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橋下は何やら可笑しな発言をしているな。「市民に義務を課すのは好きではない」と。
 
 
 
 大阪維新の会代表の橋下徹大阪市長は2日、維新の会市議団が保護者の保育士体験などを義務化する「家庭教育支援条例案」の提出方針を決めたことに関し「市民に義務を課すのは好きでない」と否定的な見解を示した。市議団との考え方の違いが浮き彫りになった。
 
 一方で、市議団側が積極的に条例案をつくろうとする姿勢を評価。「必要なルールなら議会でどんどんつくったら良い」と強調した。市役所で記者団に述べた。
 
 条例原案は、母子手帳に子育て学習の記録をつけることや、全ての保育園と幼稚園で年に1回以上の保護者向け学習会を開くよう規定。違反した場合の罰則規定はなく、維新の会市議団は早ければ5月市議会での提出を検討している。
(産経新聞2012/05/02)
 
市民とは何なんだろうか。コトバンクなどで検索していくと「近代社会を構成する自立的個人で、政治参加の主体となる者。公民。」といった共通の説明がされている。更に公民も複数から検索すれば、「国政や地方公共団体の公務に参加する権利と義務を持つ者。市民。」そして、「公務員と民間」と共通の説明がされている。
 
市民とはどの職務に勤めるに関わり無く国家の主権者であり、大雑把に表現すれば国民となるのではないか。
 
義務では「人がそれぞれの立場に応じて当然しなければならない務め。」が共通の説明となっており、Wikipediaでは「従うべきとされることを意味する。」として義務には複数の意味がある事を示しているが。
義務に対して権利も存在しており、「ある物事を自分の意志によって自由に行ったり、他人に要求したりすることのできる資格・能力。」とされている。この権利は、憲法第十三条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。」、第十四条「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」。
第十九条「思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。」更に、第二十一条「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」に値するのではないか。
 
そして課すには色々な文言が書かれているが、「背に負わせる。かつがせる」が共通の説明となっている。「負わせる。かつがせる」は一方的に従わせるという意味らしいが。
 
橋下は市民というよりも国民を一方的に従わせる事を好きではないとしているのだろうか。だとしたら、これまでの橋下の行動と発言に大きな矛盾を感じさせられてしまう。
 
職員基本条例では公務に勤める大阪市に在住する国民に対し、強制的に法的義務、或いは教職員を務める大阪市在住の国民に対しても教育基本条例を課そうとしている。更には「君が代」に関して教職員に務める者達は、学校の入学・卒業式では必ず規律し歌わなければならないと課している。
 
更には大阪市の行政サービスは贅沢三昧だとして、住民の生活にも直接関わるだろう事業の多くを削除しなければならないと表明している。橋下は、市長の権限を活用しこれらを法的義務とし多くの事業の削減を強制的に従わせようとしているのではないのか。
事業の大幅な削除が条例として可決されれば、その地域の住民達は従う義務を課せられる事となるだろうから。
 
これまでの橋下の活動を鑑みれば、決して「市民に義務を課すのは好きではない」と意識していたとは思われない。逆に「市民に義務を課すのは当然」だと意識していたのではないのだろうか。
 
また、「必要なルールなら議会でどんどんつくったら良い」とも発言している様だが、これまでの橋下は独自に何が必要であるかと判断し、それを強制的に実行してきたろうし、府・市議会でも独自に思考したルールを正しい事だとして可決しなくてはならないとしていなかっただろうか。
 
橋下の今回の発言「市民に義務を課すのは好きではない」は、これまでの自分の活動を否定する事にもなるのではないかと思えるが。何故、この様な発言をしたのだろう。不思議に思えてならない。
 
またツイッターではいつも通り自分の思いをそのまま書いている様だが、5月1日・2日のツイートにも矛盾を感じさせる文言がある。
 
 
ここでは、「公務員も政治的主義主張、信条は自由だ」と最初に主権者である国民の一員であるかの様に書いているが、次に「政治的主義主張、信条は自由だ」は公務の衣を脱いだ後の話だとしている。
公務員はその職務を終えるまでは、憲法により定められている国民の権利を与えられる立場に無いと主張しているのではないだろうか。
 
公務員は税金を受けているのだから、民間企業に勤めている者達とは違う立場にあるんだと主張する人々もいるようだが、公務に勤める者達は行政の収益から給与を得ているのであり、民間企業に勤める者達と同じ様に国民の義務として税金の支払いは行っている筈だ。
 
そして務める者達にどれだけの給与を与えるかは上部の者が決定する事だろうし、決して民間に勤める者達と立場が異なっているとは思えないのだが。
 
上記のツイートでは、公務員に対し「政治的主義主張、信条は自由だ」としているが、即座に否定する事を書いている。だが同じく公職に勤める自分の事となると、
 
 
と書いている。橋下が批判する地方・国家公務員も、特別職地方公務員とされている市長のどちらも公務に勤める公人であり、公務員である事に間違いは無いだろう。
 
公務員に関しては国民の権利を剥奪される公人としているが、同じ公職に勤めていても立場の異なる自分は普通の人間。要するに公務の衣を脱いだ状態にあるとしているのではないだろうか。この表現の違いは一体何なんだろう。
 
橋下は理解し難い思想を持っているんだな、と意識させられてしまったが。
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