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大阪市議会とやらは今日が開会日らしいが、橋下大阪市長が市役所職員が「民意を語る事を許さない」と語っている。
 
果たしてこれはどういう意味なのだろうか。
 
-引用-
 
 今回の市民・府民の皆様の選択は、「大阪の仕組みそのものを変えてほしい」という選択です。
 
 私は、政治と行政が、まずは、互いの本質や違いを分かりあい、役割分担を認識したうえで、徹底した対話と議論を行うことが重要だと考えております。政治家でもある私に対して、市役所職員が民意を語ることは許しません。民意というものを語るのは公選職、選挙で選ばれた者だけだと思っております。この市役所内で公務員として正式に民意を語ることは許しません。私が下した政治決断には、行政組織の持てる力を結集して実現に努めてほしいと考えております。
 
-引用-
 
では民意とは何か。コトバンクなどには「人民の意思。国民の意見」とある。国民、意見とはどういう意味があるのだろう。
 
これもコトバンクなどには「法的には,国籍をもつ国家の構成員個々人,あるいはその全体をさす」とあり、政治的に「一定の領土に定住し,共通の文化・社会体験をもつという想定のもとに,政治的な統一組織を作り上げた人間の集団」とある。
 
意見はWikipediaでは「1.あることに対する考え。見解。2.好ましくない行いに対する注意。忠告。諫言。」とあり、コトバンクなどには「1.ある問題に対する主張・考え。心に思うところ。「―を述べる」「―が分かれる」「少数―」「賛成―」2.自分の思うところを述べて、人の過ちをいさめること。異見。「同郷の先輩が―する」とある。
 
国民の意見とは国籍を持つ国家の構成員個々人が、自分が思う事を言葉に表し主張するという事になるのではないのだろうか。
 
民意とは個人主義であり、全ての国民に認められている事だろう。
 
一般市民だけでは無い。公務員も含め、全ての国民に個人主義は存在している筈だ。自分の意見を主張する権限は認められていなければならない。
 
だが、橋下はそれに反し公務員に限り「民意を語る事を許さない」と主張した。公務員として勤めている国民の個人主義、民意を剥奪した行為となるのではないのか。日本社会に於いて、この様な行為が許されていいのだろうか。
 
東京大学名誉教授であり、明治大学法化大学院教授である高橋和之氏は「人権保障における憲法と民放の役割」に於いて、個人主義は「社会の目的を構成員個々人の自律的な生き方を平等に保障する考え方」とし、対して全体主義を「その反対で、社会の持続・発展が最高位の目的であり、構成員はこの目的に貢献する事を最優先の義務とし、義務を果たした事に対する一定の便益を享受する」としている。
 
橋下は、民意という言葉を活用し、大阪市役所職員に対し「個人主義」では無く、「全体主義」を強調している。「全体主義」とは「ファシズム」に同意する政治体制ではないのか。
 
大阪を変える、大阪から国を変えると主張する橋下の政治主義・体制は民主では無く、ファシズムとなるのではないのか。
 
この様な者に同意する者がいようがいまいが知った事では無いが、民意を主張しながら一部の国民の民意を認めようとしない橋下に、行政を任せていいのだろうか。それだけでは無い、大阪から国を変えるとまで発言している。
 
この様な者に、橋下に国の政治体制にまで絡ませていいのだろうか。そうすれば、日本は戦前の軍国主義とされる、或はムッソリーニの行ったファシズム政治体制となってしまうかもしれない。
 
橋下徹を政治家と認める事は出来ない。単に大阪を、更には国を我が物にしようとする独裁者を目指している者としか考えられない。
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