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民主の山岡は鳩山が「国民の立場に立った演説だった」とべた褒めしているらしい。
だが、あいつは鳩山の言っていた事が何も理解できていなかったのか、それとも我々国民を馬鹿にしてくれていたのか、果たしてどっちだったのだろうな。
鳩山演説「労働なき富」にヤジ、「それはあんただ」
http://www.yomiuri.co.jp/politics/news/20100130-OYT1T00191.htm
昨年12月30日、インド訪問から帰国した鳩山首相は、松井孝治官房副長官に「自分の政治理念と非常に重なる」と告げ、インド建国の父、マハトマ・ガンジーの言葉を演説に盛り込むよう求めた。
ニューデリーのガンジー廟で見た「七つの社会的大罪」だった。
だが、26日の閣議で演説全文を目にした閣僚たちは、仰天した。「七つ」の中には、「労働なき富」という言葉があったのだ。首相が実母から毎月1500万円もの資金提供を受けていた問題を想起させないか――。
「『労働なき富』というのは、大丈夫ですか?」。閣僚の一人がおそるおそる切り出すと、首相は「自分のことを言われるのはわかっている。だからと言って(ガンジーの言葉が)間違っているんですか?」とむきになった。
この場で演説を読み上げた松井氏は「途中で感極まって涙を流した」(閣僚)といい、手直しを求める雰囲気ではなかったという。
閣僚らの不安は的中した。参院本会議場で首相が「労働なき富」と読み上げた瞬間、野党席からは「それはあんただ」と激しいヤジが飛び交った。
それでも、首相の危機感は薄い。「国民の心に響いたらと思っている。批判も覚悟で思い切ってやらせていただいた」。29日夜、首相は満足そうに語った。
(読売新聞2010/01/30)
まず施政方針演説なんてものは、この1年の間に内閣が行なおうとする政府の基本方針や政策の姿勢を、総理大臣さんが我々国民に表示する事らしいじゃない。
鳩山はガンジーを前に立てて、自分の政治理念を聞かせるみたいな事を言ってた様だけど、頭の部分から施政方針演説の趣旨とは、既に外れてしまってたんじゃないのか。
鳩山は自らガンジーの言葉を演説に加える事を望んだそうじゃないか。「自分の政治理念と重なる」と理由で。
と同時に、ガンジーの「七つの社会大罪」の中にはどのような言葉が含まれているかは、鳩山はしっかりと理解していた筈だ。
通常国会が始まり、今月の予算委員会では補正予算だけでは無く「政治とカネ」に関して鳩山にも徹底的に質疑は行なわれていたし、多くの国民が注目していたのではないのだろうか。
母親も絡んでいる偽装献金問題を、鳩山自身はもう解決したなどと馬鹿げた事を言っているが、多くの国民は解決したなどとは全く意識していないだろうし、母親との関係や鳩山の我々国民に対する姿勢に対して、強い不快感を持っているんじゃないのかな。
にも拘らず、自ら国民に向かって「労働なき富」などと、堂々と自分の事が発言できたな。
しかも鳩山はこの演説をやれば、批判される事は最初から批判されるだろうと意識していたそうで。
ただ、政治には理念が必要だから、例え「批判されようとやらなきゃいけない」と思っていた。政策に関して、どんなに「具体性に乏しい」と批判されようとも、理念に拘ってやらなきゃいけないんだと。
ふざけるな。
結局は、過去に喋ってきた事を適当に繰り返し喋ってただけなんじゃないのか。します。まいります、なんて言ってるのが幾つもあるけど、ちゃんとした説明が何も無い。大雑把に言ってるだけ。
それでも、そんな事を言ってたなって、分かってしまうもんが多いものだから。
民主の山岡は、こんな演説をよくも「国民の立場に立った演説だった」と訳の分からんべた褒めが出来たもんだな。