思い、そして感じた事をそのまま
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自分はイザにもブログを書いていたんだが、ある事をきっかけとして書こうとする意識は全く薄れ、今は時々かなり気が向いた時にだけイザにもブログを書いているんだけど、今年の4月に石原が突然に尖閣諸島を購入すると発言した時に、それに対する自分の思う事をそのまま書いた事がある。
それに対し書く意識を薄れさせられるきっかけとなったコメントがあった。
最初は適当に交わそうと思ってたんだが、しつこく書いてくる。しかも不理解な事まで書いてくる。その事に答えてくれと求めたが、無視され一方的に書いてくる。
この人物が今日は高知新聞の記事を取り上げ、自由に思うがままに書いていた。だから自分も自由に書こうと思い、イザにはすでに投降しているが、だけでなく他のブログにも投降しようと決断したんだが。
以下はイザに投降した事と同じ内容。
高知新聞が昨日の朝刊の「小社会」という部分に、現在の尖閣諸島をめぐる両国の若者の感情を危惧する事が書かれているのではないかと思われるが、読む者により意見は異なる。
因みにダブルシンクとはWekipediaによれば「相反し合う二つの意見を同時に持ち、それが矛盾し合うのを承知しながら双方ともに信奉すること」という事らしい。
下記に引用する小社会がどの様に「相反し合う二つの意見」となっているのだろうか。
昨日の長官の「小社会」に書かれていた内容は、
-引用ー
短文投稿サイトに「対日宣戦」という物騒な文字が躍る。激化した中国の反日デモを、きのうの朝刊が伝えていた。若い世代の口からいとも軽く出る「戦争」の2文字に気がふさぐ。
そんな折、「文芸春秋」10月号に載った、文芸ジャーナリスト佐久間文子さんの一文が目に留まった。題は「文豪たちが名教師だった頃」。夏目漱石や石川啄木らの教師時代とともに、大正期に横須賀の海軍機関学校で英語を教えた芥川龍之介に光を当てている。
ある時、講義を早めに切り上げた芥川教官が言った。「君たちは勝つことばかり教わって、敗(ま)けることを少しも教わらない。戦争は勝っても負けても同じで、多くの国民が悲惨な思いをする」。ついたあだ名が「敗戦教官」。
大学卒業後すぐに文壇デビューした芥川の、若々しく知性的な戦争観だ。生徒から「小説は人生にとって必要ですか」と質問された。すると間髪入れず、「小説と戦争とどっちが人生にとって必要です?」と聞き返した。
学校には芥川のような文官と、武官の教官がいた。ある教え子は、「重い漬物石のような武官教官の中にピンポン玉のように軽くはねかえる若い教官を迎えたうれしさ」を書き記している。
日本のネット上にも好戦的な言葉や、相手に対する聞くに堪えない誹謗(ひぼう)中傷があふれている。ささくれだった若い世代の心は、未来を危うくする。海を隔てた双方に芥川教官は出ないものか。
(高知新聞2012/09/20)
-引用-
戦前の日本は帝国主義とされていたが、同時に軍国主義ではなかったのだろうか。だが戦前の日本は民主主義だったと主張する者も多く存在している。
しかし、第一次内閣より軍部の者が閣僚に多く含まれていた事は間違いは無い。明治初頭より、軍部が確実な権力を得ていた事は間違いないのではないのだろうか。
現在の中国は共産党一党体制となっており、その中でも軍部が大きな権力を得ているのではないかと思われるが。
「小社会」で、目に留まったとされる文芸春秋の題が「文豪達が名教師だった頃」とされている。
漱石は東京帝国大学卒業後に松山や熊本で英語の教員を行っていたらしいし、啄木も東京で代用教員を行っていたらしい。
そして佐久間文子さんの書いた「文豪が名教師だった頃」では海軍機関学校で英語の教師を行っていた芥川龍之介に光が当てられた、とされている。
戦前に存在していた海軍機関学校、或いは陸軍士官学校では軍師となるべき教育、更には戦争の戦い方や勝つにはどうすべきかなどばかりを教えられていたのかもしれない。
この事を龍之介はどの様に意識していたのだろうか。龍之介は学生達に言った、というよりも問うたのではなかったかと思えるが、「君たちは勝つことばかり教わって、敗(ま)けることを少しも教わらない。戦争は勝っても負けても同じで、多くの国民が悲惨な思いをする」。
戦争を行っても勝った国は何らかの益を得る事となるかもしれない。だが、戦争を行うという事は多くの国民が犠牲とされてしまう。
徴兵された者達は戦場に送られる。そして多くの戦死者が発生する事となる。
佐久間文子さん氏が当時の海軍機関学校をどの様に書いていたのか「文芸春秋」は読んでいないので、自分には分らない。
ただ、龍之介の言葉に光を当てられていたという事は、戦争を行う事は国民にとって、世界にとって全く意味の無い事であったと訴えているのかもしれない。
また記事には龍之介の様な文官と武官が存在していたとし、学生達は両者を「重い漬物石のような武官教官の中にピンポン玉のように軽くはねかえる若い教官を迎えたうれしさ」と例えている。面白い表現をしているなと思えるが。
この記事は、最初の部分と終盤で「小社会」に表そうとしている事が書かれているではないか。
「激化した中国の反日デモを、きのうの朝刊が伝えていた。若い世代の口からいとも軽く出る『戦争』の2文字に気がふさぐ。」と、そして終盤に「日本のネット上にも好戦的な言葉や、相手に対する聞くに堪えない誹謗(ひぼう)中傷があふれている。ささくれだった若い世代の心は、未来を危うくする。」と。
そして最後に「海を隔てた双方に芥川教官は出ないものか。」と書かれてある。
日中の現代の若者達に戦争の体験などありはしないだろう。感情が舞い上がる戦争体験の無い若者達、またそれ以外の年代の者達も含め、舞い上がる感情がそれぞれに戦いを求める様になっているのかもしれない。こういった事に「気がふさぐ」と表されている。
両国にとって、これからの世代がこの様な意識を持つ事を憂鬱な現状と捉えていないだろうか。
故に龍之介の学生達への言葉、学生達の質問に対する質問が綴られているのではないのだろうか。
日中のこれからの世代が相手国に対し常に強い敵対心と激しい感情を高めていく様な事となれば、将来の日中間では非常に危険な状況へと発展するのかもしれない。
故に、中国だけでは無い、日本にも戦争、或いは争いが何も価値をもたらす事の無い行動だと訴える者が現れる事を望んでいるのではないのだろうか。
その為に「ささくれだった若い世代の心は、未来を危うくする。」と表しているのだろう。
そして「海を隔てた双方に芥川教官は出ないものか。」とは、両国のこれからの世代にただ感情を高ぶらせるだけでは無く冷静になってもらいたい。
石原都知事を発端とする尖閣諸島をネックとする日中間の激しい争いが2国の将来に何をもたらす事となるのか、感情的ではなく冷静に考える様にしなければならない。
だが、両国の国民の感情を高ぶらせ敵対心を強くさせていっているのは結局は両国の政府。現段階では「芥川教官」となる事など全く不可能だろうな。
果たして、これからの日中はどの様な関係となっていくのだろうか。
それに対し書く意識を薄れさせられるきっかけとなったコメントがあった。
最初は適当に交わそうと思ってたんだが、しつこく書いてくる。しかも不理解な事まで書いてくる。その事に答えてくれと求めたが、無視され一方的に書いてくる。
この人物が今日は高知新聞の記事を取り上げ、自由に思うがままに書いていた。だから自分も自由に書こうと思い、イザにはすでに投降しているが、だけでなく他のブログにも投降しようと決断したんだが。
以下はイザに投降した事と同じ内容。
高知新聞が昨日の朝刊の「小社会」という部分に、現在の尖閣諸島をめぐる両国の若者の感情を危惧する事が書かれているのではないかと思われるが、読む者により意見は異なる。
因みにダブルシンクとはWekipediaによれば「相反し合う二つの意見を同時に持ち、それが矛盾し合うのを承知しながら双方ともに信奉すること」という事らしい。
下記に引用する小社会がどの様に「相反し合う二つの意見」となっているのだろうか。
昨日の長官の「小社会」に書かれていた内容は、
-引用ー
短文投稿サイトに「対日宣戦」という物騒な文字が躍る。激化した中国の反日デモを、きのうの朝刊が伝えていた。若い世代の口からいとも軽く出る「戦争」の2文字に気がふさぐ。
そんな折、「文芸春秋」10月号に載った、文芸ジャーナリスト佐久間文子さんの一文が目に留まった。題は「文豪たちが名教師だった頃」。夏目漱石や石川啄木らの教師時代とともに、大正期に横須賀の海軍機関学校で英語を教えた芥川龍之介に光を当てている。
ある時、講義を早めに切り上げた芥川教官が言った。「君たちは勝つことばかり教わって、敗(ま)けることを少しも教わらない。戦争は勝っても負けても同じで、多くの国民が悲惨な思いをする」。ついたあだ名が「敗戦教官」。
大学卒業後すぐに文壇デビューした芥川の、若々しく知性的な戦争観だ。生徒から「小説は人生にとって必要ですか」と質問された。すると間髪入れず、「小説と戦争とどっちが人生にとって必要です?」と聞き返した。
学校には芥川のような文官と、武官の教官がいた。ある教え子は、「重い漬物石のような武官教官の中にピンポン玉のように軽くはねかえる若い教官を迎えたうれしさ」を書き記している。
日本のネット上にも好戦的な言葉や、相手に対する聞くに堪えない誹謗(ひぼう)中傷があふれている。ささくれだった若い世代の心は、未来を危うくする。海を隔てた双方に芥川教官は出ないものか。
(高知新聞2012/09/20)
-引用-
戦前の日本は帝国主義とされていたが、同時に軍国主義ではなかったのだろうか。だが戦前の日本は民主主義だったと主張する者も多く存在している。
しかし、第一次内閣より軍部の者が閣僚に多く含まれていた事は間違いは無い。明治初頭より、軍部が確実な権力を得ていた事は間違いないのではないのだろうか。
現在の中国は共産党一党体制となっており、その中でも軍部が大きな権力を得ているのではないかと思われるが。
「小社会」で、目に留まったとされる文芸春秋の題が「文豪達が名教師だった頃」とされている。
漱石は東京帝国大学卒業後に松山や熊本で英語の教員を行っていたらしいし、啄木も東京で代用教員を行っていたらしい。
そして佐久間文子さんの書いた「文豪が名教師だった頃」では海軍機関学校で英語の教師を行っていた芥川龍之介に光が当てられた、とされている。
戦前に存在していた海軍機関学校、或いは陸軍士官学校では軍師となるべき教育、更には戦争の戦い方や勝つにはどうすべきかなどばかりを教えられていたのかもしれない。
この事を龍之介はどの様に意識していたのだろうか。龍之介は学生達に言った、というよりも問うたのではなかったかと思えるが、「君たちは勝つことばかり教わって、敗(ま)けることを少しも教わらない。戦争は勝っても負けても同じで、多くの国民が悲惨な思いをする」。
戦争を行っても勝った国は何らかの益を得る事となるかもしれない。だが、戦争を行うという事は多くの国民が犠牲とされてしまう。
徴兵された者達は戦場に送られる。そして多くの戦死者が発生する事となる。
佐久間文子さん氏が当時の海軍機関学校をどの様に書いていたのか「文芸春秋」は読んでいないので、自分には分らない。
ただ、龍之介の言葉に光を当てられていたという事は、戦争を行う事は国民にとって、世界にとって全く意味の無い事であったと訴えているのかもしれない。
また記事には龍之介の様な文官と武官が存在していたとし、学生達は両者を「重い漬物石のような武官教官の中にピンポン玉のように軽くはねかえる若い教官を迎えたうれしさ」と例えている。面白い表現をしているなと思えるが。
この記事は、最初の部分と終盤で「小社会」に表そうとしている事が書かれているではないか。
「激化した中国の反日デモを、きのうの朝刊が伝えていた。若い世代の口からいとも軽く出る『戦争』の2文字に気がふさぐ。」と、そして終盤に「日本のネット上にも好戦的な言葉や、相手に対する聞くに堪えない誹謗(ひぼう)中傷があふれている。ささくれだった若い世代の心は、未来を危うくする。」と。
そして最後に「海を隔てた双方に芥川教官は出ないものか。」と書かれてある。
日中の現代の若者達に戦争の体験などありはしないだろう。感情が舞い上がる戦争体験の無い若者達、またそれ以外の年代の者達も含め、舞い上がる感情がそれぞれに戦いを求める様になっているのかもしれない。こういった事に「気がふさぐ」と表されている。
両国にとって、これからの世代がこの様な意識を持つ事を憂鬱な現状と捉えていないだろうか。
故に龍之介の学生達への言葉、学生達の質問に対する質問が綴られているのではないのだろうか。
日中のこれからの世代が相手国に対し常に強い敵対心と激しい感情を高めていく様な事となれば、将来の日中間では非常に危険な状況へと発展するのかもしれない。
故に、中国だけでは無い、日本にも戦争、或いは争いが何も価値をもたらす事の無い行動だと訴える者が現れる事を望んでいるのではないのだろうか。
その為に「ささくれだった若い世代の心は、未来を危うくする。」と表しているのだろう。
そして「海を隔てた双方に芥川教官は出ないものか。」とは、両国のこれからの世代にただ感情を高ぶらせるだけでは無く冷静になってもらいたい。
石原都知事を発端とする尖閣諸島をネックとする日中間の激しい争いが2国の将来に何をもたらす事となるのか、感情的ではなく冷静に考える様にしなければならない。
だが、両国の国民の感情を高ぶらせ敵対心を強くさせていっているのは結局は両国の政府。現段階では「芥川教官」となる事など全く不可能だろうな。
果たして、これからの日中はどの様な関係となっていくのだろうか。
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