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東京都内での私立大学病院での院内暴力なんて事を私立大学病院医療安全推進連絡会議が調査してたらしいが、その結果暴言や暴力を受けた人が4割以上に上る事が分ったらしい。
 
では、「院内暴力」とは何か。コトバンクで検索すれば「病院などの医療機関で医師や看護師らが患者やその家族から暴力をふるわれたり暴言を吐かれたりすること。他の患者が巻き込まれることもある。」と書かれてある。医療機関に勤める人々が被害者という事なのだろうな。
 
院内暴力というのは、患者本人や患者の家族からの行為だとしているらしいが、どういった事に対し暴言や暴力があったとしているのか。
日本経済新聞の「職員4割「院内暴力」の被害経験 都内の私大病院 男性患者からの被害多く」には「発生要因としては「病院側の説明や確認不足」が19.0%で最多。次いで「待ち時間が長い」(15.5%)、「医療者の態度」(11.8%)が多かった。」と記されている
自分は一寸したややこしい持病を持っているし、現在では親が介護を受ける状態になっており入院していた事もある。
 
また、日本医師会が「医療従事者の医療安全対策マニュアル」という物をネットで公開している。
 
自分は過去から持病の診察を受けているし、現在では介護保険によるリハビリを受けているんだが、自分に関してでは無く、親に対する病院の対応などに関しても激しい怒りを感じ、そのままに感情をぶつけた事が何度もある。相手側にとっては、こういった事が暴言や暴力となるのかもしれないが。
これまでの中で自分が非常に激しく暴言を吐いたのは、持病の診察を受けていた関連病院に救急車で運ばれた時の救急患者に対する医師達の姿勢に激しい怒りを感じ、そのままに怒りを履きまくった事がある。
 
それまでに、持病の関連で大学病院や救命救急センターを受け持つ病院や救急病院などに何度も運ばれた事があったが、医師達は医療に専念する様に検査やその後の処置などを無駄な行動など一切見せず、テキパキとした行動を行ってくれていた。
その医師達の行動を信頼し、指導には素直に従い処置を受けていたのだが、それまでの救急医療を受け持つ総合病院では無く、持病の診察と関連ある総合の救急病院へ運ばれた時があるが、救急医療する事をどの様に意識していたのだろうか。
非常に怠慢な態度を感じさせ様に笑いながら語り合い、のんびりとした処置を行っている。
 
それまでに運ばれていた病院とは、対応の仕方が全く異なっていた。それまでの病院は急患である事をしっかりと意識し、素早い対応を行ってくれていた。
それに対し、持病の診察を受けていた病院と関連ある総合病院の急患に対する対応が非常に曖昧だった。
 
その時の自分は、前日に持病の診察を行っていた担当医が、一つの薬を突然に外した事により大きな副作用が突然に起こったのだろうと思えるが、全く眠れなくなり朝になると心臓の鼓動が激しく感じる様になり、更に呼吸が非常に苦しくなっていた。
救急隊員は自分の通っていた病院の関連病院という事で選択し、そのまま送ってくれたんだが、自分の状態に対する速やかな対応など全く行ってはくれない。
病院に運ばれても苦しんでいる自分をどの様に意識していたのか、全くのんびりとした対応を行っている。
この時には救急医療を担当する医師達には切れ、怒鳴りまくり他の病院との対応の仕方が全く違うじゃないかと怒りをぶつけまくっていた。
 
そんな吠えまくる自分を抑えようとしたのだろうか、睡眠薬をうっていた様だが眠れる訳は無い。
その後、何とか鼓動とか呼吸などは落ち着いて、近くにある診察を受けていた車椅子に乗せられ送られ、担当医だった病院長の診察を受ける事になったんだが、事情を説明していると、突然に今後一切診察は拒否すると言い出す。
 
その後に一応紹介状は書くと言って、別の場所へ行ったんだが、あのやぶ医者が出てくるまでに看護師などにやぶ医者の態度への怒りを軽い口調だったんだが、ぶつけたよ。
自分の診察ミスは明らかなのに、突然に気にくわないと思ったか否か知らないが、突然に今後一切自分への診察はこの病院では拒否すると吐き出す。
これが、この病院のやり方なのかと。正直に自分の気持ちを吐いた。その時の看護師はどの様に受け止めていたのか知らないが。
 
後でネットで調べたんだが、やぶ医者が突然に止めた薬の副作用に、不眠がしっかりと記されている。
 
あのやぶ医者は自分の持病の専門医だったのだから、副作用の事などもしっかりと知っていた筈だ。
自分のミスにより患者を苦しめる事となったのなら、患者に謝罪する事が当然の事だろうと思えるのだが、その様な事など一切行わず、自分のやった事に文句を言ったとして診察拒否を突然に言い出す。
医師としての認識をしっかり持ち得ている者とは思えない。
患者は自分の言いなりになればいい。自分に文句を言う必要など全く無いなどと意識している。患者をまともに見ている者とは全く思えなかった。
 
紹介状には、医師の名など一切書かず、更に自分の持病を受け持つ科では無く、それに近い2つの科だけを書いていた。
仕方なく、その2つの科から自分の持病を見る事が出来るだろうと思える医師を探し、最初は総合病院の医師の診察を求めていったのだが、患者が多くいるから突然に紹介状を持ってこられても診察は出来ないとあっさりと断られてしまった。
過去に大学病院へ同じ様に何も連絡をせずに突然に紹介状を持って赴いた事があるが、患者は多くいるのに、ちゃんと自分の診察を受け入れてくれたよ。
 
この違いは一体何なんだと思わされたね。
 
その後、改めて医師を探し、病院にも確認を取って通う病院を決めた。
だが、この医者は自分の持病に関する知識など全く持っている者とは思えない、無茶苦茶なやぶ医者だ。
 
診察の問診では持病に関しては一寸聞くだけで終わり。大学病院や患者を軽視していた病院長でさえ、問診では持病が発生する時の状況などをしっかりと聞き取り、その状況により処方の変更を行っていたのだが、大学病院に通っていた時には非常に酷い状態だった持病を大きく改善してくれた。
病院長の診察を受ける様になると、更なる改善などは無く、大きな副作用が発生したり、逆に悪化する時もあった。
それでも、診察拒否までは一応ちゃんとした診察は行ってくれていた。
 
現在のやぶ医者はまともな診察など行っていない。処方も病院長が最後に組んでいた物を適当に組み替えているだけで、まともな処方を行っているとは思えない。
どころか、大きな副作用があったとしっかり伝えていたのに、何を思ってかその薬を外す処方をやってくれた事があったが、夜も昼間も全く眠れない。
体調は非常に可笑しくなり、すぐにやぶ医者に訴え処方を変えてもらった。
 
親の介護に関しては3つの病院に通ったが、最初の病院はリハビリを目的とていたが、一応退院出来るまでにはなっていた。
その時に、多額な診察・入院費を一気にまとめて要求され、一括で支払う事は難しいと判断し、金融からの借入れにより支払いたいと訴えれば、何故だか生活保護を受けろなどと言い出す。
 
一応役所へは行った。だが所得税は払っているし、貯蓄もある。生活保護など受けれる訳など無い。こんな事ぐらい受けろといった奴でも分っていた筈だ。
 
なのに、その後もしつこく役所に面倒見てもらえと言い続ける。その後も支払いのやり方の交渉を続けている内に、親が肺炎に掛かったらしい。
即座の処置を行ってくれていれば、悪化する事は無かったんじゃないかと思えるが、何故か何時の間にやら非常に悪化し総合病院への転院が突然に決まる。
この時に介護タクシーで移動する時の料金を聞いていたが、転院した時に先に聞いていた料金を支払おうとすると、介護タクシーの者から6倍の料金請求をされてしまう。
 
病院にあるATMから引出し、即座に払ったが、全く納得できずに自分に料金を示していた婦長に連絡を取り、どういう事なんだと問い詰める。ただ謝罪するだけで、出鱈目を伝えた意味など全く説明しようとしない。
だが、転院した病院で診察を待っていると、連絡取った婦長が突然に現れ、間違っていた料金は返却すると言い出す。
 
その夜に、転院前の病院へ行き婦長から一応の返却は受けるが、と同時に親の肺炎が大きく悪化していた事に関して、激しく問い詰めていく。
転院した病院の医師からは、命に関わる状態だと言われていたのだから。どうしてその様な状態となるまでに、ちゃんとした処置を行ってくれていなかったのか。
だが、如何に問い詰めようと適当に交わすばかり。ちゃんと答え様としない。
 
途中から担当医が現れ、語り始めるが肺炎に関する処置に関しては具体的に何も語ろうとはしない。
転院となった理由ばかりだ。更に、弟が同行していたんだが自分を避けようとしていたのか、弟に説明する様に語り掛ける事が多かった。
そんな逃げの姿勢など許せる訳は無い。すぐに自分から問い詰めていく。
だが、何時の間にやら自分の持病が現れていて、知らぬ間に病院を離れてしまっていた。
 
親の肺炎は非常に危険とされる状態にまで陥ってしまった事もあったが、病院の賢明の処置により何とか肺炎を抑える事が出来た。
だが、その間にはベッドに寝た切りで、点滴の繰り返しでマスクを付けられている日も多かった。食事は殆どとれずに、退院する事になったのだが体力が相当に落ちていたみたい。
 
改めてリハビリを受ける為に別の病院へ転院したんだが、途中で肝臓に異常があるという事でリハビリは中断され、別の病棟に移され肝臓の治療を受ける事になる。
その病棟の医師からは最初はCT肝炎とされていたんだが、2~3日掛けて検査をするという。そして検査結果を聞くと、もう肝硬変になっており治療の仕様がないと言う。
 
だが、数日経つと肝硬変から慢性へと言葉は変わり、更にCT肝炎へと言葉は変わっていく。更に別の器官にも異常があるとして、手術を受けなければならないと言い出す。
自分達の方から病院の指定をすると、その病院の医師はまず診察をしたいと言い出す。受けてみると手術の必要は無いと言う。
 
手術を訴えていた医師に合う事は出来ず、リハビリを担当していた病院の医師に問いただすと、言い訳じみた事しか言わない。
 
特に肝硬変といった事に関しては、詳しい検査をしなければならないと言い出す。だが、既に2~3日も掛けて検査をしている筈。
CTやエコーなんて事だけじゃ無く、消火器内科の肝生険など受けなければならない様だが、病棟を移動した時の検査で出来ていても可笑しくないだろうと思ったんだが。
この時には、もう何も言う事は無かったけどね。何だか白けてしまってて。
 
患者側が病院や医師に対し文句をいう大きな原因は、病院や医師が非常に怠慢な姿勢でしっかりとした対応をしてくれていないと思える時じゃないだろうか。
その様な姿勢を見せられると、患者の状態が良くなるとは決して思われない。だから、患者本人は勿論だが、その家族も病院や医師に対し不満は募り、文句を言う様になる。
当然の事だろう。
 
私立大学病院医療安全推進連絡会議は「院内暴力」を「診療の妨げになりかねない。院内暴力への対応体制の充実が急務だ」としてまとめている様だが、これは患者の事を重視しての事なのか、それとも「院内暴力」とやらを受ける側を重視しての事なのだろうか。
 
もしも「院内暴力」を受ける側を重視してのまとめだとすれば、患者側を完全に軽視しているとしか思えない。
本当に「院内暴力」とやらが診察の妨げになりかねないから、対応体制の充実が急務としているが、それは医師達の患者に対する姿勢を如何に正すかではないのか。
患者やその家族から信頼を受けていないからこそ、医師や病院へ対する怒りが爆発するからこそ「院内暴力」とやらが発生するのだろう。
これに対する対応体制の充実を行わなければならないと言うのであれば、医師や病院が患者からどれだけの信頼を得る事が出来る様にすべきかしっかりとしなければならない。
 
調査結果には、「院内暴力」に不安を感じる者が病院内に86%余り存在しているらしい。また、「被害に遭ったら一人で抱え込まず、職場で相談してほしい」ともまとめている様だ。
 
決して患者を重視した調査を行っていたとは思えない。調査を行った趣旨を連絡会議などに明らかとしてもらいたい。
 
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19日掲載の日本経済新聞の記事「新生活準備にテレビは不要スマホで代替、予算絞る家電セット「必要なものだけ」」で意外な事を知らされた。

学生として或いは社会人としていると思われるが、今年4月から一人暮らしを始める若者達が、自分は使っていないから分らないけどスマホやパソコンからテレビを見る事が出来るからテレビは不要として、求める者が少なくそれ以外の家電製品が変われ家電量販店からテレビが消えそうになっているとされている。
 
正直言って、訳が分らなかった。スマホでテレビを見る事が出来るなんて自分には信じられないし、パソコンでも見る事なんて出来るなんて信じられなかったし、凄く驚かされてしまった。
だが、一応パソコンのソフトをチェックしてみると、テレビに関するソフトが結構出ている。これにも驚かされてしまったが。

しかもフリーで。
これまでフリーソフトを探していたのは、サイトに関する物とか、アンチウイルスやファイアウォール、ブラウザなどがメインでそれ以外にもテキストに関する物やその他の物などポツポツと探してた事はあったけども、テレビに関するソフトがあるなんて全く知らなかったし、自分がリンクしているソフトに関するサイトにもその様なソフトの情報など全く無かった。
 
そしてテレビ以外で購入されている物でも、安い物に人気が有るらしい。
まだまだ不況が続いている社会状況の影響もあるのかもしれないけど、生活に関する新しい物を求める若者達は安くて機能性の高い物を求める傾向が非常に高いらしい。
 
自分もその様な意識を強く持っていて、無駄な買い物を一切しない様にしているし、意味の無い高い買い物など全く行わない様にしている。
どうしても欲しいと思える物があったとしても購入する場は殆どネットで、出来るだけ安くで良さそうな物を探し出し、それを注文する様にしているんだが。

最近はテレビの買い替えが必要なのかなと思っていて、電気量販店にも赴いてテレビの画質などをチェックして、ネットでの値段とも兼ね合わせ何を購入すればいいのかなど決めようとしていたんだが、現段階では一応2つに搾って入る。

実際に注文しようと考えているのは早くて来月中旬から5月と思ってるんだが、自分が求めようとしていた物がスマホやパソコンで代替えとなっていて購入されなくなっていると知った時には、何だかショックを受けてしまった。
 
周りには既にスマホに変更している者がいるのだが、その様な者達からもスマホがテレビの代替えとなるなど聞いた事が無く本当なのだろうかと信じられない気持ち。
因みに、携帯を続行しようとスマホに変えようと結局は電話を中心として利用する事は間違い無く、変更する必要など無いと思っているんだが。
 
何度も書いてしまうけど、スマホやパソコンがテレビの代替えとなるなんて本当に信じられない。

本当にそうなっているとしたら、信じられない気持ちがとても強く、自分にとっては大きなショックだ。


1月21日、麻生副首相兼財務相が社会保障制度改革国民会議で終末期高額医療費をめぐって一つの発言を行った。「さっさと死ねるようにしてもらうなど、いろいろと考えないと解決しない」と。
 
この発言が麻生副首相兼財務相を責める一つの道具として使われるのだろうかと思われたが、2月20日の参議院予算委員会で民主の梅村委員が発言の趣旨を問い麻生副首相は「尊厳を持って静かに死なせてもらいたいというのが率直な私の気持ちだ」と発言している。
 
この発言に対し、麻生副首相の「問題発言とはしない。むしろ国民的議論が広がってほしい」は、自分の心にも強く響いた。現在、自分の家族で昨年の秋から寝たきり状態になっている者がいる。
 
一時期、もう長くは無いと医師に言われた時もあった。
リハビリもせず食事もとらずに治療だけに専念されていた家族へ面会をする為に毎日病院へ通っていたが、そんな家族を思う他の家族や自分の気持ちが何かに通じたのだろうか。
一応の危機は乗り越えリハビリを行える状態となっていたのだが、リハビリの為に病院を変えた時にはもう自ら動く事も出来ない状態となっていた。

 
そして、その病院の医師からも言われた。回復の見込みはないと。家族の連れ合いが最も強く思ってたんじゃないかと思うのだが、早く退院をさせ自宅療養をさせたいと。
今月の初めに、介護保険を利用する事を条件に退院をする事となった。その時に、お世話になっていた病院の看護師やリハビリの人達に見送ってもらった時には、何だか熱くさせられてしまってた。
 
かなり面倒の掛かる患者で余り好まれてなかったんじゃないか、そして自分達が面会に行くのは毎回夜で基本的な面会時間を越えても続けている事もあった。
だから、自分達も余り好まれてはいなかったんだろうなと勝手に思い込んでたものだから、あの人たちの予想外な姿を見せられた時には本当に熱く感じさせられるものがあった。
 
自宅療養を始めてからは、週に4回ほどデイケアやサービス、時にはショートステイへ通う事になっていて、自分も家族をベッドから車椅子に移し玄関口まで運び、デイの人達の車椅子に移してもらってるけど。
現在はショートへ通い明日まで世話になる事になっている。昨日も面会に行ったけど、自宅療養の時と同じで余り喋る事は無くなっているしうつろな表情でただ何かを見ている感じだ。
 
後どれだけ持つのかなと思わされる時もある。
 
麻生副首相は「尊厳を持って静かに死なせてもらいたいというのが率直な私の気持ちだ」と同じ事を強く思っているのは、寝た切りになっている本人よりも連れ合いだろう。
 
自分達が最後まで見守っていたい、病院なんかじゃ無い、自宅で静かに息を引き取ってもらいたい。
その時まで、自分達でしっかりと看病をしてあげたいと語っていたが、退院し自宅療養が始まると自分達も常態を意識させられてしまっているけど、最も面倒を見ながら看病に励んでいるのは連れ合い。

 
だが、退院が決まったと本人に伝えた時には笑みを浮かべてはいたが。本人も何時までも病院にいるのでは無く、家族の所へ戻りたいと思っていたのかもしれない。特に連れ合いの所へ。
 
人生の最後をどの様に迎えるか、人々により色々な考え方があるだろう。
自分も病院の中で最後を迎えるのでは無く、住処で自分の人生に悔いの無い様に、或いは他の場所でも何かを遣り通し悔いの無い様にこの様を去る様にしたいと思っている。
 
麻生副首相は多くの人の気持ちを代弁していたのかもしれない。何だか、そんな気持ちにさせられる。


14日、大阪府大東市のJR野崎駅で、一人の男児が飛び込み自殺を行った様だ。そして、男児のリュックサックが同駅ホームに残されていたようだが、その中に非常に衝撃的なことが書かれたメモが残されていた。
「どうかひとつの小さな命とひきかえに、統廃合を中止してください」。男児は自分の命と引換えに、小学校の統廃合を中止して貰いたいと訴えている。
 
男児が訴えている統廃合の中止とは何か。大阪市長である橋下は、早々から学校選択制による学校統廃合といった事を訴えていたんじゃなかったか。
それを受け入れる事が出来ない子供たちが多くいた事が事実なのだろう。
 
そしてこの記事のツイッターを覗いてみれば、この子供の行為を否定する者が多い。どころか中傷する事も書かれているのではないだろうか。
桜宮高のバスケ部の主将も一つの事を訴え自殺をしている筈。この事に複数の者達が批判をし吠えまくった。
すると自殺した主将の行為を正当化するかの様な発言が多く出るようになり、体罰は現在社会では悪と定義付けられようとしている。
 
JR駅で自殺を行った子供の意識も素直に受け入れる様な意識があれば、訴えていた事を真摯に受け止め、何故「学校統廃合の中止」を求め自殺したのか。
自殺した子供だけでは無い。その他の多くの子供たちが拒否していたと思われる学校統廃合とは一体どういう意味があり、子供達にどの様な影響をもたらす事だったのか、考える事が出来たのではないか。
 
だが、世間の者達はバスケ部の主将の訴えには耳を傾けようとも、小5の子供の訴えは無視しようとしている。
更には自殺の原因は、バスケ部の主将の自殺をマスコミが報道しすぎたんじゃないかとマスコミ批判をする者達もいる。
可笑しな話だ。批判するマスコミ報道に賛同し、いい様に書きまくっていた自分達には全く責任はないというのか。
 
更に自殺したから世界は変わらないとする者もいるが、一人の自殺行為により体罰は悪という社会現象を発生し、教育の場での一つの行為を大きく変えようとしている。
自分達の行ってきた事などは一切無視し、マスコミ批判だけを行っている。非常に無責任な逃げ口上としか思えないし、理解ができない。
 
そして、自殺した子供の両親が「死ぬことで事態を変えようとするのは正しいことではなく、統廃合を中止してほしくない」との発言を賞賛している。一人の者が自殺した事により一つの事態を変える事を訴えていた者達は、これまで自分が行っていた事をどの様に意識しているのだろうか。
両親が発言していた事とは全く矛盾した行為を平気で行っていたのではないかと思えるが。
 
橋下が訴えていた、そして民意など無視し強引に進めようとしている学校選択制による学校統廃合とは一体なんだったのだろうか。そして橋下の本当の目的は一体なんだったのだろう。
数年前より学校選択制を採用する自治体はあった様だが、現在では逆に廃止するか検討もしないという自治体が増加しているとされている。
 
子供達の地域コミュニティーが希薄となる事を最も重視しているのだろうか。
コミュニティーが希薄する事により、子供達の人間関係は薄くなるとし、居住地の地域外の学校への就学が決定すれば子供の通学距離は大きく延長され安全性も強く心配されるようになる。
また学校には定員数が存在する筈であり、就学を希望する学校に定員数を超える就学希望者が存在すれば、公立学校で抽選が行われる事となってしまう。
抽選から外れれば、選択とは別の学校へ強制的に子供達は就学させられてしまう。

 
抽選から外れてしまった子供達は希望していなかった学校への入学を強制される事となるのではないか。
また、昨年7月8日に大阪市城北市民学習センター講堂で「学校選択制を考える~選択制を廃止した杉並区の経験から~ 」という講演が行われたらしいが、ここで「学校選択制というのは、保護者や子どもが学校を選択できる制度だと一般に思われているが、実は、学校側が子どもを選択することになるのだと。」指摘されている。

 
要するに学校選択制は子供達が学校を選択する事ができるのでは無く、学校によって子供達が選択される制度とされている。
 
先にも書いたが、子供達が学校を選択し就学を希望しようとも、定員オーバーとなれば必然と定員数にあった子供達は就学を拒否され抽選する事を強制される事となる。
定員オーバーしようとも全ての就学を認める事となれば、全ての子供達が授業を受ける為の教室を増加しなければならない。
だが、何も改修されていない学校ではそれまでの定員外の子供達の就学を認める事など不可能だろう。

 
よって選択した学校への就学を拒否された子供達は、最初に希望していない、希望の薄い学校への就学を強制される可能性が高い事に間違いは無い。
また地域外の学校へ就学する事となれば、それまで友達関係にあった大事な友人を失わされる事となり、地域外の子供達との新たな出会いから改めて人間関係を築いていかなければならない。
だが、新たな友人となれたとしても互いに離れた地域に暮らす可能性が高く、学校外での付き合いが非常に希薄となってしまうのではないか。また、複数の地域から就学させられた子供達の保護者も活発なコミュニケーションを行うなど不可能だろう。
 
よって、地域内での人間関係、コミュニケーションが極めて薄くなってしまう可能性が高い事は間違いない。
 
そして一部の学校へ子供達を都合のいい理由により就学させ、各地域から子供達の通う学校が無くなって場合には、その存在は意味無いものとなり廃校される事になるのだろうな。
学校選択制を導入する事により、学校統廃合を行い、教育費財源の大きな削減を図ろうとしているのではないか。

 
橋下は子供達の教育では無く、大阪市の財政状況を重視した市政を行おうとしているだけだろう。子供達の教育を真摯に考慮し実行しようとしているとは思えない。
 
橋下は学校選択制と学校統廃合に関し、昨年5月15日のツイッターに関西テレビの番組でコメンテータと討論した事に関して書いている。

その一部には「地域コミュニティーが希薄になる。必ず出るフレーズだ。地域コミュニティーは重要だ。しかし子どもたちの教育の方がもっと大切だろうと考えるのが僕の価値観。地域コミュニティーを大切にして誰からも批判を受けずに現状維持にしておくのが一番楽。しかしそれは政治じゃない。  物事を考えるのに一つの価値だけで判断できることはない。多種多様な価値がぶつかり合う。しかし最終的にどれか一つの価値を選ばざるを得ない局面に出くわす。そのときに判断するのが政治だ。大阪市内の都市内過疎の問題をもっと深刻に扱うべきだ。  将来の子どもの数を見越してでも、どう考えても人数の増えない学校もある。それを地域コミュニティーが大切だからという誰でも言えるフレーズで何もしないと言うのはコメンテーターなら良いが政治家はやっちゃいけない。都市内過疎の問題を解決するには統廃合からも逃げちゃいけない。  学校の統廃合は難しい。本当に難作業だ。これまでの統廃合の事例についてもスーパーニュースアンカーは全く認識がないようだ。最後は、住民の皆さん、もっと言えば保護者の皆さんの意思を利用させてもらう。これも住民自治そのものだろう。一番に考えなければならないのは子どもの教育環境だ。  地域の事情や、地域住民の主観よりも、まず考えなければならないのは適正規模の学校環境を子どもたちに提供すること。子どもは声を上げない。声を上げるのは大人たちのみ。学校統廃合をするなというなら、では今の現状をどうする?その回答のない今回のスーパーニュースアンカーは無責任極まりなかった」と書いている。
 
この中で、橋下は「地域コミュニティーは重要だ。しかし子どもたちの教育の方がもっと大切だろうと考えるのが僕の価値観」とし、意味が分らないが大阪市内過疎化を更に重視しなければならない。人口減少を理由としているのか、就学数の増加しない学校は出るとし、過疎化に対応するには学校統廃合は絶対必要だとしている。
そして先に、これらを行うには「住民の皆さん、もっと言えば保護者の皆さんの意思を利用させてもらう。これも住民自治そのものだろう」としているが、最後に子供は声を上げないとして「地域の事情や、地域住民の主観よりも、まず考えなければならないのは適正規模の学校環境を子どもたちに提供すること」としている。

 
学校選択制や統廃合を行うに民意の必要は無く、行政が必然と行わなければならない事だと主張している。
大阪市の学校選択制や統廃合には、橋下がよく主張する民主主義は存在していないという事だろう。橋下は「教育委員会内の専門家会議で小学校においては11クラス以下は学校として考え直さなければならないとの答申が出ている。 要するに1学年2クラスは必要だろうと。」しているらしい。

 
学校教育法施行規則第41条では「小学校の学級数は、十二学級以上十八学級以下を標準とする。ただし、地域の実態その他により特別の事情のあるときは、この限りでない。」とされている。
これを基準としているのだろうか。では1学年11クラス以下は教育には適正では無いというのだろうか。

 
クラスの少ない小さな学校では適正な教育は出来ないとしているのだろうか。適正な教育を行うのにクラス数は決して拘る必要など無いと思えるが。
そうでは無く、一つのクラスに多くの生徒を入れてしまった時に全員に対する適正な教育を行えなくなるのではないか。
適正な教育を行うのに、何故クラス数に拘なければならないのか。理解し難い。
 
これまで自治体の行っていた学校選択制では1校に限られていた様だが、大阪市の導入しようとする選択制で1校だけでは無く、第3までの選択が許されているのだろうか。
最初の選択、第2の選択に漏れても3番目に選択していた学校へ就学の可能性は高いのだろう。
だが、絶対とは言い切れないのではないか。実行してみなければ、決して完璧などとは言い切れない。何よりも2番目3番目は子供達がどこまで希望している学校なのだろう。

保育園や幼稚園時代から大事な友達となっていた多くの者達と離れ離れとなって通わなければならなくなる可能性が非常に高い。
大事な友達と強制的に別れさせられる事となってしまう。
こんな事に納得できる子供達だけで無く保護者はどれだけいるのだろう。
 
学校選択制の説明の為に、昨年の大阪市24行政区では学校教育フォーラムが行われていたらしいが、フォーラムでは保護者アンケートも行われていたらしい。
全ての行政区が学校選択制などのアンケート結果をサイトに掲載していないが、賛成が反対を上回っている区もあるが、やはり反対を示す人々が多かったみたいだ。

 
賛成が反対を上回っている時には大きな差は無いのだが、反対が上回っている場合には、その差に大きな差が出ているのではないかと思われる。
橋下はツイッターに一応書いている「住民の皆さん、もっと言えば保護者の皆さんの意思を利用させてもらう。これも住民自治そのものだろう」と。
だが、反対の意思を示す住民が多いと思われる学校選択制などを住民の意思を無視し強制的に実行しようとしている。
 
また橋下は、市議会で「導入した他都市の実例、現状を見れば95%以上が維持・継続している。現に学校間に学力等の格差は存在しており、保護者が選びたくない学校に強制的に通学させることはあってはならないと考えている。
地域コミュニティーが大事であれば保護者に選ばれるような地域まちづくりを住民が責任を負ってすればよく、学校選択制を導入すると心配するような地域は、地域活動に参加し地域を守るという意識が強いので、そういう地域の学校は保護者に選ばれることになる。」と答弁した事があるらしい。
 
学校選択制を実行した他都市は、現状では95%以上が維持・継続しているとしている。実際はどうなのだろう。ハッキリとは分らないのだが、現状の維持と継続では橋下の答弁の通りなのかもしれない。
 
だが、数年後には廃止や見直しをしようとする自治体、導入の検討も行わない自治体が増加しているらしいじゃないか。
教育には適していないと判断する自治体が増加している事は間違いない。

 
不可解な発言もしている。「保護者が選びたくない学校に強制的に通学させる事はあってはならない」とするが、既に多くの保護者は学校を選択させられる事に拒否を示している。
地域内の近くの学校へ就学させたいと思っている保護者は多いのではないだろうか。子供の通学にも安全性は高くなるだろうし、小さい頃からの友達と別れ離れにされる可能性も極めて小さくなる。
更に、学校で新たな出会いがあれば、学校外でも積極的な触れ合いが出来るだろう。また居住する地域内には知っている場は多く、知っている大人も多くおり、その中より気楽に接触してくれる人もいるだろう。

学校外での人との活発な接触は子供の成長に大きな影響力を持つのではないか。
 
橋下はツイートに「子どもたちの教育の方がもっと大切だろうと考えるのが僕の価値観」と書いてあるが、本当にその様な意識を持っているのだろうか。
子供や保護者などに対する、民意を重視しているなどとは全く思われない。

 
子供の心理、保護者の心理など住民の民意を全く無視して自分の決めた市政を強引に実行しようとしているだけだ。

これは、正に権力による暴力だ。
自分が持ち得る権力を市民では無い、自分の為に利用し、市民の為の年の再編成を行おうとしているのでは無く、自分の務める大阪市の為の都市の再編成を行おうとしている。

民主主義を無視した行動を行っていると思えてならない。
 
学校選択制を強行し、統廃合を実行するようにしている事から、多くの子供達の心が痛められていたのではないか。
統廃合の中止を訴え、自殺をした小学生男児はクラスメートなどにも統廃合に対する意識を問うていたのだろう。
賛成する子供はいなかったのではないか。
 
小学生の自殺の要因をマスコミとする者が多いかと思われるが、実際の原因は橋下が強制的に学校選択制と学校統廃合を進行しようとしている事に間違いないだろう。
 
故に、一人の子供が自分の持つ強い思いを訴え自ら命を絶ってしまった。橋下の権力の暴力により命を絶たれてしまった事は間違いはない。
橋下はバスケ部の首相の自殺に関しては活発な活動を行っていたが、統廃合の中止を訴え、自ら命を絶ってしまった子供に関しては何も発言しようともしていない。

 
また、ツイッターにも統廃合中止を求めた子供に関しては何も書いてなどいない。
他者の社会責任は一方的に追求し、悪者として責めまくるのだが、自分に関わる事と成れば一切無視するのか。

やはり、どこまでも呆れた奴だな。
 


14日、大阪府大東市のJR野崎駅で、一人の男児が飛び込み自殺を行った様だ。そして、男児のリュックサックが同駅ホームに残されていたようだが、その中に非常に衝撃的なことが書かれたメモが残されていた。
「どうかひとつの小さな命とひきかえに、統廃合を中止してください」。男児は自分の命と引換えに、小学校の統廃合を中止して貰いたいと訴えている。
 
男児が訴えている統廃合の中止とは何か。大阪市長である橋下は、早々から学校選択制による学校統廃合といった事を訴えていたんじゃなかったか。
それを受け入れる事が出来ない子供たちが多くいた事が事実なのだろう。
 
そしてこの記事のツイッターを覗いてみれば、この子供の行為を否定する者が多い。どころか中傷する事も書かれているのではないだろうか。
桜宮高のバスケ部の主将も一つの事を訴え自殺をしている筈。この事に複数の者達が批判をし吠えまくった。すると自殺した主将の行為を正当化するかの様な発言が多く出るようになり、体罰は現在社会では悪と定義付けられようとしている。
 
JR駅で自殺を行った子供の意識も素直に受け入れる様な意識があれば、訴えていた事を真摯に受け止め、何故「学校統廃合の中止」を求め自殺したのか。
自殺した子供だけでは無い。その他の多くの子供たちが拒否していたと思われる学校統廃合とは一体どういう意味があり、子供達にどの様な影響をもたらす事だったのか、考える事が出来たのではないか。
 
だが、世間の者達はバスケ部の主将の訴えには耳を傾けようとも、小5の子供の訴えは無視しようとしている。
更には自殺の原因は、バスケ部の主将の自殺をマスコミが報道しすぎたんじゃないかとマスコミ批判をする者達もいる。
可笑しな話だ。批判するマスコミ報道に賛同し、いい様に書きまくっていた自分達には全く責任はないというのか。
 
更に自殺したから世界は変わらないとする者もいるが、一人の自殺行為により体罰は悪という社会現象を発生し、教育の場での一つの行為を大きく変えようとしている。
自分達の行ってきた事などは一切無視し、マスコミ批判だけを行っている。非常に無責任な逃げ口上としか思えないし、理解ができない。
 
そして、自殺した子供の両親が「死ぬことで事態を変えようとするのは正しいことではなく、統廃合を中止してほしくない」との発言を賞賛している。一人の者が自殺した事により一つの事態を変える事を訴えていた者達は、これまで自分が行っていた事をどの様に意識しているのだろうか。
両親が発言していた事とは全く矛盾した行為を平気で行っていたのではないかと思えるが。
 
橋下が訴えていた、そして民意など無視し強引に進めようとしていた学校選択制による学校統廃合とは一体なんだったのだろうか。そして橋下の本当の目的は一体なんだったのだろう。
数年前より学校選択制を採用する自治体はあった様だが、現在では逆に廃止するか検討もしないという自治体が増加しているとされている。
 
子供達の地域コミュニティーが希薄となる事を最も重視しているのだろうか。希薄する事により、子供達の人間関係は薄くなるとし、居住地の地域外の学校への就学が決定すれば子供の通学距離は大きく延長され安全性も強く心配されるようになる。
また学校には定員数が存在する筈であり、就学を希望する学校に定員数を超える就学希望者が存在すれば、公立学校で抽選が行われる事となってしまう。
抽選から外れれば、選択とは別の学校へ強制的に子供達は就学させられてしまう。

 
抽選から外れてしまった子供達は希望していなかった学校への入学を強制される事となるのではないか。
また、昨年7月8日に大阪市城北市民学習センター講堂で「学校選択制を考える~選択制を廃止した杉並区の経験から~ 」という講演が行われたらしいが、ここで「学校選択制というのは、保護者や子どもが学校を選択できる制度だと一般に思われているが、実は、学校側が子どもを選択することになるのだと。」指摘されている。

 
要するに学校選択制は子供達が学校を選択する事ができるのでは無く、学校によって子供達が選択される制度とされている。
 
先にも書いたが、子供達が学校を選択し就学を希望しようとも、定員オーバーとなれば必然と定員数にあった子供達は就学を拒否され抽選する事を強制される事となる。
定員オーバーしようとも全ての就学を認める事となれば、全ての子供達が授業を受ける為の教室を増加しなければならない。
だが、何も改修されていない学校ではそれまでの定員外の子供達の就学を認める事など不可能だろう。

 
よって選択した学校への就学を拒否された子供達は、最初に希望していない、希望の薄い学校への就学を強制される可能性が高い事に間違いは無い。
また地域外の学校へ就学する事となれば、それまで友達関係にあった大事な友人を失わされる事となり、地域外の子供達との新たな出会いから改めて人間関係を築いていかなければならない。
だが、新たな友人となれたとしても互いに離れた地域に暮らす可能性が高く、学校外での付き合いが非常に希薄となってしまうのではないか。また、複数の地域から就学させられた子供達の保護者も活発なコミュニケーションを行うなど不可能だろう。
 
よって、地域内での人間関係、コミュニケーションが極めて薄くなってしまう可能性が高い事は間違いない。
 
そして一部の学校へ子供達を都合のいい理由により就学させ、各地域から子供達の通う学校が無くなって場合には、その存在は意味無いものとなり廃校される事になるのだろうな。
学校選択制を導入する事により、学校統廃合を行い、教育費財源の大きな削減を図ろうとしているのではないか。

 
橋下は子供達の教育では無く、大阪市の財政状況を重視した市政を行おうとしているだけだろう。子供達の教育を真摯に考慮し実行しようとしているとは思えない。
 
橋下は学校選択制と学校統廃合に関し、昨年5月15日のツイッターに関西テレビの番組でコメンテータと討論した事に関して書いている。
その一部には「地域コミュニティーが希薄になる。必ず出るフレーズだ。地域コミュニティーは重要だ。しかし子どもたちの教育の方がもっと大切だろうと考えるのが僕の価値観。地域コミュニティーを大切にして誰からも批判を受けずに現状維持にしておくのが一番楽。しかしそれは政治じゃない。  物事を考えるのに一つの価値だけで判断できることはない。多種多様な価値がぶつかり合う。しかし最終的にどれか一つの価値を選ばざるを得ない局面に出くわす。そのときに判断するのが政治だ。大阪市内の都市内過疎の問題をもっと深刻に扱うべきだ。  将来の子どもの数を見越してでも、どう考えても人数の増えない学校もある。それを地域コミュニティーが大切だからという誰でも言えるフレーズで何もしないと言うのはコメンテーターなら良いが政治家はやっちゃいけない。都市内過疎の問題を解決するには統廃合からも逃げちゃいけない。  学校の統廃合は難しい。本当に難作業だ。これまでの統廃合の事例についてもスーパーニュースアンカーは全く認識がないようだ。最後は、住民の皆さん、もっと言えば保護者の皆さんの意思を利用させてもらう。これも住民自治そのものだろう。一番に考えなければならないのは子どもの教育環境だ。  地域の事情や、地域住民の主観よりも、まず考えなければならないのは適正規模の学校環境を子どもたちに提供すること。子どもは声を上げない。声を上げるのは大人たちのみ。学校統廃合をするなというなら、では今の現状をどうする?その回答のない今回のスーパーニュースアンカーは無責任極まりなかった」と書いている。
 
この中で、橋下は「地域コミュニティーは重要だ。しかし子どもたちの教育の方がもっと大切だろうと考えるのが僕の価値観」とし、意味が分らないが大阪市内過疎化を更に重視しなければならない。人口減少を理由としているのか、就学数の増加しない学校は出るとし、過疎化に対応するには学校統廃合は絶対必要だとしている。
そして先に、これらを行うには「住民の皆さん、もっと言えば保護者の皆さんの意思を利用させてもらう。これも住民自治そのものだろう」としているが、最後に子供は声を上げないとして「地域の事情や、地域住民の主観よりも、まず考えなければならないのは適正規模の学校環境を子どもたちに提供すること」としている。

 
学校選択制や統廃合を行うに民意の必要は無く、行政が必然と行わなければならない事だと主張している。
大阪市の学校選択制や統廃合には、橋下がよく主張する民主主義は存在していないという事だろう。橋下は「教育委員会内の専門家会議で小学校においては11クラス以下は学校として考え直さなければならないとの答申が出ている。 要するに1学年2クラスは必要だろうと。」しているらしい。

 
学校教育法施行規則第41条では「小学校の学級数は、十二学級以上十八学級以下を標準とする。ただし、地域の実態その他により特別の事情のあるときは、この限りでない。」とされている。これを基準としているのだろうか。では1学年11クラス以下は教育には適正では無いというのだろうか。
 
クラスの少ない小さな学校では適正な教育は出来ないとしているのだろうか。適正な教育を行うのにクラス数は決して拘る必要など無いと思えるが。
そうでは無く、一つのクラスに多くの生徒を入れてしまった時に全員に対する適正な教育を行えなくなるのではないか。適正な教育を行うのに、何故クラス数に拘なければならないのか。理解し難い。
 
これまで自治体の行っていた学校選択制では1校に限られていた様だが、大阪市の導入しようとする選択制で1校だけでは無く、第3までの選択が許されているのだろうか。最初の選択、第2の選択に漏れても3番目に選択していた学校へ就学の可能性は高いのだろう。
だが、絶対とは言い切れないのではないか。実行してみなければ、決して完璧などとは言い切れない。何よりも2番目3番目は子供達がどこまで希望している学校なのだろう。

保育園や幼稚園時代から大事な友達となっていた多くの者達と離れ離れとなって通わなければならなくなる可能性が非常に高い。
大事な友達と強制的に別れさせられる事となってしまう。こんな事に納得できる子供達だけで無く保護者はどれだけいるのだろう。
 
学校選択制の説明の為に、昨年の大阪市24行政区では学校教育フォーラムが行われていたらしいが、フォーラムでは保護者アンケートも行われていたらしい。
全ての行政区が学校選択制などのアンケート結果をサイトに掲載していないが、賛成が反対を上回っている区もあるが、やはり反対を示す人々が多かったみたいだ。

 
賛成が反対を上回っている時には大きな差は無いのだが、反対が上回っている場合には、その差に大きな差が出ているのではないかと思われる。橋下はツイッターに一応書いている「住民の皆さん、もっと言えば保護者の皆さんの意思を利用させてもらう。これも住民自治そのものだろう」と。
だが、反対の意思を示す住民が多いと思われる学校選択制などを住民の意思を無視し強制的に実行しようとしている。
 
また橋下は、市議会で「導入した他都市の実例、現状を見れば95%以上が維持・継続している。現に学校間に学力等の格差は存在しており、保護者が選びたくない学校に強制的に通学させることはあってはならないと考えている。
地域コミュニティーが大事であれば保護者に選ばれるような地域まちづくりを住民が責任を負ってすればよく、学校選択制を導入すると心配するような地域は、地域活動に参加し地域を守るという意識が強いので、そういう地域の学校は保護者に選ばれることになる。」と答弁した事があるらしい。
 
学校選択制を実行した他都市は、現状では95%以上が維持・継続しているとしている。実際はどうなのだろう。ハッキリとは分らないのだが、現状の維持と継続では橋下の答弁の通りなのかもしれない。
 
だが、数年後には廃止や見直しをしようとする自治体、導入の検討も行わない自治体が増加しているらしいじゃないか。教育には適していないと判断する自治体が増加している事は間違いない。
 
不可解な発言もしている。「保護者が選びたくない学校に強制的に通学させる事はあってはならない」とするが、既に多くの保護者は学校を選択させられる事に拒否を示している。
地域内の近くの学校へ就学させたいと思っている保護者は多いのではないだろうか。子供の通学にも安全性は高くなるだろうし、小さい頃からの友達と別れ離れにされる可能性も極めて小さくなる。
更に、学校で新たな出会いがあれば、学校外でも積極的な触れ合いが出来るだろう。また居住する地域内には知っている場は多く、知っている大人も多くおり、その中より気楽に接触してくれる人もいるだろう。

学校外での人との活発な接触は子供の成長に大きな影響力を持つのではないか。
 
橋下はツイートに「子どもたちの教育の方がもっと大切だろうと考えるのが僕の価値観」と書いてあるが、本当にその様な意識を持っているのだろうか。子供や保護者など民意を重視しているなどとは全く思われない。
 
子供の心理、保護者の心理など住民の民意を全く無視して自分の決めた市政を強引に実行しようとしているだけだ。これは、正に権力による暴力だ。
自分が持ち得る権力を市民では無い、自分の為に利用し、市民の為の年の再編成を行おうとしているのでは無く、自分の務める大阪市の為の都市の再編成を行おうとしている。

民主主義を無視した行動を行っていると思えてならない。
 
学校選択制を強行し、統廃合を実行するようにしている事から、多くの子供達の心が痛められていたのではないか。統廃合の中止を訴え、自殺をした小学生男児はクラスメートなどにも統廃合に対する意識を問うていたのだろう。
賛成する子供はいなかったのではないか。
 
小学生の自殺の要因をマスコミとする者が多いかと思われるが、実際の原因は橋下が強制的に学校選択制と学校統廃合を進行しようとしている事に間違いないだろう。
 
故に、一人の子供が自分の持つ強い思いを訴え自ら命を絶ってしまった。橋下の権力の暴力により命を絶たれてしまった事は間違いはない。
橋下はバスケ部の首相の自殺に関しては活発な活動を行っていたが、統廃合の中止を訴え、自ら命を絶ってしまった子供に関しては何も発言しようともしていない。

 
また、ツイッターにも統廃合中止を求めた子供に関しては何も書いてなどいない。他者の社会責任は一方的に追求し、悪者として責めまくるのだが、自分に関わる事と成れば一切無視するのか。

やはり、どこまでも呆れた奴だな。
 


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