思い、そして感じた事をそのまま
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橋下は、自分の行っている行動、発言には常に間違いは無いと意識しているんだろうか。だから、自分の事を批判する者には主にツイッターを利用し一方的に批判、或いは罵倒する事を繰り返していたし、19日には政府と関西広域連合とやらで大飯原発に関しての会合というか討論がお行われた。
政府側は、大飯原発の再稼動を求める理由とその安全性を説明したんだろうが、関西広域連合の首長達はそれを批判した。京都府山田知事、和歌山県仁坂知事は「新しい組織ができるまでは原発を動かすべきではない」と発言しているらしい。安全基準になどなっていないんだと。
広域連合に参加していない奈良県の姿勢は分からないが、関西圏の殆どの首長は大飯原発の再稼動には否定的な姿勢が多数なのではないだろうか。
その中で、一人だけ意外な発言を行う者がいた。橋下市長さん。安全基準が確定されていなくても、臨時的な再稼動ならいいんじゃないか。臨時的としているが、これは完全な再稼動を容認する発言に過ぎないだろう。にも拘らず、橋下は「再稼動は容認していない」と強調しているらしいが。
橋下はそれ以前から反原発派であり、再稼動にも強く批判を繰り返していた筈だ。故に、再稼動の為の「8提案」とやらも政府に提出している。当然、その8提案を政府がクリア出来るなどとは思ってもいなかった事だろう。
この時点でも、再稼動には反対の姿勢を示していた事になるんじゃないだろうか。
なのに、政府と関西広域連動の会合では、政府の原発に対する安全基準はなってはいない。原発の安全性は一切示されていないと強く批判していた。にも拘らず、橋下は突然に意外な提案を出す。
安全性が確定していなくても、「臨時的、或いは期間限定の再稼動ならいいんじゃないか」と。この橋下の発言を21日に藤村官房長官が否定した。
NHKオンラインニュースに載っている橋下の発言だが、
藤村の否定に対して、橋下は当日の夜に奇怪な反論をしている。「再稼動ではなく、臨時的な運転再開のほうが論理的にはすっきりしている。政府にはもう一度再考していただきたい」と。
橋下は臨時的、期間限定による再稼動を求めるといった発言をしている筈なのに、何故だろう自分の発言を否定する様な発言をしているではないか。「再稼動ではなく、臨時的な運転再開のほうが論理的にはすっきりしている。」と。全く馬鹿げているとしか言いようが無い。
更に橋下は次の様にも発言していたらしい。「原子力規制庁を作り、安全基準を早く作るんだと政府は言うが、それなら大飯原発はなぜその基準で考えないのか。論理矛盾も甚だしい。大飯原発は新しい基準に照らし合わせていない不十分な状態だから、再稼動ではなく、臨時的な運転再開のほうが論理的にはすっきりしている。政府にはもう一度再考していただきたい」と訴えていたらしい。
政府に原子力規制庁の設置を早くに行い基準の作成を行う要求している。その事を強く要求しているのは橋下の筈だ。これらの要求は「8つの提案」の中にも含まれている筈。
橋下は規制庁でなければ、確かな安全基準は作られないと決め付けているのだろうか。規制庁が作成する基準以外は認められないとしているのかもしれない。
だが、決して安全基準の作成は規制庁により行わなければならないとは定められてはいない筈だ。
大飯原発などの再稼動を認定する為の安全基準は、規制庁が設置されない現段階では、その他の組織で作成しなければならないのではないのだろうか。設置もされていない、何時設置されるかもハッキリ定められていない規制庁により安全基準を作成する事になぜ拘らなければならないんだろう。
既に設置がされているのに、規制庁で何もされていないと言うのであれば橋下の発言する「論理矛盾」も理解できない事は無いんだが、いまだに設置されてもいない規制庁で基準が作られない事を「論理矛盾」とする橋下の方こそ「論理矛盾」しているのではないのだろうか。
更に、自ら臨時的な再稼動を求めるとしていながら「再稼動ではなく、臨時的な運転再開のほうが論理的にはすっきりしている」と発言しているらしいが、論理的にどの様にスッキリするのだろうか。全く理解できない。橋下は、完全な安全基準を下として再稼動を求めていた筈なのだから。
現在停止されている原発を改めて「運転再開」する事は、何故再稼動ではないのだろうか。「臨時的な再稼動」は再稼動では無い、求めているのは「臨時的な運転再開」と奇妙な発言をしている。
臨時的運転再開も「再稼動」を求めている事に間違いは無いと思えてならないのだが。
そして、あくまでも橋下の求める「臨時的再稼動を」否定、或いは拒否する藤村に対し、読売の記事に記載されているが、22日に「関西の声を藤村長官が一蹴して『臨時(再稼働)はあり得ない』と言った。国富の海外流出なんて話をしたら、今までの議論が飛ぶ」と主張した。
橋下をはじめとする関西の首長達の声は、橋下を含め原発再稼動を関し支離滅裂してきている感じではないだろうか。会合が行われるまでは、関西広域連合に参加している関西自治体の首長達は常に再稼動を批判し、否定していたのではなかったろうか。
だが、滋賀の嘉田知事は橋下の発言に関してハッキリした発言は行わないが、提案否定の姿勢を示しているらしい。京都府山田知事は日刊スポーツに載っているけども「恒常的な安全基準づくりが見送られた状態での判断ならば、論理的には臨時的な再稼働しかあり得ない」と肯定する様な発言を行っている。
兵庫の井戸知事などは、臨時再稼動には否定的。和歌山の仁坂知事もそうではないのだろうか。
橋下が政府する、「関西の声を一蹴」するとは一体どういう意味なんだろうな。確かに、関西の中でも京都府の山田知事なんかは橋下の臨時再稼動には肯定的は姿勢を示しているのかもしれないが、他の知事達は否定的なのではないかと思われるが。
更に、「関西の声を一蹴して臨時再稼動を拒否する姿勢を示す」として藤村を強く批判しているが、関西首長達で肯定的姿勢を示しているのは京都府の山田知事のみではないかと思われるし、何より関西に暮らす全ての人々は「臨時再稼動」を果たして認めているのだろうか、或いは求めているんだろうか。
橋下はただ、自分の意見を認めようとしない藤村に単純な怒りを示しているだけであり、「関西の声」も結局は自分の「臨時再稼動」という主張を「関西の声」と言い換え、何故一蹴するのかと批判しているだけけなんじゃないのか。
これまでは、徹底して反原発、再稼動は認めない姿勢を示してきていた橋下。だが、実際に今夏の関西での電気エネルギーの供給が苦しい状態になるかもしれないと認識し始めたんだろうな。
だから、関西府県民なんだろうか住民には節電を強く要求する様になって来てたんだろうし、4月26日の関西広域連合の会合では呆れた事に、「原発の再稼働を認めなければ(府県民には)応分の負担がある」として、中小企業などを対象としていたと思われるが、節電をする企業への奨励金として関西の住民に新たな税を課することを提案した。企業の為の、住民に対する増税。だが、今夏に行う事はなくなっている様だが。
そして毎日新聞の記事にあるが、
-引用-
大阪市の橋下徹市長は2日、北海道電力泊原発3号機が5日に停止し、全国で稼働する原発がゼロになることについて初めて言及し、「原発が再稼働できなかった場合の対策を国が講じていないのは重大な国家危機だ」と政府を批判した。4日に開かれる大阪府・市のエネルギー戦略会議などで、関西としての節電策を早急にまとめる意向も表明した。
橋下市長はこれまで、関西電力大飯原発3、4号機の再稼働について「専門家の意見が公表されないまま、政治家が安全宣言するのはおかしい」と政府批判を繰り返してきた。この日は再稼働の是非については「政治判断がありうる」と留保したが、「再稼働できる場合と、できなかった場合との二つのプランを持っておかないといけない。それが国家運営だ」と述べた。
-引用-
こういった発言にも大きな矛盾を感じさせられてしまう。全ての原発を停止状態へと追い込んでしまったのは、橋下など反原発派の筈だ。そして、当初の橋下は原発に代わる新しいエネルギー政策など示してしなかったろうか。バイオマスなど活用した発電ではなかったかと思うのだが。
「原発が再稼働できなかった場合の対策を国が講じていないのは重大な国家危機だ」と主張するが、その様な状態へと持ち込んでしまったのは反原発、反再稼動を主張する橋下達ではなかったのか。
再稼動を行えなくなった場合の対策を国が講じないのは国家危機だとするが、その状態へと持ち込んだのが橋下達反原発派だろう。と同時に、原発を完全停止する事を主張していたのであれば、自分達の方こそ政府に訴える事の出来る対応策を思考しておくべきではなかったのか。
原発停止した事による大きなエネルギー供給源を失う事に対する対応策など一切考えず、反原発は、再稼動をを認め様としなかった自治体の首長でもある橋下達にこそ、大きなエネルギー供給源を失う状態へ持ち込んだ責任はある筈だ。
にも拘らず、自分達の行ってきた行動など一切顧みる事無く、全原発の停止へと追い込みそれに対する対応策など一切示す事も出来ず、その責任を政府に転嫁しようとしている。そんな各自治体の首長こそが、日本を大きな国家危機へ追い込もうとしている張本人なのではないのか。
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