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今年の8月27・28日には、恒例となってしまっている38年前から始まっている日本テレビの24時間テレビが放送された。
全く知らなかったが、28日の19.00~19.30にNHKのEテレが「バリバラ~障害者情報バラエティー~」を放送していて、その内容が24時間テレビを批判するものだったとして、大きな反響を話題を読んでいるらしい。
24時間テレビは、第1回目の時には欽ちゃんや大竹忍が司会をやってたり、これまでに無い番組だったので、思わず最初から最後まで見てしまったのだが、2回目からはさすがにそんな事は出来ず、一応中心に見るようにし、他局に好きな番組があった時には変えていたし、いつも通りの時間に寝るようになっていた。
また、38年前から放送されている24時間テレビは福祉などへの募金を目的として行っている筈であり、集められた募金は一切差し引かれる事無く、福祉、環境、災害復興に分配され活用されているらしい。
「バリバラ~障害者情報バラエティー~」という番組を知ったのは今回が初めて。内容は、障害者をテーマとしたバラエティー・情報番組らしいが、Wikipediaによれば「現在の番組名はサブタイトルにもあった「バリアフリーバラエティ」の略。そもそもは、2009年春の『きらっといきる』のスペシャルにおいて、報道機関での障害者の描かれ方が、“一生懸命頑張っている障害者”の部分を一面に強調しすぎて画一的である、という「障害を持っている視聴者からの苦情」を、テーマとして取り上げたことがきっかけになっている。」更に、番組のチーフプロデューサーは「「『きらっといきる』の中で障害者の等身大の姿をどのように伝えるか模索してきた結果、これまで描かれなかった障害者のエンターテインメント性を打ち出したバラエティーに挑戦することにした」」と語っているらしく、障害者を笑うのではなく、障害者と共に笑い、バリアフリー(対象者である障害者を含む高齢者等の社会的弱者が、社会生活に参加する上で生活の支障となる物理的な障害や、精神的な障壁を取り除くための施策、若しくは具体的に障害を取り除いた事物および状態)を考える番組を求めるとなっているのだろうか、これを共に語り合おうとしているらしい。
28日に放送された、「バリバラ~障害者情報バラエティー~」でメインとなったのが「感動ポルノ」だったらしい。
「感動ポルノ」とは、オーストラリアのコメディアン兼ジャーナリストだった女性のステラ・ヤングが語った言葉らしいが、Wekipedea「障害を負った経緯やその負担、障害者本人の思いではなく、ポジティブな性格や努力する姿がクローズアップされがちである。「清く正しい障害者」が懸命に何かを達成しようとする場面をメディアで取り上げること」まとめて書かれてある。
ステイ・ヤングが2014年に講演していたと思うが、感動ポルノに関し語っているが、講演を紹介するサイトネオチューブがあり、自分なりに感動ポルノは何なのかと考えてみた。
最初の部分で、「障害というものを、平均以下の状態であると見なさない限り、「達成」と言われるようなことは何もしていなかった」と語っているが、社会全体が障害者を健常者に比べ下のレベルにあると表現しているのだろうか。
講演の途中にスポーツで活躍している人々を写真で紹介し、更に「両手のない少女がペンを口にくわえて絵を描いている写真や、義足で走る子供の写真を見たことがあるのではないでしょうか。
こういう画像はたくさんあり、私はそれらを「感動ものポルノ」と呼んでいます。」と語る。
そして、「ポルノ」と表現している障害者の活動している写真を、非障害者の利益の対象としている。
その意味を「写真の目的は、人を感動させ、勇気づけ、やる気を引き出すことです。つまり、「自分の人生はうまく行っていないけれど、もっとひどい人だっているんだ」と思わせるためのものです」としているが、自分は納得できない。
講演で紹介した写真を見ているのは、非障害者だけでは無く、障害者の人達も見ているんじゃないのか。
同じ立場にある人達が頑張っている姿を見せられて、本当に感動させ、勇気付けられているのは非障害者だけなのか、障害者には存在しないのか。
こんな映像を、何故健常者に対する「感動ポルノ」と表現するのか、自分には理解出来ない。
終盤には、「人をモノ扱いしている行為です。さきほどお見せしたような画像は、健常者が良い気分になれるように、障害者をネガティブな存在としてモノ扱いしています。自分の抱えている問題が大した困難ではないと、違う角度から見られるようにするためです。」と語っているが、積極的に活動している人々が何故、ネガティブと表現されなければならないのか。
逆じゃないのか。彼等は、ボジティブに活発に活動している。そして、同じ様に活動している人々は世界中に多くいるんじゃないのか。
だからこそ、オリンピックに続いてパラリンピックが行われる様になっているし、出場している選手達もオリンピック選手に劣らない、素晴らしい記録を出しているんじゃないだろうか。
だが、障害者にとって社会こそが本当の障害である事は間違いないだろう。何といっても仕事が見つかりにくい。
それによって苦しい生活を強いられてしまう可能性が高い。勿論、そうでない人達も多くいるだろうけど。
28日に放送されていた「バリバラ~障害者情報バラエティー~」は24時間テレビは「感動ポルノ」を放送しているに過ぎない、と批判していたのだろうか。
今日の午前中に再放送された「バリバラ~障害者情報バラエティー~障害者×感動」を外付で録画し観たんだが、最初に感動ドキュメンタリーは編集によって「感動ポルノ」にされているとしていたが、感動ドキュメンタリーなんてあったのかな。
ドキュメンタリー番組は幾つかあるが、基本的に全ての人の行動を撮り、そのまま表現している筈。障害者とされる人の活動を放送したドキュメントも同じ様に行っていた筈であり、ドキュメントは障害者だからといって特別扱いするような物では無い。
そして、「感動ポルノ」「障害者は可哀想」と決め付ける様に表現していたと思える。彼らに満足出来る生き方は出来ないんだろうとでも言いたかったのだろうか。
だが、健常・障害に関係無く満足できない生き方をしている人々は多くいる筈だ。なのに、何故障害者の生き方だけが「可哀想」だとして「感動ポルノ」にされるのか。理解できない。
まして、健常者は基本的に日常生活行動に支障がないとされるが、何らかの障害・疾患を抱えるが、決して日常生活に支障がない人々を指しているのであって、完全な障害や疾患のない健常者は存在しないんじゃないか。
感動ポルノ」障害の人々だけが対象となるのでは無く、健常者も対象となる筈だと思うのだが。
何故、健常者は対象から外され、どうして障害者だけが対象となるのか。感動ポルノ」は、健常・障害の両者を同じ人と見るのでは無く、障害者を見下しているからではないのか。
ステイ・ヤングが「感動ポルノ」に関し「ある特定のグループに属する人々を、ほかのグループの人々の利益のためにモノ扱いしているからです。障害者を、非障害者の利益のために消費の対象にしているわけです」と語っているが、その通りで健常者とされる者達は障害者とされる者達を見下し、映像を通じ自分達の為に道具とし物として扱っている。
「バリバラ~障害者情報バラエティー~」も単に24時間批判では無く、この事を訴え様としていたのではないだろうか。
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