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昨年12月に、大阪市の公立校のバスケ部部員が体罰を理由に自殺したとする事が発覚し、体罰が悪だと世論される様になっている。単なる暴力だと。
それを主張するかの様に過去、現在の運動部顧問が新聞の取材に答えていたようだが。
 
また一般の庶民も体罰は絶対にあってはならないとする主張をする者が大半を占める様になっていなかったろうか。これが切っ掛けとなり、女子柔道日本代表選手などから体罰を受けていたとして代表監督の退任もあったりしたが。
 
日本高野連は98年から5年毎に「高校実態調査」を行っているらしいが、今年の4月に硬式野球部に行い、初めて体罰も加えたアンケートを行ったらしい。回答率は100%の様で、監督や部長などはアンケートに答えていたのだろう。
その中で、体罰を必要とする意見が1割近くあった様で、高野連にとっては予想外だったのだろうか、何やら混乱している様だが。
 
昨年12月に大阪公立校のバスケ部で顧問の体罰が原因で自殺した者がいると報じられた時には、体罰は暴力だ、学校教育法第11条では禁じられている。顧問の行った事は違法行為だと、非難の嵐が巻き上がった。
対して、バスケ部OBや現役部員などは顧問を擁護する様に行動を行っていたようだが。これらの者に対しても、激しい非難が行われていたのではなかっただろうか。
大阪府警は暴行容疑があったとして大阪地検への書類送検を行っているが、大阪地検は刑事訴訟を行ってはいない筈だ。
大阪府警は暴行容疑の可能性はあると判断したのだろうが、大阪地検はそれを認める事はなかったのだろうな。
 
そして、バスケ部顧問への批判の元となったのは学校教育法第11条「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」だ。
この中に記されてある体罰を加える事はできないを取り上げ、違法行為を行ったと激しく非難していたのではなかっただろうか。
 
だが、11条には確かに「体罰は加えることはできない」とあるが、と同時に「児童、生徒及び学生に懲戒を加えることができる」とある。
 
懲戒とは何か、いつも通りコトバンクなどで検索すれば「不正または不当な行為に対して制裁を加えるなどして、こらしめること。」と書かれてある。
また、文科省も体罰と懲戒の違いを示しているが、体罰は肉体的苦痛を与える行為であり、懲戒は肉体的苦痛を与えるものでない限り、通常、懲戒権の範囲内と定められている。
 
また、部活動指導に関しても定められており、「他方、運動部活動においては、生徒の技術力・身体的能力、又は精神力の向上を図ることを目的として、肉体的、精神的負荷を伴う指導が行われるが、これらは心身の健全な発達を促すとともに、活動を通じて達成感や、仲間との連帯感を育むものである。
ただし、その指導は学校、部活動顧問、生徒、保護者の相互理解の下、年齢、技能の習熟度や健康状態、場所的・時間的環境等を総合的に考えて、適切に実施しなければならない。」とされている。
 
体罰は肉体的苦痛であり、懲戒はそれ以外というのは、余りにも単純な表現では無いのかと思えてしまうのだが。
更に、肉体的苦痛を体罰としていながら、部活動指導においては肉体的負荷を伴う指導が認められている。部員に限度を超える負荷を加える事となれば、肉体的苦痛となるのではないだろうか。
 
文科省は体罰を肉体的苦痛を与える事としているが、部活動指導においては肉体的苦痛も認めているのではないのだろうか。
 
文科省は部活動指導では、学校教育法第11条で禁じられている体罰とされる肉体的苦痛を認めているのではないのか。文科省の定める事に、何やら矛盾を感じさせられてしまう。
 
指導の目的を、まず「成績や結果を残すことのみに固執せず、教育活動として逸脱することなく適切に実施されなければならない。」とし、「心身の健全な発達を促すとともに、活動を通じて達成感や、仲間との連帯感を育むものである」としているが、「生徒の技術力・身体的能力、又は精神力の向上を図ることを目的として、肉体的、精神的負荷を伴う指導が行われる」とされている。
 
だが、運動部であれ文化部であろうと自分の好む部を選択した生徒達の共通した意識は、活躍したい、ではないだろうか。部の主力に選択され、大会に出場し少しでも良い成績を残したい、トップになりたい。
肉体的・精神的負荷とは部活動の技術の向上と知識の把握となるかと思うのだが、それを部員がしっかり行うには肉体的にも精神的にも、厳しい指導が必要となるだろう。
だがそういったトレーニングに応じようとしなければ、更に厳しい指導が必要となるのではないのだろうか。
 
罵声や、平手打ちなど行う事により他の者と同じトレーニングに応じる事を注意しなければならないだろう。そして、そういった指導に部員は応じられないと判断すれば、その部を去ればいい。
 
もしも一人の部員のみが指導者や他部員の意思とは異なるトレーニングを要求し、それに応じるならば、他の部員達の心身の健全な発達に悪影響を及ぼす可能性は高い。
何よりも、運動部であれ文化部であろうと自分の好む部を選択した生徒達の共通した意識は、その部活動で活躍したい事に間違いは無い。
 
部の主力に選択され、大会に出場し少しでも良い成績を残したい、トップになりたい思いを強く持っている筈だ。それを成し遂げる事が、文科省が定めている達成感を得る為の行動ではないのか。
故に、文科省の定める達成感を得る為には、どれだけ厳しい肉体的・精神的指導を行われようと、更には体罰と称される行為をされようとも指導されるトレーニングをしっかりと行っていない事への罰と認識すれば、不快では無く反省の意を強く持つのではないだろうか。
 
全国の高校野球部には甲子園の常連校もあれば、地方大会で敗れる事が常連となっている野球部もあるだろう。
だが、地方大会で敗れる事が常連となっている高校野球部に参加しても、部員達が目的としているのは甲子園出場である事は間違い無いと思えるが。
 
その為には、どれだけ厳しいトレーニングを強いられようとも、しっかりとこなし、より高い技術を獲得し他の部員と共に、より強いチームを作り上げたい。
これは、部員だけでは無い、監督やマネージャなど部活に関わる全ての者が同じ意識を持っているのでは無いだろうか。
だが、目的に向かおうとしている連帯感を崩す者が現れれば、監督からより厳しい指導が必然とされるだろうし、他の部員からも怒りの声が出るのかもしれない。
 
文科省が体罰と定めるのは肉体的苦痛と定められるが、精神的苦痛となされてはいない。また、学校教育法第11条では体罰は禁じられているが、教員による懲戒は認められている。運動部活で強いられる肉体的トレーニングは肉体的苦痛となっている可能性は高い。
 
だが、これら肉体的トレーニングなどを体罰を判断する者などいないだろう。
逆に精神的指導に当たるだろう、指導に沿った罵声やトレーニングとは異なる肉体的苦痛は果たして体罰と言い切れるのだろうか。
 
単に独自の感情、或いは単なる鬱憤ばらしの為に苦痛を与えているのであれば暴行行為と判断される事は当然の事だろうが。
 
高野連のアンケートに対し、1割余りの監督達が体罰は必要と答えた。自分の立場ばかりを意識した事では無く、部員達の思いも意識した正直な答えではないだろうか。
 
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