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日本選手団で最年長である越和宏選手はスケルトンの競技を終えると、現役引退の意思を表明した様だが、すでに決意していたのだろうか。

スケルトン越、現役引退へ 冬季五輪日本最年長の45歳

http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010022001000506.html
バンクーバー冬季五輪で日本の冬季五輪史上最年長出場の45歳、スケルトン男子の越和宏(システックス)は19日、20位に終わった競技後「競技者としてはメダルを取ることはできなかった。僕の経験を生かし、次の世代にメダルを取らせることがぼくの次のゴールドメダルチャレンジ」と語り、今季限りで現役を引退する意向を表明した。

 越はボブスレー選手として出場を目指した1992年アルベールビル五輪後、日本初の本格的なスケルトン選手として活動。第一人者として活躍し、2000~01年シーズンにはワールドカップ(W杯)総合2位。再び五輪に採用された02年ソルトレークシティー五輪は8位で、06年トリノ五輪は11位。07年には、若手育成のためのクラブを発足させた。長野県出身。
(共同通信2010/02/19)

スケルトンはという競技は冬季になっても、これまで日本では滅多に話題とされる事は無いんじゃないだろうか。

全日本選手権が始まったのが1997年からで、2009年までの間に越和宏選手が7回優勝している。

同じくオリンピック出場している田山選手と、その他の選手4名だけで、これまでの日本のスケルトンという競技は越選手が中心となっていたのかな、と思えてしまうのだが。

そりにうつ伏せになり、凍結の道を滑って行きタイムを競い合う競技みたいだけど、テレビで見てても滑走はもの凄く速く見えるが、最高時速は140㌔以上らしいではないか。

もの凄くスリリングな競技なんだな、と思わされてしまった。と同時に、この競技はもの凄くマイナーとなっていた、或いはされていたのかなとも思わされたのだけど。

これから、この競技に惹かれてくる若者は段々と増えてくるんじゃないじゃないだろうか。と思うんだけど、

越選手は、今回で引退をするという。そして、自分の持っている物を次の世代へ届けていくのだという。

しっかりと伝えていって頂きたいと思います。
 

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 7日目には女子のスピードスケート1000が行なわれたが、小平が橋下聖子以来の5位にまで達している。

小平が5位、15歳高木は35位 女子スピードスケート

http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010021901000046.html
 女子1000メートルを行い、小平奈緒(相沢病院)が3位と0秒08差の1分16秒80で5位となり、この種目で1988年大会と92年大会の橋本聖子らに並ぶ日本勢最高の成績を挙げた。

 五輪で初めてのレースだった日本選手団最年少の15歳、高木美帆(北海道・札内中)は1分19秒53で完走者の中では最下位の35位。500メートルで5位入賞の吉井小百合(日本電産サンキョー)は1分17秒81で15位に終わり、岡崎朋美(富士急)は1分19秒41で34位。

 地元カナダのネスビットが1分16秒56で優勝し、0秒02差の2位はゲリットソン、3位はファンリーセンとオランダ勢が続いた。
(共同通信2010/02/19)

日本のスピードスケート女子1000は、これまでは88年と92年の橋本聖子の5位が最高だった。

スタートから全速で滑っていたんでしょうね。後半から追い込んでいくタイプの様で、600mから伸び、最後は「最後はひざがガクガクした。力が入ってなかった。でも自分らしい滑りはできた」らしい。

小平が滑り終えた時には2位となっていて、メダルの可能性もあったらしい。その時応援していた人達は勿論だが、小平も後からすべる6人の結果を凄く意識していたんじゃないだろうか。

そして何人目なのかは分からないが抜かれてしまい、3位との差が僅か0.08秒。ほんの僅かの差で、メダルを逃してしまったみたい。

その時、彼女はもの凄く悔しく感じていたんじゃないだろうか。だけど、「自分らしいは滑りは出来た」とも思っている。

今年の1月にはバンクーバーではメダルに拘らずに、「自分のベストの滑りが出来ればいい」と語っていたらしい。

小平は500で滑り切れなかった事を凄く悔しく思っていたらしく、今回は「自分らしい滑りが出来た」事には満足していたんじゃないだろうか。
 



フィギュアスケートスケート男子で日本選手代表である、高橋大輔選手がオリンピック銅メダルを獲得した。

高橋大輔「大舞台でのメダル、誇りに思う」

http://www.yomiuri.co.jp/olympic/2010/news/skate/news/20100219-OYT1T00794.htm
バンクーバー五輪フィギュアスケート男子で18日(日本時間19日)、銅メダルを獲得した高橋大輔(関大大学院)は「すごくうれしい。オリンピックは目標だった。大舞台でメダルを獲得したことは、自分にとって自信になり、誇りに思う」と喜びを語った。

 表彰式に登場した高橋は、観客の大歓声に満面の笑みで手を振り、この競技で日本男子初となったメダルを観客に向けて掲げた。表彰台では涙ぐみ、メダル獲得の感動をかみしめた。
(読売新聞2010/02/19)

出だしの4回転を転倒した時には、多くの応援している人達は思わず高橋を心配したんじゃないだろうか。

だが、彼は全く動揺するような事など無く、見事に滑り切った。そして、会場からは大きな拍手が送られていたのではなかったろうか。

フィギュアスケートは表彰式の場でメダルが授けられていたが、他の2人と共に高橋もメダルを受け取った時には、本当に最高の気持ちになっていたのだろうな。

多くの人々が、日本初のフィギュアスケート男子のメダルを獲得した事を祝福しているんじゃないだろうか。

高橋大輔選手、銅メダルの獲得おめでとう。
 



ウインタースポーツといえば、これまではスケートやジャンプなどしか興味がなかったんだけど、今回のオリンピックで魅力的な競技があるんだなと気づかされる。

今日もスノーボードを見ていて、競技に挑む選手達に惹かれていった。

正念場、やはりトップと差=日本勢、初のメダルならず〔五輪・スノーボード〕

http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_date1&k=2010021800723
 2回目の演技を前に五輪連覇が決定。「ウイニングラン」となったショーン・ホワイト(米国)の最後の演技は圧巻だった。高さのある高難度の技を次々と決め、最後に新技「ダブルマックツイスト」を披露。着地を決めると、得点は満点に限りなく近いと言える48.4点に達した。歓喜に包まれる王者の一方で、スノーボード界初のメダルが期待された日本勢の失速が対照的だった。
 国母和宏(東海大)、青野令(松山大)の2人は予選でホワイトに迫る40点台の高得点をマーク。だが、決勝ではともにミスが出て、30点台にとどまった。強豪がメダルを目指して一段とギアを入れる決勝で、日本勢の勝負弱さが目立った形。青野は「全然満足できない」と力を発揮し切れなかったことを悔やんだ。
 外国勢との実力差を見誤ったトリノ五輪は、高い前評判に反して男子4選手が全員予選落ちする惨敗を喫した。「二の舞いはしたくない」(萩原文和監督)と迎えた今回は、過去の教訓を生かした点もあった。今季序盤に外国勢が新技を習得しているとみるや、日本チームも米国で強化合宿を組み、新技の練習に明け暮れた。五輪と同規格のパイプでの練習機会をつくったほか、米の賞金大会にも出場して世界のトップレベルも確認した。
 それでも、メダル獲得にはまだ何かが足りない。強豪国との練習環境の違いについて、「今の段階では何とも言えない。米国が強かったのは事実」と萩原監督。前回に比べれば、一歩前進したとの評価はできる。念願の表彰台へ、劣っている部分は何かを見つける作業が、4年後へのスタートとなる。
(時事通信2010/02/18)

スノーボードという競技はこれまで知っていたけれど、正直いって興味を持っていなかった。だけど、種目ハーフパイプを今回テレビを通じてじっくりと見せられて、その意識が大きく変わったかな。

ハーフポートを両サイドに滑り、高く舞い上がると複雑に回転して着地していく。

この競技を行う為に滑っていく選手達。そして、失敗する選手が多かったんじゃないかと思うんだが、難しい技に挑んでいた選手達にも何だか惹かれてしまった。

本当に迫力ある、とても魅力ある競技なんだなと思わされたよ。

この種目には、日本からは4人の選手が代表として出場していて、決勝へ進んだのは2人。

2人とも、予選では高得点を獲得した様で、メダルの期待が高まっていた様だ。特に、国母は抑え気味にしての高得点だった事から、決勝で抑えていた能力を出し切れば、更に高得点を得る可能性が高いのではないかとみられていたのではないだろうか。

だが決勝では2人共ミスを繰り返してしまった様で、青野は「満足できない。決めれなかった事が悔しい」と語っているが、国母は「滑りのスタイルは出せたので、悔いはない」らしい。

そしてスノーボードなんて競技では、アメリカが強豪なのは間違いないんでしょうけど、その中で金メダルを獲得したショーン・ホワイトと言う選手の実力が飛び抜けているんじゃないのかな。
 



種目はスピードスケート男子500。バンクーバー大会で、日本人初のメダリストが誕生する。

五輪スピード長島が銀、加藤が銅 男子5百、日本初のメダル

http://www.47news.jp/CN/201002/CN2010021601000082.html
 バンクーバー冬季五輪第4日の15日(日本時間16日)、スピードスケート男子500メートルは長島圭一郎(日本電産サンキョー)が合計タイム1分9秒98で2位、加藤条治(同)が1分10秒01で3位に入り、今大会日本選手団初のメダルを獲得した。1回目6位の長島は2回目にトップのタイムをマークし、加藤は1回目3位だった。

 この種目で日本勢の五輪メダルは8、9個目。日本は1984年サラエボ大会から6大会連続で表彰台に立っていたが、前回トリノ五輪はメダルを逃した。2002年ソルトレークシティー五輪の清水宏保の銀以来のメダルで、お家芸種目の復活を果たした。

 1回目2位のモ・テボンが合計タイム1分9秒82で韓国勢としてスピードスケート初の金メダルを獲得した。及川佑(びっくりドンキー)は13位、太田明生(JR北海道)は17位だった。

 フィギュアスケート・ペアのフリーで、ロシア国籍を取得した川口悠子とアレクサンドル・スミルノフの組は4位。旧ソ連時代から続く同種目でのロシア勢の13連覇はならなかった。

 アルペンスキーは最初の種目の男子滑降を行い、ディディエ・デファゴがスイス勢6大会ぶりの優勝を飾った。
(共同通信2010/02/16)

日本選手は84年サラエボオリンピックで初めてメダルを獲得し、02年ソルトレイクシティまで6大会連続して主に500、そして2人の選手が1000。ただ一人橋本聖子だけが1500メダルの獲得を行なってきていた。

この事から、日本はスピードスケートは短距離が「お家芸」と言われていたらしいが、だが前回のトリノでは日本勢はメダルが一つも獲得出来なかった。

トリノでは欧米人選手との筋肉量や体力差だけでは無く、その差をカバーしてきていた日本選手達の技術量を縮小してしまっている、スケート機能や道具の進歩が大きな原因となっているらしいのだが。

だが日本の選手達は進歩したスケート機能などを利用して、自分達の技術も更に進歩させていったのだろうか。と同時に、筋肉及び体力の強化なども行なってきていたんでしょうね。

前回のトリノでは長島選手は13位、そしてメダル候補だった加藤選手は6位の成績だったらしい。

今大会、競技を終えてメダルを受けた時には最高の気持ちとなっていたのかもしれませんね。

銀メダル、そして銅メダルの獲得、おめでとう。
 



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