思い、そして感じた事をそのまま
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東京の豊洲市場問題が、東京だけじゃ無く、全国でも問題視される様になってしまっているが、筑紫市場から豊洲市場へ移転すると決めたのは石原元知事だった筈。
当の本人は、最初は東京に協力的で、小池のモニタリングも受けるなどといっていたが、突然に拒否する様になった。ハッキリ言えば逃げる様になった。
体調が良く無い、記憶がハッキリしないなどと下らん逃げ口上を吐きながら。それでも、書状で質問してくるなら、しっかりと思い出し、まとめて答えるといっていたと思うんだが、これもハッタリだったんだな。
小池は、質問状には石原が豊洲市場の情報をどこまで把握していたか、この対応を自分が負うので無く副知事に任せた責任について問うていたそうだが。
だが、築地から豊洲へ市場を移転するという東京にとっては大事業。これに関する情報が、常に東京都知事に届いていない訳などない。移転に関する事、豊洲市場に関する事など最終的に決定するのは下の者では無く、当時の東京都知事であった石原慎太郎に間違いはない。
石原は、僅か4年前の12年10月まで知事を務めていた。豊洲市場への移転が決定されたのは10年12月。同年10月には都議会が行われていたと思うんだが、その都議会で石原は「現在地での再整備は順調に進んでも十数年かかるという致命的欠点が明らかになりました。にもかかわらず、議会としての結論がだらだら先送りされて、展望が示されておりません。議会が決めかねるならば、知事が歯車を大きく回すしかない。今後豊洲移転に全力を挙げるつもり」(毎日新聞2016/08/31)と豊洲市場移転の意思を強く示していたらしいのだ。
10年12月に築地市場は豊洲市場へ移転される事が決定されている。
議会に苛立っていた石原が、自ら市場を豊洲へ移転する事を決定するんだと発言した。そして、「知事が歯車を大きく回すしかない」と言った石原が都議会に激しい怒りを持ったからといって、東京にとって大きな事業でもあり問題ともなってただろう市場移転を下の者に任せられる訳がない。
石原が先頭に立ち、移転を即座に決定させていったのだろう。
豊洲市場で大きな問題となっている盛り土。08年5月10日に「(盛り土案より)もっと費用のかからない、しかし効果の高い技術を模索したい」を語る当時の会見映像がよく流されていたが、同月30日にも「担当の局長にも言ったんですがね。もっと違う発想でものを考えたらどうだと。どこかに土を全部持っていって(略)3メートル、2メートル、1メートルとか、そういうコンクリートの箱を埋め込むことで、その上に市場としてのインフラを支える。その方がずっと安くて早く終わるんじゃないか」(日刊ゲンダイ2016/09/15)と会見で語っていたらしいのだ。
現在の豊洲市場の形を作ったのは、間違い無く石原元東京都知事だろう。だが石原には、知事としての責任感など過去にも現在にも全く無かったんだろうな。
故に、問題多い土地に新たな市場作成を決定し、安全性などしっかり確認せずに着工させていった。
豊洲市場の建設は殆ど出来上がりの状態になっている様だが、もしかすれば遣われないかもしれない豊洲市場へどれだけの税が注がれていたのだろうか。
あいつには、都民への謝罪意識など一切無いだろうし、罪人という意識はあっても罰を受けようという意識など一切持ってなどいない。
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