思い、そして感じた事をそのまま
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昨日は毎日放送の記者と橋下の言い争いに関して書きました。その時に細かくチェックしたと書きましたが、それは一部であって全体ではありません。その事を明らかとしなかった事により、もし全体をチェックした上で書いたと思われた方々がいるかもしれないと思えば自分のミスだと反省しております。
そして、それらの方々にちゃんと書かなかった事を謝罪させて頂きます。申し訳ありませんでした。
昨日の続きになりますが、本題に入らせて頂きます。改めて、橋下と毎日放送の記者の問答の繰り返しの記事をいくつか見ていますと、ツイートやコメントには毎日放送の記者を悪者として責める様な事が多く書かれている。
改めて昨日のブログに加えていた動画を見てみました。最後の部分で非常に理解できない不可解な発言をしている事に気付かされました。
その様に意識される発言は22分50秒過ぎから始まっているが、国家起立斉唱条例は国民に義務を課しているのではない。条例は公務員に対してルール化していると発言している。
国民とされる公務員以外の者達は、歌う歌わないを判断する事は自由であり、自分達で決める事が出来る。だが、公務員達は「日本の国家から税金を貰って日本の国家の為に仕事をしているんだから」、義務化される事は当然の様に発言している。
橋下は国歌斉唱などを国民に対しては義務を課していないとしている。だが、公務員にはルール化する為の条例を可決したとしている。だが、斉唱などの義務を課しているのは決して大阪府・市の公務員全員にでは無い。教員に行われているとしている。
「大阪府の施設における国旗の掲揚及び教職員による国歌の斉唱に関する条例」を見てみれば、第4条(国歌の斉唱)に「府立学校及び府内の市町村立学校の行事において行われる国歌の斉唱にあっては、教職員は起立により斉唱を行うものとする。ただし、身体上の障がい、負傷又は疾病により起立、若しくは斉唱するのに支障があると校長が認める者については、この限りでない。」とある。
国歌起立斉唱条例は国民に義務を課していない、そして公務員の一部である教職員のルール化だと橋下はハッキリと発言している。
では国民とはどの様に定められているのだろうか。
第十三条では「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」とされている。
そして第十四条で「 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない」とされている。
国民は個人として尊重されるとあり、法の下に平等であり、政治的、経済的または社会的関係において、差別されないとされている。
門地とは家柄、社会的身分とは職業、資格、収入など個人の属性とされており、国民はこれらにおいて差別されてはならない、となるのではないだろうか。
だが、橋下は国民は公務に勤める以外の者だと断定しているのではないだろうか。故に、国民は国家起立斉唱条例の義務は課さないが、公務員、それも教員に限りルール化としたとしている。
第十四条にあるが、国民は法の下に平等であり、政治的、経済的または社会的関係において差別されないとあるが、橋下は公務に勤める者と以外の者を平等に扱っているとは思われない。どころか、公務に勤める者達を非国民だとしているのではないだろうか。
橋下は公務員は「日本の為に、日本の国家から税金を貰って日本の国家の為に仕事をしている」から、公務員には国歌斉唱の義務があると主張している。
だが、職務を選択するのは国民の自由だ。民間企業を選択するも行政機関を選択するも、個人の自由だ。そして、週活を行う国民の就職を認めるか否かは雇用主の権利であり、労働者と認めたからには、雇用主が得た収益から給与を与えなければならない。
その為に労働者となった国民は雇用主(行政機関、或いは民間企業)の求める職務を実行し、雇用主がその労働に値するとする給与を得る事が出来る。行政であろうが民間であろうが、その場に勤める国民を不平等に扱うなどと言った事は許される事では無い。平等の国民、或いは労働者として扱われなければならない筈だ。
行政機関に勤める者と民間企業に勤める者は異なる立場にあるとする意見が多いかと思われる。
行政機関に勤める者と民間企業に勤める者は異なる立場にあるとする意見が多いかと思われる。
だが、昭和48年4月25日、最高最大判定において憲法第28条と公務員の関係に関し「国民の権利はすべて公共の福祉に反しない限りにおいて立法その他の国政の上で最大の尊重をすることを必要とするのであるから、憲法二八条が保障する勤労者の団結する権利及び団体交渉その他の団体行動をする権利も公共の福祉のために制限を受けるのは已を得ないところである。殊に国家公務員は、国民全体の奉仕者として(憲法一五条)公共の利益のために勤務し、且つ職務の遂行に当つては全力を挙げてこれに専念しなければならない(国家公務員法九六条一項)性質のものであるから、団結権団体交渉権等についても、一般の勤労者とは違つて特別の取扱を受けることがあるのは当然である」であるとされているらしいが、昭和40年7月14日の最高裁大法廷の判決により、「地方公務員と国家公務員も基本的に労働基本法がみとめられている。」だが、一般職においては団体交渉権、団体行動権は認められていない様だが。
公務に勤めていようが、その者達は国民の一人である事は至極当然ではないのだろうか。なのに、公務に勤めているというだけで他の国民とは異なる扱いをしようとしている。更に、国家起立斉唱条例では公務員全員では無く、一部の公務員となるだろう教職員だけに義務を命じている。
これは日本国憲法に反する、大きな差別行為ではないのか。更にだ、橋下は非常に意味不明な発言まで行っている。24分20秒頃からだが、「公務員の歌は何ですか、社歌は何ですか、国家じゃないですか」と非常に理解し難い発言を行っている。
国歌とは何か。国旗及び国歌に関する法律の第2条で「国家は君が代とする」とされているし、社歌は複数のサイトから検索すれば「その会社の理想や精神などを盛り込んでつくられた歌」が共通の説明となっている。
国歌は君が代であり、社歌は会社の理想や精神などを盛り込み作られた各会社の歌となる。
だが、完全に理解不能となってしまっているのだが、橋下は「君が代の斉唱」を公務員の義務としていると思われるが、何故か社歌までも国家と発言している。となれば、民間企業の社歌も国家とされるのだから、日本の国家は決して「君が代と定められてはいない」となるのではないか
記者と橋下の間には色々な問答がされていると思われるが、不可解な発言を行っている橋下の発言が何故正しいとされるのか。全く理解できない。正しいと判断される事が不思議でならない。
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