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橋下はW選挙の後に、民意という言葉を強調している。選挙で自分は有権者により市長に選択された。自分は民意により、選択されたんだと。
「僕の民意と違う」-。大阪ダブル選の選挙結果について、テレビインタビューで感想を述べた市職員を問題視していた大阪市の次期市長、橋下徹氏は、市総務局に事実確認を指示。当該の市職員を特定し、部局を通じ「反省の弁」を述べさせていたこと明らかにした。
この職員は、投開票日翌日の11月28日、市役所に出勤した際にマスコミのインタビューに応じ「僕の考えている民意とは違う」とコメントしていた。
このほか、別の番組で橋下氏が代表を務める大阪維新の会について「向こうの考えている二重行政は分からない」と発言した職員についても、同様の措置を取ったという。
総務局長から「職員は真摯(しんし)に受け止め反省している」との報告を受けたという橋下氏。「この2人の職員との問題は一件落着した」と溜飲(りゅういん)を下げた様子。一方で「行政上の主張や反対論はしっかり言ってほしい」とも語った
(産経新聞2011/12/10)
有権者は民間企業に務めている者や個人営業を行っている者達だけでは無い。選挙後にも激しく批判している地方公務員も含まれている筈だ。
橋下の強調する民意とは一体何なのだろうか。何よりも大阪市長選で、全ての大阪市の有権者が橋下に投票している訳では無い。橋下の公表するマニフェストに強く反論する者も多くいた筈だ。
反論する者に民間企業に勤める者や個人営業をする者も含まれるだろうし、当然公務員からもそれを示す投票が行われていたんだろう。よって、投票翌日に出勤した大阪市の職員は自分の意見を素直に語ったのだろう。
民主主義では「表現の自由」という事が絶対に認められていなければならない。それを認めないのであれば、全体主義、或はファシズムとなるのではないだろうか。
橋下は選挙後に自分の意見を素直に述べた公務員の意見が、「自分の民意と違う」として、強制に行ったのだろうが「反省の弁」を述べさせているらしい。
にも拘らず、「行政上の主張や反対論はしっかり言ってほしい」と発言している。自分を認めないとして強制に「反省の弁」をさせながら、大阪市の職員に「主張や反対論」をしっかりとしてほしいとしている。
これは全く矛盾した事となるのではないか。橋下は、個人の主張として橋下への反論を述べた職員に対し、「反省の弁」をさせている。自分の意見に反する主張や意見などは一切するな。その様な事は認めないとしているだろう。
ほんの数人の職員に対する行動から、全ての職員に対し「主張や反対論」は認めないと通達しているのではないのか。なのに、民主主義を強調するかの如く、「主張や反対論はしっかりやってほしい」という事が、非常な矛盾に思えてならない。
橋下に本当に民意という意識はあるのだろか。
大阪府知事時代には、自分は大きな実績を残していると主張しているらしい。大阪府の財政を色々な事を削除していく事により、黒字へと転換したとしていなかったろうか。
だが、実際には真っ赤な嘘で、事実上では赤字を増加している。それも、臨時財政対策債などを活発に活用する事により、大阪府の借金を大きく膨らませているらしいじゃないか。
民意という意識を強く持っているのなら、大阪市長に鞍替えしようとするのでは無く、自分の行った行政による結果を正確に示し、改めて自分は正しい事を行っていたか否かを有権者に判断を求めなければならなかった筈だ。
だが、あいつはそれを避けている。民意という言葉を、自分にとって都合のいい様に利用しているとしか思えない。
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