感じ要請する者の訴える声には大きな違いが出るのではないのだろうか。
死にたく無い、或いは絶対に助けてもらいたいと強く思う者の訴える声は落ち着いた状態では無い筈だ。
自分達もその様な思いから激しい口調となり訴えていた事が何度かある。
そしてこの学生が消防本部へ要請した時の声は、大きく体力を失った弱々しい状態となっていたし、問いを的確に判断できない時もあれば、単純に答えてしまっている時もある。
対して消防本部の者は要請した者の体の状態をどの様に伺っているのだろう。全くその様なやり取りが見られないのだが。
救急車に関わる消防本部の者は、本人や家族の体調の状況をしっかりと伺い把握する事が最も重要な事ではないのか。
だが、この救急隊員はその様な対応などは一切行わず適当に、いい加減に対応していたんじゃないのか。
山形市はこの電話のやり取りを「消防本部の対応は適切だった」と主張しているらしいが、何も非を認めようとはせず、ただ裁判から逃げようとしているとしか思われない。
山形市の消防本部の者は誤った対応を行っていた事は間違いないだろうし、山形市は率直に消防本部の非を認めるべきではないかと思われるが。
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