思い、そして感じた事をそのまま
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自民党総裁選に立候補している5人が、一寸した事でも注目される様になっているようだ。どの様な政策施工を持っているか、行おうと意識しているかなどでは無く、5人全員が「世襲議員」という事にも注目されているらしい。
政治家の世襲といえば、政権交代前にマスコミと野党等によりねじれ国会となった安部政権から活発に批判する様になっていなかったろうか。
世襲議員なら親の跡継ぎとして簡単に当選する事ができる。裕福な生活を送ってきただろう世襲議員には国民の生活苦など理解できないだろう。世襲議員に政治家としての高い資質を持つ者など存在していない。そして有能な者はいない。
だから、閣僚に多くの世襲議員が採用されていた内閣などは、ただそれだけでマスコミや激しく批判をされていたのではなかったろうか。
その様な批判が執拗に報じられる事により、多くの国民は世襲議員へ醜悪な意識を強くもたらされる事となっていたのではないだろうか。故に、政治家の世襲は許されないといったイメージが広がり、それが正当な考え方とされる様になっていった。
だが、親も政治家を行っていた世襲議員とされる政治家は果たしてどの様な成長を行っていたのだろう。
確かに、親の活動を活発に見せられる事になっていた事は間違いないだろう。だからといって自分も同じ事を職に就かなければならないと意識していた者は果たしてどれだけいたのだろう。
議員の子供達が全てその様な意識を持っていた事などは無いのではないか。
世襲議員とされるどの議員も、親とは異なる時代を行きている。どの国会議員も親とは異なる一人の個人として成長している筈だ。
そしてどの職を目指すかを判断するのも、決定するのも親では無く一人の個人ではなかったのではないかと思われるが。
そして、自分も政治の世界で活躍したいと意識した者達が親とは異なる一人の個人として政治家となる事を求め立候補するのだろう。
世襲議員だからといって衆院・参院総選挙に立候補すれば即座に確実になれると決められている事では無い筈だ。他の立候補者と競い合う様に政治への思いを有権者に対し積極的に訴えなければならない。その訴えを聞き取り、どの立候補者を政治家とすべきか判断を下すのは有権者なのだから。
だが、その有権者の中にはこれまで応援していた議員の息子だから同じ様にやってくれるかもしれないといった軽はずみな意識から選択しているのかもしれないし、逆に世襲議員というだけで大した事は無い。政治家として信頼できないと嫌っている有権者もいるのかもしれない。
しかし、世襲だから政治家として無能だ、世襲で無いから政治家として有能だと判断する事は非常に可笑しな事ではないのだろうか。政治家としての資質が高いか否かに世襲であるか否かなど一切関係無いと思われてならないが。
何よりも政治家を選択する権限は有権者に有る。
有権者は立候補者からの政治家の選択には、新人であれ複数回当選している者であれ意識しなければならないのはどの政党からの立候補しているのか。新人であれば立候補するまでの経歴であり、どの様な政治家となる事を目指しているのか。
複数回当選している者であれば、これまでにどの様な実績を残し政治活動を行ってきていたのか。地方では無い、国の為に信頼できる活動を行ってくれるのだろうかなどを判断し選択しなければならないのではないかと思われるが。この選択に、世襲であるか否かなどといった意識は一切必要ない。
世襲であるか否かにより選択するという事は、イメージだけで判断しているのであり有権者として非常に無責任な行動を行っているのではないか。
有権者に求められる事は、国の為に、そして我々国民の生活の為にしっかりとした政治活動を行ってくれるだろうと思える者を選択する事ではないかと思われるが。
マスコミだけでは無い。国民の中にも、日本の社会・経済状況を悪化させていったのは政治家だとして政治家ばかりに責任を負わせる者が多くいるのではないだろうか。
だが、現在の政権を誕生させたのも有権者であり、政権交代以前の内閣が行っていた政策をマスコミや野党に釣られるように批判を繰り返し追い詰めていっていたのは有権者なのではなかったか。
有権者には政治家の選択だけでは無い、選択した政権の内閣がどの様な政策を行い日本をどの様にしているのか、マスコミなどに釣られるのでは無く、自分自身で客観的に考察しなければならない責任がある筈。だが、政治に関し責任ある行動をこれまでの有権者はどれだけ行ってきていたのだろうか。
ただ世間の流れに合わせ、適当に行動してきていただけではないのだろうか。主権者であり、有権者である国民にその様な無責任な行動などは許される事では無い。有権者としての責任をしっかりとしっかりと意識し行動しなければならない。
自民党総裁選からは、政権交代前には激しく批判されていた世襲議員から新たな総裁が選択される事は間違いない。だがその様な事など一切意識する事無く、その後に行われるだろう衆議院選で、全ての政党総裁・代表がどの様な指導力を見せ政党としてどの様な政策を訴えようとするのかの考察と吟味をしっかりと行い、政党と立候補者を選択しなければならない。
新たな政権政党の本は国民にあり、これからの日本をどの様に動かしていくのか、変えていくのか、その責任は政治家だけにあるのでは無い。根本的な責任はそれら政治家と政党を選択した有権者である国民にあるのだから。
政治家の世襲といえば、政権交代前にマスコミと野党等によりねじれ国会となった安部政権から活発に批判する様になっていなかったろうか。
世襲議員なら親の跡継ぎとして簡単に当選する事ができる。裕福な生活を送ってきただろう世襲議員には国民の生活苦など理解できないだろう。世襲議員に政治家としての高い資質を持つ者など存在していない。そして有能な者はいない。
だから、閣僚に多くの世襲議員が採用されていた内閣などは、ただそれだけでマスコミや激しく批判をされていたのではなかったろうか。
その様な批判が執拗に報じられる事により、多くの国民は世襲議員へ醜悪な意識を強くもたらされる事となっていたのではないだろうか。故に、政治家の世襲は許されないといったイメージが広がり、それが正当な考え方とされる様になっていった。
だが、親も政治家を行っていた世襲議員とされる政治家は果たしてどの様な成長を行っていたのだろう。
確かに、親の活動を活発に見せられる事になっていた事は間違いないだろう。だからといって自分も同じ事を職に就かなければならないと意識していた者は果たしてどれだけいたのだろう。
議員の子供達が全てその様な意識を持っていた事などは無いのではないか。
世襲議員とされるどの議員も、親とは異なる時代を行きている。どの国会議員も親とは異なる一人の個人として成長している筈だ。
そしてどの職を目指すかを判断するのも、決定するのも親では無く一人の個人ではなかったのではないかと思われるが。
そして、自分も政治の世界で活躍したいと意識した者達が親とは異なる一人の個人として政治家となる事を求め立候補するのだろう。
世襲議員だからといって衆院・参院総選挙に立候補すれば即座に確実になれると決められている事では無い筈だ。他の立候補者と競い合う様に政治への思いを有権者に対し積極的に訴えなければならない。その訴えを聞き取り、どの立候補者を政治家とすべきか判断を下すのは有権者なのだから。
だが、その有権者の中にはこれまで応援していた議員の息子だから同じ様にやってくれるかもしれないといった軽はずみな意識から選択しているのかもしれないし、逆に世襲議員というだけで大した事は無い。政治家として信頼できないと嫌っている有権者もいるのかもしれない。
しかし、世襲だから政治家として無能だ、世襲で無いから政治家として有能だと判断する事は非常に可笑しな事ではないのだろうか。政治家としての資質が高いか否かに世襲であるか否かなど一切関係無いと思われてならないが。
何よりも政治家を選択する権限は有権者に有る。
有権者は立候補者からの政治家の選択には、新人であれ複数回当選している者であれ意識しなければならないのはどの政党からの立候補しているのか。新人であれば立候補するまでの経歴であり、どの様な政治家となる事を目指しているのか。
複数回当選している者であれば、これまでにどの様な実績を残し政治活動を行ってきていたのか。地方では無い、国の為に信頼できる活動を行ってくれるのだろうかなどを判断し選択しなければならないのではないかと思われるが。この選択に、世襲であるか否かなどといった意識は一切必要ない。
世襲であるか否かにより選択するという事は、イメージだけで判断しているのであり有権者として非常に無責任な行動を行っているのではないか。
有権者に求められる事は、国の為に、そして我々国民の生活の為にしっかりとした政治活動を行ってくれるだろうと思える者を選択する事ではないかと思われるが。
マスコミだけでは無い。国民の中にも、日本の社会・経済状況を悪化させていったのは政治家だとして政治家ばかりに責任を負わせる者が多くいるのではないだろうか。
だが、現在の政権を誕生させたのも有権者であり、政権交代以前の内閣が行っていた政策をマスコミや野党に釣られるように批判を繰り返し追い詰めていっていたのは有権者なのではなかったか。
有権者には政治家の選択だけでは無い、選択した政権の内閣がどの様な政策を行い日本をどの様にしているのか、マスコミなどに釣られるのでは無く、自分自身で客観的に考察しなければならない責任がある筈。だが、政治に関し責任ある行動をこれまでの有権者はどれだけ行ってきていたのだろうか。
ただ世間の流れに合わせ、適当に行動してきていただけではないのだろうか。主権者であり、有権者である国民にその様な無責任な行動などは許される事では無い。有権者としての責任をしっかりとしっかりと意識し行動しなければならない。
自民党総裁選からは、政権交代前には激しく批判されていた世襲議員から新たな総裁が選択される事は間違いない。だがその様な事など一切意識する事無く、その後に行われるだろう衆議院選で、全ての政党総裁・代表がどの様な指導力を見せ政党としてどの様な政策を訴えようとするのかの考察と吟味をしっかりと行い、政党と立候補者を選択しなければならない。
新たな政権政党の本は国民にあり、これからの日本をどの様に動かしていくのか、変えていくのか、その責任は政治家だけにあるのでは無い。根本的な責任はそれら政治家と政党を選択した有権者である国民にあるのだから。
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