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衆議院選挙への投票日がいよいよ明日に迫った。これまでのマスコミは政界の悪評を流す事に徹し、有権者の政治への意識を持たせてきていた。
だから有権者は政界は可笑しい、信用できないと自分達の責任を無視し、自分達が選択した政治家による国会の批判ばかりを繰り返していた。
 
またマスコミなどは官僚政治などと表現する事により、官僚(国家公務員全体では無く、主に1種に占められているらしい。一部の国家公務員)の存在を強く批判する様になり、その報道に誘導されるように有権者も官僚を悪評、悪者と意識する様になり官僚を激しく批判する様になる。
だが、実際に行政の機能を稼動し活用しているのは官僚の筈であり、どの様に行政の稼動を行なうかの指示を行うのは政治家じゃないか。だが世間ではこの政治家が何も出来ていない、官僚に操られているとされているとしている。
 
ならば国会は何の為にあるのだろう。国会は日本の立法府であり、行政を仕切ったり機能させる法も国会によって成立されている筈だ。
その様に鑑みるなら、行政での機能を任される国家公務員、或いは地方公務員は国会の法により仕切られ稼動させられているのと思われるが。
では官僚は国会議員を手玉に取り、自分達にとって都合のいい様な法案を成立させる行動をしているのか。
 
確かに法の原案は各省庁も作成しているのかもしれない。それは内閣の補佐機関とされる内閣法制局によって審査される。ここでは非常に厳しく細かいチェックがされるらしい。
よって、全てが法案として国会提出が認められる事では無い。そして国会提出が決定しても国会審議によって成立もすれば否定もされる。

 
また議員法案などは衆議院・参議院法制局によって審査されるらしい。法の原案は省庁だけにより作成されているという事は無いし、議員法案も含めてだろうが全ての法案が国会成立するとは限らない。
省庁によって作成された法案は、内閣法制局を通過しても政権与党によって改めて審査され修正される場合もある様だが、ここを通過する事により内閣提出法案として国会提出される。
法案の作成は省庁が完全に行っているわけではないし、法案は省庁や国会議員のために作成されているのでは無く、国民の為に作成されている事は間違いないだろう。
 
まして国家公務員も地方公務員も国民の一員の筈だ。これは国会議員にも言える事ではないだろうか。彼らも国民の一員である事は間違い無いだろう。
彼らが国民を無視し、公務員や政治家だけに都合のいい法案を成立する事を行っているのであれば、公務員や政治家である前に国民としての自分を苦しめる法案を作成している事になる。そんな馬鹿げた事を行う者が果たして存在するのだろうか。

 
官僚とされる上級、或いは一種の国家公務員や政治家などが国家公務員や政治家だけに都合のいい法を作成するという思考も理解する事ができない。国家公務員や政治家などに対する偏向意識としか思われない。
 
政治は官僚により支配されているというのなら、国会の存在価値など全く無いだろうし、衆参の選挙も行う必要など全くないだろう。
政治家を選択する選挙の意義も存在しているとは思えない。官僚により政治が本当に支配されているというのなら、選挙を行う必要があるとは全く思えない。

 
だが、09年に政権交代が行われてから初期の頃にはマスコミからも有権者からも民主政権を批判し選挙を求める事などなかった。
だが、民主政権が何もしない、何も出来ないと意識させられる様になると政権交代直後には称賛しきっていた民主政権を責める様になり、前政権と同じく官僚により政治は支配されていると激しい批判が行われる様になり、官僚により政治は支配されていると主張しながら選挙を強く求める様になる。
 
可笑しくないか。本当に官僚により政治が支配されているのなら、選挙を繰り返し行おうと政権政党を変えようと官僚に支配されている政治体制に変化などありえる訳など無く、全く無意味な行動をさせられているに過ぎないだろう。
 
だが官僚は行政機能を稼動する為の国家公務員の職員でしかないし、その職員を国会により成立された法に基づき稼動を指示しているのが国会議員などによる閣僚の筈だ。
他の者達はどうなのか知らないが、自分は官僚が政治を支配しているなどといった事など全く理解できない。
何故、その様な政界批判や官僚批判が活発に行われるのか不可思議でならない。
 
官僚の行政機能の稼動を指示している国会議員、政権政党の選択を任されているのは有権者である国民であり、政治に対する責任を最も強く求められているのは国会議員などとされる政治家などでは無い。
その政治家の選択を任されているだろう有権者である国民ではないのか。
 
主権者である国民は、本来政治の動きなどには注視していなければならない筈だ。
だが、マスコミなどに誘導され発足された民主政権になってからは経済面、社会面などで本格的な活動を行っていたとは思えないし、特に東日本大震災が起こってからの対応と復興対策に関しては非常に鈍感であった事は間違いない。
 
民主党は本当に国民の為の政治を実行しようとしたのでは無く、権力を握りたいと意識しただけで国民を全く無視し前政権をマスコミと共に徹底的に批判する事により、国民意識を誘導し政権交代を実現させたに過ぎない。
存在価値を全く感じさせてくれない非常につまらない政党だ。
 
現在の民主政権は政治政策を客観的に見るのでは無く、マスコミの報道や民主の適当な主張などに釣られ偏向的に見る様になっていた国民の選挙により誕生させた。
それにより日本の状況は改善されたのだろうか。逆だろう、大きく悪化している。
 
国民は日本を現在の状況としたのは民主政権だとあくまでも政党批判を繰り返すが、09年の衆議院総選挙で民主党を政権政党と選択たのは国民であり、09年以前よりも日本状況を悪化させていった責任は有権者である国民にある筈で、自分達に任されている筈の責任を全く無視し、国民により選択された民主政権に責任転嫁していると思えてならない。
 
数年前よりマスコミにより政治離れといった事がよく報じられているが、その様な現状としたのは正に政界批判を報じてきたマスコミだろう。
だが、主権者である国民は本来は政治などには強く関心を持ち、国会や政権政党だけでなく他の政党の行動などもしっかりと見ていなければならない。

 
それにより選挙が実行される時には、どの政党を選択するかマスコミなどに誘導される事なく自分の意思を持って行わなければならない。
でなければ、主権者であり政治に関しても最も大きな責任を任されている国民が政治離れを示すかの様に適当に投票を行っているか投票棄権している事は間違いないだろう。完全な責任放棄だ。
 
現在の各紙の世論調査とやらでは、自民が圧勝し民主は大惨敗とされている。更に自公では300議席以上確保も高いと。
一時は第3極として良い様に報じられていた維新の会やみんなの党、突然に発足した未来の党などは支持率を伸ばす事など無く、大きな議席巣を確保する事は無いとされている。だが、どの政党に投票するか示していない人々も多く存在している様で世論調査などといった事など鵜呑みにする必要など無いだろう。

 
自民と民主だけを考えれば、自民が有利であり民主が不利である事は間違いないだろうとは思えるが。
 
各紙が一致して自民が圧勝とし民主が大惨敗としているのだから、自民の有利と民主の不利の可能性は極めて高いのだろう。
だが、選挙後の政界再編はどうなるのか、これも重要な事であって各党がどの様な事を主張し訴えているのかなどをしっかりと意識していなければならないんじゃないか。

 
09年以前の様に政権与党がどの様な政策を行おうと、単純に野党が批判を繰り返すような事が発生すれば、日本の国会は全く存在価値のない物となってしまう。
政権与党が法案提出した時に野党がそれをどの様に判断し姿勢と行動を見せるのか。それに対し政権与党はどの様に応じるのか。
また、野党などより議員法案が提出された時に政権与党はどの様に応じるのか。
 
明日には選挙の投開票が行われる日となっているが、有権者の責任を持ってしっかりと行かなければならないだろうし、その後も一部の政治家の声やマスコミの報道に踊らされる事なくしっかりと政治を見ていなかければならない。

主権者である国民の政治に対する責任を無視する様な事など行ってはならない。
 
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