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これまで知る事の無かった事件だが、今日になって知る事になり、何故か強い怒りも感じるようになってきている。
三重県名張市で1961年に起きた「名張毒ぶどう酒事件」の第7次再審請求差し戻し審で、名古屋高裁刑事2部の下山保男裁判長は25日、殺人罪などで死刑が確定した奥西勝死刑囚(86)の再審開始を認めた高裁刑事1部決定(05年)を取り消す決定を出した。差し戻し前の高裁2部決定(06年)に続き、検察側の異議を認めた。ぶどう酒に混入された凶器の農薬が、奥西死刑囚の自白した「ニッカリンT」か否かが最大の争点で、下山裁判長はこの農薬の鑑定結果に関し「混入農薬がニッカリンTではないことを意味しないことが明らか」と判断した。【山口知、沢田勇】
下山裁判長は、高裁1部決定の刑の執行停止も取り消した。発生から半世紀、死刑確定から40年を経た事件で、開きかけた再審の門は再び閉ざされた。弁護側は特別抗告する方針で、審理は再び最高裁に移る。特別抗告期限は今月30日。
差し戻し審では、専門家が再製造したニッカリンTを使った鑑定が行われ、この農薬に特有の不純物が検出された。この不純物は事件当時、現場に残ったぶどう酒からは検出されておらず、弁護団は「混入農薬はニッカリンTではなく、自白は信用できない」と主張。検察側は「検出されない場合もある」などと争っていた。
鑑定の評価に関し高裁2部は、事件から当時の鑑定まで1日以上たっていたことから「(この間に)加水分解で不純物の元になる物質がなくなったと考えることが可能」と指摘。「自白は根幹部分において十分信用できる。奥西死刑囚以外にぶどう酒に農薬を混入しえた者はいない」と結論付けた。差し戻し前の2部決定の判断をほぼ踏襲した形だ。
奥西死刑囚は三重県警の取り調べ段階で「事件前夜、自宅にあった瓶入りのニッカリンTを竹筒に移した」などと自白。しかし瓶も竹筒も見つからないなど物証に乏しく、自白を主な根拠に死刑判決が確定した。起訴直前に否認に転じていた奥西死刑囚は73年以降、再審請求を7回繰り返してきた。
7次請求(02年4月)では高裁1部が05年「自白が客観的事実と反する疑いがある」として同事件で初めて再審開始決定を出した。だが検察側が高裁2部に異議を申し立て、別の裁判長が06年「混入農薬はニッカリンT」と判断して取り消した。弁護団が特別抗告し最高裁は10年4月「科学的知見に基づく検討をしたとは言えず審理が不十分」と指摘。事件当時とできるだけ同じ方法で鑑定を行うよう求め、審理を高裁2部に差し戻していた。
確定死刑囚の再審請求では1980年代に▽免田▽財田川▽松山▽島田??の4事件で、再審開始決定が相次ぎ、いずれも再審無罪が確定している。
◇検察側「適正な判断された」
野々上尚・名古屋高検次席検事の話 奥西死刑囚の自白通り、ニッカリンTが犯行に使われたかどうかという核心部分について、科学的知見に基づき適正な判断がされた。
◇弁護団長「考えられない決定」
鈴木泉弁護団長の話 考えられない決定で暴挙以外のなにものでもない。直ちに最高裁に特別抗告を申し立てる準備に入る。この不当決定を必ず打ち破る。
(毎日新聞2012/05/25)
正直、自分は「名張毒葡萄酒事件」というものがあった事を全く知らなかったのだが、思わず検索をしてしまった。
名張毒葡萄酒事件は1961年3月に三重県名張市葛尾地区の公民館で発生された事件。三重県葛尾と奈良県山辺郡山添村葛尾の両村民の親睦を兼ねたクラブ「三奈の会」があり、年に1回三重県葛尾の公民館で総会が開かれていた。
61年3月28日の午後7時から始まり、一つの過程を経て午後8時から懇親会が開かれる様になる。男性には日本酒、20人の女性にはワインが注がれ、乾杯が始められる様になるがそれから僅か10分後に女性達が次々と苦しみ倒れ始め、5人の女性が死亡し、12人が重軽傷となった。
最初は食中毒と見られていた様だが、男性にその症状は無い。またワインを飲まなかった女性にも無い。その様な事から調査を行いワインに有機リン酸剤の農薬で「ニッカリンT」が含まれていた事が明らかとなった。
当時の警察は、「三奈の会」に参加していた3人の男性から事情聴取を行っていたみたいだが、その中で奥西勝氏の妻である奥西千恵子さん、関係があったとされる北浦ヤスコさんという女性が共に死亡という被害にあっている事から、奥西氏夫妻と北浦さんが三角関係にあり、奥西氏はその関係を一気に解決しようとしてワインへ農薬を混入したのではないかと判断し、厳しい追求を行い、奥西氏が農薬の混入を自白した事から逮捕される事となった。
しかし奥西氏は自白後の警察の取調べから自分は混入は行っていないと主張を行う様になり、裁判でも無罪を主張していたし、64年の第1審で津裁判所の判決では無罪とされた。
これに検察側は不服とし名古屋高裁へ控訴する。すると高裁は、69年に検察側の主張を認め奥村氏を有罪とし死刑判決を言い渡してしまう。
そして72年に最高裁が上告を棄却し、奥村氏の死刑が確定してしまった。だが弁護団は絶対な冤罪という確信を持っていたのだろう。死刑確定からも、名古屋高裁に7度の再審請求を繰りし、高裁での再審が開始される事になるが、あっという間に再審開始が取り消されてしまった。
だが、最高裁が2010年4月5日付で、犯行に利用された毒物は「科学的知見に基づき検討したとはいえず、推論過程に誤りがある疑いがある。事実解明されていない」として、再審開始決定を取り消した名古屋高裁を理不尽として、高裁の決定を破棄し、事件の審理を高裁へ差し戻す。
だが、5月25日に高裁に求めていた再審開始の要求は棄却されたしまった。
この事件で奥西氏を犯罪者と警察などが確定した大きな証拠となっているのが、公民館内で奥西氏が自分の歯で便の王冠を開けた事だとされている。公民館で「三奈の会」が開かれるまで10分の空間があった様だが、その間に人目のつかない囲炉裏の間にいられたのは奥西氏だけであり、開栓された王冠にも奥西氏の歯の痕跡かがあった事から自ら開けていた事が有罪とする大きな要因となっている。
それらに対し弁護団は大学教授などによる鑑定によ検察側の証拠は誤りであるとする複数の鑑定書を提出している。
冤罪を主張する最大の要点は、ビンに含まれていた農薬は奥西氏が所有していたとされる「ニッカリンT」では無く、別の農薬ではないのかとされた事。ビンの中には決して「ニッカリンT」は検出されてはいなかった。
これは再審開始決定が決められた06年に、毒物鑑定を行っていた神戸大の佐々木教授の証人尋問が神戸地裁で行われた時に、佐々木教授が証言した事によりで明らかとなった事。
この事に検察側は「ニッカリンT」は加水分解されていて検出はされていなかったとしている。だが弁護団は、それを否定し成分が加水分解される速度は遅く、農薬や別物と主張したらしい。だが、ビンから「ニッカリンT」が検出されていなかったとする検察側の主張を認め、高裁は再審開始決定を取り消している。
だが、高裁の判断の仕方は全く可笑しい。名張毒葡萄酒事件で利用された農薬は「ニッカリンT」と確定されていた筈だ。しかも、それは当時の警察などが調査した結果確定されていた事ではないのか。
対して06年の検察は「ニッカリンT」は検出されていなかったとしている。当時の調査は誤っていたとしているじゃないか。なのに、高裁の過度の裁判長は成分の検出はされなくとも、農薬が「ニッカリンT」では無いとはいえないとしている。
そして、改めて再審請求を行っていたが5月25日の下山裁判長の決定は、弁護団が主張していた混入されていた農薬は「ニッカリンT」では無いとする弁護団の示す証拠価値は無く、当時の自白は事件の根幹部分において十分に信用でき、「ニッカリンT」が検出されなかった事は、「加水分解によって殆ど残っていなかったと」している。
この様な決定に納得できる者は、果たしてどれだけの者がいるのだろうか。検察は事件に使われた農薬「ニッカリンT」が検出されなかった事を認めている。そして裁判長もその事を認めると思える発言を行っている。
これは完全な冤罪事件だろう。どうして高裁、或いは最高裁などは認めようとはしない。今回の決定に納得できる者は殆どいないのではないのか。
検察側は「野々上尚・名古屋高検次席検事の話 奥西死刑囚の自白通り、ニッカリンTが犯行に使われたかどうかという核心部分について、科学的知見に基づき適正な判断がされた。」と発言しているが、一切認められない。
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