忍者ブログ
思い、そして感じた事をそのまま
[1] [2]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。



SMAP騒動って13日のスポーツ新聞などの報道から始まってから、日本中で大きな騒動となる。だが、18日放送のフジテレビの番組で生出演して発言する事が決まり、ここで解決するんじゃないかと思った人が多いと思う。だが、メンバー誰もが解散する、しないをハッキリと発言しない。
彼らの発言で、SMAPの解散は無いだろうと思った人も多いだろうし、逆に不安が残る人も多かったんじゃないのだろうか。

SMAPの解散騒動はどうして始まったのかと思い始め、検索してみるとジャニーズ事務所の中では社長のジャニー喜多川では無く、姉のメリー喜多川副社長(本名・藤島メリー泰子)が独裁的支配を行っていると思われ、今回の騒動を起こしたのも彼女である事も間違い無いだろうな。
何よりもじゃニーズ事務所の取締役が喜多川家系だけで構成されている事が面白い。
またメリー喜多川が次期社長候補としていた近藤真彦と東山紀之だけを役員としているらしいが。

1988年にSMAPがデビューした当時はジャニーズ事務所は、SMAPには関心は無かったんだろうか、ほったらかしでプロデュースもせず、解散へ追い込む状態へ追い込んでいた。
この時に、SMAPのマネジメントを担当させてもらいたいと申し出たのが飯島三智。彼女の活発なプロデュース活動などにより徐々に人気は高まり、現在の状態に昇り高まっている。
現在のジャニーズ事務所で大きな存在価値を持つタレントであるSMAPを育てたのはジャニーズ事務所では無く、飯島三智である事は間違い無い。更に現在のジャニーズ事務所のタレント達をプロデュースするノウハウや、活動の基盤を作り上げた事も間違い無いだろう。

210年から11年頃に、ジャニーズ事務所には2つの大きな派閥が出来ていたようだ。その一つがマネジメント室長ともなっていた飯島三智の飯島派と、もう一つがメリー喜多川の娘であるジュリー藤島副社長の藤島派。
飯島派の所属メンバーのメインはSMAPだし、藤島派のメインは嵐、TOKIO、関ジャニ∞など。

飯島三智は10年頃まではSMAPだけを担当していた様だが、他に3グループと一人のタレントを任される事となり、SMAP以外のタレントをプロデュースしていたジュリー藤島との間に派閥が出来たとされている様だ。
因みにジャニー社長も派閥を持ち、V6など4つのグループと一人のタレント所属しているらしいが。

そしてジャニーズ事務所は社長であるじゃに喜多川はタレントの発掘や育成を行い、事務所のマネージメントやマスコミのコントロールなどをメリー喜多川がやっていたらしい。故に、事務所はメリー喜多川の独裁経営となって次期社長もジャニー喜多川では無くメリー喜多川が判断する様になっていた。
その第一候補が東山紀之で、次に近藤真彦だったらしい。だが、思う様にはいかなかった様で、東山紀之は2010年に女優と結婚してしまう事から諦める。次に近藤とも考えた様だが、マネジメントなど期待できないとして、次期候補は娘のシュリー藤島と飯島三智に絞られた。

この時からメリー喜多川は次期社長はジュリー藤島と決めていて、飯島三智は追放する事を決定していたのかもしれないな。
故に、この頃より飯島が担当するタレントを増加し、SMAPのプロデュースに集中できない様にし、追放する状況を作っていたのかもしれない。

そして、メリー喜多川は昨年の1月に週刊文春からインタビューを受けていたらしいが、その途中に飯島を呼び出し記者の前で直接、SMAPと一緒にジャニーズ事務所を出て行けと発言した。
次期社長でジュリー藤島と飯島が候補となっていたが、メリー喜多川は個人の能力などは一切無視し、次期社長は娘であるジュリーであり、問題となっている飯島はSMAPと一緒に事務所から出て行けと言い切ったらしいのだ。

だが、真に出て行けと発言したのはSMAPでは無く、SMAPのメンバーと飯島だ。SMAPの商標登録はジャニーズ事務所が所有しており、事務所を辞めたSMAPのメンバー達が改めてSMAPで活躍する事は不可能だ。
よって事務所を去った時点で解散する事になるんじゃないだろうか。
実際にはSMAPを出す意識など一切無く、飯島だけを追放する事だけを狙ってたんじゃないだろうか。
メリー喜多川の狙いなど飯島も即座に気付いてたんじゃないか。飯島がデビュー当時より育ててきた国民的アイドルグループであるSMAP。故に、彼らの人気は非常に高く、ファンでない自分でも彼らの曲に非常に惹かれる物が複数ある事も確かだ。
事務所からの退社を模索していたかもしれないが、自分が辞める事によりSMAPも解散する事になってしまう。簡単にメリー喜多川の言い成りになる事など出来なかったろう。

だが、メリー喜多川と飯島に昨年1月の騒動から出来た大きな溝が埋まれる訳など無く、昨年9月には両者が弁護士も交えて飯島とSMAPの今後をどうするかの協議を行ったらしいが、結果は飯島を事務所を辞める事が確定的となったとか。
この頃よりSMAPが解散するんじゃないかといった情報が流れていたらしいが。

しかし、これまでしっかりと育ててきたグループを簡単に解散させたいなどとは思わなかったろう。出来れば残したいのと思ってたんじゃないだろうか。飯島は昨年の暮れには、退社を決断していた様だが。
それに沿ってメンバー達も解散を覚悟で事務所を去る事を決断しようとしたのではないか。
事務所を出ればSMAPとして活動する事は出来ないが、新たなグループでこれまで歌ってきたSMAPの楽曲を歌う事は出来るだろう。
これまでのSMAPで活動する事は出来なくとも、新しい自分達で活動する事が出来ると意識して。
しかし、メリー喜多川は追放しようとしたのは飯島だけで、SMAPまでも出そうとは決して思っていなかった事は間違いないだろう。
メリーは親交の深かったらしい木村拓哉の妻である工藤静香を通じ、木村を事務所に留まらせる様に仕掛けた。メリーは工藤静香を通じ木村にSMAPの楽曲の著作権に関する情報も流しいたんじゃないか。

常套では楽曲の著作権はJASRACに信託されている筈。事務所を出ようとしたメンバー達もその様に意識していたのはないだろうか。だが、日刊サイゾーの記事に、
「 問題は、SMAPの商標から楽曲の著作権まで、SMAPに関わる権利関係の一切をジャニーズが握っていたことだった。
「もしメリーさんが本気でSMAPの独立を促していたのであれば、飯島さんとメンバーにこの権利関係の売却を交渉するはず。でも、そうはしなかった。飯島さんが独立しても、実質的にSMAPの活動ができないのは明らかだった。コンサートを開いても『世界に一つだけの花』も『夜空ノムコウ』も、ジャニーズの許可が下りなければ歌えない。実は、メリーさんはそうした権利関係を熟知している人で、郷ひろみあたりの頃からきちんと管理するようになっていた」と関係者。」(2016/01/22)と書かれてある。

この事を知らされた木村や他のメンバー達は大きなショックを受けたんじゃないのかな。飯島は戸惑っていたろう彼らを一緒に事務所を辞めさせようとは思い切っていなかったろうし、木村や事務所の者達との接触から他のメンバーも臆する気持ちが強くなっていったんだろうな。

ネットでは公開処刑と称されているが、フジテレビの「SMAP×SMAP」の一部を生放送に変更しての謝罪を事務所から強制的にやらされたんだろう。彼らから謝罪の発言はあっても、解散はしない、グループ存続といった発言は一言も無かった。
「実はフジが中継したメンバーの謝罪は、ネクタイの色から立ち位置、話す順番まですべてをジュリー副社長が考え、主導したんです。グループのマネジメントを飯島さんからすべて引きあげ、独自色を出すとともに、メンバーにはそれを受け入れるかどうか踏み絵を迫った格好でしたが、中居正広がこれに反発。『ジャニーさんに謝る機会を木村君がつくってくれて、今僕らはここに立てています』というセリフを拒否したんです。急きょ草彅剛が代わりに読み上げることでその場を収めたものの、中居と木村の不和が結果的に深まった。木村を中央に置いた並び順といい、リーダーの肩書を中居から取り上げ、木村に据えたような人事に中居や独立派の3人が不快感をもったという説もある。ジュリー氏率いる新SMAPは船出から暗礁に乗り上げているのかも知れない」(2016/01/23)などと書かれてある。

果たして、これからのSMAPはどの様になっていくのだろうか。
PR


先々週の金曜日、11月21日だったか突然に高倉健が死去したと訃報が流れた。ショックだったな。最近は昔から慣れ親しんだ役者などが亡くなっている訃報が流れているから。

そして、今日になると、菅原文太が先月10日に亡くなっていたと訃報が流れるじゃないか。

今年には、林隆三や宇津井健、蟹江敬三、淡路恵子、声優の永井一郎、第2次大戦へ出兵していたが昭和40年代に日本に生還した小野田寛郎、そしてやしきたかじんなどが他界している。

宇津井健なんかは山口百恵との共演ドラマ、赤いシリーズに夢中になってた頃があったし、蟹江敬三は脇役のイメージが強いんだけど、最近は鬼平に出てた姿が頭にこびり付いている。永井一郎といえば、サザエさんの波平。
小野田寛郎が生還した姿は、自分がまだ小学生の頃だった事を覚えているよ。

そしてたかじんは、10代の頃だったかな、山村に住んでた頃、東京の文化放送の深夜放送聴いてる時に初めて知って、喋りに引かれ、歌もうまい。

昔から慣れ親しんだ人達がどんどんと消えていく。本当に淋しく思えてならない。


現在では上方落語協会の会長も勤めている、まさに上方落語を代表する噺家となっている桂三枝。この名前にはもの凄い愛着がある。
落語家としての三枝の姿は殆ど見た事が無いんだけど、自分が子供の頃から現在でも放送されている「新婚さんいらっしゃい」の司会者としての愛着がもの凄く強い。

三枝が司会をやってなかったら、40年以上も番組は続いていたんだろうかとも思わされてしまう。それだけ、噺家としての能力を活かし、ゲストに来る新婚さん達の話を面白く楽しく盛り上げてくれる。

その三枝が師匠である5代文枝の名称を襲名する事となり、その公開披露宴が今日行われたらしい。

今日は三枝の誕生日だったらしいけど、今日で桂三枝という名が消えてしまった。後を継ぐ噺家はいるんだろうか。とも思わされてしまう。

昨日地元で放送されていた、思わず驚いてしまったけど韓国での収録したらしい「新婚さんいらっしゃい」でこの番組で三枝で司会やるのは最後と言ってた。どうして、韓国の収録でやるのと思ってしまった。どうして日本の収録の時に言ってくれないんだとも思ってしまったけど、もしかしたら韓国でも放送されていたんだろうか。

結構観客は集まっていた様だし、そして会場からは大きな笑いが湧き上がっていた。

自分は文枝という噺家を全く知らない。だから、当分の間は三枝の姿をテレビなどを通じて見ると、思わず文枝じゃなく三枝と意識してしまうんじゃないかなと思ってしまう。
いつかは文枝という何も馴染んでくるんだろうかとは思うけど。とにかく桂三枝という名は大きい。落語の歴史にもしっかり残っていくだろうし、世代がどんどんと代わっていっても忘れられる事は無いんじゃないのかな、などとも思えてしまう。

そんな三枝が桂三枝から桂文枝へと名を変える事は、本当に淋しく感じさせられるんだけど、三枝が自ら決断した事。江戸時代末期、或いは明治時代に誕生し引き継がれてきた名称を断つ事無く引き継ぐ事となった今回の襲名。

自分には三枝のイメージが長く続いてしまうと思うけど、桂三枝には新たに襲名した桂文枝としてしっかりと活躍してもらいたいと思う。

ちなみに、三枝は函館大学商学部と関西大学文学部で客員教授をやってるらしい。こんなこと全く知らなかったから、思わず驚かされてしまった。三枝が教授をやってたなんて、などと。

 今年は、自分にとって馴染みの深いタレントや役者が次々と消えていく、そんな気がしてきたよ。
 
 
 
 映画「竜馬暗殺」「ツィゴイネルワイゼン」などで知られる個性派俳優の原田芳雄さんが19日午前、東京都内の病院で死去した。71歳。東京都出身。葬儀・告別式の日取り、喪主は未定。

 劇団俳優座に入り、1968年にテレビ時代劇「十一番目の志士」と映画「復讐の歌が聞える」に出演。映画「反逆のメロディー」などのエネルギッシュなアウトローの役で人気を集めた。

 71年に退団後も映画「君よ憤怒の河を渉れ」「どついたるねん」など話題作に多数出演。中でも「父と暮せば」など黒木和雄監督作品への出演が多く、「竜馬暗殺」「祭りの準備」「浪人街」は代表作となった。
(共同通信2011/07/19)
 
数日前には、宮尾すすむの他界が報じられていたけど、今日になると原田芳雄。宮尾すすむは子供の頃から馴染み深いタレントだったし、原田芳雄は印象深く、個性的で格好良いとも思わされていた一人の役者。
 
彼らが亡くなる情報を知ると、それだけ自分も年を重ねているのかな、などと変な実感を感じさせられてしまう。と同時に、何だか淋しい感じがする。

そして、亡くなられた原田芳雄には、心よりご冥福申し上げます。


 最近は、自分が子供の頃から20代の頃に活躍していて、現在でも印象深いタレントなどが突然に亡くなる情報が流れますが、また突然に一人の俳優が。
 
 
 
 俳優、司会者として活躍した児玉清(こだま・きよし、本名北川清=きたがわ・きよし)さんが16日午後0時28分、胃がんのため、東京都内の病院で死去していたことが17日分かった。77歳だった。東京都出身。葬儀は21日午前11時30分から文京区大塚5の40の1の護国寺桂昌殿で。喪主は妻北川好子(きたがわ・よしこ)さん。
 児玉さんは2月下旬に胃がんが発見され、3月下旬から入院。長年司会を務めた「パネルクイズ アタック25」の収録を休んでいた。
 学習院大卒。東宝ニューフェイスとなり、俳優の道に。映画「悪い奴ほどよく眠る」や「日本のいちばん長い日」などに出演したほか、水前寺清子さん主演の「ありがとう」や、木村拓哉さん主演の「HERO」など多数のテレビドラマに出演した。
 また、司会者のほか、読書家としても知られ、テレビやラジオの書評や朗読番組にも出演していた。
(時事通信2011/05/17)
 
静かで、柔らかい雰囲気を出していた一人の俳優だったんじゃないかと思うんですが。「HERO」では木村の演じる検事の上司の検事の役を演じてたんでしょうか。
 
チータが主演していた「ありがとう」は自分のとこでもTBS系列の局があり、放送されてましたけど、子供の頃には良く見てた。あの頃の、自分が見てたテレビは、まだモノクロだったんじゃないかなと思うんですけどね。
 
ただ、この時に児玉清が何を演じていたのかは、思い出せないけど。
 
遂最近には「コント55号」で金ちゃんと一緒に活躍していた坂上二郎が、やはり突然に永眠していますし、何だか自分も年取ってきたのかな、などと思わされてしまったんですが。
 
遂最近に亡くなられていた坂上二郎、そして本日亡くなられた児玉清の両名に、心よりご冥福をお祈りいたします。


カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
フリーエリア
最新TB
プロフィール
HN:
とくのすけ
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
忍者ブログ [PR]