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福田内閣が2007年に公文書に関する法律を支持し、09年6月に麻生政権により「公文書等に関する法律」が制定されている。
 
行政文書の整理などは、該当行政機関の長により支持とされている。その長は、内閣大臣に当たるのではないか。
 
 
 
 政府は27日、東日本大震災に関連する10会議で議事録が未作成だったとの調査結果を公表した。このうち「各府省連絡会議」など5会議は要点をまとめた議事概要のみがつくられ、「政府・東京電力統合対策室」「被災者生活支援チーム」「電力需給に関する検討会合」の3会議では概要も未作成だった。震災対応の検証や今後の指針で参考になるはずの議事録管理のずさんさが鮮明となった。
 
 調査は震災、福島原発事故の15会議を対象に実施。議事録・議事概要がいずれも未作成なのはこれまでに判明している「原子力災害対策本部」「緊急災害対策本部」の2会議に加え、被災者生活支援チームなど3会議。
(共同通信2012/01/27)
 
まず、公文書等に関する法律の第一条に法の目的が記されている。
「この法律は、国及び独立行政法人等の諸活動や歴史的事実の記録である公文書等が、健全な民主主義の根幹を支える国民共有の知的資源として、主権者である国民が主体的に利用し得るものであることにかんがみ、国民主権の理念にのっとり、公文書等の管理に関する基本的事項を定めること等により、行政文書等の適正な管理、歴史公文書等の適切な保存及び利用等を図り、もって行政が適正かつ効率的に運営されるようにするとともに、国及び独立行政法人等の有するその諸活動を現在及び将来の国民に説明する責務が全うされるようにすることを目的とする。」
 
全ての会議などの会議録の内容を、主権者である国民に説明できる為の行政文書を作成し、保存する責務を目的としているのではないか。
 
だが、菅内閣はこの東日本大震災の時には、この重大な責務を完全に無視していた。
 
その原因を政治家と官僚の溝、とも報じられている。
 
-引用-
 
 政府内では、震災直後から公文書作成が重要だとの認識は共有されていたはずだった。
 
 「震災から1か月経過したことを踏まえ、関連資料保存に留意願いたい」
 
 滝野欣弥官房副長官(当時)は昨年4月12日の被災者生活支援各府省連絡会議で、居並ぶ各府省の担当者に文書作成と保存の徹底を指示した。
 
 ところが、その後も議事録問題は事実上、たなざらしになっていた。当時の内閣官房幹部は「政務三役から言われない限り、あえて過去の会議の議事録を事後作成しようと言い出す発想は官僚にはない」と語り、政権内での政治家と官僚の“溝”を指摘する。
 
 鳩山政権下で迷走し、政権の命取りとなった米軍普天間飛行場移設問題に関する関係閣僚の協議などは、官僚は最初から排除され、政治家との距離は広がった。そのあげく、「非公式扱いで、議事録に残していないものも多い」(政務三役経験者)とされる。
 
-引用-
 
野党の民主は、官僚を悪と表現し前政権と官僚との関係を常に悪しく表現し、政権交代をすれば官僚主導では無い、「政治主導」を行うと訴えていた。故に、国会での審議会にも当初は閣僚の出席を一切禁じていたのではなかったろうか。
 
前政権では官僚は各府省の長となった政治家の指示に従い活動を行っていたのだろうが、民主政権では官僚をしっかりと活用するのでは無く、常に政務三役の指示に従う事のみに行動範囲を狭めてしまい、「公文書等に関する法律」の第二章「行政文書の管理」第一節「文書の作成」にある第四条の活動も、常に政務三役の指示による事とされていたのかもしれない。
 
本来、各府省に設置されている「文書管理システム」は内部部局の大臣官房長の指示に従い文書作成が行われる事とされていた。大臣官房長は官僚が就く職務であり、現在の内閣で姿勢を示し、官僚のトップである事務次官へ指示する者が大臣政務官。
 
民主政権は鳩山の頃より、官僚が活発に行動する事を好まなかったのだろうし、故に政務三役の管理下に置く事を重視した。三役の指示に従った行動のみを強いられていたろう官僚は、「公文書等に関する法律」の第四条の行動を活発に行う事が出来なかったのではないか。
 
政界では「官僚は悪」と常に批判し続け、政権交代を成し遂げた民主政権は官僚との繋がりを絶つ様にしていっていたのだろうし、それにより官僚の執務の範囲を狭めていった事が、今回の大失態を呼び起こしていたのではないか。
 
政治を「官僚主導」と「政治主導」に完全に分割し、官僚への批判により「官僚主導」と称する事を悪とし、「政治主導」を善とする単に官僚と政治家を分割しなければならないイメージを多くの者に植え付けられた。
 
だが、「政治」とは統治と運営によって構成されるもの。統治を行うのが各府省の長である閣僚であり、その長の指示に従い行政機関を運営させるのが各府省の官僚。単にどちらかの主導とするのでは無く、統治と運営は常に強い繋がりを持ってなければならなかった筈だ。元首相である安倍や麻生などが、指示を行ったのが自分達であり、それにより行動を行っていたのが官僚であると断言していた。
 
統治の約である政治家が、運営の約である官僚の能力を如何に活かし活用するかが、政治の要となる。官僚を活用する事が出来ず、政権の主義主張を政治家だけで実行する事ばかりを重視し、官僚の存在を無視する内閣にまともな政治を行う事は不可能だ。
 
何よりもこれまでの政治を可笑しくしていったのは、政治家なのではないか。内閣の実行しようとする政策を政権下の政治家や野党の政治家達が批判をし、実行不可とした事が過去に幾多もあった筈。
 
ただ官僚ばかりに罪を負わせようとするのでは無く、個人、或はグループによる政策を無視した主義主張ばかりを行い、足枷になろうとしてきた政治家。これら政治家の活動こそ、本当に重視しなければならないのではないか。
 
意味ある政策の実行は、官僚の能力を活かし活用しきれる政治家達によって行われる。現在の民主政権には、その様な者は一人も存在しないだろう。
 
日本の政治を非常に悪化させ、国民生活にも悪影響をもたらした現在の民主政権。まともな政策を実行する能力の無い、この様な政権には一刻も早く消滅してもらいたい。ただ、そう思えてならない。
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