思い、そして感じた事をそのまま
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韓国などでは馬鹿馬鹿しくもいつまで経っても従軍慰安婦などという事が騒ぎ立てられ、責める的を日本だけに絞り馬鹿みたいに抗議しまくる。では慰安婦、或いは従軍慰安婦などという事が日韓間で問題とされたのは何時頃の事だったのだろうか。驚いた事に1970年代。
太平洋戦争後から25年以上も先となってから問題化している。更に、自分が元従軍慰安婦として登場したのが、1990年代。この人物は日本の法廷に損害賠償を求めている様だが、却下されている。
では、従軍慰安婦が問題となったきっかけは一体なんだったのか。多くの人が書いているが、一番のきっかけとなったのは吉田清治とされている。1977年に「朝鮮人慰安婦と日本人」を出版してから、第一次樺太朝鮮人裁判での原告証人として発言、日本国内、更には韓国での日本が慰安婦を強制連合していたと証言する活動を活発に行った事から、日韓における慰安婦問題のみが大きく注目されるようになっていく。
また造語とされているが、千田夏光が1973年に出版した「従軍慰安婦 正編」により「従軍慰安婦」という言葉が活発に使われる様になったらしいが、実際には「慰安婦」は存在していたかもしれないが、「従軍慰安婦」など存在していない。 また、慰安婦に関して何故だか日本ばかりが責められる様になっているが、日本軍が日本統治時代の朝鮮半島で行っていただけでは無い。
朝鮮戦争では韓国は勿論だが、国連軍なども利用していた筈だし、ベトナム戦争では米軍がベトナムに慰安所を設置していた事は明らかとなっている。だが、どの国も自分達には目を向ける事などはせずに、「従軍慰安婦」という造語を利用して、日本ばかりに慰安婦に関する責任を負わせようとしているのではないのか。全く可笑しな話だ。 韓国、元従軍慰安婦と称する者達は日本統治時代に朝鮮の女性達が強制連行され慰安婦とされたと執拗に訴えるが、日本統治時代には朝鮮半島には徴兵制が行われるまで志願者募集を行っていたらしいが、1943年時点で1万7千664人の朝鮮人日本兵が存在していたらしい。そして、終戦時の朝鮮半島での陸軍の兵数は29万4千余りだったらしい。http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/8050.html
陸軍士官学校へ進んでいた朝鮮人達が積極的に志願した、或いは終戦時に徴兵された者達は陸軍兵として扱われていたのだろうから、終戦時には朝鮮人日本兵も多かったのではないだろうか。日本軍が慰安婦を強制的に行っていた、強姦していたのなら朝鮮民族として日本軍に強い敵意を持つ事はあっても志願するなんて事は考えられない。韓国は躍起になって日本統治時代には日本軍による強制連行が行われていたと主張している。
もしもそんな事が実際に行われていたとしても、朝鮮人が行っていたのだろうか、日本人が行っていたのだろうか。韓国はハッキリした事など言う訳が無い。 日韓併合以前より日本には公娼制度が成立されていた。1900年10月2日に「娼妓取締規則」は内務省令第44号として発布されたらしいが、日韓併合後の日本統治時代にも実行されているらしいが、これは売春婦に対する規則。
その一部には、第一条 十八歳未満の者は娼妓たるを得ず、第二条 娼妓名簿に登録せられざる者は娼妓稼を為すことを得ず 娼妓名簿は娼妓所在地所轄警察官署に備ふるものとす 娼妓名簿に登録せられざる者は取締上警察官署の監督を受くるものとす、第三条 娼妓名簿に登録は娼妓たらんとする者自ら警察官署に出頭し左の事項を具したる書面を以て之を申請すべし、とされている。売春業を求める者は管理する側に申しでなければならない。更に第3条には9項目がある。
大雑把に捉えれば、売春業は個人の意思なく強制的にやらせるは禁じるとされている事なのではないのかな。http://9199.jp/wiki/%8F%A9%8BW%8E%E6%92%F7%8BK%91%A5/
更に、日本政府は日韓併合後に朝鮮総督府に一つの通達を行っている。その一部に、「朝鮮人は不当争議に屈せぬ場合、しばしば類縁にまで暴行を働くので関係する折には親類知人に至るまで注意を徹底させること。特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。」と命じる通達をしていたのだろう。http://import-car.net/av98/poison/2012/07/post-12.html 故に日本統治時代の朝鮮半島での慰安婦というか売春業は朝鮮総督府の管理下にあり、慰安所などの営業は民間で行われていたとされている。その慰安所を営んでいた殆どが朝鮮人。朝鮮半島での事なのだから、当然だろうと思うのだが。更に、慰安婦は民間の営業者などから募集されており、決して強制などはされていない。
何よりも、慰安婦を行っていた者には日本兵などを上回る給与などが与えられたとされている。強制的に慰安婦としたのであれば、その様な事はありえないだろう。 http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-147.html 韓国はどういった事を証拠として、日本は強制的に慰安婦を行っていたと主張しているのだろうか。ただ強調と批判をするばかりで、実質的な証などは何も明らかとされていないのではないかと思われるが。 では、韓国軍は朝鮮戦争やベトナム戦争などで慰安婦に関して一体どの様な行為を行っていたのだろうか。この事も多くの人々が大きな問題としているが、韓国は自分達がやっていた事を隠す為に日本統治時代に日本軍が強制的にやっていたと批判を繰り返しているんじゃないのかな。 朝鮮戦争で韓国は慰安所を設置し国連軍の軍人などを相手として売春業を強制的にやらせていたのではないのだろうか。国連軍には、韓国以外にはアメリカやイギリスフランス、オランダやベルギーや韓国も含めて17カ国だった様だ。
2002年2月24日に朝日新聞の後援で立命館大での「東アジアの平和と人権」国際シンポジウムが行われていたらしいが、その場で韓国・慶南大客員教授の金貴玉が「軍慰安婦は日・米・韓にまたがる問題。米兵の慰安所利用実態も明らかにしたい」として韓国と慰安婦の関係を語っている。
金貴玉は韓国陸軍が56年に編さんした公文書「後方戦史(人事部変)」に「『定式慰安所?特殊慰安隊』の記述を見つけた。設置目的として「異性に対するあこがれから引き起こされる生理作用による性格の変化等により、抑うつ症及びその他支障を来す事を予防するため」とあり、4カ所、89人の慰安婦が52年だけで20万4560回の慰安を行った、と記す特殊慰安隊実績統計表が付されている。 証言と併せ、軍隊が直接経営していた慰安所があった、と金さんは結論づけた。 http://hogetest.exblog.jp/6749030/ 軍関係者の証言の中には、軍の補給品は第1から第4までしかないのに、「第5種補給品」の受領指令があり、一個中隊に「昼間8時間の制限で6人の慰安婦があてがわれた」とする内容のものもある。」としている。
韓国の慰安婦制度は日本軍が行っていただろう管理下に置いて民間業者に委託するのでは無く、軍が直接経営を行っていたとしている。更に朝鮮戦争時に娼婦(売春婦)が急増し、「30万人にも及んだことから、金さんは『戦時の強姦(ごうかん)や夫の戦死がきっかけで慰安婦になった民間人も少なくない』と見ている。」らしい。この発表とこれらを報道した朝日の記事を見た韓国のマスコミは何を思ったのだろうか。 すぐに韓国軍が行った事を正当化とする報道を行っている様だ。 http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000067635
だが、米軍や国連軍などを対象とする慰安婦は朝鮮戦争で終結した訳ではない。朝鮮戦争後も、韓国は米軍兵士を相手とするヤンコジュ(洋公主)を置いていたらしい。韓国の慰安婦行為は戦争当時だけでは無い、その後にも行われていた。公証制度に基づいた行為だったのか否かは分らないが。 この慰安婦は国連軍の軍人達を対象としていたのだから、韓国軍の者達だけを相手としていた訳ではない筈で、その他の国連軍の軍人なども利用していたのではないのだろうか。韓国軍よって強制されただろう慰安婦達が相手とされていたのは、韓国軍の兵士だけでは無く、国連軍の兵士全体ではなかったのか。韓国は執拗に日本に対して自国の従軍慰安婦とやらに謝罪しろ賠償しろなどとほざいているが、自分達も軍により20万人以上もの慰安婦を強制している。それらに謝罪と賠償をする必要があるのではないのか。 だが、韓国における慰安婦問題で最も重視しなければならない事は朝鮮戦争での軍による直接慰安婦制度などでは無い。韓国が戦地でどの様な慰安婦問題では無く性奴隷を行っていたのではないかとも思われるベトナム戦争にあるんじゃないだろうか。韓国軍がベトナムでどの様な大虐殺を行ったか、それを示す2つの動画がある。一つ目には米議会でのマイクホンダの活動に強く絡んでいたらしい女の姿も映ってはいるが。
韓国兵がベトナム戦争中に強姦した末に生まれてき... 投稿者 kigurumiutyuujin ベトナム戦争での虐殺に関し、韓国のマスコミも一応認める報道は行っている。 http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000023943 ベトナム戦争でのベトナムの民間人への虐殺や強姦などに関し、韓国の2人の主席は謝罪を行っている様だが、被害者やライハイタンとされる強姦による混血児 http://janjan.voicejapan.org/world/0910/0910131569/1.php
などへの賠償などは一切行ってなどはいない。だが、92年に韓国とベトナムの国交正当が行われたらしいが、その時に両国が同意した事に「韓国軍のベトナム参戦など過去の歴史を問題視しない」で両国が一致したという事で、ベトナムは韓国に大量虐殺や強姦に監視謝罪・賠償請求を一切行わないとしているらしい。韓国などとの経済面を重視しての国交樹立だったのかもしれない。
この時には、「経済技術協力協定」に仮調印し、「合同経済委員会設立」でも合意しているらしい。その為に、その統治のベトナムの大統領さんは、過去には目を向けずに未来志向でいたいと発言していたのではなかったろうか。
だが、金大中15代大統領がが98年にベトナムを訪問した時に、ベトナム戦争での自国の責務をどの様に意識していたのだろうか、92年の同意に反し主席として初の謝罪を行った。この事に対し、韓国内の野党政党や退役軍人達は激しく批判した様だ。「当時ハンナラ党の副総裁だった朴槿恵(パク・クンヘ)元代表はホームページを通じ『韓国戦争(1950~53)に参戦し、自由民主主義のため戦った16カ国の首脳らが金正日(キム・ジョンイル)北朝鮮国防委員長に謝罪したのも同然なこと』と非難した。同氏は当時『(DJの謝罪が)が参戦した勇士らの心と大韓民国の名誉を大きく傷付けた』とまで書いた」らしい。 http://japanese.joins.com/article/819/121819.html(中央日報日本語版)
読んだ時には呆れ返った気持ちにさせられてしまう。「参戦した勇士らの心と大韓民国の名誉を大きく傷付けた」とはどういう事なのだろうか。退役軍人達は、ベトナムが共産主義化する事を防ぎ、自由民主化の為に参戦した。謝罪される必要など無いなどと主張している様だ。 ベトナム戦争で韓国軍が行った事は、敵軍との戦闘行為では無く、民間人への虐殺、ベトナムの女性達を強制的な強姦を活発に行っていたが多かったのではないのか。強制慰安婦とするのでは無く、性奴隷化としていたのではないかと思われるが。米軍もベトナム戦争出は慰安所を設置し慰安婦、或いは売春婦を利用していた事は間違いの無い筈。だが、混血児を残したといった情報は見つからない。慰安婦、或いは売春婦を相手とするにしてもそれなりの気遣いはあったのではないだろうか。
対して韓国軍兵士達は、強姦という犯罪行為を平然と行っていたのではないのか。だからこそ、ベトナムには韓国兵士との混血児であるライハイタンは残されている。韓国は、何を目的として参戦していたのだろう。 ベトナム戦争では米軍などと共に参戦し、北ベトナムと戦闘をかわすことになっていた。ベトナム戦争で韓国軍はどれだけの戦歴を残しているのだろうか。そして、何故だかベトナム戦争には韓国の企業も活発に加わっていたらしい。戦地での企業活動を活発に行い、更に65年の日韓基本条約で大きな資本を得る事により韓国の経済状況が大きく発展したとされている。韓国のベトナム戦争への本当の目的は一体なんだったのだろう。 http://www.asahi.com/international/history/chapter08/02.html
何よりもアメリカなどと共にベトナム戦争に参戦している韓国は敗戦国となっている筈だ。 ベトナム戦争への参戦で大虐殺、強制強姦を活発に行い、結局はベトナム戦争では敗戦国となっているのではないのか。なのにベトナム戦争に参戦した事が、その場で行った多くの行動が「参戦した勇士らの心と大韓民国の名誉」となっているのか。参戦した韓国軍兵士達の行動と戦争の結果は名誉ではなく、大きな恥ではなかったかと思えるのだが。もしかすると、参戦した事により経済発展に大きな影響をもたらした事を大韓民国の名誉としているのだろうか。信じられない。どこまでも呆れた一方的な意識だ。 民間人への虐殺、及び強制強姦などは完全な犯罪行為ではないのか。こういった行為を、自国の兵士が平然と行っていた。ベトナムの民間人や強制強姦された人々に対し謝罪の意を持とうとは感じないのか。内容は全く分らないんだけども、92年に韓国とベトナムは国交樹立を行っている。その時に、どの様な交渉があったのかは分らないが、ベトナムからはベトナム戦争での韓国の行為に対し謝罪と賠償を求めない事で同意しているとなっているらしい。これはベトナムの人々から見ると、とても納得出来ない事ではなかったのだろうか。 更に驚かされる事に、ベトナムの女性は韓国軍では無く韓国の一般の者から強姦を行われ、韓国の者との混血児であるライハイタンが多く誕生したともされている。
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/touch?of=60(ライハイタンとは何か)韓国軍により強姦された女性達は虐殺され、ライハイタンの多くはビジネスマンにより誕生させられその場に置き去りにされていっていたらしい。 韓戦地で犯罪行為を平然と行っていたのは韓国軍だけでは無く、参戦していた企業の者達も含まれるのだろう。軍だけでは無い民間の者達までもが非人道的行為を平然と行っている。92年の韓国との国交樹立ではベトナムは経済効果を強く求めていたのかもしれない。その為に、ベトナム戦争での韓国の行為を訴えず韓国と争う事を避けて国交樹立に同意していたのかもしれない。だが、韓国にベトナムに対し謝罪と賠償を行わなければならないという正当な意識があったなら、ベトナムの意思などとは関わり無く、自ら謝罪と賠償を行う事を積極的に示して無くてはならなかった。
だが、韓国にはその様な意識など全く無かった。故に、平然と虐殺した民間人の家族や強制強姦された人々やライハイタンへの謝罪と賠償をする事を一切行おうとはしていない。 昨年ニューヨークで慰安とされていたとする韓国の者などが「日本はドイツを見習え」と発言している。ドイツは謝罪と賠償をしっかり行っている。それを見習えと。
だが、何を見習えばいいのだろうか。確かに戦後補償は行っていたのかもしれない、だがその対象は敵対国などの被害者では無く、ドイツ国民やドイツ国民で後に国籍を離れていたドイツの者。保障の対象はあくまでもドイツ国民であって、個人補償のみを行っている。ユダヤ人への謝罪は活発に行っているのかもしれないが、ユダヤ人への補償、或いは賠償などは一切行われてはいないはずだ。
馬鹿げた主張もいい加減にしてもらいたいものだ。
対し日本は韓国だけでは無い。その他の国々にもしっかりと賠償を行っている。「ドイツを見習え」では無い、韓国には「日本を見習ってもらいたい」ものだ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%B3%A0%E5%84%9F%E3%81%A8%E6%88%A6%E5%BE%8C%E8%A3%9C%E5%84%9F 何よりも日本に対し、ドイツを見習えというのであれば、韓国はベトナムの人々に対ししっかりとした謝罪を行わなければならないのではないのか。だが、韓国国民或いは政府にその様な意識は無いだろう。ベトナム戦争での行動はあくまでも正当だったと主張しようとしている。朝鮮民族はどこまでも狂った民族としか思えない。
ベトナムの人々に非常な虐殺など行っていながら、罪悪感を持とうとはしない、どころかまともな事をやっているんだと呆れた主張をする。故に、ベトナムの被害者などに謝罪及び賠償をしなければならないといった意識を持とうとはしない。朝鮮戦争などで慰安婦と扱った者達にも同じ意識でいるのではないのだろうか。 日韓併合では朝鮮半島の社会体制を大きく変えた。現在の韓国は日韓併合により作られた社会体制が基本となっているのではないのか。更にベトナム戦争を利用しての経済向上や日韓基本条約による大量の賠償金を得る事により、経済の大きな発展を成功させている。 日韓併合の後に日本政府から朝鮮総督府に朝鮮人に関する通達が送られているが、「朝鮮人は対等の関係を結ぶという概念がないので、常に我々が優越する立場であることを認識させるよう心がけること。」、「朝鮮人は虚言を弄する習癖があるので絶対に信用せぬこと。公に証言させる場合は必ず証拠を提示させること。」、「 殊に日本人を相手とせる窃盗を英雄的行為と考える向きあり、重々注意せよ。」などと書かれている。
日韓併合を行った日本政府は、朝鮮民族の性質をしっかりと捉えていたんだなと思わされてしまう。
太平洋戦争後から25年以上も先となってから問題化している。更に、自分が元従軍慰安婦として登場したのが、1990年代。この人物は日本の法廷に損害賠償を求めている様だが、却下されている。
では、従軍慰安婦が問題となったきっかけは一体なんだったのか。多くの人が書いているが、一番のきっかけとなったのは吉田清治とされている。1977年に「朝鮮人慰安婦と日本人」を出版してから、第一次樺太朝鮮人裁判での原告証人として発言、日本国内、更には韓国での日本が慰安婦を強制連合していたと証言する活動を活発に行った事から、日韓における慰安婦問題のみが大きく注目されるようになっていく。
また造語とされているが、千田夏光が1973年に出版した「従軍慰安婦 正編」により「従軍慰安婦」という言葉が活発に使われる様になったらしいが、実際には「慰安婦」は存在していたかもしれないが、「従軍慰安婦」など存在していない。 また、慰安婦に関して何故だか日本ばかりが責められる様になっているが、日本軍が日本統治時代の朝鮮半島で行っていただけでは無い。
朝鮮戦争では韓国は勿論だが、国連軍なども利用していた筈だし、ベトナム戦争では米軍がベトナムに慰安所を設置していた事は明らかとなっている。だが、どの国も自分達には目を向ける事などはせずに、「従軍慰安婦」という造語を利用して、日本ばかりに慰安婦に関する責任を負わせようとしているのではないのか。全く可笑しな話だ。 韓国、元従軍慰安婦と称する者達は日本統治時代に朝鮮の女性達が強制連行され慰安婦とされたと執拗に訴えるが、日本統治時代には朝鮮半島には徴兵制が行われるまで志願者募集を行っていたらしいが、1943年時点で1万7千664人の朝鮮人日本兵が存在していたらしい。そして、終戦時の朝鮮半島での陸軍の兵数は29万4千余りだったらしい。http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/8050.html
陸軍士官学校へ進んでいた朝鮮人達が積極的に志願した、或いは終戦時に徴兵された者達は陸軍兵として扱われていたのだろうから、終戦時には朝鮮人日本兵も多かったのではないだろうか。日本軍が慰安婦を強制的に行っていた、強姦していたのなら朝鮮民族として日本軍に強い敵意を持つ事はあっても志願するなんて事は考えられない。韓国は躍起になって日本統治時代には日本軍による強制連行が行われていたと主張している。
もしもそんな事が実際に行われていたとしても、朝鮮人が行っていたのだろうか、日本人が行っていたのだろうか。韓国はハッキリした事など言う訳が無い。 日韓併合以前より日本には公娼制度が成立されていた。1900年10月2日に「娼妓取締規則」は内務省令第44号として発布されたらしいが、日韓併合後の日本統治時代にも実行されているらしいが、これは売春婦に対する規則。
その一部には、第一条 十八歳未満の者は娼妓たるを得ず、第二条 娼妓名簿に登録せられざる者は娼妓稼を為すことを得ず 娼妓名簿は娼妓所在地所轄警察官署に備ふるものとす 娼妓名簿に登録せられざる者は取締上警察官署の監督を受くるものとす、第三条 娼妓名簿に登録は娼妓たらんとする者自ら警察官署に出頭し左の事項を具したる書面を以て之を申請すべし、とされている。売春業を求める者は管理する側に申しでなければならない。更に第3条には9項目がある。
大雑把に捉えれば、売春業は個人の意思なく強制的にやらせるは禁じるとされている事なのではないのかな。http://9199.jp/wiki/%8F%A9%8BW%8E%E6%92%F7%8BK%91%A5/
更に、日本政府は日韓併合後に朝鮮総督府に一つの通達を行っている。その一部に、「朝鮮人は不当争議に屈せぬ場合、しばしば類縁にまで暴行を働くので関係する折には親類知人に至るまで注意を徹底させること。特に婦女子の身辺貞操には注意せよ。」と命じる通達をしていたのだろう。http://import-car.net/av98/poison/2012/07/post-12.html 故に日本統治時代の朝鮮半島での慰安婦というか売春業は朝鮮総督府の管理下にあり、慰安所などの営業は民間で行われていたとされている。その慰安所を営んでいた殆どが朝鮮人。朝鮮半島での事なのだから、当然だろうと思うのだが。更に、慰安婦は民間の営業者などから募集されており、決して強制などはされていない。
何よりも、慰安婦を行っていた者には日本兵などを上回る給与などが与えられたとされている。強制的に慰安婦としたのであれば、その様な事はありえないだろう。 http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-147.html 韓国はどういった事を証拠として、日本は強制的に慰安婦を行っていたと主張しているのだろうか。ただ強調と批判をするばかりで、実質的な証などは何も明らかとされていないのではないかと思われるが。 では、韓国軍は朝鮮戦争やベトナム戦争などで慰安婦に関して一体どの様な行為を行っていたのだろうか。この事も多くの人々が大きな問題としているが、韓国は自分達がやっていた事を隠す為に日本統治時代に日本軍が強制的にやっていたと批判を繰り返しているんじゃないのかな。 朝鮮戦争で韓国は慰安所を設置し国連軍の軍人などを相手として売春業を強制的にやらせていたのではないのだろうか。国連軍には、韓国以外にはアメリカやイギリスフランス、オランダやベルギーや韓国も含めて17カ国だった様だ。
2002年2月24日に朝日新聞の後援で立命館大での「東アジアの平和と人権」国際シンポジウムが行われていたらしいが、その場で韓国・慶南大客員教授の金貴玉が「軍慰安婦は日・米・韓にまたがる問題。米兵の慰安所利用実態も明らかにしたい」として韓国と慰安婦の関係を語っている。
金貴玉は韓国陸軍が56年に編さんした公文書「後方戦史(人事部変)」に「『定式慰安所?特殊慰安隊』の記述を見つけた。設置目的として「異性に対するあこがれから引き起こされる生理作用による性格の変化等により、抑うつ症及びその他支障を来す事を予防するため」とあり、4カ所、89人の慰安婦が52年だけで20万4560回の慰安を行った、と記す特殊慰安隊実績統計表が付されている。 証言と併せ、軍隊が直接経営していた慰安所があった、と金さんは結論づけた。 http://hogetest.exblog.jp/6749030/ 軍関係者の証言の中には、軍の補給品は第1から第4までしかないのに、「第5種補給品」の受領指令があり、一個中隊に「昼間8時間の制限で6人の慰安婦があてがわれた」とする内容のものもある。」としている。
韓国の慰安婦制度は日本軍が行っていただろう管理下に置いて民間業者に委託するのでは無く、軍が直接経営を行っていたとしている。更に朝鮮戦争時に娼婦(売春婦)が急増し、「30万人にも及んだことから、金さんは『戦時の強姦(ごうかん)や夫の戦死がきっかけで慰安婦になった民間人も少なくない』と見ている。」らしい。この発表とこれらを報道した朝日の記事を見た韓国のマスコミは何を思ったのだろうか。 すぐに韓国軍が行った事を正当化とする報道を行っている様だ。 http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000067635
だが、米軍や国連軍などを対象とする慰安婦は朝鮮戦争で終結した訳ではない。朝鮮戦争後も、韓国は米軍兵士を相手とするヤンコジュ(洋公主)を置いていたらしい。韓国の慰安婦行為は戦争当時だけでは無い、その後にも行われていた。公証制度に基づいた行為だったのか否かは分らないが。 この慰安婦は国連軍の軍人達を対象としていたのだから、韓国軍の者達だけを相手としていた訳ではない筈で、その他の国連軍の軍人なども利用していたのではないのだろうか。韓国軍よって強制されただろう慰安婦達が相手とされていたのは、韓国軍の兵士だけでは無く、国連軍の兵士全体ではなかったのか。韓国は執拗に日本に対して自国の従軍慰安婦とやらに謝罪しろ賠償しろなどとほざいているが、自分達も軍により20万人以上もの慰安婦を強制している。それらに謝罪と賠償をする必要があるのではないのか。 だが、韓国における慰安婦問題で最も重視しなければならない事は朝鮮戦争での軍による直接慰安婦制度などでは無い。韓国が戦地でどの様な慰安婦問題では無く性奴隷を行っていたのではないかとも思われるベトナム戦争にあるんじゃないだろうか。韓国軍がベトナムでどの様な大虐殺を行ったか、それを示す2つの動画がある。一つ目には米議会でのマイクホンダの活動に強く絡んでいたらしい女の姿も映ってはいるが。
韓国兵がベトナム戦争中に強姦した末に生まれてき... 投稿者 kigurumiutyuujin ベトナム戦争での虐殺に関し、韓国のマスコミも一応認める報道は行っている。 http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0000023943 ベトナム戦争でのベトナムの民間人への虐殺や強姦などに関し、韓国の2人の主席は謝罪を行っている様だが、被害者やライハイタンとされる強姦による混血児 http://janjan.voicejapan.org/world/0910/0910131569/1.php
などへの賠償などは一切行ってなどはいない。だが、92年に韓国とベトナムの国交正当が行われたらしいが、その時に両国が同意した事に「韓国軍のベトナム参戦など過去の歴史を問題視しない」で両国が一致したという事で、ベトナムは韓国に大量虐殺や強姦に監視謝罪・賠償請求を一切行わないとしているらしい。韓国などとの経済面を重視しての国交樹立だったのかもしれない。
この時には、「経済技術協力協定」に仮調印し、「合同経済委員会設立」でも合意しているらしい。その為に、その統治のベトナムの大統領さんは、過去には目を向けずに未来志向でいたいと発言していたのではなかったろうか。
だが、金大中15代大統領がが98年にベトナムを訪問した時に、ベトナム戦争での自国の責務をどの様に意識していたのだろうか、92年の同意に反し主席として初の謝罪を行った。この事に対し、韓国内の野党政党や退役軍人達は激しく批判した様だ。「当時ハンナラ党の副総裁だった朴槿恵(パク・クンヘ)元代表はホームページを通じ『韓国戦争(1950~53)に参戦し、自由民主主義のため戦った16カ国の首脳らが金正日(キム・ジョンイル)北朝鮮国防委員長に謝罪したのも同然なこと』と非難した。同氏は当時『(DJの謝罪が)が参戦した勇士らの心と大韓民国の名誉を大きく傷付けた』とまで書いた」らしい。 http://japanese.joins.com/article/819/121819.html(中央日報日本語版)
読んだ時には呆れ返った気持ちにさせられてしまう。「参戦した勇士らの心と大韓民国の名誉を大きく傷付けた」とはどういう事なのだろうか。退役軍人達は、ベトナムが共産主義化する事を防ぎ、自由民主化の為に参戦した。謝罪される必要など無いなどと主張している様だ。 ベトナム戦争で韓国軍が行った事は、敵軍との戦闘行為では無く、民間人への虐殺、ベトナムの女性達を強制的な強姦を活発に行っていたが多かったのではないのか。強制慰安婦とするのでは無く、性奴隷化としていたのではないかと思われるが。米軍もベトナム戦争出は慰安所を設置し慰安婦、或いは売春婦を利用していた事は間違いの無い筈。だが、混血児を残したといった情報は見つからない。慰安婦、或いは売春婦を相手とするにしてもそれなりの気遣いはあったのではないだろうか。
対して韓国軍兵士達は、強姦という犯罪行為を平然と行っていたのではないのか。だからこそ、ベトナムには韓国兵士との混血児であるライハイタンは残されている。韓国は、何を目的として参戦していたのだろう。 ベトナム戦争では米軍などと共に参戦し、北ベトナムと戦闘をかわすことになっていた。ベトナム戦争で韓国軍はどれだけの戦歴を残しているのだろうか。そして、何故だかベトナム戦争には韓国の企業も活発に加わっていたらしい。戦地での企業活動を活発に行い、更に65年の日韓基本条約で大きな資本を得る事により韓国の経済状況が大きく発展したとされている。韓国のベトナム戦争への本当の目的は一体なんだったのだろう。 http://www.asahi.com/international/history/chapter08/02.html
何よりもアメリカなどと共にベトナム戦争に参戦している韓国は敗戦国となっている筈だ。 ベトナム戦争への参戦で大虐殺、強制強姦を活発に行い、結局はベトナム戦争では敗戦国となっているのではないのか。なのにベトナム戦争に参戦した事が、その場で行った多くの行動が「参戦した勇士らの心と大韓民国の名誉」となっているのか。参戦した韓国軍兵士達の行動と戦争の結果は名誉ではなく、大きな恥ではなかったかと思えるのだが。もしかすると、参戦した事により経済発展に大きな影響をもたらした事を大韓民国の名誉としているのだろうか。信じられない。どこまでも呆れた一方的な意識だ。 民間人への虐殺、及び強制強姦などは完全な犯罪行為ではないのか。こういった行為を、自国の兵士が平然と行っていた。ベトナムの民間人や強制強姦された人々に対し謝罪の意を持とうとは感じないのか。内容は全く分らないんだけども、92年に韓国とベトナムは国交樹立を行っている。その時に、どの様な交渉があったのかは分らないが、ベトナムからはベトナム戦争での韓国の行為に対し謝罪と賠償を求めない事で同意しているとなっているらしい。これはベトナムの人々から見ると、とても納得出来ない事ではなかったのだろうか。 更に驚かされる事に、ベトナムの女性は韓国軍では無く韓国の一般の者から強姦を行われ、韓国の者との混血児であるライハイタンが多く誕生したともされている。
http://d.hatena.ne.jp/jjtaro_maru/touch?of=60(ライハイタンとは何か)韓国軍により強姦された女性達は虐殺され、ライハイタンの多くはビジネスマンにより誕生させられその場に置き去りにされていっていたらしい。 韓戦地で犯罪行為を平然と行っていたのは韓国軍だけでは無く、参戦していた企業の者達も含まれるのだろう。軍だけでは無い民間の者達までもが非人道的行為を平然と行っている。92年の韓国との国交樹立ではベトナムは経済効果を強く求めていたのかもしれない。その為に、ベトナム戦争での韓国の行為を訴えず韓国と争う事を避けて国交樹立に同意していたのかもしれない。だが、韓国にベトナムに対し謝罪と賠償を行わなければならないという正当な意識があったなら、ベトナムの意思などとは関わり無く、自ら謝罪と賠償を行う事を積極的に示して無くてはならなかった。
だが、韓国にはその様な意識など全く無かった。故に、平然と虐殺した民間人の家族や強制強姦された人々やライハイタンへの謝罪と賠償をする事を一切行おうとはしていない。 昨年ニューヨークで慰安とされていたとする韓国の者などが「日本はドイツを見習え」と発言している。ドイツは謝罪と賠償をしっかり行っている。それを見習えと。
だが、何を見習えばいいのだろうか。確かに戦後補償は行っていたのかもしれない、だがその対象は敵対国などの被害者では無く、ドイツ国民やドイツ国民で後に国籍を離れていたドイツの者。保障の対象はあくまでもドイツ国民であって、個人補償のみを行っている。ユダヤ人への謝罪は活発に行っているのかもしれないが、ユダヤ人への補償、或いは賠償などは一切行われてはいないはずだ。
馬鹿げた主張もいい加減にしてもらいたいものだ。
対し日本は韓国だけでは無い。その他の国々にもしっかりと賠償を行っている。「ドイツを見習え」では無い、韓国には「日本を見習ってもらいたい」ものだ。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%88%A6%E4%BA%89%E8%B3%A0%E5%84%9F%E3%81%A8%E6%88%A6%E5%BE%8C%E8%A3%9C%E5%84%9F 何よりも日本に対し、ドイツを見習えというのであれば、韓国はベトナムの人々に対ししっかりとした謝罪を行わなければならないのではないのか。だが、韓国国民或いは政府にその様な意識は無いだろう。ベトナム戦争での行動はあくまでも正当だったと主張しようとしている。朝鮮民族はどこまでも狂った民族としか思えない。
ベトナムの人々に非常な虐殺など行っていながら、罪悪感を持とうとはしない、どころかまともな事をやっているんだと呆れた主張をする。故に、ベトナムの被害者などに謝罪及び賠償をしなければならないといった意識を持とうとはしない。朝鮮戦争などで慰安婦と扱った者達にも同じ意識でいるのではないのだろうか。 日韓併合では朝鮮半島の社会体制を大きく変えた。現在の韓国は日韓併合により作られた社会体制が基本となっているのではないのか。更にベトナム戦争を利用しての経済向上や日韓基本条約による大量の賠償金を得る事により、経済の大きな発展を成功させている。 日韓併合の後に日本政府から朝鮮総督府に朝鮮人に関する通達が送られているが、「朝鮮人は対等の関係を結ぶという概念がないので、常に我々が優越する立場であることを認識させるよう心がけること。」、「朝鮮人は虚言を弄する習癖があるので絶対に信用せぬこと。公に証言させる場合は必ず証拠を提示させること。」、「 殊に日本人を相手とせる窃盗を英雄的行為と考える向きあり、重々注意せよ。」などと書かれている。
日韓併合を行った日本政府は、朝鮮民族の性質をしっかりと捉えていたんだなと思わされてしまう。
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韓国は1910年に日韓併合された事を日本が韓国を植民地化したんだと強く非難すると共に、日韓併合は不法だと主張する。竹島に上陸した、李明博は「歴史問題を理解してくれ」などと抜かしていた。19世紀代の大韓民国がどの様な状況にあったのか、どうして日韓併合が成立されたのか、この事をちゃんと理解しているのだろうか。
欧州列挙区の植民地化は1885年より行われるようになってた様だが、朝鮮も清国の属国とされており、全く逆らえない状態となっていただろうし、清国に植民地化されていたとしていいのではないのだろうか。
だが1894~95年に行われた日清戦争による下関条約により、清国は朝鮮が完全無欠な独立自主の国である事を確認するとして、清国から開放される事となり、独立国となる。1904~05年に行われた日露戦争では、日本は朝鮮半島を利用しようとしたのだろうか、大韓帝国との間に第1次、2次、3次協約を締結する事となる。そして第2次日韓協約の締結では韓国は日本の保護国となっている。
植民地化は本国が植民地の主権を完全に握る場合と、保護国とに分けられるのではないかと思われるが、主権を完全に握る場合には完全な植民地化だろうし、保護国の場合には領土に加えられたた被保護国は保護国との条約に基づき一部の主権を代行させる事により保護国からの保護を受ける国とされている。主権の代行は外交面が主流の様だが。国際法では半主権国とされているらしいが。
韓国は決して主権を全て日本に奪われた状態では無く、半主権国とされていた事となるのではないのだろうか。完全な植民地化をされていたとは思われない。更に、日韓併合を求めたのは大韓帝国の政府であり、逆に日本はそれを好んではいなかったとされている。大韓帝国で日韓併合を強く要望していたのは、帝国内で当時大きな政治力を持っていたらしい政治結社である一進会は日本との合邦を求め、韓日合邦建議書「日本は日清戦争で莫大な費用と多数の人命を費やし韓国を独立させてくれた。また日露戦争では日本の損害は甲午の二十倍を出しながらも、韓国がロシアの口に飲み込まれる肉になるのを助け、東洋全体の平和を維持した。韓国はこれに感謝もせず、あちこちの国にすがり、外交権が奪われ、保護条約に至ったのは、我々が招いたのである。第三次日韓協約(丁未条約)、ハーグ密使事件も我々が招いたのである。今後どのような危険が訪れるかも分からないが、これも我々が招いたことである。我が国の皇帝陛下と日本天皇陛下に懇願し、朝鮮人も日本人と同じ一等国民の待遇を享受して、政府と社会を発展させようではないか」を大韓帝国の両班などにも訴えていたのではなかったか。また、日本にも。
だが、第2次日韓協約が締結された後に韓国に置かれた韓国統監府の初代監督統監に就任した伊藤博文は日韓併合される事を強く拒否していたらしい。伊藤博文は1909年に大韓帝国で暗殺される。この事がきっかけとなり日韓併合へ一気に進む様になったのだろうか。1910年8月22日に「韓国併合に関する条約」に締結され韓国は日本に併合された。
この朝鮮併合には、強い批判を持つ者もいる様だ。
Afternoon Cafeブログには「前略-加害者側が、被害者側の傷についてあまり深く考えないままそんなに悪意なしに何気なく軽い気持ちで(一部の人々はレイシズムという悪意をもって)口にした言葉は、時として深く被害者側を傷つけることがあります(余談ですが性犯罪なんかそういう事が多いですね)
この「支配する側の支配される側に対する鈍感さ」は、いかなる時代、いかなる場所でも見かけることができます。
もし、いくら良い教育や行き届いたインフラを与えて貰ったのだとしても、自分の名前を奪われ祖国の言葉を奪われ意に反してアイデンティティを奪われることがどれほどの民族的屈辱か、支配する側にはそれがなかなか想像できないものかもしれません。
韓国が併合条約は無効だったと主張するのは、民族の誇りとしての問題なのです。」
と書かれている。
朝鮮民族の現在の主語はハングルなのではないだろうか。だが、併合前の大韓帝国では白丁とされていた庶民には殆ど教育はなされていなかったらしいし、両班とされる貴族に行われていた言葉の教育は清国の影響からか漢字が主流だったらしく、ハングルは軽視されていた。よって、両班の位置にいる者達もハングルの教育はされていなかった様だ。日韓併合される以前の朝鮮民族は、両班(貴族)と白丁(一般民族)に分離されていて、全てを両班が判断し決断し実行する。奴隷化されていたのではないかと思われる白丁と称される一般民族の人々は、両班には一切逆らう事など出来ず、ただ言い成りになるだけだった。
だが、朝鮮総督府は身分の階級を廃止し民族を平等とし、教育を受けることの出来なかった者達にも平等に受けれる体制を作っている。1911年の第1次教育令により、朝鮮語の必修科目としてハングル語が教育される様になる。1936年には日中戦争の影響から朝鮮総督府ではハングルの授業を廃止し、日本語に統一すべきとしたらしいが、言語を一つに統一するという事は行っていなかったらしい。Wikipedia
よって現在の韓国、或いは北朝鮮の守護となっているハングルを朝鮮民族に普及していっているのは、大韓帝国では無く朝鮮総督府という事になるのではないか。朝鮮総督府は朝鮮民族の言葉を奪っているとは思えない。逆に一部の者にも教育されていなかったハングルを朝鮮民族の主語としたのは、日本であり朝鮮総督府である事は間違いないだろう。
また、大韓帝国までの朝鮮民族の文化などの守護も朝鮮総督府はおこなっている。
両班とされる者達が日韓併合をどの様に意識していたのかは知らない。だが、両班に大きな差別を受け非常に貧しい生活を強いられていた人々はどの様な意識を持っていたのだろう。
日韓併合が行われずに、何ら武力も資材も無くなってしまっていただろう大韓帝国が独立国として進んでいれば、両班の者達は自分達の生活を守る為だけに色々な外交など行っていたのかもしれない。だが、奴隷化されていたとされる民衆達はどの様な生活を強いられる事となっていたのだろうか。
日韓併合が行われずに、何ら武力も資材も無くなってしまっていただろう大韓帝国が独立国として進んでいれば、両班の者達は自分達の生活を守る為だけに色々な外交など行っていたのかもしれない。だが、奴隷化されていたとされる民衆達はどの様な生活を強いられる事となっていたのだろうか。
両班とされる者達にとっては、日韓併合は好ましくないと意識されていたのかもしれない。だが、自分達の生活を大きく変化させていった一般の民衆達はどの様な意識を持っていたのだろう。
日韓併合により自分達の生活を大きく向上させ、豊とさせて行った日本統合時代よりも主権は一部の者達に握られてしまい、自分達はその者達の言いなりにしかなれなかった併合前に戻る事を求める者達は果たしてどれだけいるのだろうか。
彼等と同じ立場に立った意識で考えてみれば、併合前の生活に満足など出来ている訳など無い。教育を受ける事も出来ていない、まともな生活をする事も出来なかった、ただ苦しい思いばかりを強いられていたのではないか、その様に考えれば併合前の状況から早く開放されたいと思うのではないか。
彼等と同じ立場に立った意識で考えてみれば、併合前の生活に満足など出来ている訳など無い。教育を受ける事も出来ていない、まともな生活をする事も出来なかった、ただ苦しい思いばかりを強いられていたのではないか、その様に考えれば併合前の状況から早く開放されたいと思うのではないか。
そして、併合されてみると両班との不平等な立場が解消され、教育を受ける事が出来る様になり、生活も大きく変化し向上して行ったのではないか。
併合される以前が良かったと判断すべきか、併合後が良いと判断すべきなのか。併合された事により民族性や文化などでは無く、生活環境を大きく改善させられた事を良いと判断するのではないのだろうか。
言葉は奪われていたのではない。現在の朝鮮の主語となっているハングルの教育されているし、大きな不平等により国民としての主権を認められていなかったのではないかと思われる併合前とは異なり、国民としての主権が認められる様になり、朝鮮民族としての教育や近代国家の教育などが受けられる様になって行ったのではないだろうか。
言葉は奪われていたのではない。現在の朝鮮の主語となっているハングルの教育されているし、大きな不平等により国民としての主権を認められていなかったのではないかと思われる併合前とは異なり、国民としての主権が認められる様になり、朝鮮民族としての教育や近代国家の教育などが受けられる様になって行ったのではないだろうか。
この様に自分達の貧しい生活を大きく変えて行ってくれたことを、果たして強く不満に感じていたのだろうか。
3人目の韓国大統領である朴正煕は、日本統治時代について次ぎの様に語っていたらしい「日本の朝鮮統治はそう悪かったと思わない。自分は非常に貧しい農村の子供で学校にも行けなかったのに、日本人が来て義務教育を受けさせない親は罰すると命令したので、親は仕方なしに大事な労働力だった自分を学校に行かせてくれた。すると成績がよかったので、日本人の先生が師範学校に行けと勧めてくれた。さらに軍官学校を経て東京の陸軍士官学校に進学し、首席で卒業することができた。卒業式では日本人を含めた卒業生を代表して答辞を読んだ。日本の教育は割りと公平だったと思うし、日本のやった政治も私は感情的に非難するつもりもない、むしろ私は評価している。」とされている。Wikipedia。
そして、日韓併合による朝鮮の日本統治時代を象徴する建物ではなかったかと思われる朝鮮総督府。韓国の人々が日韓併合に強い不満を怒りの感情を持っていたのであれば、大韓民国とした独立した直後にでも崩壊させていたのではないかと思われるが。
なぜか、決してその様な事などは行っていない。所か、李奨晩は国会として利用している。信じられない事だ。
李奨晩は日韓併合を強く批判しており、反日派ではなかったのか。であるなら、国会などに利用する事などせず、併合による日本統治時代の象徴の建物である朝鮮総督府などは自国に残そうとはせずに、即座に破壊しなければならないと考える事はなかったのだろうか。
国会がソウルに移転した後にも国立中央博物館として利用されていたらしい。
なぜか、決してその様な事などは行っていない。所か、李奨晩は国会として利用している。信じられない事だ。
李奨晩は日韓併合を強く批判しており、反日派ではなかったのか。であるなら、国会などに利用する事などせず、併合による日本統治時代の象徴の建物である朝鮮総督府などは自国に残そうとはせずに、即座に破壊しなければならないと考える事はなかったのだろうか。
国会がソウルに移転した後にも国立中央博物館として利用されていたらしい。
だが、1996年に金泳三の指示により取り壊されたらしいが、何故か全てを取り壊したのでは無く、先頭の部分は残し、独立記念館に保存されているらしい。
朝鮮民族として日韓併合は非常に侮辱に当たる事であり、併合条約は無効であるという強い概念を持っているのであれば、日本統治時代の象徴の建物であろう朝鮮総督府を新たな独立国として利用する、いつまでも残そうとする事には強い不満を怒りを感じる者は誰も無かったのだろうか。
更に、朝鮮総監府の一部を独立記念館に保存する事に疑問と怒りを主張する者はいなかったのだろうか。
更に、朝鮮総監府の一部を独立記念館に保存する事に疑問と怒りを主張する者はいなかったのだろうか。
併合条約を無効だったと強く主張する民族意識を持っているのであれば、主張する事に民族の誇りを持っているのであれば、何も残す事は無く、即座に建物は破壊し何も残そうと意識する事など無かったのではないのだろうか。
そして大韓民国はいつから不法だと主張していたのだろうか。65年の日韓基本条約が成立した時には併合は不法であったと激しく主張していた筈だ。その為に日韓基本条約では日韓併合は無効だとされている。
そして大韓民国はいつから不法だと主張していたのだろうか。65年の日韓基本条約が成立した時には併合は不法であったと激しく主張していた筈だ。その為に日韓基本条約では日韓併合は無効だとされている。
にも拘らず、朝鮮総督府は96年まで残されていた。強い疑念を感じさせられてしまう。
この日韓併合に関しては日韓の学者に会議によっても討論が行われていたらしいが、決着はつかず、2001年の11月16日に、アメリカのハーバード大学のアジアセンター主催で国際学術会議が開かれることになった。
「2001年の11月16日に、アメリカのハーバード大学のアジアセンター主催で国際学術会議が開かれることになった。
これは韓国政府傘下の
国際交流財団の財政支援のもとに、
韓国の学者たちの主導で準備されたものだった。
韓国側はもちろん、国際舞台で不法論を確定しようと初めから企図し、
そのために国際学術会議を持ったのであり、それを謝罪と補償の要求の根拠にしたかったことは明白であった。
そしてそこにはアメリカ、イギリス、韓国、それから日本の学者が集まり、
日韓併合の歴史をどう考えるかということで論争が行なわれたのである。
この様子は、当時、『産経新聞』の2001年11月27日の
記事ぐらいでしか公表されず、一般の目にはほとんど触れなかった。
が、これはとても大きな、重要な会議だったのである。
韓国側はまず、いかに日本が不法に朝鮮を併合したかということを主張した。
ところが、国際法の専門家でケンブリッジ大学のJ.クロフォード教授が強い合法の主張を行なったのである。
それは当時の『産経新聞』の記事によると、
「自分で生きていけない国について周辺の国が
国際秩序の観点からその国を当時取り込むということは当時よくあったことであって、
日韓併合条約は国際法上は不法なものではなかった」という主張であった。
当然、韓国側はこれに猛反発し、日本に強制されたということを主張したわけだが、
同教授は、「強制されたから不法という議論は第一次大戦(1914~18年)以降のもので、
当時としては問題になるものではない」と、一喝した。」★★★ ニュース保存用 ★★★
韓国の主張する日韓併合は不法だとする主張は、世界の学者などからは一切認められる事は無かった。
韓国が実効支配している日本の領土である島根県の竹島へ韓国の李明博大統領が突如訪問した。その理由を李明博大統領は、竹島は韓国の固有領土である事を行動で示す必要を感じ訪問したとしている。
更に、竹島に関する歴史問題なのだろうか「日本が理解しない事に不満を感じる」とし、これまでの日本に竹島に関する領土問題に誠意が感じられない、自分が訪問したことを批判する事が理解できないとも語っているらしい。
そして、国際司法裁判所への提訴が理解できないと、全く理解できない事を語っているらしい。 李明博大統領は竹島に関する歴史問題を日本が理解していないとするが、韓国は竹島は完全に韓国固有の領土ではなかったと示している筈であり、逆に日本が固有領土であった事を確実に実証しているのではないかと思うのだが。 韓国は竹島は6世紀から固有領土と訴えるものがある。韓国の古文献を活用した物の様だが、古文献に示されている事を正確に、正常に表現しているとは思われない。何故なら、鬱稜島の東側にある干山島を竹島(独島)と主張してるからだ。
更に鬱稜島と干山島を結合して干山国とも称している。リンクしています。 また日本やその他の国が韓国が独島と主張する干山島を韓国の固有領土と認めているとしているのであり、竹島(独島)は世界から韓国の固有領土と認められていたんだとしている。だが、その地図で示しているのは鬱稜島と干山島であって、竹島は含まれてなどいない。
更に、韓国領土は黄色により示されているとするが、その色で示されているのは鬱稜島と干山島であり、その他の小島などは一切含まれてはいない。実際に鬱稜島と干山島は韓国領土と認められていたのかもしれないが、竹島が韓国領土と認められていたとは一切思われない。 また、日本と韓国には古地図が多く存在している様だが、日本の古地図には昔には松島と称されていた竹島、竹島と称されていた鬱稜島はしっかりと描かれているが、韓国の古地図には鬱稜島と干山島を描く地図は存在する様だが、独島と名称された島などは一切存在しないし、竹島も描かれてはいない。 何よりも韓国が独島と主張している干山島は鬱稜島の近くにあり現在では竹嶼(チョクソ)と称されているらしい。竹島との現在位置とは掛け離れた位置にある。まして、韓国は古文献にある鬱稜島の近くにある現在では竹嶼が独島と訴えていた筈だ。韓国の竹島に関する主張と古文献に書き残されている事には大きな矛盾がある。 対する日本は外務省も示しているが、17世紀初めに鬱稜島を発見した鳥取藩の町人である大谷家と村川家が藩主を通じ幕府から鬱稜島への渡航免許を受けている。そして鬱稜当へ漁へ出る様になるが、その途中にある当時松島と称されていた竹島でも17世紀中頃から自然とアシカやアワビの漁を行う様になり、現在の国際法で言うなら先占していた事となる。
故に、日本の古地図には松島と称される2つに分割された島がしっかりと描かれている。 また、大谷家と村川家が活発に鬱稜島で漁をする事を当時の朝鮮王国は強く批判し、江戸幕府と朝鮮による鬱稜島の領有権の交渉が行われ、結果的に17世紀末に大谷家と村川家に鬱稜島への渡海を禁じる事を命じている。だが、竹島での漁などは一切禁じてなどはいない。この事には当時の朝鮮王国もなんら批判を行う事など無かったのではないのだろうか。
要するに、竹島の領有権は日本にあると認めていたのではないのだろうか。 故に、日本の古地図では鬱稜島は朝鮮王国の固有領土と示していたのではないのだろうかと思われるが。 明治時代になり、1905年の明治37年に日本は自国に領有権がある事を再確認し、島根県へ編入している。この事に関しても、朝鮮などからは何も批判は無かったのではないだろうか。となれば、当時の朝鮮は竹島の日本の領有権を認めていた事になるのではないか。
その様に思えてならない。 太平洋大戦後に日本はボツダム宣言を受諾した。そのボツダム宣言第8項に「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」とされ、日本の主権は日本列島及び連合国が決定する諸諸島に局限するとしている。
そして、サンフランシスコ講和条約の草案でで竹島は日本の領土となる事が決定された。 この決定に韓国は納得が出来なかったらしい。故に、当時の米国国務次官補ディーン・ラスクへ訴えた。この訴えに対し、ラスクは韓国へ書簡を送った。いわゆる「ラスク書簡」とされるものらしいが、ラスクは韓国の訴えを完全に退けた。韓国に1905年以前にも領有権は無かったんだと。 自国の勝手な主張による訴えを完全に退けられた韓国は、単に日本の領土を侵略したいと思っていたのだろうか、サンフランシスコ講和条約調印の3ヶ月前に韓国初代大統領李承晩は突然に「李承晩ライン」とされる軍事境界線をしき、竹島を不法占拠した。また「李承晩ライン」は、他国の漁業などを軍事的に強制し、禁止したものであって、突然に「李承晩ライン」がしかれる前までに漁を行っていた日本の漁民が韓国軍の銃撃などにより殺害され、多くの漁師と共に漁船などが拿捕されてしまった。 この韓国の身勝手な行為に日米両国は「国際法上の慣例を無視した措置」として強く抗議をしている。65年に日韓漁業協定が成立されるまでの間に、死傷者44人、抑留者3929人、拿捕された船舶数は328隻とされている。
そしてこの間に、竹島は韓国により実効支配される様になっていたのだろう。 李明博は竹島訪問後に竹島の歴史問題に日本が理解しない事に不満を感じると発言し、領土問題に誠意が感じられないなどとも発言している。その様な事を強く感じさせら得ているのは日本側の方だ。歴史を自分達の都合のいいように歪曲し、国際条約に背きん本の領土である竹島を不法占拠した。
竹島に関する歴史に全く理解しようとしないのは韓国であり、領土問題を完全に無視している。 また、玄葉外相が国際司法裁判所への提訴を発言するが、それに対し韓国の馬鹿な連中は「盗人猛々しい」などと日本を批判した。本当の盗人は韓国だろう。過去から日本が領有権を持ち固有の領土としていた竹島を、国際条約なども無視する行為を平然と行い、日本の一部の領土を不法占拠すると同時に実効支配したのだから。 更に呆れまくった、いやそんな事など通り越し強い怒りを感じさせる事を李明博は発言している。陛下の訪韓の条件として亡くなった独立運動家を訪ね心から謝罪すること。まさに天皇陛下に命令するかの様に発言をしている。陛下は日本の君主だ。日本の君主に命令するかの様な発言をするということは、日本は韓国などという腐った国に屈したとでも言いたいのか。
韓国は日本を支配しているとでも言いたいのか。ふざけるのもいい加減にしろ。 陛下が訪韓する必要など一切無い。逆に韓国の勝手な行動により多くの者の命が失われている。と同時に、間違いなく日本の領土を不法占拠している。謝罪すべきは韓国なのではないのか。日本の一般人に対する勝手な主張による虐殺。不法占拠などを平然と行っているのだ。
このような腐り切った国に何故日本が謝罪などしなければならないんだ。 まして日本の内閣が靖国参拝する事にまで控える様に命じる発言を行っている。完全な内政干渉だ。靖国に閣僚が参拝するか否かなど閣僚自身が判断する事だ。他国の者などに文句を付けられる筋合いなど一切無い。ふざけた内政干渉などいい加減に止めてもらいたい。あの腐り切った民族は恥という言葉を全く理解していないのか。 この様などこまでも腐り切った国などとの国交などは断絶してもいいのではないのか。韓国との関係悪化は日本経済に悪影響をもたらすとするものもいるかもしれない。韓国との関係は重視しなければならないとする者もいるのかもしれない。だが、どこまでも腐り切った国などと国交を保ちたいなどと一切思えない。
更に、竹島に関する歴史問題なのだろうか「日本が理解しない事に不満を感じる」とし、これまでの日本に竹島に関する領土問題に誠意が感じられない、自分が訪問したことを批判する事が理解できないとも語っているらしい。
そして、国際司法裁判所への提訴が理解できないと、全く理解できない事を語っているらしい。 李明博大統領は竹島に関する歴史問題を日本が理解していないとするが、韓国は竹島は完全に韓国固有の領土ではなかったと示している筈であり、逆に日本が固有領土であった事を確実に実証しているのではないかと思うのだが。 韓国は竹島は6世紀から固有領土と訴えるものがある。韓国の古文献を活用した物の様だが、古文献に示されている事を正確に、正常に表現しているとは思われない。何故なら、鬱稜島の東側にある干山島を竹島(独島)と主張してるからだ。
更に鬱稜島と干山島を結合して干山国とも称している。リンクしています。 また日本やその他の国が韓国が独島と主張する干山島を韓国の固有領土と認めているとしているのであり、竹島(独島)は世界から韓国の固有領土と認められていたんだとしている。だが、その地図で示しているのは鬱稜島と干山島であって、竹島は含まれてなどいない。
更に、韓国領土は黄色により示されているとするが、その色で示されているのは鬱稜島と干山島であり、その他の小島などは一切含まれてはいない。実際に鬱稜島と干山島は韓国領土と認められていたのかもしれないが、竹島が韓国領土と認められていたとは一切思われない。 また、日本と韓国には古地図が多く存在している様だが、日本の古地図には昔には松島と称されていた竹島、竹島と称されていた鬱稜島はしっかりと描かれているが、韓国の古地図には鬱稜島と干山島を描く地図は存在する様だが、独島と名称された島などは一切存在しないし、竹島も描かれてはいない。 何よりも韓国が独島と主張している干山島は鬱稜島の近くにあり現在では竹嶼(チョクソ)と称されているらしい。竹島との現在位置とは掛け離れた位置にある。まして、韓国は古文献にある鬱稜島の近くにある現在では竹嶼が独島と訴えていた筈だ。韓国の竹島に関する主張と古文献に書き残されている事には大きな矛盾がある。 対する日本は外務省も示しているが、17世紀初めに鬱稜島を発見した鳥取藩の町人である大谷家と村川家が藩主を通じ幕府から鬱稜島への渡航免許を受けている。そして鬱稜当へ漁へ出る様になるが、その途中にある当時松島と称されていた竹島でも17世紀中頃から自然とアシカやアワビの漁を行う様になり、現在の国際法で言うなら先占していた事となる。
故に、日本の古地図には松島と称される2つに分割された島がしっかりと描かれている。 また、大谷家と村川家が活発に鬱稜島で漁をする事を当時の朝鮮王国は強く批判し、江戸幕府と朝鮮による鬱稜島の領有権の交渉が行われ、結果的に17世紀末に大谷家と村川家に鬱稜島への渡海を禁じる事を命じている。だが、竹島での漁などは一切禁じてなどはいない。この事には当時の朝鮮王国もなんら批判を行う事など無かったのではないのだろうか。
要するに、竹島の領有権は日本にあると認めていたのではないのだろうか。 故に、日本の古地図では鬱稜島は朝鮮王国の固有領土と示していたのではないのだろうかと思われるが。 明治時代になり、1905年の明治37年に日本は自国に領有権がある事を再確認し、島根県へ編入している。この事に関しても、朝鮮などからは何も批判は無かったのではないだろうか。となれば、当時の朝鮮は竹島の日本の領有権を認めていた事になるのではないか。
その様に思えてならない。 太平洋大戦後に日本はボツダム宣言を受諾した。そのボツダム宣言第8項に「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルベク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国竝ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルベシ」とされ、日本の主権は日本列島及び連合国が決定する諸諸島に局限するとしている。
そして、サンフランシスコ講和条約の草案でで竹島は日本の領土となる事が決定された。 この決定に韓国は納得が出来なかったらしい。故に、当時の米国国務次官補ディーン・ラスクへ訴えた。この訴えに対し、ラスクは韓国へ書簡を送った。いわゆる「ラスク書簡」とされるものらしいが、ラスクは韓国の訴えを完全に退けた。韓国に1905年以前にも領有権は無かったんだと。 自国の勝手な主張による訴えを完全に退けられた韓国は、単に日本の領土を侵略したいと思っていたのだろうか、サンフランシスコ講和条約調印の3ヶ月前に韓国初代大統領李承晩は突然に「李承晩ライン」とされる軍事境界線をしき、竹島を不法占拠した。また「李承晩ライン」は、他国の漁業などを軍事的に強制し、禁止したものであって、突然に「李承晩ライン」がしかれる前までに漁を行っていた日本の漁民が韓国軍の銃撃などにより殺害され、多くの漁師と共に漁船などが拿捕されてしまった。 この韓国の身勝手な行為に日米両国は「国際法上の慣例を無視した措置」として強く抗議をしている。65年に日韓漁業協定が成立されるまでの間に、死傷者44人、抑留者3929人、拿捕された船舶数は328隻とされている。
そしてこの間に、竹島は韓国により実効支配される様になっていたのだろう。 李明博は竹島訪問後に竹島の歴史問題に日本が理解しない事に不満を感じると発言し、領土問題に誠意が感じられないなどとも発言している。その様な事を強く感じさせら得ているのは日本側の方だ。歴史を自分達の都合のいいように歪曲し、国際条約に背きん本の領土である竹島を不法占拠した。
竹島に関する歴史に全く理解しようとしないのは韓国であり、領土問題を完全に無視している。 また、玄葉外相が国際司法裁判所への提訴を発言するが、それに対し韓国の馬鹿な連中は「盗人猛々しい」などと日本を批判した。本当の盗人は韓国だろう。過去から日本が領有権を持ち固有の領土としていた竹島を、国際条約なども無視する行為を平然と行い、日本の一部の領土を不法占拠すると同時に実効支配したのだから。 更に呆れまくった、いやそんな事など通り越し強い怒りを感じさせる事を李明博は発言している。陛下の訪韓の条件として亡くなった独立運動家を訪ね心から謝罪すること。まさに天皇陛下に命令するかの様に発言をしている。陛下は日本の君主だ。日本の君主に命令するかの様な発言をするということは、日本は韓国などという腐った国に屈したとでも言いたいのか。
韓国は日本を支配しているとでも言いたいのか。ふざけるのもいい加減にしろ。 陛下が訪韓する必要など一切無い。逆に韓国の勝手な行動により多くの者の命が失われている。と同時に、間違いなく日本の領土を不法占拠している。謝罪すべきは韓国なのではないのか。日本の一般人に対する勝手な主張による虐殺。不法占拠などを平然と行っているのだ。
このような腐り切った国に何故日本が謝罪などしなければならないんだ。 まして日本の内閣が靖国参拝する事にまで控える様に命じる発言を行っている。完全な内政干渉だ。靖国に閣僚が参拝するか否かなど閣僚自身が判断する事だ。他国の者などに文句を付けられる筋合いなど一切無い。ふざけた内政干渉などいい加減に止めてもらいたい。あの腐り切った民族は恥という言葉を全く理解していないのか。 この様などこまでも腐り切った国などとの国交などは断絶してもいいのではないのか。韓国との関係悪化は日本経済に悪影響をもたらすとするものもいるかもしれない。韓国との関係は重視しなければならないとする者もいるのかもしれない。だが、どこまでも腐り切った国などと国交を保ちたいなどと一切思えない。
朝鮮民族は、やはり訳の分からない意識を持っている連中なんだな。どんな手を使ってもいい。どの様な事実があろうと無視し、自分達の言い分を全て正当化しようとする。
日本統治時代の元「従軍慰安婦」を支援する団体がソウルの在韓日本大使館前の路上に「記念碑」建立を計画、管轄のソウル市鍾(チョン)路(ノ)区が申請審査を終えて建立を許可していたことが19日、分かった。外交筋が明らかにした。法的許可を受け、碑は12月にも設置される可能性が高まった。また、審査過程で韓国の保健福祉相が設置を推奨する文書を区側に提出して団体を後押しするなど、審査が政治的な色合いが強いものだったことも判明した。
日本側は、大使館前に反日的な構造物が設置されることに強い懸念を表明していた。野田佳彦首相は21日に李明博大統領とニューヨークで就任後初の首脳会談に臨むが、「碑」の審査通過が明らかになったことで日韓の外交摩擦が激化する可能性が出てきた。
碑は慰安婦支援団体の「韓国挺身隊問題対策協議会(挺対協)」が今年7月に発表。慰安婦を象徴する高さ約120センチの少女の像の隣に空席の椅子が並ぶデザインで「平和の碑」と名付けている。挺対協は毎週水曜日に日本大使館前で開いている集会が1千回を迎える12月14日、除幕式を実施する意向だ。
鍾路区の審査は8月22日に終了。当初、韓国側に「場所が微妙で外交問題にもなりかねない」(同区)などと慎重論もあったが、韓国が不法占拠を続ける竹島(韓国名・独島)をめぐる反日世論の激化が審査に影響した可能性もある。
慰安婦問題をめぐっては今月、韓国政府が日本政府に賠償請求権の確認に関する協議を申し入れたが、日本側は個人の賠償請求権は消滅したと拒否している。
(産経新聞2011/09/20)
在韓日本大使館の前に「従軍慰安婦」の記念碑を建てるというのは、完全に日本に対する嫌がらせ。そして、「慰安婦」に関する問題を無理矢理に拗らせて賠償金を要求しようとしている。といようよりも、カネの取れる可能のあるとこからは、どんないちゃもん付けても絶対に奪い取ろう、その程度の事しか意識していないんじゃないのか。
「従軍慰安婦」という事は、決して旧日本軍のみが行っていた事では無い筈だ。朝鮮人も加わり、同じ民族を慰安婦と称して強制的に売春行為に送り出していたんだろう。それも旧日本軍だけが相手では無い。朝鮮戦争の時には米軍にも送っている。
同じ民族である韓国の者達が「従軍慰安婦」を商売として行っていた事を恥とは思っていないのかな。賠償金を求めるんだったら、日本では無い。「従軍慰安婦」を商売とし、賠償金を求めるんだったら、日本では無い。「従軍慰安婦」を商売とし、売春行為を強制していた当時の商売人に対して、求める事なんじゃないのか。
その対象には、同属である韓国の者達も加わっているだろう。本当に当時の慰安婦が、その者に関連する者が賠償を求めようと思うなら、当時の商売人を探し出し、その者達に対して要求するべき筈だ。
更に、太平洋戦争後にも韓国軍が慰安婦を扱っていた事実もあるようだし、韓国と在留米軍に慰安婦を行っていたらしい。これらの事は、韓国政府だけでは無く、韓国国民もしっかりとに認識している者が多くいるんじゃないのか。
にも拘らず、慰安婦問題は日本の責任とどこまでも強調する韓国。
2002年に日本で行われた「東アジアの平和と人権国際シンポジウム」で韓国・慶南大客員教授の金貴玉(キム・ギオク)が朝鮮戦争で韓国軍が慰安婦を行っていたと発表したらしいが、この事は韓国のメディアの一つ「日曜時事」が記事としており、多くの韓国の人々は韓国軍と慰安婦の関係も認識させられていた筈。
自分達が関わった事は全て消し去り、全てを日本人が関わった事として「慰安婦問題」の全ての責任を日本国へ押し付けようとしている。この連中は、そんな自分達を全く恥ずかしい民族だと意識する事が無いのか。
小汚い、惨めな連中としか言いようが無い。
日本に新幹線など、世界の高速鉄道を物まねして作りながら、自主開発だと見栄を張っていた中国の高速鉄道。当初からトラブルが発生していたみたいだが、昨日には大事故まで発生したとか。
中国の浙江省温州で23日夜に起きた高速鉄道の追突事故で、消防隊や軍など救援隊が24日夕までに大破した車両の一部を重機で現場に掘った穴に埋めてしまった問題で、インターネット上では「車内には生存者がおり、遺体、遺留品もあるかもしれないのに、どうして急いで埋めたのか。最後まで探したのか」と反発する声が渦巻いている。
破損車両は事故原因の究明にも欠かせないが、24日深夜に温州で記者会見した中国鉄道省の王勇平報道官は、運転席など車両の先頭部分を地中に埋めたことを認めた上で、「危険回避の緊急措置だった」と反論した。車両落下地点の農地は激しい雷雨でぬかるみになっており、救援隊や車両を現場に入れるために必要な措置だったと釈明した。
しかし、こうした説明に対し、ネット上では「技術的な問題が引き起こした人災としての事故原因を隠蔽するためではないか」「安全性の向上のためにも事故車両は保存して徹底研究すべきだ」などとする声であふれている。ネットユーザーは当局の事故処理への疑念を深めているようだ。
事故車両は24日夕までにすべて撤去された。
(産経新聞2011/07/25)
天候が悪く、雷が鳴ったりした事からD3115列車とやらが止まり、その後にD301が追突してしまった。
新幹線だったりしたら、同じ様な状況となった場合、後を走っている列車は強制的に止められる様になっているみたいなんだが、中国の高速鉄道ではそういったシステムなどは開発されていなかったんだろうな。鉄道にトラブルが発生した場合には、運転士達で判断しろ、という事なんだろうか。
そして、事故が発生した場合にはその原因を追究する為に、即座に事故を起した車両の検証などを行なわなければならないだろうに、検証する事を嫌ったのだろうか。D3115列車の先頭車両を、あっという間に土中に埋めてしまったらしいじゃないか。
中国国内では、「隠蔽」と批判が高まっているらしいが、こういったことは昔からの中国の性格。自分達にとって都合の悪い事は決して表には出さない。そういった事は、裏に消す事を徹底する。何て事をやってきてたんじゃないのかな、といったイメージが強い。
そういった事を行なう事が、共産主義による独裁国家の姿勢なのだろうから。