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前原国交相は八ツ場ダムの事もめぐり、一応地元の方との意見交換に向かったらしいのだが、大臣にそんな意思なんて本当にあるんだろうか。
政策変更を国交相が陳謝 八ツ場ダム、中止撤回せず
http://www.47news.jp/CN/200909/CN2009092301000201.html
前原誠司国土交通相は23日、群馬県長野原町の八ツ場ダム予定地を視察、地元知事らとの意見交換会で、建設中止を表明したことに「政策変更で住民にご苦労、大きな心労、迷惑をかけていることを担当大臣としておわび申し上げる」と陳謝した。ただ中止方針は「白紙に戻すことは考えていない」として、撤回しない考えを強調した。
また記者会見で前原氏は、現在進む住民の移転先などの整備は継続するとした上で、「ダムに頼らない地域再生については、新しい法律を作った上で財政措置を講じていく」と発言。ダム中止後は必要に応じ、新法で住民の生活再建事業費を増額する考えを表明した。
ダム完成を前提に、東京や群馬など1都4県に対し水道用水などのため暫定的に認めている利根川からの取水は「中止したとしても今まで通り確保したい」と述べた。
視察では住民との意見交換会も予定されていたが、「中止が前提ではテーブルに着けない」として住民側が参加を拒否した。これに対し前原氏は会見で「できる限りさまざまな形でアプローチし、住民と対話できるようにしたい」と述べた。
知事らとの意見交換会には、大沢正明群馬県知事や高山欣也長野原町長、茂木伸一東吾妻町長らが参加。高山町長は「マニフェスト(政権公約)にあるからやめるというが、公約に掲げることを了承したわけではない」、茂木町長は「住民が先祖伝来の田畑や家屋を手放したのは『流域の治水、利水のため』という大義があったからだ。住民の気持ちをこのままにできない」とし、建設継続を訴えた。
大沢知事は、中止方針を白紙に戻し地元や関係者との協議の場をつくることを提案した。
(共同通信2009/09/23)
地元の人々は「白紙に戻して」の意見交換を求めているが、大臣は「中止を決定」して意見交換という場に地元住民の人々と向かい合い、強引に納得させようとしているのでは。
国と住民などとの間で用地補償に関する締結がなされてから、同じ年より建設省による用地補償に関する調査が始まり、95年11月20日に八ッ場ダム工事事務所との間で「八ッ場ダム建設事業に関わる締結」、「用地補償に関する締結」が行なわれている。
そして、同月に締結された物は、閣議により決定されているのだ。この時は村山内閣であり、与党は社会党、新党さきがけ、自民党により構成されていた。
新党さきがけには、現在の鳩山総理や前原国交相も加わっていた筈であり、地元の人は22日に公明党の山口代表が訪れた時にその事を発言していたのではなかったか。
過去に工事着工を認めていた者達が、政党が変っただけで考え方までガラッと変ってしまうのかと。
だが、地元の人々は昨年の夏の頃から現在の政府を信じていなかったのではないだろうか。
民主マニフェストに「八ッ場」再登場なぜ?
http://www.yomiuri.co.jp/feature/20090916-896412/news/20090922-OYT1T00084.htm
民主党がマニフェスト(政権公約)で建設中止を掲げた八ッ場(やんば)ダム。2005年のマニフェストに「ムダな公共事業」の代表として登場したが、07年のマニフェストではいったん消え、今回の衆院選で復活していた。
前原国土交通相は23日の現地視察を前に、地元の理解を得るまで中止の手続きを進めないと配慮を見せたが、中止の方針は変えていない。八ッ場ダム中止は、なぜ民主党の目玉政策となったのか。その舞台裏を検証した。
昨年8月18日。当時、民主党幹事長だった鳩山首相は同党の国会議員約15人と群馬県長野原町のダム予定地を視察した際、水没する地元・川原湯温泉の「やまきぼし旅館」で昼食を取った。この時、同旅館を経営する樋田省三さん(45)は、地元住民の代表とともに鳩山首相らと話をしたが、「何を言っても『止める』の一点張りという印象。全く聞く耳を持たない感じだった」と振り返る。
昼食後、鳩山首相はダムを視察し、記者会見で「福田首相のおひざ元で無駄な事業が行われていることは看過できない。次期衆院選のマニフェストにも盛り込む」と正式に表明した。
八ッ場ダムが同党のマニフェストに初めて登場したのは、前回衆院選前の05年8月。川辺川ダム(熊本県)などと並んで、「すみやかにストップする事業」として明記された。
03年に国交省が総事業費を2110億円から4600億円に倍増させる方針を発表。04年には市民団体が、1都5県で自治体の負担金支出の差し止め訴訟を相次いで起こしたことを受け、「象徴的なムダな公共事業という意見が党内で上がった」(民主党職員)のがきっかけだったという。
党内に発足した八ッ場ダム検証プロジェクトチームは現地視察の結果、「工業用水や農業用水などの需要が減り、治水面でも代替手段が考えられる」と判断し、建設中止をマニフェストに掲げた。当時、この議論にかかわった同党の佐藤謙一郎・元衆院議員は「地元議会の合意は得られていなかったが、半ば強引に押し込んだ」と打ち明ける。
ところが、07年7月の参院選前のマニフェストからは、八ッ場ダムの文字が消えた。理由について、佐藤元議員は「私を含め、この問題に取り組んでいた議員が、05年衆院選で軒並み落選したためだろう」と話した。
一方、この参院選で、八ッ場ダム問題に熱心だった候補者らが当選すると、この問題が再び党内で活発に議論され始めた。鳩山首相も07年以降、超党派の議員で作る「公共事業チェック議員の会」の会長を務め、ムダな公共事業に対する関心を高めていた。こうした流れが、鳩山首相による昨年8月のマニフェストへの“復活宣言”に結びついたとみられる。
川原湯温泉旅館組合長の豊田明美さん(44)は「マニフェストに載せたり載せなかったりしたのは、中止について真剣に考えていないとしか思えない。今回も選挙戦略でぽんと載せただけという印象。なぜ住民の意見を聞かずに決めたのか、マニフェスト策定のプロセスを明らかにすべきではないか」と話している。
(読売新聞2009/09/22)
可笑しいとしか思えない。4年前の衆議院選挙で「ムダな公共事業」と訴えておきながら、2年前の参議院選挙では消している。なのに、何故だか今年のマニフェストに盛り込んでいる。
4年前に、本当に「全く意味が無い公共事業」と思い取り上げいたのであれば、2年前にも訴えていて当たり前だろうと思うのだが、何故だか消していた。
そして、今年の衆議院選挙でまた復活させて、マニフェストに盛り込んでいるというだけで、その理由はただ必要無いというだけで、実際の詳しい説明など一切行なわず、ただ「中止する」と一方的に言っている。
もしも地元の人の発言の様に、ただ選挙の為だけに4年前より、この地域を利用していたとしたならば、民主党は最低の政党としか言い様がない。