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2007年に誕生した安倍内閣。ただ、当時の総裁選で自分を指示した議員を重視して閣僚に選択したという事で「お友達内閣」などとマスコミにからかわれた事があった。
ハッキリ行って馬鹿馬鹿しい事なんじゃなかったのかな。近い者であろうが無かろうが、指定された閣僚としての役目をしっかり果たす能力ある者を選択しているのなら、何も揶揄の必要など無い筈だし、近い者を選んだというだけで批判する必要も無い。
ただ単に安倍内閣の揚げ足を取ろうとしていたに過ぎない。

自民が政権を受け持っていた時のマスコミの性分が、安倍が総裁に返り咲いた事から早速表れているのだろうか。
26日の総裁選で安倍晋三が総裁選での決選投票で逆転勝ちした事に、地域の党員票を無視した行為とする報道が活発に行われている様にも思われるのだが。

それに踊らされてか、本当にその様に思っているのか分らないが、自分達の意見が無視されたと批判を連ねる自民党県連なども出現しているみたい。だが、自民の総裁選は基本的に党員票と国会議員表により決定される事となっているらしいんだが、立候補者で誰もが過半数を獲得できなかった場合には、その場で国会議員票のみで決定されるとされている。
この様な事は、地域の党員だけでは無い。マスコミなどもしっかりと把握していた筈。

だから、決選投票となった時には逆転の可能性は十分にあると執拗に報じられていた。故に、地域の党員の人々も、現在の総裁選の仕組みでは党員票では石破が大きくリードされるとされていたが、決選投票となれば安倍などの逆転は十分にある事は認識していた筈。
その結果が出てから、色々といちゃもんを付ける様な発言を行うのは如何なものだろう。

実際に党員の人々がどれだけ批判を行っているのか分らない。だがマスコミは党員が自分達の意見が無視された強く訴え、今回の総裁選を批判していると活発に報じていないだろうか。
かといって、報じられている事が全て事実なのか否か把握する事などは不可能。鵜呑みにさせられる人々が多く出てしまうのかもしれない。
故に、09年の政権交代前の自民への意識が復活してくるのかもしれない。

実際に今回の総裁選の結果に疑念を持つ者があるなら、総裁選が行われる以前より、現在の仕組みは可笑しいのではないかと活発に発言をし、ルール変更を行う活動など積極的に行わなければならないのではなかったのだろうか。
過去の総裁選でも逆転勝利といった事が実際にあったのだから。なのに、結果が出た後から自分達の票が無視されていると批判を浴びせる事は的が外れているのではないかと思えるのだが。

と同時に、安部総裁が誕生した事も批判しているのではないか。安倍晋三に投票した党員も多くいる筈で、安倍が総裁となった事を批判しているのであれば、安倍に投票した党員達も批判されている事になるのではないか。
自分には合点がいかない。

マスコミは党員票が無視されたのではないかと報じていると同時に「お友達内閣」をまた行うのではないかとも報じていないだろうか。
また、総裁選の当日には高級ホテルで3500円のカツカレーを食べていた事から、庶民の状況が分っていないのでは無いかなどといった事も報じられているらしい。何だか麻生内閣に対するマスコミの激しい批判報道を思い出されてしまう。

また、今回の総裁選に立候補した議員達は全員が世襲議員だったと批判もされている様だ。

因みにダイヤモンドオンラインで上杉隆が3年前の衆議院総選挙で自民は世襲禁止を決めた政党だったのに、今回の立候補者が全員世襲議員だったことを強く批判している。だが、自民はその後に世襲禁止なんて事は撤回されている。
何よりも、世襲だから立候補してはならないという事は、単に偏見しているだけじゃないのかな。

まず日本国憲法第44条では「両議院の議員及びその選挙人の資格は、法律でこれを定める。但し、人種、信条、性別、社会的身分、門地、教育、財産又は収入によつて差別してはならない。」とされている。
この中の門地とは家柄を示している。よって、世襲からも議員の資格を禁じてはならないとされているのではないか。

世襲された議員は、先代が作った選挙区での地盤を利用して当選した者を世襲議員とするらしいんだが、その様な者を利用せずに当選しようと先代が議員であれば先代が残した者を活用していなくても世襲議員とされているらしい。
よって、世襲議員というのは単に2代目3代目と引き継がれている議員達が世襲とされているのだろうか。

マスコミなどは世襲議員というだけで、その議員を批判する事が多いんじゃないだろうか。
だが実際に見なければならないのは、議員が世襲であろうが無かろうが、どの様な活動を行い実績を残しているかではないのか。
その様な事は無視をし、世襲した議員というだけで批判する事は非常に単純な事であり、故意に偏見視しているのではないかと思われる。

だから世襲議員には何も期待できない。そうでない者に期待が持てるんじゃないかといったイメージも湧いて来るようになるんじゃないだろうか。或いは、マスコミにより思い込まされてしまう。

世襲の者だろうと、政治家としての実績が無いと判断されれば、有権者からは目を避けられるのは当然だろうし、逆に実績のある信頼できる者であれば目を向けられる事になるんじゃないだろうか。これは世襲でない者にもいえる事だ。

また、同じ新人候補でも世襲であれば先代と同じ選挙区から立候補されるなら、地盤とされる先代からの後援会、看板とされる先代からの知名度、鞄とされる大きな選挙資金を持ち得ていて、他の新人候補よりも有利に選挙活動が行えるとされている。

だが、選挙活動に有利な立場にあるか否かなどで指示する立候補者を選択する事では無いだろう。
新人候補がどれだけの資質を持っているのか、必ず客観的に見なければならない。単にイメージで選択する人々もいるのかもしれないが、どの政党にあるのか、何をどの様に訴えているのか、そしてどの様な人物なのか。
単に知名度などで選択するのでは無く、実際にどのような人物なのか確実にチェックしなければならない。

世襲で無い新人候補にも言える事で、どれだけの地盤などによる資金を持つ者であろうが無かろうが、有権者の選択肢には全く関係など無い。
因みに、後援会などの選挙前の政治活動の影響を受け投票しようとするならば、常に政界の派閥を批判をしているが政界の派閥と同じ事を行う事になるんじゃないのか。

派閥を批判しているのであれば、世襲か否かに関わらず後援会がどの様な政治活動を行っていようとも、それらの活動を意識する事無く自らの吟味と判断で指示する候補を選択し投票しなければならない。
国会議員などを選択するのは、主権者である有権者なのだから。世襲であるか否かだけで野選択を行おうとする事は、有権者の責務を果たす事とは成らない。

ワイドショー番組である「とくダネ!」とやらが、安倍内閣で突然に退陣した理由を一つの話題とされている安倍の持病であった「潰瘍性大腸炎」が原因として投げ出し退陣したと放送していたらしい。
中身は良く分らないが、だが実際に退陣の心理へと追い込んで行ったのはマスコミではなかったのか。

ほんの一寸した事があろうと大きく取り上げ、常に批判を繰り返し、ストレスを増加して行き自分の内閣では背策の実行は難しいとして対人へ追い込んでいたので行っていたんじゃなかったろうか。

安倍自身が総理辞任の理由をWekipediaでは「テロ特措法の再延長について議論するため民主党の小沢代表との党首会談を打診したが、事実上断られ、このまま自身が首相を続けるより新たな首相のもとで進めた方が良い局面になると判断した」と書かれているし、持病とされていた「潰瘍性大腸炎」に関しても明らかとされたのは昨年の「週刊現代の」のインタビューで自ら明かした事らしい。

辞任を表明した時には持病を原因とする様な事などは何も語っていなかったろうし、マスコミも殆ど報じてはいなかったらしい。

何故、今頃になって総理辞任の原因が「潰瘍性大腸炎」だったんだと決め付けているのだろうか。

当時の安倍内閣を評価する様に報じていたらしい唯一の産経新聞が、「挫折経験を胸に、茨の道に切り込む新総裁」に面白い記事を書いている。「 安倍氏の在任中、メディアは『消えた年金問題』や『政治家の事務所費問題』について大々的に報じて責任を追及した。ところが、安倍氏が退陣すると、新たに同様の問題が発覚してもほとんど取り上げられなくなったのは記憶に新しい。」だと。

その後の福田、麻生内閣に対するワイドショー番組なども含めたマスコミの動向が示されているのではないのかな。

「お友達内閣」は当時の安部内閣に悪評をもたらす為に作られた名称ではないかとも思われるが。自分には意味の分らない言葉。
国会議員に務める者達は全員に言えるか否かは分らないけれど、社会・経済など全体を曖昧に理解しようとするのでは無く、特定の分野を絞り追求していこうとする者が多いのではないだろうか。

故に、外務や財務、法務、通商や金融、軍事や第一次産業などそれぞれの分野に長けている議員が多く存在しているのではないかと思われるが。内閣は、政権が訴える政策を一体となって実行する為の組閣を図らなければならない。

その為には、それぞれの分野に長けた議員からしっかりとした選択を行い、内閣に据えなければならない。
だが、マスコミや世間の目を強く意識し、政策の為の内閣では無く「お友達内閣」などと悪評されない為の内閣構成を図ろうとするのであれば、重要な政策を無視した組閣がされる事となってしまう。

その様な事をすれば、現在の民主党政権となんら変わりの無い政権交代となってしまう。

すでに、自民の執行部人事構成で安倍内閣で閣僚を務めていた者が何人も選択されているなどと報じられているが、ハッキリ言って安倍内閣の閣僚だったか否かなどどうでもいい事で、執行部に内定された者達がその役割をしっかりと果たす事ができるか否かが大事ではないのだろうか。

自分としては、民主などの執行部よりも遥かにレベルの高い構成がされているのではないかと勝手にイメージしているが。

また、自分としては石破を支持していたんだが決戦投票で敗れてしまった事は間違いない。だが幹事長となった石破。
自民党の為では無い、後に誕生するだろう安倍内閣を援助し国の為、国民の為にしっかりと活動をしてもらいたい。これは自民党議員だけでは無く、全ての国会議員に求めたい事なんだが。

野党議員の意識が染み込んでしまっている国会議員達は単純に政権与党を攻撃すればいいとしか意識していないのかもしれない。
本当に国の事を重視した活動を目指すなら、その様な下らない意識など拭いきって貰いたいと思うのだが。
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8月10日に韓国の李明博が竹島上陸した事から日韓間で竹島問題が激しく論じられる事となったのだが、この事に関し8月21日の毎日新聞電子版に橋下の発言が載せられている。
「橋下市長は『韓国の言い分を全部否定しているわけではない』と前置きし、『証拠があったというのであれば韓国の皆さんに出してもらいたい』と述べた。」と。

8月21日の橋下の発言に発言に反応して元慰安婦の女性は来日していたんだろうな。自分の持つ主張を橋下に訴えようと。その為に今月の何時頃かはハッキリ分らないが。
そして複数にわたり市役所を通じ橋下へのアポイメントを行っていた。だが、秘書課に拒絶されていたらしい。橋下は公務多忙により面会は不可としていたのだろう。

しかし朝日新聞の阿久沢悦子さんのツイッターには「1週間前からアポいれしようとしていたのに、公務多忙で時間がないと秘書課が断っていた。なのに、同じ時間にツイッターとはねえ。」と書かれている。
この女性は来日する1週間前から橋下へアポイメントを行っていたらしいが、公務多忙が理由では無く、単に下部を利用し拒絶していたに過ぎないのではないか。

橋下は証拠があるなら自分に訴える事を主張していた筈だ。自分の主張に答えるものが現れれば、その人物への対応は重視しなければならなかったのではないか。だが、この時点で橋下には訴えを聞き入れる意識など全く無かったのだろうな。

故に、元慰安婦とする女性から複数にわたり市役所を通じて橋下へのアポが行われようと応じようとはせず、拒絶されたのだろう。
しかし、秘書課によりこの女性の存在が橋下に伝わっていた可能性は十分にあると判断していいのではないだろうか。故に、女性は24日に大阪市役所を訪れていたらしいが、橋下は休日日だから応じる事は出来なかったとしている。

ならば公務が一気に減少するだろう土日。役所は一応休日とされている曜日。といって必ず休日としなければならない曜日では無いのではないのだろうか。
土日であろうと、公務を実行している首長が多く存在している事は間違いの無い事だろうから。

と同時に、女性は拒絶を繰り返す秘書課に対し自ら市役所を何時に訪れるかも伝えていたのかもしれない。

本当に橋下に面会の意思があったのなら、曜日に拘る事無く女性の要望に応じなければならなかったのではないのだろうか。だが、その様な姿勢など橋下は一切見せてはいなかった。
しかし、韓国の人々に慰安婦問題に関し証拠があるなら出してもらいたいと発言していた筈だ。
女性が訴え様としていた事が何だったのかは分らない。だが、強制的でなかった事は間違いないが日本統治時代の朝鮮半島では日本軍管理下にあった主に朝鮮人などによる慰安所へ勤務を求めていた女性が多かったのではないか。

自分の経験を証拠とし、当時の日本を批判的に発言しようとしていたのかもしれない。その為に、24日にも大阪市役所を訪問していたのではないだろうか。
橋下は自ら訴えてくる事を望んでいた筈だし、それを受け入れる姿勢である事も主張していたのではなかったのか。
橋下の発言を信じるからこそ、元慰安婦らしい韓国の女性は橋下への面会を強く要望していたのではなかったのだろうか。

だが、橋下は「証拠があったというのであれば韓国の皆さんに出してもらいたい」と発言しておきながら、それらの女性と接する事を完全に無視していたのだろう。その理由は分らない。
女性が訪れた日に面会に応じなかった事を阿久沢悦子さんはツイッター「金福童ハルモニが大阪市役所を訪問。市長に生き証人として、伝えたい事があると。86歳がわざわざ韓国から来たのに、橋下市長は同時刻に自宅でツイッター三昧。記者を外れるけど、人間としての怒りが抑えられません。ふざけんな。出て来い!」と激しく批判している。

記者では無く、橋下の対応に対し一人の個人として感情的となる文言を書き込んでいたのだろう。

この阿久沢悦子さんのツイッターに書かれた事に橋下は過敏に反応し、ツイッターで激しく反論を行っている。
「面会申し入れがあっても、全てに対応できるわけではない。秘書課も組織対応する。朝日新聞の社長は、面会申し入れがあれば全てに対応しているというのだろうか?まず社会人としての常識がない。休日に僕が自宅でツイッターをやろうがそれは自由だろ。」などと。
だが面会は1週間も前から求められていたのではないだろうか。公務多忙であるとして秘書課などがアポを行う事を拒絶していた様だが。しかし、女性の存在は伝えられていたのではないかと思われてならないのだが。

上司との接触を訴える者がおり、それを拒絶した事を上司にそれらに関し何も伝えないなどといった事は許される事では無いだろう。
故に、橋下は元慰安婦とする女性が自分にアポを行っていた事などはその時点より知っていたのではないかと思われてならない。
8月の発言の様に「証拠があったというのであれば韓国の皆さんに出してもらいたい」という意識を強く持っていたのであれば、アポがされていた事を知った時点で、その人物との接触を行う為の時間を作らなければならなかったのではないか。

公務時間帯であろうと休日日であろうと。本当に応じなければならないとする意思を強く持っていたのなら、その為の時間を設けるための作業はしっかりと行われていたのではないか。
そうでなければ、8月の発言は全くの詭弁となってしまう。

だが、その様な行動など一切行っていなかった事は間違い無いだろう。橋下は面会に応じる事には非常に消極的だったかもしれないし、どころか全く応じる意思など無かったのかもしれない。

また橋下は次の事もツイッターに書いている「阿久沢記者にとっては、元慰安婦の金さんは僕が絶対に会うべき人物なのだろうが、この人に会うべきだという提案は、たくさん頂いている。阿久沢記者が会えという人に僕が絶対に会わないといけないということか。それは偉そうすぎるだろ。」と。
ここで気になるのが、「この人に会うべきだという提案は、たくさん頂いている」と書いている事だ。

これは、秘書課がアポの拒絶を行っていたかもしれないが、橋下はこの人物の存在を把握していた事を自らあからさまにしているのではないのか。
更に元慰安婦の存在と要求を把握していたにも拘らず、面会する意識など持ち得ていなかった事を示しているのではないか。

そして、「阿久沢記者が会えという人に僕が絶対に会わなければならないという事か。それは偉そうすぎるだろう」としているが、阿久沢悦子さんのツイッター「金福童ハルモニが大阪市役所を訪問。市長に生き証人として、伝えたい事があると。86歳がわざわざ韓国から来たのに、橋下市長は同時刻に自宅でツイッター三昧。記者を外れるけど、人間としての怒りが抑えられません。ふざけんな。出て来い! 」と書いている。

乱暴な表現がされているのかもしれないが、橋下への面会を強く求め自らの主張を訴えようとしていたのに、一切応じ様とはしなかった。この橋下の姿勢を激しく批判していていると思えるのだが。

橋下のツイッターに書かれている事は幼稚な逃げ口上に思えてならない。「慰安婦の方の意見にもしっかり耳を傾けないといけない」も単なる綺麗事で、実際にはその様な意思など有り得なかったのだろうから。

そして25日の午前中の会見では、「(24日は)休日でお会いできなかった。慰安婦の方の意見にもしっかり耳を傾けないといけない」と発言しているらしい。
だが女性は橋下に真剣に聞こうという意思など無いのだろう、謝罪の意思も無いのだろう、謝罪といっても決して慰安婦問題に関してだけでは無くそれまでの橋下自身の行為に関して。

そして形骸的な、単なる見せ掛けの面会を行おうとしていたのではないのか。
韓国の元慰安婦は25日の午後に帰国する事を予定としていた様だ。このような事も橋下はしっかりと把握していたのではなかったのか。
そして面会の意思が薄らいでしまっているといった事も。

その様な事から橋下との面会への意思がかなり薄らいでしまっったのだろう。その様な時となって「慰安婦の意見にもしっかり耳を傾けなければならない」などと発言しようと、全く意味が無いんじゃないかなと思えてならない。
「慰安婦の方の意見にもしっかり耳を傾けないといけない」と突然に発言したとしても、橋下と面会する事に何も意味が無いだろうと意識していた女性が即座に面会を要求するなどといった可能性は、極めて小さいだろうと認識していただろうから。

来日していた女性が帰国を予定していた日に面会の意思を示す発言をしても、女性は応じ様とはしないだろうと。
今回の女性への対応を見た元慰安婦の女性達は、もう橋下への接触を望む者など存在しなくなっているのではないのだろうか。

どこまでも見事な二枚舌だ。これまでにも、何度もこの二枚舌を活発に活用しているのではないかとも思えてならないが。


橋下という者はどこまでも呆れまくった奴なんだな。大阪府知事の時には当時の既成政党であった自民などを活発に批判し、民主を擁護する発言を行っていたんじゃなかったろうか。
だが、民主の評判が悪くなってくると、逆に民主政権を活発に批判する様になっていた筈だ。

だから府知事時代、大阪市長となってからも民主政権を強烈に批判し、相反する発言を行っていたんじゃないか。自分達は既成政党とは異なる住民の立場に立った行政を行っていると訴えていたと思えるが。
その為により激しく民主政権を批判し、自分達の主張と行動の正当性を訴えようとしていたのではないだろうか。

だが、橋下が知事時代には大阪府の行政を改善したとされるが、逆に悪化してしまった事は紛れも無い事実の筈。行政改善を行うかの様に見せかける為に、活発に多大な借金を行い、大きな債務を残し知事を辞職している。

そして、大阪市長に立候補した時にどういった事を訴えていたのだろうか。大阪市民へのサービスをより活発化させていくなどとも訴えていなかったろうか。
だが、市長となってからは住民の生活などは一切無視していると思われるのだが。住民生活にとって大事だろう行政サービスはどんどんと削除して行き、行政の歳出を抑える事ばかりに主眼を置いている。

大阪市の住民の生活の改善などでは無く、大阪市行政の改善ばかりに目を向けようとしているのではないのだろうか。

そんな橋下が、現在の自分の人気を活用し国政進出を狙っているのだろう。橋下は市長を辞める気は無いとしながら、政党党首も兼務するとしている。
国政政党党首の仕事は自分のプライベートな時間などに出来るなどと、非常に軽はずみな事を発言している。
国政政党党首であれば、国会へも積極的に出向かなければならないのではないだろうか。市長としての仕事も業務時間内にはめいっぱいのスケジュールが組まれているのではないかと思われるが。

その様な公務の仕事を行いながら、国政政党党首としての職務を果たしてどこまで実行する事が出来るのだろう。
市長という職だけでは無く、国政政党党首の職務も非常にいい加減に考えていると思えてならないのだが。

今年中には衆議院の解散総選挙が行われるだろうと推測する評論家が多い。その中から日本維新の会からも多くの当選者が出るだろうと予測はされている。
と同時に、民主党が多くの議席数を失う事は間違い無いとされている。

橋下は民主が議席数を大きく失う事となろうと、自分の政党が多くの議席数を得る事ができれば衆議院では民主との結合により過半数の議席を得る事が出来るのではないか、と推測しているのかもしれない。
橋下の狙っている所は、国会でも大きな権力を握りたいと欲望を持っているだけだろう。

だからこそ、読売新聞の電子版に橋下の発言が載せられているが「(維新と)違う政策には意見を言っていくが、3年前の政権交代で多くの国民から支持を受けた政権であり、何でも反対の姿勢は取らない」と発言しているのだろう。非常に滑稽な発言に思えてならない。

衆議院の解散総選挙が行われる可能性が高まるまでは、野田内閣やそれ以前の内閣を常に批判していた。民主政権を批判しまくっていた。
何も出来ない政権、国政を悪化させていっているなどと。

政権交代前には、マスコミや野党だけでは無い、橋下の政権への批判と同時に民主の擁護などにより、ただ政権を奪いたいと企んでいただろう民主へ国民の目を集中させる様になってしまっていた。
確かに政権交代前にはマスコミだけでは無い橋下の擁護などもあり、大きな信頼を得るようになっていたのかもしれない。
だが、民主政権となってからの日本状況はどうなってしまったのだろうか。改善されるのでは無く、どんどんと悪化させられているのではないかと思えるが。

3年前にどの様な支持を受けていたかなど現在の状況では一切意味の無い事だ。3年前では無く、現在の民主がどの様に意識されているかが大きな問題なのでは無いのか。
政権交代前には民主を擁護しまくり、交代後には批判を活発に行う様になっていた。そして、今になって何故だか民主政権を擁護するかの様な発言を行っている。

政治の思想に強い芯を持ち得ているとは全く思えない非常にいい加減なタレント政治家である橋下をマスコミや大阪の人々はどのように意識しているのかは知らない。
市長選では住民生活を改善するといった事を訴えていたのではないかと思われるが、市長になればそれとは異なる事を平気で行っている。嘘の訴えも平気で行ってしまっている事となる。これほどまでに信用できない者がいたのだろうか。
こんな輩に国政に進出してもらいたいなどとは一切思えないし、もしも国政進出をし権力を握らせる事となれば、日本の経済や社会は壊滅へと向かう事となるのではないか。

民主は橋下の発言をどの様に捉えているのか知らないが、日本維新の会がどれだけの当選者を出そうともどの政党もこの様な政党と結合しようなどとは一切思ってはもらいたくは無いし、行動してもらいたくは無い。

絶対に御免だ。


自分はイザにもブログを書いていたんだが、ある事をきっかけとして書こうとする意識は全く薄れ、今は時々かなり気が向いた時にだけイザにもブログを書いているんだけど、今年の4月に石原が突然に尖閣諸島を購入すると発言した時に、それに対する自分の思う事をそのまま書いた事がある。
それに対し書く意識を薄れさせられるきっかけとなったコメントがあった。

最初は適当に交わそうと思ってたんだが、しつこく書いてくる。しかも不理解な事まで書いてくる。その事に答えてくれと求めたが、無視され一方的に書いてくる。

この人物が今日は高知新聞の記事を取り上げ、自由に思うがままに書いていた。だから自分も自由に書こうと思い、イザにはすでに投降しているが、だけでなく他のブログにも投降しようと決断したんだが。
以下はイザに投降した事と同じ内容。

高知新聞が昨日の朝刊の「小社会」という部分に、現在の尖閣諸島をめぐる両国の若者の感情を危惧する事が書かれているのではないかと思われるが、読む者により意見は異なる。

因みにダブルシンクとはWekipediaによれば「相反し合う二つの意見を同時に持ち、それが矛盾し合うのを承知しながら双方ともに信奉すること」という事らしい。
下記に引用する小社会がどの様に「相反し合う二つの意見」となっているのだろうか。

昨日の長官の「小社会」に書かれていた内容は、

-引用ー

短文投稿サイトに「対日宣戦」という物騒な文字が躍る。激化した中国の反日デモを、きのうの朝刊が伝えていた。若い世代の口からいとも軽く出る「戦争」の2文字に気がふさぐ。

そんな折、「文芸春秋」10月号に載った、文芸ジャーナリスト佐久間文子さんの一文が目に留まった。題は「文豪たちが名教師だった頃」。夏目漱石や石川啄木らの教師時代とともに、大正期に横須賀の海軍機関学校で英語を教えた芥川龍之介に光を当てている。

ある時、講義を早めに切り上げた芥川教官が言った。「君たちは勝つことばかり教わって、敗(ま)けることを少しも教わらない。戦争は勝っても負けても同じで、多くの国民が悲惨な思いをする」。ついたあだ名が「敗戦教官」。

大学卒業後すぐに文壇デビューした芥川の、若々しく知性的な戦争観だ。生徒から「小説は人生にとって必要ですか」と質問された。すると間髪入れず、「小説と戦争とどっちが人生にとって必要です?」と聞き返した。

学校には芥川のような文官と、武官の教官がいた。ある教え子は、「重い漬物石のような武官教官の中にピンポン玉のように軽くはねかえる若い教官を迎えたうれしさ」を書き記している。

日本のネット上にも好戦的な言葉や、相手に対する聞くに堪えない誹謗(ひぼう)中傷があふれている。ささくれだった若い世代の心は、未来を危うくする。海を隔てた双方に芥川教官は出ないものか。
(高知新聞2012/09/20)

-引用-


戦前の日本は帝国主義とされていたが、同時に軍国主義ではなかったのだろうか。だが戦前の日本は民主主義だったと主張する者も多く存在している。

しかし、第一次内閣より軍部の者が閣僚に多く含まれていた事は間違いは無い。明治初頭より、軍部が確実な権力を得ていた事は間違いないのではないのだろうか。
現在の中国は共産党一党体制となっており、その中でも軍部が大きな権力を得ているのではないかと思われるが。

「小社会」で、目に留まったとされる文芸春秋の題が「文豪達が名教師だった頃」とされている。
漱石は東京帝国大学卒業後に松山や熊本で英語の教員を行っていたらしいし、啄木も東京で代用教員を行っていたらしい。

そして佐久間文子さんの書いた「文豪が名教師だった頃」では海軍機関学校で英語の教師を行っていた芥川龍之介に光が当てられた、とされている。

戦前に存在していた海軍機関学校、或いは陸軍士官学校では軍師となるべき教育、更には戦争の戦い方や勝つにはどうすべきかなどばかりを教えられていたのかもしれない。

この事を龍之介はどの様に意識していたのだろうか。龍之介は学生達に言った、というよりも問うたのではなかったかと思えるが、「君たちは勝つことばかり教わって、敗(ま)けることを少しも教わらない。戦争は勝っても負けても同じで、多くの国民が悲惨な思いをする」。

戦争を行っても勝った国は何らかの益を得る事となるかもしれない。だが、戦争を行うという事は多くの国民が犠牲とされてしまう。
徴兵された者達は戦場に送られる。そして多くの戦死者が発生する事となる。

佐久間文子さん氏が当時の海軍機関学校をどの様に書いていたのか「文芸春秋」は読んでいないので、自分には分らない。
ただ、龍之介の言葉に光を当てられていたという事は、戦争を行う事は国民にとって、世界にとって全く意味の無い事であったと訴えているのかもしれない。

また記事には龍之介の様な文官と武官が存在していたとし、学生達は両者を「重い漬物石のような武官教官の中にピンポン玉のように軽くはねかえる若い教官を迎えたうれしさ」と例えている。面白い表現をしているなと思えるが。

この記事は、最初の部分と終盤で「小社会」に表そうとしている事が書かれているではないか。
「激化した中国の反日デモを、きのうの朝刊が伝えていた。若い世代の口からいとも軽く出る『戦争』の2文字に気がふさぐ。」と、そして終盤に「日本のネット上にも好戦的な言葉や、相手に対する聞くに堪えない誹謗(ひぼう)中傷があふれている。ささくれだった若い世代の心は、未来を危うくする。」と。

そして最後に「海を隔てた双方に芥川教官は出ないものか。」と書かれてある。

日中の現代の若者達に戦争の体験などありはしないだろう。感情が舞い上がる戦争体験の無い若者達、またそれ以外の年代の者達も含め、舞い上がる感情がそれぞれに戦いを求める様になっているのかもしれない。こういった事に「気がふさぐ」と表されている。
両国にとって、これからの世代がこの様な意識を持つ事を憂鬱な現状と捉えていないだろうか。

故に龍之介の学生達への言葉、学生達の質問に対する質問が綴られているのではないのだろうか。

日中のこれからの世代が相手国に対し常に強い敵対心と激しい感情を高めていく様な事となれば、将来の日中間では非常に危険な状況へと発展するのかもしれない。
故に、中国だけでは無い、日本にも戦争、或いは争いが何も価値をもたらす事の無い行動だと訴える者が現れる事を望んでいるのではないのだろうか。

その為に「ささくれだった若い世代の心は、未来を危うくする。」と表しているのだろう。
そして「海を隔てた双方に芥川教官は出ないものか。」とは、両国のこれからの世代にただ感情を高ぶらせるだけでは無く冷静になってもらいたい。
石原都知事を発端とする尖閣諸島をネックとする日中間の激しい争いが2国の将来に何をもたらす事となるのか、感情的ではなく冷静に考える様にしなければならない。

だが、両国の国民の感情を高ぶらせ敵対心を強くさせていっているのは結局は両国の政府。現段階では「芥川教官」となる事など全く不可能だろうな。

果たして、これからの日中はどの様な関係となっていくのだろうか。


橋下が昨日に続き、今日も面白いというよりも馬鹿げた発言をしているな。

昨日は、産経新聞の電子版に載せられていたが、竹島や尖閣諸島問題により日韓・日中関係が厳しくなってきているが、これに関し「中国、韓国が何を怒っているのか、しっかり過去の戦争を総括すべきだ。恨みを持たれてもしょうがないこともある」と発言している。
どの戦争の統括をしろと言っているのか知らないが、日本は中国とは戦争を行っているのかもしれない。だが、韓国とは戦争など行っていないだろう。ただ、安土・桃山時代には秀吉が朝鮮半島へ兵を送った事はあったのかもしれないが。

そして昨日の橋下の発言から強く怒りを感じさせられたのが「日本人はアジアの歴史をあまりにも知らな過ぎる。今の日本の体たらくが、竹島、尖閣の問題に結び付いている」の発言。
橋下は日本人じゃないのか。朝鮮人、或いは中国の者だったのか。
アジアの歴史というよりも、日中・日韓に関する過去からの関わりを橋下自身がどれだけ把握しているのか。非常に疑問に思えてならないね。

ただ、政府を批判しようとして適当に喋っていたとしか思えない。その為には、同胞である筈の日本人も馬鹿にする発言を平気で行う事が出来る。どの様な神経をしているのか、全く理解できない。

そして昨日夜の発言だった様だが、日本維新の会の党規約に「企業・団体献金の受け取り禁止を明記する事を明らかとした」らしい。だが、「党や党所属議員がパーティー券を企業・団体に売ることは当面認める方針だ」という事らしいじゃないか。
要するに政治資金パーティーは許すという事だろう。これって矛盾してないだろうか。

政治資金パーティーは政治団体で行わなければならないらしい。政治団体といっても決して政党のみが行うことを許されている事では無く、政党内のグループによる開催も認められているんだろうな。
もしも維新の会にも複数のグループが存在するなら、それらのグループで行うことが出来るのかもしれない。だが、その様な物は存在しないだろう。
維新の会で政治資金パーティーを行う事が出来るのは橋下に限られる事となるのではないのだろうか。だが橋下は企業・団体献金の受け取りを行ってはならないと党規約するとしている筈だ。

なのに、「パーティー券を企業・団体に売ることは当面認める方針だ」としているが、売るという事は買ってもらうという事だろう。
維新の会や党員が行う政治資金パーティーに参加する人々の限度などは一切定めていない。より多くの人々に参加してもらいたい、より多くの献金を行ってもらいたいとしているのだろう。

しかもだ、橋下は規約の中に企業・団体献金の禁止を明記したんだろう。
その橋下が、ツイッターに「政治資金パーティーなんですから、飲食代とパーティー券の差額は政治資金になります。献金と同じです。僕も外国人の知人に政治資金パーティーに来てもらっています。外国人だと認識しています。外国人からの献金がダメというなら、政治資金パーティもダメなんでしょうね。」などと書いている。
だが、弁護士でもある橋下であるなら政治資金規制法の事などしっかりと把握しているんじゃないのか。

政治資金規正法によれば二十二条の五により外国人からの寄付の禁止がされているらしい。
この程度の事など法に詳しいだろう橋下なら最初から理解しきっている事だったんじゃないのか。政治資金パーティーとやらに外国人が参加しても意味が無いのではないのか。
まして、外国人の参加は少ないんじゃないのか。どころか、やはり橋下と繋がりのある団体や企業などから多くの者が参加するんじゃないだろうか。それら多くの者にパーティー券が購入され、橋本に多くの献金がされる事となってしまう。

だがWikipediaでは、橋下は「外国人が券を購入することに禁止規定はない。政党・政治団体に入党・会員登録して党費・会費を納める事と同様である。橋下徹はこの点を利用して、相手が外国人だと意識した上で、パーティー券発売による政治資金調達を行っていることを公言している」ともされている。

政治資金規正法の第四条には「この法律において「収入」とは、金銭、物品その他の財産上の利益の収受で、第八条の三各号に掲げる方法による運用のために供与し、又は交付した金銭等(金銭その他政令で定める財産上の利益をいう。以下同じ。)の当該運用に係る当該金銭等に相当する金銭等の収受以外のものをいう。」更に第八条の2には「政治資金パーティー(対価を徴収して行われる催物で、当該催物の対価に係る収入の金額から当該催物に要する経費の金額を差し引いた残額を当該催物を開催した者又はその者以外の者の政治活動(選挙運動を含む。これらの者が政治団体である場合には、その活動)に関し支出することとされているものをいう。以下同じ。)は、政治団体によつて開催されるようにしなければならない。」とある。

企業・団体献金を禁止するのであれば、政治資金パーティーも禁止のその枠に加えなければならないのではないのだろうか。

党の規約には「企業・団体献金を禁止する」と明記しておきながら、企業・団体献金を求める為に開催するだろう政治資金パーティーは許すとしてある。
しかも維新の会で政治資金パーティーなど実行できるのは橋下のみではないのか。政党代表として行い、維新の会の資産を求めようとしているのかもしれない。この事に大きな矛盾が感じられてならないのだが。

弁護士でもあり法に詳しい者であるだろう橋下は、規約には「企業・団体献金を禁止する」としながら政治資金パーティーは許すとする事をどの様に意識しているのだろうか。

橋下は日本維新の会は既成政党とは異なる政党である事を主張しようとしているらしい。
だが、「企業・団体献金を禁止する」と綺麗事を主張しながら、実際には既成政党と同じく政治資金パーティーを認める、或いは許すとしている。結局は、綺麗事を抜かしながら既成政党と同じ事を実行しようとしているに過ぎない。
どこまでも呆れた者だ。

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