思い、そして感じた事をそのまま
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1月8日(昨年12月23日に訂正)に大阪市立桜宮高校の2年男子が首吊り自殺した事が発覚した。
この男子生徒はバスケ部の主将だったらしいが、自殺の要因となったのがバスケ部の顧問から体罰を受けていた事だと遺書と共に顧問への手紙が置いてあったみたいで、顧問に対し「教諭からの厳しい指導と体罰に苦しんでいたことや主将としての責任に苦しんでいたという趣旨の記載があった。」や「ほかの部員と同じミスをしても主将だから、よりきつく怒られる」などがあったらしい。
この男子生徒はバスケ部の主将だったらしいが、自殺の要因となったのがバスケ部の顧問から体罰を受けていた事だと遺書と共に顧問への手紙が置いてあったみたいで、顧問に対し「教諭からの厳しい指導と体罰に苦しんでいたことや主将としての責任に苦しんでいたという趣旨の記載があった。」や「ほかの部員と同じミスをしても主将だから、よりきつく怒られる」などがあったらしい。
と言っても体罰を受けていたのは決して主将だけでは無い。バスケ部の部員は50人いたらしいが、その中より21人が受けていたらしい。
部員達は体罰を受ける事に、何故だか怯える姿勢を見せていたともされているが。主将が顧問への手紙を書いたのは自殺を実行する前に書くのでは無く、数日前に書かれていたらしい。
自殺の要因として顧問からの体罰や厳しい指導と訴えているみたいだが、自分や他の部員達への体罰に強い不快感を感じていたのなら顧問に直接抵抗すればよかったんじゃないか、また学校への訴え、何よりも体罰や指導が嫌だったのならバスケ部を辞めれば良かったんじゃないかと思うんだが。
その理由を顧問が行っている体罰への批判を示す行動だとして。どうしてその様な事などせずに、自らの未来を絶つ自殺を選択したのだろうか。
自分には男子生徒の心理が理解できない。
まず疑問に思うのが、顧問からの体罰程度でどうして自殺をしようと意識したんだろう。本当にその体罰に耐えられないと意識していたなら、顧問自身に直接文句を言えばよかったのではないか。
主将としての責任にも苦しんでいたとあるけども、単なる言い訳なんじゃないのかな。
本当に主将としての責任を感じ、体罰は許されないと意識していたのなら、自分だけでは無く他の部員達へも行われていた体罰などは一切許されることでは無いと反対の主張を顧問へハッキリと言い切らなければ成らなかった思える。
だが、その様な事をしていたとは思われない。
そうする事が主将としての本当の役目だったんじゃないのか。或いは、自分は全然知らないけど桜宮高校のバスケ部は非常に強かったらしく、バスケ部の顧問は部員全体に厳しい指導は行っていたろうし、全部員では無かったみたいだが半数近くに行っている。
その要因は部員がミスプレーを行っていた事に対する行為だったのではないか。
教員による体罰は昭和22年に成立された学校教育法の第11条「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」が定められている。
しかし、この頃より果たして教育面での体罰は行ってはならないと世間より意識をされていたのだろうか。
しかし、この頃より果たして教育面での体罰は行ってはならないと世間より意識をされていたのだろうか。
決してその様な事は無かったのではないかと思われるが。学校内で悪戯行為や暴行などを受ければ、厳しい注意や指導が行われていた事は当然だし、体罰も行われていただろう。
そして教員の行う指導や体罰には2つの種類があるのではないだろうか。
教員という職についている一人の社会人として悪意ある行為を行う者にそれを正す為の指導や体罰、或いは学生の行為にただ感情的となり単にその感情をぶつけるだけの意味の無い激しい口頭や体罰。
教員という職についている一人の社会人として悪意ある行為を行う者にそれを正す為の指導や体罰、或いは学生の行為にただ感情的となり単にその感情をぶつけるだけの意味の無い激しい口頭や体罰。
自分達が学生の頃には口だけの厳しい指導にしても、体に痛みを感じさせる(体罰だが)指導にしても、行っていた行為を的確に示しどの様に行動すべきかを促したのではないかと思われるが。
単に感情をぶつけるだけで意味の無い激しい口頭、或いは強い痛みを感じさせるだけ行為を行う事は指導には成らないだろう。
だが、どの様な激しい口頭があろうと体罰とされる行為があろうと、生徒の校内での過ちや部活動でのミスを怒りを交えて指導する事は果たして暴行と成るのだろうか。
怒りを示すは生徒の過ちやミスが生徒個人、或いは他の部員も含めた部活動にとって如何に大きいかを示し、その事をしっかりと指摘し正していたのであれば、マスコミが頻繁に使っているのではないかと思われる「暴行」では無く、しっかりとした指導を行っていたと思えてならない。
激しい口頭や体罰など行っては成らない。行った者は犯罪者として扱われなければならない。厳しい指導とされる体罰などが普段から行われてなければ会人から未成年への的確な指導は行う事は果たして出来るのだろうか。
また、社会人による未成年への教育現場は決して学校だけでは無い。家庭も一つの教育現場と成っている筈だ。
親が自分の子を一人前の社会人として育てる事も親の責任であり、その為の教育も生活の中で行っていたと思うのだが、過去の家庭内では活発に行われていなかったろうか。
子供の行為によっては怒鳴る事もあるだろうし、体に痛みをもたらす。いわゆる体罰(暴行とも表現されてる様に思えるが)。
現在では体罰では無く虐待という感情を向ける的とし見殺しにする完全な暴行行為が平然と行われる様になっているようだが。
現在では体罰では無く虐待という感情を向ける的とし見殺しにする完全な暴行行為が平然と行われる様になっているようだが。
過去に行われた家庭内の体罰は子供の誤った行動を正す行為であり、単に怒りをぶつけていただけではなかった筈だ。
子供への愛情があるからこそ、厳しい口頭による指導や体罰などが行えていたのではなかったのか。
そういった物を持ち得ない親が増加する事により、子への虐待行為が多くと成っているのではないだろうか。
子供への愛情があるからこそ、厳しい口頭による指導や体罰などが行えていたのではなかったのか。
そういった物を持ち得ない親が増加する事により、子への虐待行為が多くと成っているのではないだろうか。
子供達は家庭と学校により色々な教育を受ける事により、一人の社会人として成長していく。
現在は学校内での教育ばかりが問題視される様になっているが、家庭内での教育はどの様になっているのだろうか。
学歴社会といわれる現在で、親達は子供達にどの様な教育をしているのだろう。
謝罪
確認をしっかりとせずに、誤った事を書いていた事を御詫びします。
現在は学校内での教育ばかりが問題視される様になっているが、家庭内での教育はどの様になっているのだろうか。
学歴社会といわれる現在で、親達は子供達にどの様な教育をしているのだろう。
謝罪
確認をしっかりとせずに、誤った事を書いていた事を御詫びします。
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