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昨日、自民党の改革委員会が中間提言という物を提出していたらしいが、その中に何やら首相を求めた者は、次期衆院選で非公認とする事を求めていたらしい。
非公認という事は、除籍みたいなもの。首相を務めた事が理由で、どうしてその様な事をされなければらないんだろう。
党のイメージ刷新を検討する自民党改革委員会(塩崎恭久委員長)は10日、中間提言をまとめた。「古い自民党」から脱却しようと素案で首相経験者の公認禁止や派閥政治との決別を明記したが、派閥幹部や首相経験者の反発に加え、石原伸晃幹事長も認めず、これらの項目は削除された。
塩崎氏は10日の同委で「どれだけ改革のメニューを盛り込んでもつぶされる」と委員長を辞任。谷垣禎一総裁直属の同委による改革が骨抜きに終わり、派閥やベテラン議員による支配をかえって印象づけた。
同委は5月26日に発表した素案で首相経験者の公認禁止と派閥政治との決別を目玉に据えたが、「塩崎君が派閥を抜ければいい」(伊吹派の伊吹文明会長)、「無所属でも勝つ。お好きなように」(首相経験者)と反発が相次いだ。
(朝日新聞2011/06/10)
電子版では産経、朝日と読売なんかが書いているみたいだが、その中の電子版では朝日が最も攻める様に書いているんじゃないかな。
「『古い自民党』からの脱却」とあるが、「古い自民党」って、一体なんなんだろう。自民が政権与党だった時には、「派閥」、「世襲」、「官僚主導」なんて事が、強く批判される様によく報じられていた。
だが、民主党にも「派閥」はある筈だし、「世襲」した議員もいるはず。そして、今の政権は「官僚主導」だと批判されている。
大きな政党団体に、複数のグループが存在する事のどこが良くないのだろう。政党には執行部が存在する。その執行部が、幹部クラスから新人まで議員の意見をしっかりと聴衆し、常時まとめる事が出来るのならいいのかもしれないが、出来るのか。
民主でも、複数のグループというか派閥が存在して、それのトップクラスが執行部へ意見を渡している。それらの意見を執行部や派閥のトップクラスが、意見を交わし合い、党の考え方を決めて行っているんじゃないの。
また、自民では「派閥」の変化なんて事は、これまでに何度も行われていたんじゃないの。昔から全く変わっていないとは、とても思えないけどね。
「世襲」とは、ただ単に先代を受け継ぐだけの者だとイメージしている。これは、ちょっと馬鹿馬鹿しくないだろうか。新たに立候補する者が、親が国会議員だろうが無かろうが、関係無いだろう。票を投ずるのは、有権者であり、それにより当選者は決定するのだから。
「世襲」した者だから、必ず立候補するという事では無いだろう。まして、もし当選したとしても、国会で意味の無い活動ばかりをしていれば、次の選挙では有権者は他の立候補者を選択するだろう。
まして、親の姓を継いでいようと、その親とは異なる学習と人生を行ってきている者であり、親とは全く別の人間として成長している筈。親の姓を継いでいると言うだけで、批判をし、政治家になる事も認めないとする。こんな事は、個人に対する完全な差別だ。
そして自民は「官僚主導」だと、激しく批判をし民主が訴える「政治主導」を良いものだと、活発に報じていたな。だが、自民がやっていたとする「官僚主導」も民主などが訴えていた「政治主導」も同じ様なものじゃないのか。
閣議決定した政策などに関し、閣僚達がそれぞれの官僚に指示を出す。それに従い、官僚は活動し、政府の法案に関する物も作成していく。最後に、作成された法案を確認などして国会に提出する。
「官僚主導」だろうが、「政治主導」だろうが配下には必ず官僚は居る筈であり、閣僚などとなった政治家達は、この配下となった官僚の能力をいかに活用していく事が最も大事な筈。「政治主導」をやたらと訴えていた民主政権は、この官僚達の持つ専門的な能力をどこまで生かす事が、活用する事が出来ていたんだろう。
だが、民主政権では「官僚は使わない」を固持して、鳩山は政治家だけでやろうとしたらしいが、菅になってからは「官僚に頼っている」と批判されていた筈だ。
朝日は、或いは読売は中間提言で「公認禁止と派閥政治との決別を目玉に据えたが」、認めなかった事から「骨抜き」と表している。それは逆だろう。「単純に有権者の自民へのイメージを意識した」改革案を考察していただけなんじゃないかと思えてならない。
単に有権者のイメージを意識して、中身を変え様としている事が、改革では無く政党を「骨抜き」にしているんじゃないのか。こんな事やるんじゃ、政権を任せられる政党に戻れるとは思えないが。
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