思い、そして感じた事をそのまま
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鳩山は09年の選挙で「国外、最低でも県外移設」などと沖縄県で発言し、沖縄の人々に大きな夢想と期待感を持たせておきながら、実際には何もプランなど無かった事から政権交代後にはあっという間に裏切る事となってしまった。
それらに対する政治家としての責任感。そういったものが紙一重も全く無い者だったんだ、と改めて思わされた。
復帰40周年を迎えた沖縄では、民主党政権が対沖縄政策で繰り返した稚拙な対応の影響が今なお尾を引いている。
1996年に日米で合意された米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)移設も実現していない。野党時代から安全保障政策を軽視してきたツケが重くのしかかっている。
民主党の鳩山元首相は15日、宜野湾市内で講演し、普天間飛行場移設について、「『最低でも県外』という気持ちを果たさなければ、皆さんの気持ちを十分理解したと言えない」と述べ、県外・国外移設論に再び言及した。
同党OBの上原康助元沖縄開発庁長官も同市で開かれた復帰40周年の記念式典会場でのあいさつで、野田首相に対して「沖縄に、新しい米軍基地を陸にも海にもつくることはおやめ下さい」と求めた。
消費税率引き上げや環太平洋経済連携協定(TPP)と同様に、民主党代表である首相の意向に公然と異論を唱えるおなじみの光景だ。
特に、安保政策をめぐる意見対立に関しては、同党が旧社会党出身者やリベラル系議員を抱える「寄り合い所帯」で、野党時代からきちんと集約できていないことも拍車をかけている。
自民党政権が決めた普天間飛行場の沖縄県名護市辺野古への移設に関しては、2006年に当選した仲井真弘多県知事も当初は大筋で容認し、政府と県の間で沖合にどれだけ移せるかの調整に入っていた。民主党は県外・国外移設を目指すとした「沖縄ビジョン」をまとめていたが、政権獲得を意識し、09年衆院選政権公約には盛り込まなかった。
だが、鳩山氏が09年の衆院選前に「最低でも県外(移設)」と沖縄で訴え、県民の辺野古移設反対論に火を付けた。衆院選勝利後、鳩山政権は言葉通りに県外・国外移設を模索したものの、結局は辺野古案への回帰を余儀なくされ、沖縄県民の反発と日米関係の悪化を招いた。
「男は恥を知るものだ。のうのうと沖縄に来て、県民に泥をかけるのか」
自民党の野中広務元官房長官は15日、記念式典会場で鳩山氏を見かけて直接苦言を呈した。
(読売新聞2012/05/16)
政権交代ばかりを狙っていた民主は、普天間基地問題に関し辺野古移設が日米同盟され、着実に進んでいたにも拘らず辺野古移設への非難を執拗に繰り返し、2008年に発表されている「沖縄ビジョン」の「3)普天間米軍基地返還アクション・プログラムの策定」では「普天間基地の辺野古移設は、環境影響評価が始まったものの、こう着状態にある。米軍再編を契機として、普天間基地の移転についても、県外移転の道を引き続き模索すべきである。言うまでもなく、戦略環境の変化を踏まえて、国外移転を目指す。」としてある。
2008年の民主代表は小沢であり幹事長が鳩山。そして「沖縄ビジョン」は2002年に那覇で岡田達により発表されている。その当時のビジョンの内容は把握できていないが、2008年の基となっている事は間違いないだろう。
09年衆議院選挙では民主のマニフェストには書かれていない。だが、鳩山には「沖縄ビジョン」があるからこそ09年の衆議院選挙の沖縄での選挙の訴えで、普天間基地の「国外、最低でも県外へ移設」などと主張していた筈だ。
だが、国外移設といってもどの国へどの様に移設するのか、その様なプランなど一切明らかとしていなかった筈だし、アメリカその他の国との間で移設に関する交渉なども一切行ってなどいなかったのでは無いのだろうか。
その様な報道などは一切無かったと思えるのだが。
また、最低でも県外移設とも訴えていたが、果たして沖縄を除く46都道府県で普天間基地移設を認めようとしていた自治体はあったのだろうか。
一部、大阪府の橋下府知事は選挙後だったかもしれないが、関西空港に受け入れるかの様な発言をしていた。その言葉を信じ、仲井真沖縄県知事は大阪などへ向かい橋下との会談を求めていたと思われるが、橋下はまともに受け入れようとはしていなかった。鳩山と同じで、何ら計画など無く、ただ適当に発言していただけだろう。故に、仲井真知事との会談は拒否していたのだろうし、受け入れる場を関西空港としていたが、即座に兵庫県にあるだろう神戸空港を勧めていた。非常に無責任な行為を行っていたとしか思えない。
橋下も鳩山と同じで、何ら計画性も無く調子よく語っていたに過ぎない。その話が盛り上がるとアッサリと逃げてしまった。この事を思い起こせば、鳩山と橋下は同じ様な人間なんだなと思わされてしまう。
国外移設に関しても県外移設に関しても、鳩山では無く鳩山達は辺野古移設を非難する為に単純に訴える事は行っていたのかもしれない。だが、実際にはその様な交渉などはどの国、或いは国内の自治体などとは一切交渉など行ってはいなかったのではないだろうか。
その様な事など明らかとなっていたのでないかと思えるのだが、当時のマスコミなどはそれに関する報道を果たして行っていたのだろうか。
政権交代ばかりを求め、単に当時の政権を責める為だけに沖縄の普天間基地問題もいい様に利用されていたと思えてならない。だから、鳩山政権が誕生しても基から何ら計画も立てられていなかっただろう「国外、最低でも県外移設」など実現する筈などある訳が無かった。これは、絶対に間違いの無い事だろう。
この様な事は鳩山内閣だけでは無い。民主党、或いは連合政党の者達もしっかりと理解したんじゃないのか。県外移設は鳩山内閣でアッサリと破綻してしまい、結局は改めて県内移設で日米合意を行ってしまう。
この様な結果となるのは、09年の衆議院選挙で民主党議員として立候補していた者達、或いは社民や国民新党などの立候補者達はしっかりと予測、或いは理解していた事なんじゃないだろうか。
岡田は15日の会見で民主党政権下で普天間基地移設問題の迷走した要因を、鳩山が「県外」と発言した事でもともと難しい問題をより難しくしてしまった、などと発言している。その鳩山の「県外」の発言の基となるのが、民主党で作成された「沖縄ビジョン」ではないのか。
普天間基地問題を非常に難しくしてしまった原因は、決して鳩山だけにあるのでは無く、民主党議員全体に有るのではないかと思えてならない。
鳩山政権下で自民政権などが進めていた辺野古移設への計画を一瞬にして破綻し、長い数年を掛けて普天間基地が辺野古へ移設される事がほぼ決まっていた時点で、何ら基も無ければ計画もとられていなかっただろう「最低でも県外」への移設を正当だと見せしめるかの様に、自民、自公政権で行われていた辺野古移設は破綻させてしまった。
総理大臣として、或いは政治家として大きな失態を犯している事は間違いない。一時、政治家も辞職するかの様な発言もしていたが単なる口だけで、そのまま続行し、昨日には改めて政治家として大きな失態を繰り返している。
自民の野中元官房長官は「男は恥を知るものだ。のうのうと沖縄に来て、県民に泥をかけるのか」と直接苦言を呈した様だが、それだけでは物足りない。「即座に辞めろ」も加えて貰いたかった。
また、沖縄県の全ての人々なのか一部の人達なのか自分には分からないけれど、沖縄の人々は普天間基地の県外移設を強く主張していると報じられている。だが、その主張が実現する可能性は極めて低いのではないかと思えてならないのですが。
ハッキリ言いまして、沖縄県外の46都道府県の自治体で基地移設を真剣に考えようとしている地域は存在しないだろうと思えてならない。本当に普天間基地が沖縄というよりも宜野湾市にとって大きな害なのであれば、県外に拘るのでは無く、県内で宜野湾市の中心地から別の地域へ移設させる事も考えるべきではないかと思えるのですが。
県外移設の可能性は非常に厳しい、或いは不可能である事は間違いないでしょう。県外に拘るのでは無く、県内への害を余りもたらす可能性の無い地域への移設も真剣に考えるべきではないかと思えてなりません。
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